85 コペルニクス的転回 前編
目を覚ますと、三角形の高い天井が見えた。おそらくは獣人のテント。そして大きなベッドの上に寝かされている。
シアは、ぼぉ~とした頭で強い既視感を覚えた。もしかしてあれは……エヴァンスさんとの死闘は夢だったのか……? もしかしたらオレは、マイさんとの戦いで倒れて五日ぶりに目を覚ましたのか……?
そう願いながら、シアは上半身をゆっくりと起こした。もし夢なら、ここでフィラが──。
「おっ、起きたか、シア。気分はどや? 痛いとことかないか?」
声をかけてくれたのは、ベッドの脇に座っているサムだった。隣にはヴェルフもいた。だが、フィラの姿はどこにもない。冷や水をぶっかけられたかのように、シアの精神が一気に目覚める。
「フィラはッ!?」
サムの質問を無視して叫んだ。どういう返事を期待していたのか、自分でも分からない。それでも聞かずにはいられなかった。
「アイツは死んだ」
ヴェルフがあっさりと言った。
サムは一瞬眉をひそめたが、静かに答える。
「……残念やけど、ヴェルフが着いたときにはもう死んでた。あの傷やと、ほとんど即死やったやろう」
フィラが死んだ。それは分かりきっていたことなのに、だからこそフィラを置いて敵を討とうと戦ったのに、それでも第三者から改めて言われたそれは、シアの心を深く抉った。
オレのせいでフィラが死んだ。
一度は怒りによって塗り潰された悲しみと自己嫌悪が、大量の涙となって体外に流れ出した。オレなんかのために死んで欲しくなかった。オレなんかの身代わりになって欲しくなかった。こんな気持ちになるくらいなら、死んだ方がマシだった。だからこそ、追ってこないように置き手紙を書いたのにっ……。
「なんでなんだよ……読んでくれなかったの……」
フィラを責めるつもりなんて一ミリもない。ただ、抱えきれない後悔を減らしたい一心で発した言葉。他人にどう聞こえるのかなど、今のシアに考える余裕はなかった。
「やっぱりアレ手紙やったんか……。まぁ、読めたとしても結果は変わらんかったやろうな」
サムが呟いたが、泣いているシアには届かなかった。
サムは小さく息を吐くと、シアに向かって小さな袋を投げた。それは頭にポンと当たって、膝の上に落ちた。
「……これは?」
袋を拾い上げて、シアがポツリと呟いた。
「フィラが集めた魔力なくなり草の種や」
シアの胸がグッと詰まる。だが、サムの言葉は続いた。
「中見てみ、フィラが書いたアルラウネ直伝の育て方のメモが入ってるはずやから」
促されるままにシアは袋を開けた。中にはたくさんの種と一枚の紙が入っていた。紙を取り出して広げてみたが、シアには読めなかった。
「なっ、読まれへんやろ?」
その言葉に、シアは心臓を貫かれたような衝撃を受けた。最初は目に溜まった涙のせいで、文字が滲んで見えているだけかと思った。しかしそうではなかった。その文字はシアの知らない文字、異世界の文字で書かれていたのだ。シアの脳裏にドミニクが言っていた翻訳魔法の説明が甦る。
「話す必要のある簡易的なテレパシーみたいなもので、読みと書きは対象外だ」
シアの目が大きく見開かれ、顔はどんどん青ざめていく。ずっと普通に話せていたから忘れていたけど、オレがフィラたちと話せているのは翻訳魔法のおかげ……。だけど、読みと書きは対象外。なら、オレが書いた手紙も……。
「……全部、オレのせいだ。ごめんなさい。オレのせいでフィラが……」
「黙って聞いてりゃあいつまでもグダグダ……、鬱陶しいったらありゃしねぇ」
突然、厳しい言葉を浴びせかけられた。ずっと黙っていたヴェルフが口を開いたのだ。牙を剥いて、シアを睨み付ける。
「自分のせいでフィラが死んだ? ハッ、ナニ自惚れてンだ。いいか、フィラが自分で選んだんだ。命賭けでお前を救うことを」
フィラがどうやって死んだのか、ヴェルフは知らない。しかしそれでも、フィラ自身がそれを選んで、そして満足して死んだことは疑いようがなかった。彼女の満足そうな死に顔を見れば一目瞭然だったのだ。それにヴェルフは、どうしようもない怒りを覚えていた。俺に散々自分勝手過ぎると言っときながら、自分は望みを叶えるだけ叶えて、後は全部ほっぽって勝手に逝きやがって!
「あんなシア、生きるってのは折り合いや。自分とやったり他者とやったり、色々なモンと上手いこと折り合いをつけて生きていくしかないんや」
サムが優しく諭すように言った。
「せやけど自分は、ワイたちに自分の感情を押し付けた。傷つきたくないからって、なんも言わんと勝手に出て行った。せやからフィラも自分に押し付けたんや。誰にも言わんとシア追って、そんで勝手に身代わりになった。それはシアのせいとかやなくて、フィラが望んだことなんや。それだけシアのことが大事やったんやろな」
サムの言葉は、自己嫌悪ばかりしているシアの弱い心に突き刺さった。
「あと、自分のせいでフィラが死んだ、やのうて、フィラのお陰で自分が生きてんねん。せやから言うべきなんは、『ごめんなさい』じゃなくて『ありがとう』なんとちゃうか? 勝手に救われて怒ってんのやったら別やけど……」
シアの目から涙が溢れた。今までの自己を呪うだけの自責の涙ではなく、命を賭けて救ってくれたフィラへの感謝の涙が。後悔しているのに変わりはないし、どうしようもない悲しみもある。だが、それ以上にフィラへの感謝が止まらなかった。
「ありがとう……ありがとう、フィラ……」
本来であれば最初に言うべき言葉を、シアはようやく口にした。その後は言葉にならなかった。ただただ子供のように激しく泣き続けた。
フィラの死を乗り越えた……とはまだ言えないけれど、それでもこの涙を流し終えたときにはまた前を向けると、シアは思えた。
ヴェルフはケッと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。サムは、苦笑いで肩をすくめた。ここで何があったんかシアに詳細聞きたかったのに……、こりゃあ泣き止むの待つしかないなぁ~。
しばらくしてシアの感情が落ち着きはじめた頃、外から怒号が聞こえてきた。
「なんだとッ!? フィラが死んだ!? あの小僧を守ってだとォオオ!!!?」
それはドブルスの声だった。
「あ~あ、ようやっとってとこでめんどいヤツが来たわ」
サムが侮蔑の色をありありと浮かび上がらせて言った。
「バカなッ!! アラクネの族長がヒトを庇って死ぬなど、フィラは一体何を考えている! これから四天王との戦いなのだぞ!! それなのにフィラは一体何を……! ああ、もう我慢ならん! あのガキ、無価値のゴミだと思って今まで放っておいたが、有害とあっては話は別だ。今すぐ処分しなければ!!」
サムは、雷鳴のような怒号が轟いた方を睨んで舌打ちしてから、シアに笑いかけた。
「あんなアホの言うこと気にせんでええで、シア。そも、生きてる価値のあるなしなんか、人間程度じゃ論じられへん。世界ってのは小さい行動の連続で出来てるんやから」
「行動の連続……?」
シアは別に何とも思っていなかった。ドブルスのような差別主義者が、差別対象を悪し様に罵るのはいつものことだったからだ。彼の言葉は聞く意味がないと思っていたのだ。もし発言の主が、レオンやマルコのようなちゃんとした大人だったら話は違っただろうが。
「せや。例えばやけど、森ん中歩いてた誰かがたまたま小石を蹴飛ばしたとする。その小石に驚いて小動物が逃げ出して、その小動物に狙いをつけて肉食動物が追いかけて、何もなかったらその肉食動物に襲われるはずやった誰かが助かる。そんでその誰かが、何かを為すような偉人やったら世界は大きく変わる……、かもしらん。良い方にも悪い方にも。……とまぁ、これは大げさやけど、それでも絶対にありえへんと言われへん。あったかなかったなんか誰にもわからんしな。とにかく一人の人間が……、いや、人間だけやない。動物、植物、微生物、それに雨やったり風やったりの自然現象……、これらのちょっとした行動が、世界に及ぼす影響ってのは計り知れへん。せやから生きてる価値なんて誰にも論じられへん。もしそれを論じれるヤツがおったら、それは人智を超えた存在か、もしくは目の前のことだけ見て、全部分かったような気になってるとんでもない勘違い野郎だけや」
と、言いながら、サムはヴェルフの方を向いた。ヴェルフは眉間に深いシワを寄せる。
「……で、何で俺の方見んだよ?」
「いや、なんとなく。強いて言うんやったらオチが欲しかったから?」
悪びれる様子もなく言うサムに、ヴェルフは「はぁ~」とため息をつく。
「……一応言っとくが、俺は人間の価値なんて気にしたことねぇよ。自分自身を含めてな。生まれたからにゃあ死ぬまで全力で生きる。ただそれだけだ」
「はぁ~、流石ヴェルフ。単純明快やな」
「バカにしてんのか?」
「いやいや、褒めてんねん。物事ってのは単純化すんのがいっちゃんエエねんから。せやのにエラソーなヤツってのは、大体単純な事を複雑化させてやってる感出すからなぁ~」
と、そのとき、テントの入り口から低い声が聞こえてきた。
「入っていいか?」
見ると、巨大で筋骨隆々の影法師が入り口前に立っていた。
「ええよぉ~」
入り口も見ずに、サムが気楽な返事をした。シアは一瞬ビクッとしたが、入ってきたのはレオン王だった。
「起きていたか、シア」
レオン王は、入ってくるなりシアを見て言った。人知れずホッとしていたシアは、少し反応が遅れる。
「……は、はい、今──」
慌てて答えようとしたが、全部言い切る前にサムが代わりに答えた。
「さっき起きたとこや」
「……そうか。で、身体の調子はどうだ、シア?」
レオンは微妙な表情で、もう一度シアに向かって聞いた。だが、今度のサムはより早かった。シアは口を開いただけで、一音すら発せられなかった。
「大丈夫そうやで。寝てる間にアレクにも診てもらったけど、傷口は全部きっちり縫えてるって」
アレクはアラクネの医者で、フィラの従弟である。
「えっ! アレクさんが……!」
一瞬、サムの邪魔(?)がなかったことに驚いたが、よくよく考えてみると当たり前だった。
「せや。何せ自分、全身ツギハギだらけやからな。専門家のアレクに診てもらったんや」
「えっ、継ぎ接ぎ!?」
驚いたシアは、服を捲って自分の身体を見た。
「あっ、ほんとだ……」
確かに、上半身の至るところにある傷口は全て糸で縫われていた。継ぎはなく、接ぎ合わされてるだけだったが。
「なんや、無意識でやっとたんか?」
「うん、そうみたい。戦いに必死だったんで……」
シアは服を戻しながら言った。
「ほぅ、そうか。アレクも驚いとったで。戦いながら折れた骨もしっかりと縫い合わせるとは、アレクネの中でも一部の者しかできない高等技術。それをヒトが……。流石はフィラ姉さん、やはり貴女はアラクネ随一の先生だった……、てな」
「………………」
そうサムに笑いかけられても、シアは何も言えなかった。当たり前のように使われる過去形にまだ耐えられなかったのだ。気まずい沈黙の空気がテント内に流れる。それを破ったのは、レオン王の低い声だった。
「……そうか。それで、ここで何があったかは聞けたのか、サム?」
今度はシアにではなく、直接サムに聞いた。
「それはまだや。シア、話してくれるか?」
「……うん」
シアは重々しく頷いた。
シアにはもう一つ向き会わなければならない『死』があった。フィラの死と違って、自分が直接手を下したエヴァンスの死が。状況的に、元の世界でも正当防衛だったり情状酌量だったりで無罪放免になるはずだったが、それでも殺したという事実や、心にある罪悪、手に残る感覚、そして手が血に塗れているような幻覚が消えることはない。それらは当人が向き合ってどうにかするしかなかった。例え世界中が、そして被害者が赦してくれたとしても、最終的に自分を赦せるのは自分自身だけなのである。
シアは、あったことを簡単に話した。出来るだけ感情を省いて。
エヴァンスの心臓のこと、自分を庇ってフィラが死んだこと、コアの中にシルフがいて、エヴァンスの身体を乗っ取ったこと、そして、自爆しそうになったエヴァンスを、自分がシルフごと殺したこと。
レオン王は驚きを隠せないといった様子で聞いていたが、サムとヴェルフの二人はさして驚かなかった。
「……なるほど」
レオン王は恐い顔でそう言うと、シアのベッドの前に膝をついて頭を下げた。
「シア、貴君とフィラのおかげで獣人連合国は救われた。獣人王として、心よりお礼申し上げる。ありがとう」
王の思いがけない行動に、シアは戸惑った。
「違うんです! オレはカレルセに逃げようとしてて、たまたまエヴァンスさんに会って、それでエヴァンスさんを殺めてしまっただけなんです。だから、オレはお礼を言われることなんて何にもしてないんです!!」
シアは、必死になって自分の功績を否定した。殺人を褒められるなんて間違っている。平和な世界で育ってきたシアには違和感しかなかった。ただ、フィラの功績が認められたことは嬉しかった。
「ヤツは戦士だった。戦士が戦いに負けて死んだんだ。それを勝者が同情しちゃ、敗者をより惨めにするだけだぞ」
「まぁ、初めての殺しでショック受けへん方がおかしいんやけど、そんでも互いに命懸けの対等な戦いや。そこに善も悪もない。それに今回はエヴァンスが死ぬことはもう決まってた。だから、そんなに気に病む必要はないで」
「それに、偶然にせよ意図していなかったにせよ、我々がキミに救われたのは事実。キミがエヴァンスを殺してくれたおかげで、我々は今もこうして生きている。それでキミの罪悪感がなくなるかはわからないが、キミとフィラは、紛れもなく我々の命の恩人なのだ」
三人の言葉は三者三様だったが、歴戦の戦士の言葉はどれも重く、シアの心に沁み入るようだった。
「……ありがとうございます」
「うんうん。折角やねんから、王様から褒美でも貰っとき」
「そうだな。何か望みがあれば言ってくれ。可能な限り叶えよう」
望み……、シアは少し考えてみたが、何も思い付かなかった。望みがないワケではなかったが、どれもレオンに叶えられるモノではなかった。
「……特に、ないです」
と、シアは首を振った。すると、サムが手を挙げた。
「はいっ。ほんならあのウルサイ牛を黙らせてくれへん?」
「ああ、それはもちろんだ。褒美に関係なく、元々ドブルスに警告するつもりだった。シアの話次第では止めるのは難しいと思っていたが、これほどの功績があるのなら力ずくでも黙らせられる」
「あっ、そうなん。せやったら褒美は保留で」
「えっ、褒美の保留なんて出来るんですか?」
シアは驚いてレオンを見た。だが、またもや答えたのはサムだった。
「当たり前やん、これは功績に対する褒美やで。そんなもん期限付きの方がおかしいやん。な、レオン?」
「あ、ああ、そうだな。思い付いたときに言ってくれればいいぞ。……では、また何かあったらいつでも呼んでくれ」
そう言って、レオン王はテントから出ていった。




