87 再会
ズートア要塞の前では、獣人たちが厳戒態勢を敷いて待ち構えていた。剣、槍、斧、弓、各人が思い思いの武器を手に、道の向こうから接近してくる正体不明の訪問者を警戒している。
太陽がほとんど沈み、赤と黒の比率が逆転したような景色の中、二頭の馬が疾走してくる。一秒ごとに闇と馬が存在感を増してゆくが、数が増えることはなかった。
「たった二人で攻めてくるとは面白い! 俺が叩き潰してくれるわ!!」
ドブルスが意気揚々と前に出ようとしたが、横からマルコの槍が伸び、それを止めた。
「待て! たった二人で攻めてきたとは考えられん。ワナか、あるいは交渉か……、いずれにせよ、様子を見るべきだ」
マルコの主張の正しさを証明するように、正体不明の訪問者は要塞から少し離れたところで止まった。馬に乗ったまま、こちらの出方を窺っているようだった。
ドブルスが反論しようとしたとき、ヴェルフが声を上げた。
「おっ! アレ姫じゃねぇか?」
予想外の正体に、獣人たちの間にざわめきが起こった。
「姫ぇ~!? カレルセに潜入したとき、助けてもらった言っとったマギア王の娘か?」
「ああ、そうだ。影の薄い執事もいるし間違いねぇ」
「なんと、姫君がこんな場所まで乗り込んでくるとは……」
レオン王が感心したように呟いた。それから全軍に命令する。
「誰も攻撃するな!! 全員、警戒したまま待機。ヴェルフ、ついてこい」
「ヘイヨ」
レオン王とヴェルフの二人だけが前に出た。ゆっくりと二十歩ほど歩くと、そこで止まって相手の反応を待った。他の獣人たちは、彼らの後方で厳戒態勢を維持したまま待機している。
獣人たちに攻撃の意思がないことを悟ったのか、姫と執事の二人は馬から降りて、ゆっくりと歩いてきた。レオンは、近づいてくる二人を観察した。
後ろを歩いているのは、執事風の男。腰に剣を差していることから、おそらくは剣士。しかもかなりの強者。歩く姿からでもそれがひしひしと伝わってくる。だがしかし、なぜだか魔力も気配も感じ取れなかった。そこに確かにいるはずなのに。まるで幽霊、もしくは脱け殻のように思えた。
(俺とヴェルフの二人がかりで戦えばなんとかヤれるか? もう一人は……)
前を歩いているのは、鎧をまとった少女。金色の長い髪に、緑色の瞳、そしてこのような状況でも堂々と近づいてくる姿はまさしく姫。こちらも腰に剣を差しているが、おおよそ戦士には見えない。
(こっちは俺一人でも負ける気はしない。だがなぜだ……なぜだか勝てる気もしない)
そう思ったとき、レオンはヴェルフが同じようなことを言っていたのを思い出した。
「なるほど、お前が言っていたのはこういうことか……」
レオン王が、ヴェルフに耳打ちした。
「ああ、何か気持ち悪ぃ気配してんだろ、二人とも」
姫と執事は、十分距離を空けて立ち止まった。
へんぴな場所の道端で、相対している国の王と姫が声の届く距離で対面した。いやがおうにも緊張感が高まる。
姫が一歩前に出て、優雅に頭を下げた。
「お初にお目にかかります、レオン王。私はマギア王ダインの娘──」
と、そのとき、後ろで待機している獣人たちの間でざわめきが起こり、何かが飛び出した。
「ちょっ、どこ行くねん、シア!」
それはシアだった。両目を血走らせ、木刀を握り締めて、一直線にこちらに向かってくる。
「お嬢様ッ!!」
スパティフィラムが叫んで動き出そうとしたが、姫は片手を上げてそれを制止する。
「大丈夫。私が相手をするわ」
姫は平然と答えると、盾を取り出した。普段の訓練で使っている白い花が描かれた盾ではなく、丸い小型の盾だった。
「お前たちは動くな!」
レオン王はシアの後に続こうとしている獣人たちを止め、ヴェルフは気の毒そうに呟いた。
「あ~あ、せっかくの再開だってぇのに、タイミングが悪かったな」
それから二人は、シアを止めようともせずに道の端へと移動した。スパティフィラムもそれに倣う。姫が大丈夫と言った以上、彼が警戒すべきなのはシアではなくレオンとヴェルフの二人だった。
あっという間に姫に接近すると、シアは飛び上がり木刀を振り下ろした。
「お前たちのせいでッ!!」
ガンッ!! シアの木刀と姫の盾が激突した。強烈な衝撃が全身を駆け巡り、病み上がりのシアの身体は悲鳴を上げる。しかし、姫は涼しい顔をしていた。
「ごきげんよう、救世主」
姫の声は、場違いなくらいに平然としていた。突然襲われたにもかかわらず、街中で知り合いとばったり出くわしたような響きだった。
「フィラが死んだ! エヴァンスさんが、死んだ!!」
シアは構わず、荒れ狂う暴風のように木刀を振り回した。身を灼くような罪悪感から逃れるために、全てを怒りに変えてぶちまけたのだ。
ヴェルフとの訓練に命懸けの実戦、様々な経験を得て度重なる成長を遂げたシアの剣は、救済の武具を使っていた真夜中の特訓のときと同じ、いや、あのときよりも格段に強くなっていた。が、それでも姫には届かない。
「そう、それは御愁傷様」
「御愁傷様だと!? アンタたちのはじめたこの戦争で、どれだけの人間が犠牲になった! どれだけの人間が大切なモノを失った!」
姫の当たり障りのない大人な返答に、シアの怒りが爆発した。だが、シアも分かっていた。二人の死が姫のせいではないことも、この戦争をはじめたのが姫ではないことも、ましてや自分のこの怒りがただの八つ当たりであることも。
シアに残った欠片みたいな理性が、必死に自分を止めようと叫んでいた。ここで姫を倒しても、また後悔と罪悪感が増えるだけだ! と。だが、止まれなかった。
「お前たちはまだ奪い足りないのかッ!!」
「そうね。別に貴方に言っても意味はないと思うのだけど、獣人連合国とカレルセはこれまでもずっと戦争し続けてきた。むしろ私たちマギアが介入して、戦死者の数は大幅に減少したはずよ」
シアの猛攻を顔色一つ変えずに完璧に防ぎながら、姫が何気なく言った。それは、不安定なシアの精神を完全に崩壊させるトドメの一撃となった。
腹立たしいことに、シアにはそれが本当なのか嘘なのかもわからなかった。だが、そんなことはどうでもよかった。強くなったはずの自分の攻撃を簡単に防御する姿、この期に及んでも剣を抜こうともしない態度、そして何より姫の目。癇癪を起こした子供を見る、大人のような冷めた目に比べれば些事に過ぎなかったのだ。
シアの脳裏に大昔のイヤな記憶が甦る。
藍と紫苑が生まれる前、両親と自分の三人でどこかへ行くだったか何かをするだったかの予定があったのに、突然の仕事で計画がパーになったことがあった。まだ小さかったシアは、泣きわめいて引き留めようとした。
姫の目は、駄々をこねている自分を見る、あのときの両親の目とそっくりだった。
(そんな目でオレを見るな……。何もかも知ったような顔で──)
シアは子供のように、荒れ狂う感情のまま木刀を振るった。だが、たちが悪いことにその剣術は大人顔負けだった。
「アンタも、父親に認められたいだけの子供のくせに!!」
その一言に、姫の動きが一瞬止まった。思いがけずに生まれた隙だったが、シアはそれを見逃さなかった。すかさず踏み込み、渾身の一撃を放つ。
「もらったァ!!」
バキィ!! と、鈍い音がしたと思う同時に、シアは喉元に冷たい何かを感じた。ハッとして飛び退いたが、それは剣の切っ先ではなく柄の方だった。姫が腰から剣を外し、それを差し出すようにシアの喉元に突き出していたのだ。シアの木刀はポッキリ折れられていた。
「本当に殺す気があるのなら、コレを使いなさい」
姫の言葉は、どんな刃よりも鋭く冷たかった。シアは、動けなかった。
「だったらそこで大人しくしていなさい」
素っ気なく言うと、姫は剣を戻してレオン王の元へと歩き出した。シアの横を通るときにぼそっと呟く。
「ごめんなさい。今のわたしは姫なの」
シアは、金縛りにあったように立ち尽くしていた。暴れたおかげか、罪悪感と怒りはキレイサッパリ消え去り、今は呆然としているが、数秒もすれば代わりに戻ってくる理性と後悔が心を蝕みはじめるだろう。
「今の見えたか、ヴェルフ?」
「ああ。木刀が当たる瞬間だけ、魔法の盾が姫サマを覆ってた」
「うむ。一瞬で発動した魔法でも、トレントの木刀を折るほどの防御力だ。本気の盾は、我々でも壊すのは難しいかもしれんな」
「勝てないけど負けない。気持ち悪さの正体はあの魔法か……。わざわざシアの相手を買って出たのは、それを俺たちに見せつけるためだろうな」
二人がこそこそ話し合っているのも意に介さず、姫は剣が届くような距離まで近づいてきた。大人と子供、いやそれ以上の身長差が二人にはあった。レオンにしてみれば、頭から丸呑みにしてしまえるほどの小ささだった。
姫の後ろには執事が一人。レオンの後ろには獣人の軍勢。しかし、姫は一切動じない。姫であることを体現するように、堂々とレオンと見上げている。
「お待たせしました、レオン王」
「うちの者が申し訳ない」
レオンは、王として形だけの謝罪をした。姫は微笑みで返す。
「いえ、お気になさらず、レオン王。あの者を召喚したのは私たちですから」
「そうか。それで、マギアの姫がわざわざ何用ですか?」
レオン王の直球の質問に、姫は少し間を置いて答えた。
「……私は数日中にダイン王を説得して、この戦争を止めさせます」
それは大それた宣言だった。後ろの獣人たちの間に嘲笑にも似た笑いが起こる。が、前の二人は笑わなかった。レオン王に至っては、威嚇するように低く喉を鳴らしていた。
「説得だと? ふざけてるのか、小娘!! 今さらダインを説得できると思っているのかッ!?」
レオン王が牙と敵意をむき出し吠えた。その迫力は、まさに百獣の王の咆哮。背後で嘲笑っていた獣人たちでも震え上がるほどだった。
ピーンと張り詰めた空気の中、姫はその迫力を真っ正面から受け止め、静かに答えた。
「説得できなければ、そのときは私が王座を奪います。ダインを、父を殺してでも」
それは先程よりももっと大それた宣言だった。だが、今度は嘲笑も咆哮も起きなかった。脈々と続く王家の血が為せる業なのか、それとも姫然とした堂々たる態度が為せる業か、彼女の声にはレオンにも勝るとも劣らない迫力があったのだ。
シアは絶句していた。戦争を止めるためだけに自分の親を殺す!? あれほど慕っていたのに? 彼女にはそれほどの『覚悟』が……。
彼女は大人だった。罪悪感から逃れるために八つ当たりするオレなんかよりも百倍も。
「んで、それを俺たちに宣言してどうするつもりだ?」
ヴェルフが軽く聞いた。
「私が説得……、もしくは王座に就くことができた暁には、我々マギアと和平を結んでほしいのです。もちろん、マギアが捕らえている捕虜の皆様はお返しします」
まさかの申し出に、レオンたちは目を丸くした。彼らにしてみれば、願ってもないことだったのだ。彼らの望みは、カレルセを滅ぼすことでも世界を征服することでもなく、マギアに連れ去られた捕虜を取り戻すことだったから。だからこそレオンは慎重になった。
「だからカレルセを攻めるな、ってことか?」
レオンが返答に迷っていると、ヴェルフが再び軽く聞いた。
「いえ、別にそれは構いません。四天王に勝てるとお思いでしたら、お好きになさって下さい。ですが、カレルセの民には一切手を出さないでいただきたいのです」
「なるほど、俺じゃ信用ならなかったってわけだ」
ヴェルフの軽い皮肉を、姫は沈黙の微笑みで受け流した。
「それは、いいだろう。ヴェルフから聞いて、元々カレルセの民に手を出すつもりはなかった。向こうから手を出してこない限り、我らが何かすることはない」
レオン王は頷いた。しかし、姫は首を横に振った。
「いいえ、それではダメです。例え何があったとしても、絶対に手を出さないでください」
「なッ!?」
レオン王は目を見張った。
「そんなバカな話があるかッ!!」
「ヒト共にやりたい放題させろと言うのかッ!!」
獣人たちからも怒号が飛んだ。それでも姫は平然と微笑みを浮かべている。
「そうです。民に被害が出ればマギア騎士団が動くかもしれません。そうなれば、一日もかからずにこの戦争は終わるでしょう。むろん獣人連合国の全滅で」
「それは脅しか?」
「いいえ、事実です。ですがご安心を。ここに来るまでの道中、カレルセの民に獣人の軍を素通りさせるよう命令しておいたので、彼らから手を出してくることはないでしょう」
「それだけの情報で、はいそうですか、と了承はできない」
「ええ、もちろんです。委細につきましては、こちらのスパティフィラムが説明差し上げます。こんな小娘の説明では不安でしょうから」
屈託のない笑顔で姫が毒を吐いた。
「どうだ、姫サマ。今日はもう遅いし、要塞で一泊してったら。貴族が使ってたゲストルームがあるぞ?」
ヴェルフは面白そうに笑ってから姫に聞いた。
「そうですね。では、お言葉に甘えさせてもらいます。後は任せましたよ、スパティフィラム」
「お任せください、お嬢様」
スパティフィラムは、恭しくお辞儀した。
「んじゃ、行くぜ。お前ら、道空けろ!」




