93 エルの『覚悟』
ぽかぽかした昼下がりの陽射しの下、広大な農地が広がる牧歌的な景色の中を、馬車は風のように東へ駆け抜ける。
窓の外には青い青い空と自然溢れるような美しい光景が広がっているというのに、シアは、エルの口から語られた衝撃の真実に呆然としていた。
衝撃の真実とは言っても、ほとんどは四天王から聞いた話とヴェルフが言っていた推測の通りで、大半の事をすでに知っていた。しかし、その中に勘違いがあったのだ。
シアは、厄災の強さではなく、その不死性に苦労して救世主を呼んだのだと思っていたのだ。もちろん雑魚だと舐めているわけではなかったが、めちゃくちゃ強い四天王──ズートア要塞を一人で持ち上げるマイと、それに準ずる強さであろう残りの三人──と、その四天王を束ねる力の象徴のダイン王がいれば、厄災もちょちょいのちょいで倒せて、自分は倒れている魔王に救済の武具でトドメを刺すだけでいいと思っていた。だが、エルの話によるとそうではない。
厄災は不死ではなく、ただ単に強いだけ。
(いやいやいや、厄災との戦いの戦力として召喚されたって言われても、あの四天王が苦戦するような相手にオレみたいなのが戦力になるはずないじゃん!! そりゃあマイさんと戦ったときよりも確実アンド格段に強くなってる自信はあるけど、でも次元が違い過ぎる。アリに羽根が生えたところで、象同士の争いで何が出来る!? …………あれ、でも待てよ。オレたちがこれから戦うのって──)
シアがこの先に待っている絶望に気づきかけたとき、ヴェルフの声がそれを邪魔した。
「……今の話が真実なら、そんなモンスター軍団が実際に存在してんなら、なんでマギアしか知らねぇンだ? 百年とかならまだしも、十年に一度っていうまぁまぁの頻度で現れてんのにおかしくねぇか?」
ヴェルフの疑問に、エルはあっさりと答えた。
「あなたたちが弱いからよ」
「アァ!?」
ヴェルフは思わず声を荒げて、エルを睨んだ。だが、マギアと比べれば弱いのは事実なので、それ以上は何も言えなかった。睨んでいるだけのヴェルフに一瞥をくれて、エルは続ける。
「それと地理的な問題ね。わたしたちは厄災の存在を隠そうなんて一切思ってないけど、厄災は毎回決まってマギアの北にある荒れ地に現れるから」
「あぁ、そういうことか」
ヴェルフは苦い顔をして、納得したように頷いた。しかし、この世界の地理を知らないシアには何のことかさっぱりだった。
「どういうこと?」
シアは首を傾げた。
「マギアの東には海が広がってて、西にはナディエ・ディエがそびえ立っているの。だから、北の荒れ地に現れた厄災は南のマギアへ向かうしかないのよ」
「さらに北は?」
シアの何気ない質問に、二人は顔を見合わせた。もしかして聞いちゃいけないことだったのかと、シアが焦っていると、ヴェルフが頭をかきながら言った。
「ああー、そういやお前には説明してなかったな。この世界の住人にとっちゃ常識なんだが、マギアとカレルセの…っていうか、この世界の北の端にゃあ壁があんだよ」
「壁……? えっと、ナディエ・ディエが北でぐにんって曲がってるってこと??」
シアがさらに首を傾げた。ヴェルフは軽く手を振る。
「いや、全然違げぇ。ナディエ・ディエより数倍デカイ壁だ」
「数倍ッ!? あのナディエ・ディエの!!」
シアは驚きのあまり立ち上がりそうになった。が、先に一度頭をぶつけていたお陰で立ち上がらずに済んだ。
「サムが言ってただろ、ナディエ・ディエは女神の子供が創ったって」
「でもそれは峡谷があるからだって」
「それも理由の一つだが、一番の理由は、ナディエ・ディエが子供の創ったモノに思えるような壁が、この世界の果てにあるからだ。これ以上の話は長くてメンドクセーし、知ったところでどうなるものでもねぇから終わりだ」
ヴェルフは世界の地理を強制終了させると、エルの方を向いた。
「んで、それと俺たちが弱いことに何の関係があンだ?」
「簡単よ。強かったらどんなに離れてても厄災の魔力だったり気配だったりを感じ取れるでしょ? ホント稀にだけど厄災に気付いてマギアに来る者はいるし、現にマイだって前々回の厄災に気付いてマギアに来たんだし」
マイの名前を出されてそう言われてしまうと、ヴェルフは何も言い返せなかった。喉元まで出かかった文句を呑み込んで、次の質問に移ることにした。
「…………マギアしか知らねぇ理由はわかった。あと、厄災と戦うことも構わねぇ。俺たちはずっと三国で戦い続けてきたんだ、戦う相手が人間からモンスターに代わるってだけだ。むしろ、十年に一度なら戦闘回数は少なくなる。……だがよ、俺たちは三か国が束になってもお前らマギアに勝てなかった。しかも厄災にも気付けねぇときた。そんな……そんな弱い俺たちが戦力になんのか?」
自ら弱いと言うのは嫌だった。それを認めざるを得ない力の差があるのはもっと嫌だった。だが、事実から目を逸らすほどヴェルフは弱くなかった。シアは自分の気持ちを代弁してくれたと思って、無言で激しく頷いていた。ヴェルフがどんな思いで言ったのかも考えずに。
「それは大丈夫。次の厄災の年までまだ五年もあるんだから、マギアで訓練すれば弱いあなたたちでもちゃんと強くなれるわ。わたしと一緒に訓練しましょ♪」
いちいち「弱い」を付けるエルを、「アァ?」と声を荒げて睨み付けそうになったが、事実なのだからグッと我慢した。それに、強くなれるのならヴェルフとしても願ってもない申し出だった。だが、不満まで隠すつもりはなかった。
「なんだ、マギアには特別な訓練方法でもあンのか?」
ヴェルフがぶっきらぼうに聞いた。
「まぁ……そんなとこね」
エルが濁すように言った。シアは、特別な訓練方法と聞いて、ドミニクの地獄の筋トレを思い出して納得した。今さらヴェルフたちが筋トレで強くなれるのかははなはだ疑問だが、それでもドミニクの回復魔法──死ぬ前なら治せると豪語する魔法──があれば、どんな無茶な特訓でも安全に行うことができる。精神が保つ限りではあるが。
「それに、あなたも言ってたけど戦いには数が重要なの。厄災との戦いでは特にね」
「どういうことだ?」
「モンスター軍団って呼ばれてるだけあって、厄災には無数の小型モンスターとそれを束ねる一体の大型モンスターがいるのよ。小型モンスターは、大型と違ってそれほど強くないらしいけど、とにかく数が多いの。わたしは正確な数を知ってるわけじゃないけど、騎士団より圧倒的に多くて、荒れ地を埋め尽くすほどだって聞いてるわ」
「なるほど、非力な外部戦力に頼ってでも、その差を埋めたいってわけか」
ヴェルフの苦々しい言葉に、エルは申し訳なさそうに頷いた。
「大型を倒せば厄災との戦いは終わるから、わたしたちとしては何とかして一秒でも早く大型を倒したいのだけれど、小型たちがそれを邪魔してくるから大型にたどり着くことすら難しい。それにわたしたちは街も守らなきゃいけないから、防御を怠るわけにはいかないし、むしろこっちの方が重要。だけど今のマギアには、強くなった厄災相手に攻撃と防御を同時にするほどの戦力はないの。騎士の数を増やせればいいんだけど、これ以上増やすと国としての機能に支障をきたしちゃう。それじゃあ厄災を倒したとしても、マギアは立ち行かなくなって本末転倒。……だから、小型を倒せる強さより、小型を街に入れないための数が必要なの。流石に、小型にあっさりと倒されちゃうくらい弱いと話になんないけど、小型を倒せる強さも必要ない。大型さえ倒してしまえば、小型は全部消えて魔力に還るから」
「消えるッ!? マイさんは統率を失って弱体化するって言ってたけど!?」
シアは驚いて、思わず口を挟んでしまった。大事な話だからと邪魔しないように黙っていたのだが、これには黙っていられなかった。
「消える、で間違いないわよ。だって小型たちは生き物じゃなくて、大型が創った魔法──ゴーレムみたいな存在だから」
「でも四天王は嘘つかないんじゃ!?」
「それは……」
と、口ごもるエルに、ヴェルフは助け船を出した。
「ウソじゃなくてホントのことを言わなかっただけだろ。消えるってことは、控え目に言やぁ弱体化ってことだかんな」
「そう──言われたら、そうだけど……」
「だけど、マイがそんな回りくどい言い方したってことは、十中八九何か隠してるわね。それで、正しい言葉は何だったの? 書いてるとこ見つけたんでしょ?」
「うん。「救世主として、負の連鎖から救ってほしい」ってドミニクさんに言われてた」
シアは、日記を二人に見せながら言った。シアの世界の文字を、二人は読めないと分かっているのに。
「『負の連鎖』ってのは、倒す度に強くなる厄災のことだとして、『救う』って……一体何をだ?」
ヴェルフは日記をチラリとも見ずに、エルに聞いた。
「あのときのオレは、アデル王の言葉を信じてたから、救済の武具で厄災を完全に倒してこの世界を救ってくれってことだと思ったんだけど……」
そう言いながらエルの方を向いて、シアは息を呑んだ。エルの横顔に深い翳りが満ちていたのだ。口を真一文字に結んで、エメラルドのような緑色の瞳でじっと何かを見つめている。その顔は、エルの顔でも姫の顔でもないように思えた。
やがて、エルは感情を殺したように静かに言った。
「おそらく、父──ダイン王を、だと思うわ」
その緑色の瞳は、何も映していないように見えた。真っ正面で眉をひそめているヴェルフも、真横で驚いている自分のことも。エルは、機械のように淡々と言葉を押し出す。
「四天王は王の私兵。国のためよりも王のために動く。彼らが何を考えてるかまでは分からないけど、彼らが頼むってことは王に関連することに決まってる」
「まぁ、四天王のことをよく知ってる姫サマがそう言うんだ。それはそれで良いとして、王を救うってどういうことだ?」
ヴェルフの問いに、エルはゆっくりと動いた。ヴェルフを見てからシアへと視線を動かす。
エルは、言わなければならないと思っていた。被害者である彼ら二人には知る権利がある。だが思いとは裏腹に、言葉にするのは難しかった。それは誰にも、スパティフィラムにも話したことのない、自分の胸にだけ秘めている思いだったから。
「……今の父は、厄災への復讐に取り憑かれているの。前回の厄災に……お母様を殺されてしまったから……。以前のお父様なら、国を守るためでも世界征服なんてことしなかったのにっ……。だけど、今は変わってしまった。復讐のためなら手段を選ばなくなったの……。わたしだって厄災が憎いわ! お母様を奪ったのだって許せないし、この世界を壊そうとしてるのも許せない。だけど、復讐のために他の国や他の世界を巻き込むのは絶対に間違ってるわ!」
巻き込まれた二人は、黙って聞いていた。
「ママが生きていたら、絶対にそんなことはさせなかった。この戦争も異世界からの召喚も絶対に止めていた。……だけど、わたしじゃ止められなかった。必死になって止めようとしたのに、子供だからって話を聞いてももらえなかった。だからわたしは強くなった。聞いてもらえないなら、力ずくで聞かせる。それでも止めないなら、力ずくで止めてみせる。例え殺すことになっても……」
それが、エルの『覚悟』だった。姫として、そして娘として、間違った方向に進んでいる父を止める。ずっと心に決めていたことだったが、初めて言葉にしたことで、それはより強い想いへと変わっていた。
シアは、止めなければと思った。エルにどれほどの『覚悟』があろうとも絶対に。憎んでいるから殺すならまだしも、想っているから殺すなんて、そんなのは悲しすぎる。ましてや親子でなんて。
大切な者を失うあの悲しみと、大切な者を奪ってしまったあの後悔。一つでも耐えきれないのに、同時に二つなんてシアには考えれなかった。四天王に頼まれたのはコレのことだと、シアは勝手にそう思った。
「ダメだ、殺すのは絶対、ダメだ……」
だが思いばかりが強すぎて、言葉が見つからない。すると、エルは何事もなかったかのように、いつもの笑顔を浮かべた。
「例えばの話よ。マントさえ奪って王になれれば、殺さなくても止めれるんだから」
その笑顔には、はっきりとした拒絶の意思が含まれていた。それを感じ取ったシアは、それ以上何も言えなくなってしまった。エルはしばらくシアを見て微笑んでいたが、やがて窓の外に視線を向けた。そんな二人を、ヴェルフは黙って見ていた。
のどかな景色の中を、重い沈黙を乗せた馬車が東へと走っていく。ガタガタゴトゴト何処までも。




