86 コペルニクス的転回 後編
シアはホッと一息ついた。レオン王が出ていったことで、テント内の空気が軽くなったような気がしたのだ。その隣で、サムがテキパキガシャガシャお茶を用意しはじめた。
レオン王は、王でありながら偉ぶらない。獣人相手でもヒトの子供であるシア相手でも物腰柔らかく接してくれる。それでもそのライオンのような巨体と王という立派な肩書きに、シアは物理的にも精神的にも勝手に圧迫感を感じて緊張してしまうのだった。
「アルラウネ特製の薬草茶や。疲労回復によう効くから飲みぃ~」
「ありがとう、ございます」
シアは受け取ろうとお茶に手を伸ばしたが、サムはスッと手を引いた。
「えっ?」
「そのかしこまった言い方やめぇや」
「俺たちが気付いてないと思ってたか?」
驚くシアに、ヴェルフは鋭い視線を送った。
「マイにヤられた後から、出会ったばっかのときみたいに壁作ってたよな」
「それは……」
「今さら言葉遣い変えたって、この一ヶ月はなかったことにはならへんし、ワイらは距離空けたりせーへんで。それに、別れっちゅんは悲しいモンやけど、いつかは絶対に来る。それがイヤやからって、誰とも関わらんと独りで生きてくのはもっと悲しくないか?」
「‥‥‥‥‥‥」
浅はかな考えを見透かされたような気がして、シアは何も言えずに俯いた。
「少なくともワイはそう思う。そう思うからこそ、今を全力で楽しんで、後悔せんように笑って生きてる。せやから、シアも次出ていくときはちゃんと言ってや。しっかり考えての決断やったら、ワイは反対せーへんから」
「……うん、わかった」
「ほんならどうぞ。熱いから気ぃつけや」
サムはニコッと笑ってお茶を差し出した。
「ありがとう」
サムから貰ったお茶はとても熱かったけど、でも甘くて優しくて、心も身体もぽかぽか温かくなって癒されるようだった。
サムも自分用にお茶を淹れて、ずずーとすすって唸る。
「ああ~、やっぱりアルラウネのお茶は沁みるわぁ~。ほんまにヴェルフは要らんの? ウマイで」
「茶なんか要らねぇよ」
「なんかなんて言~たら、アルラウネ怒られるで」
と、思ったが言わなかった。サムも同じような気分だったからだ。お茶ではなくお酒で、このどうしようもない気持ちを呑み込みたい。おそらく、フィラの訃報を知ったここにいる獣人全員が同じ気分であろう。それでもお茶で我慢しているのは、ここが敵陣だからだった。
「にしても、お前らの予想はほとんど正解だったな」
ヴェルフが感心したように言った。
「予想ちゃうわ、ちゃんとした推測や。ワイくらいになると、現場に残された痕跡から大体のことは推測できんねん」
枯れた木々とエヴァンスの遺体──左胸に埋め込まれているコアに、剣ではありえない身体の破損状況──を見て、サムは何があったかを言い当てていた。
「まぁ、シルフうんぬんはディクソンはんが当てたんやけどな」
精霊やエヴァンスの感情などの痕跡を残さないモノは、流石のサムでも読み取ることはできなかった。それを言い当てたのはディクソンであった。
「ディクソンさんが、来てる……?」
その名前が、シアの脳裏に不吉な影を落とした。だが、サムは気付かずに話し続ける。
「せやで。エヴァンスが騙されてシルフに乗っ取られてたことから、シルフが自爆しようとしてたことまでばっちり言い当てとったわ」
「ああ、そうか。この前までエヴァンスの副官やってただけあって、カレルセの内情からエヴァンスの性格まで全部熟知してんのか」
「そういうこっちゃ」
サムは頷いたが、シアは心の中で首を振った。
(違う。二人は幼なじみで親友……だから……)
「あっせやせや。それで思い出したけど、ディクソンはんがシアに譲るって、アレ置いてったわ」
そう言って、サムがテントの一角を指差した。見ると、そこにはシアのカバンと救済の武具のレプリカ、そして……。
「エヴァンスさんの刀ッ!? なんで、オレに?」
「戦利品は勝者の物って相場が決まってンだよ」
殺した相手の持ち物は好きにしていい。それが獣人連合国のルールだった。
「いやいや、そんなのオレはいら──」
いらないと言いかけて、シアはぎりぎりで止まった。あまりに失礼すぎる。しかし殺した相手の武器──しかもエヴァンスさんが二人の誓いとまで言ってたモノ──を貰うなんて、シアには精神的に荷が重すぎる。
「これはディクソンさんが持ってるべきですよ!」
「知るか。本人に言え」
ヴェルフが素っ気なく言った。
「何でもヴィルヘルム家に伝わる家宝らしくて、大層な業物らしいで。まぁでも、いらんのやったら返してええんちゃう?」
「じゃお願いします」
シアは即答した。
「ワイかいな。まぁ返すくらいそんな手間でもないから別にええんやけど、シアはそれでええんか? 自分で返さんで後悔せーへんか?」
「それは……」
シアは言葉に詰まった。曲がりなりにも貰い物なのに、それを第三者の手を介して返すのは失礼なのではないのか。決して自ら欲したワケではないが、それでも気になってしまうシアだった。
サムは、刀を置いていこうとするディクソンにも同じようなことを言っていた。しかし、ディクソンは貴公子然とした白皙の顔に、柔和だが断固とした拒絶を含んだ微笑みを浮かべて、
「そうですね。たしかに感謝の品は、私自身の手で渡すべきです。ですが私にはまだ任務があるので、お願いします」
と、刀を置いて去ってしまったのだった。
「んじゃ行くぞ」
ヴェルフが立ち上がった。
「えっ、今から?」
「こうゆ~んはちゃっちゃと済ませた方がええんや。時間が経てば経つほど言い辛くなるんやから」
サムもどっこらしょと立ち上がった。仕方なくシアも立ち上がる。どんより重い精神に反して、身体はぐっすり眠って起きた休日の朝のようにすこぶる軽かった。
「ああ、せや。一応コレを持ってき、シア」
と、サムが渡したのは木刀だった。シアの目が見開かれるを見て、サムは慌てて付け加える。
「ああ、ちゃうちゃう。ディクソン用やなくて、護身用や護身用。ドブルスはレオンが止めてくれるやろうけど、第二、第三のドブルスがおらんとも限らん。それにここは敵陣やからな、一応武装しとかな」
「敵陣?」
受け取った木刀を腰に差しながら、シアは首を傾げた。言われて初めて、ここがどこなのか聞いていないことに気がついたのだ。だが、別にここがどこでも良かった。
「そういや言ってなかったな。まぁ出ればすぐにわかる」
そう言いながら、ヴェルフはテントから出ていった。エヴァンスの刀を慌てて取って、シアも後に続く。
外はすでに日が暮れはじめていた。傾いた太陽が森の木々を鮮やかに紅く染め上げ、まるで紅葉しているようだった。だが、視界の端にはとても巨大な影が映っていた。ハッとして見上げると、すぐそこにズートア要塞があった。
「あっ、まだカレルセだったんだ……」
シアが無感情に呟いた。よく見ると、鮮やかな木々も全て枯れ木だった
「せっかくここまで侵攻したんだから、ここをキャンプ地にしようってなってな。絶賛建設中だ」
ヴェルフがアゴをしゃくった方を見ると、人狼やケンタウロスたちが枯れた木々を伐採して、キャンプを設営している真っ最中だった。
「要塞に一人の兵士も配備してないし、もうカレルセに兵士はおらんやろってことで、一気に攻めることにしてん」
テントから出ながらサムが言った。
「峡谷はもう通れるようになったんですか?」
「いやいや、流石に昨日の今日じゃムリやわ。そうじゃなくて、全軍での侵攻をやめて少数精鋭だけで行くことにしたんや。元々マギア四天王は族長らで倒すつもりやったし……」
サムは頭をかきながら、苦笑いで言った。正直言って、数を揃えたところでマイをはじめとするあの怪物どもに勝てるとは思えなかった。大軍で攻めて彼らに本気を出されるくらいなら、いっそのこと少数精鋭で油断を誘った方がいいと判断したのだ。
「そんなことより、ディクソンはんは要塞の屋上で見張りしてくれてるはずやから、早よ行っといで」
シアは、ギョッとしてサムを見た。
「えっ、一緒に来てくれないの?」
「何甘えたこと言ってンだ。ガキじゃねぇんだし一人で行ってこい」
ししっと手を振り、ぶっきらぼうにヴェルフが言った。
「ワイらはこれから族長会議や、これからについてな。何かあったら大声で叫びぃ。すぐに駆けつけるから、ヴェルフが」
「俺かよ」
「当たり前やん。ワイの大きさであの要塞ん中入っていけると思うか? 廊下だけならほふく前進でいけるかもしらんけど、階段はどう考えてもムリ。しかもこんなにボロボロやねんで、ワイが入ったらそれだけで崩れるわ」
マイに落とされたせいですでにボロボロだったズートア要塞は、中でシアとエヴァンスが暴れたせいでさらにボロボロになっていた。
「……じゃ、俺は呼ばれるまで周囲の安全確認でもしてくるか」
と、ヴェルフはそそくさと何処かへ行こうとしたが、ぬぅと伸びたサムの長い腕がヴェルフの襟首を掴んで止めた。
「それはディクソン班がやってくれてる」
ディクソン班とは、ディクソンをリーダーとした元カレルセ軍人で構成された班である。彼らの任務は周囲の安全確認というより、周囲に住んでいるヒトたちを安心させることであった。獣人軍の目的はアデルを倒すことであって、進軍の邪魔をしないならこちらから攻撃することはない。と、首都ロクセットまでの道のりにある街々に伝えに行っていたのだ。
「ワイらは対四天王の作戦を考え直さなあかんねんから早よ行くで」
サムは、ヴェルフを引っ張って、ムリヤリ連れていった。
一人残されたシアは、観念して要塞屋上へと向かった。
何の問題もなく屋上の扉の前に着いたシアだったが、そこで立ち止まっていた。ノックするべきかどうかを悩んでいたのだ。部屋の扉ならノックすべきだが、屋上の場合はどうなのだろう?
真剣に悩んでいる訳ではなく、ただの時間稼ぎだった。稼いだところで大した意味はないのに。
はぁ~と一度大きく息を吐くと、シアは扉を開けた。
だだっ広い屋上に、ディクソンが一人でぽつんと立っていた。初めて会ったときと同じ格好──全身を黒で覆い隠した戦闘服──で、ロクセット側の縁に立ってじっと眼下に広がる景色を見つめている。傾いた太陽に赤々と照らされたその背中は、どこか寂しそうに見えた。シアが来たことに気付いていないのか、こちらを見ようともしなかった。シアは意を決して歩き出した。
ここからの景色は絶景だった。どこまでも続いているようなヴィルヘルム街道。その道々に点在する大小様々な街。森の中にはアッテンベル村のような小さな村やエヴァンス孤児院のような小さな建物、そしてこの二十年で廃墟になった町や村。それらの一切合財を、沈みゆく太陽が真っ赤に染め上げていた。
だが、シアにはその絶景を見る余裕などなかった。屋上までの長い階段を上っている間、一生懸命考えた上手な説明ときちんとした受け答えを頭の中で反芻するので必死だったのだ。
ある程度まで近づくと、ディクソンがゆっくりとこちらを見た。帽子と襟で目元以外を隠していて、表情は全くわからなかった。が、シアは思わず目を逸らしてしまった。せっかく準備した言葉も、本人を目の前にすると何も出てこなかった。
しばらくシアが何も言えないでいると、ディクソンが先に口を開いた。
「もう起きて大丈夫なのか、シア君」
その声は普段と変わらず、穏やかで優しかった。悲しみの気配すら感じさせない。シアは大きく息を吐くと、
「はい。大丈夫です」
と、言いながら視線を戻した。そしてハッとした。黒の間から覗くディクソンの金色の瞳が、水面に映った満月のように揺らいでいるように見えたのだ。その瞳の奥には、大事な者と死別した『あの悲しみ』があった。
その瞬間、シアは不意に殺しをしたくなかった一番の理由を悟った。
(自分が死んでも味わいたくなった『あの悲しみ』を、オレがディクソンさんに与えてしまった。いや……、ディクソンさんだけじゃない。エヴァンスさんを大事に想っていたみんなに……)
それは殺した相手に対する罪悪感よりも、殺した相手の大切な者たちに対する罪悪感だった。殺した相手は死ぬのだから、どんな気持ちであろうとそこで終わる。だが残された者は。下手をすれば、死ぬまでずっと『あの悲しみ』に耐えなければならないのではないのか。
恨まれることよりも業を背負うことよりも、弟妹に悪魔と呼ばれることよりも、誰かに『あの悲しみ』を与えてしまうことが、シアは何よりもイヤだったのだ。
ディクソンが何やら言っていたが、それを遮ってシアは一気に捲し立てた。
「エヴァンスさんはアデルに騙されてて、それでシルフに身体を乗っ取られてしまって、でもボロボロになったこの誓いの刀を見て自分を取り戻して、だけどもう爆発はどうしようもなくて、最期はこの国と民を守るためって……。それで……オレが殺しました。ごめんなさい」
ちゃんと説明してきちんと刀をお返しするはずだったのに、シアは感情のままに言葉をぶちまけていた。
「……頭を上げてくれ、シア君」
ディクソンはそう言うと、襟を引き下げて顔を見せた。夕日に照らされて赤みがかった白皙の顔に、穏やかな微笑みを浮かべていた。
「君が謝ることは何一つない。謝らなければならないのは私の方だ。ヴァンスは、私が殺すべきだった。殺さなければならなかった。だが、いざというときにそれができなかった。親友の命をこの手で奪う覚悟でこの選択肢を選んできたはずなのに、私は手を下すことができなかった……。そのせいで、多くの命を危険に晒した。君は、そんな私の尻拭いをしてくれたのだ。本当に申し訳ない、シア君。愚かな私のせいで、君に肩代わりさせてしまった。……そして本当にありがとう、ヴァンスを救ってくれて」
ディクソンは、帽子を脱いでシアに頭を下げた。
仕方なかった、これで良かった。頭ではそう理解しているのに、ディクソンの感謝の言葉はシアの弱い心に突き刺さった。どうせなら、「よくも親友を殺したな!!」などと罵倒された方がいくらかマシな気分になれたかもしれない。シアはこの場から逃げ出したかった。しかしシアの用事は、本題はまだだった。
「……あのっ! この刀はオレじゃなくってディクソンさんが持っていた方が良いです」
シアは一息に言うと、刀をディクソンに差し出した。
「誓いの刀か……。ヴァンスには、これで孤児院を守ってもらいたいと思っていたのだが……」
ディクソンは刀を受け取ると、乾いた笑いを上げた。
「ははは、当然か。言ってもないのに伝わるわけがない。……選択肢などいつでも掃いて捨てるほどあると、ヴァンスに偉そうに言ったのに、私は最低な選択肢ばかり選んでいるようだ。あの頃も、そして今も……」
ディクソンに大事な刀を返したというのに、シアの心を満たした罪悪感は、それでもなお、増え続けた。目から外に出したら少しは心が軽くなるだろうか。シアは思ったが、できなかった。奪われた者が泣いていないのに、奪った者は泣けるはずがなかった。
そのとき急に、ディクソンが屋上の塀に飛び乗った。そして何かを探すように下を凝視して、叫んだ。
「カレルセから誰か来た!」
シアも慌てて下を見た。二頭の馬がこちらに向かって駆けてくる。まだ距離があって、乗っている人物の顔はわからないが、一人は眼を凝らさないと見えないほどに影の薄い人物で、もう一人は長い髪をなびかせていた。
「アイツらが……!!」
それを見たとき、シアは弾かれたように走り出した。要塞内へと飛び込み、階段を一気にかけ降りた。




