90 やりたいこと
体調を崩したため、今回はすごく短いです。
シアが自分のテントに戻ってきた頃には、すでに空が白みはじめていた。ヴェルフもすでに寝たのか、最上階にはいなかった。
あの後、二人は時間が経つのも忘れて他愛もない話で盛り上がっていたのだ。この一ヶ月であったことだとか、好きな食べ物だとか、本当に他愛もないことをとりとめもなく。ただそれだけのことが無性に楽しかった。綺麗だった夜景がただの闇になっているのに気がつかなかったら、二人は今もまだ話していただろう。話す内容よりも話す相手の方が重要で、大切な相手となら昨日見た夢の話でも何時間と話せたりもするものだ。
地上に降りると、レオンの巨大なテントだけに明かりが灯っていた。中で動く人影は四つ。おそらく王とヴェルフ以外の三人の族長が、エルの提示した和平について話し合っているのだろう。
シアはそれを横目に、自分のテントに入った。
「オレのやりたいことか……」
ベッドに横になりながら、シアが呟いた。一人になってから、シアはずっとその事を考えていた。やらなきゃいけないことではなく、自分が本当にやりたいこと。将来の夢、願望、願い……。
漠然とした将来の展望ならシアにもあった。大学に進学して、両親どちらかの職業──弟妹が目指していない方──をつぐ。展望と呼ぶには少し漠然としすぎている気がするが、それがシアの思い描く完璧な兄の姿だった。エルの言葉を借りるなら兄道。
だがそれは、シアにとっては使命や義務の類いだった。誰に言われた訳でも頼まれた訳でもないが、兄としてやらなきゃいけない、そう勝手に思って生きてきた。むろん、嫌々やっているのではなく二人の笑顔が見たいからやってるのだが。それでも今さらやりたいこととは言えなかった。
(だったらなんなんだ、オレのやりたいことは? お前は一体何がしたい?)
シアは目を瞑って、自分の心に問いかけてみた。やはり一番最初に出てくるのは弟妹の顔。一旦端に置いておいて他を探す。すると、心の中に一人の顔が浮かんできた。それは輝く笑顔のエルだった。ついさっきまで楽しくお喋りしていたからなのだろうが、それでも。
「……守りたい」
心からそう思った。同い年なのに、国のため、世界のために行動する彼女を。オレのため……とは言わなかったけど、ずっと練ってきた計画を早めてくれた彼女を。そして何よりあの輝くような笑顔を。彼女より弱い自分に何が出来るのかわからないけど、元の世界に帰るまでの短い時間、いや、短い時間だからこそ……。
シアはベッドから飛び起きると、テントから飛び出そうとした。この『やりたいこと』には、自分の思いよりもエルの気持ちの方が重要だった。本人が望まないのあれば、それは嫌がらせにしかならない。だからエルに承諾を取ろうと思ったのだ。もちろん、
「君を守りたいんだ!」
なんて情熱的なセリフをぶつけるのではなく、マギアへ同行していいか訊ねるつもりだった。
しかしテントの入り口に手をかけたとき、シアはピタッと止まった。外でガサッと音が聞こえた、ような気がしたのだ。気のせいかと思いつつ、息を殺して外の気配を窺う。テント越しだが何の気配もない。少しの間、耳を澄ませて待ってみたが再び音が鳴ることはなかった。
「気のせいか……」
シアはフッと胸を撫で下ろした。しかし、テントから出ようとはしなかった。冷静に考えると、さっき別れたばかりなのに、今すぐにエルの部屋に行くのはあんまりじゃないか? と思ったのだ。しかもこんな時間に。
シアはくるっと反転すると、ベッドに倒れ込んだ。
「明日にしよう……。少し眠って、朝一でヴェルフたちに……いや、もう今日なのか‥‥?」




