84 そして一人になった 後編
前話、最後の段落を変更しました。
変更前 シアは目を見張りながらも、何とか盾で受け流した。だがしかし、刀は三度戻ってくる。何度受け流そうとも、シルフの刀は止まらなかった。
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変更後 シアは目を見張りながらも、何とか盾で受け流した。殺し損ねた衝撃が全身を駆け抜け、痛みに顔が歪む。だがしかし、やはり刀は止まらない。瞬きする間もなく、同じ方向から三度目が来た。
二人の戦いの跡は、まるで小さな竜巻が通った後のようだった。木々がなぎ倒され、地面が抉れ、森の中に一本の道ができていた。その全ての破壊がシルフによるものだった。
シルフの回転する刃は、とどまることを知らなかった。何度受け流そうが、勢いそのままに同じ方向から戻ってくる。シアは攻撃はおろか回避することもできず、防戦一方だった。剣と盾の両方で、回転するシルフの刃を受け流して、さらに森の木々や岩などの障害物を利用することで何とか命を繋いでいた。それではいつまでたってもシルフの回転が止められないことくらい、シアにも分かっている。しかし、今のシアにはシルフの回転を止めるだけの体力が残っていなかったのだ。
本気を出したシルフは凄まじく、スピードもパワーもさっきより遥かに上昇しており、その身体能力は剣技の拙さを補って余りあるものだった。回転しながらズバズバ何でも斬り刻む姿は、まるでミキサーのようだった。モーター音が聞こえてこないのが不思議なくらいである。むろん、その人間離れしたその動きに、エヴァンスの身体が耐えきれるはずもなかった。それでもシルフは、
「アハハハ!! いつまで耐えられるかなぁ~~~?? どんどんいくっよぉ~~~」
と、けらけら笑いながら刀を振り回し、大木も大岩も地面もお構い無しに、力任せで斬り刻んでシアに迫った。そのせいで、エヴァンスの身体はシアに負けないくらい血塗れになり、刀の刀身も刃こぼれしてボロボロになっていた。
シアは、そこに一縷の望みをかけていた。つまり我慢比べである。
自分が倒れるのが先か、エヴァンスの身体が壊れるのが先か。シルフが提案した悪趣味な遊びに乗るようで気分は悪かったが、それしか勝算がなかった。勝算と言っても、ゼロパーセントの勝率がイチパーセントになる程度のモノだった。
シアの体力はもう限界を迎えていた。今動けているのは根性に他ならない。特に折られた左腕は思うように動かせず、盾で受け流すことが難しくなっていた。受け流す度に走る衝撃に、何度も盾を吹き飛ばされそうになったことか。そこでシアは、絶対に飛ばされないように、左腕に巻いている糸を使って盾と腕を固定した。
そしてとうとう、永遠に思われた短い我慢比べに終わりが訪れた。先に根を上げたのは、シアの方だった。何百回目かわからない攻撃を受け流すのに失敗して、盾でまともに受けてしまい、盾どころか身体ごと吹き飛ばされてしまったのだ。
シアは背中から大岩に激突して止まった。激痛に息も止まる。それでもすぐに起き上がろうとしたが、身体が言うことを聞かなかった。根性でどうにかなる次元はとうに超えていたのだ。
次の瞬間、ミキサーの刃が、大岩ごとシアを叩き斬ろうと襲いかかってきた。シアは目を閉じた。しかし──。
ガチン!! 硬い音がして、狂気のミキサーは突然止まった。血塗れの身体とボロボロの刃では大岩を斬ることが出来ず、ミキサーの刃は弾かれたのだった。
「おっとっと……」
シルフはよろめきながらも、しっかりと地面を踏みしめて立った。ボタボタと血が滴り落ち、周囲に血だまりを作る。エヴァンスの身体は、明らかにシアより重症だった。全身どころか辺り一帯も血に染め、立っているのはおろか生きているのも不思議なくらいだった。それでもシルフは平然としている。
「ちぇ! あとちょっとで終わるってとこなのに、このナマクラ、ホント使えない!!」
頬を膨らませて文句を言うと、シルフは刀を叩き折ろうと大岩目掛けて振りかぶった。当たる、と思ったそのとき、
「だったら返してもらう」
エヴァンスの声が聞こえた。それはエヴァンスの口からだった。本人の口から本人の声が聞こえたのだから、何も驚くことはないのだが、シルフは思わず刀を放り出して口を押さえた。
「なんでエヴァンスの声がッ!?」
「当たり前だ。これは俺の身体なんだ。そして──」
エヴァンスが歩き出した。地面に突き刺さった刀に向かって、ゆっくりと。シルフは怒気を露に叫ぶ。
「止まれ! ゴミはゴミらしく、ボクの命令に従ってればいいんだっ!!」
コアの蒼い光が一段と強烈に輝き、雷のような放電が四方からエヴァンスに襲いかかった。だが、エヴァンスの歩みは止まらなかった。プスプスと全身から黒い煙を立ち上らせながら刀に近づく。
「これは……この刀は……俺たちの誓いだ! 貴様などには壊させんッ!!」
エヴァンスは刀を引き抜き、高く掲げた。欠けた刃に朝日が反射し、光り輝く。それは、黒い魔力など消し去るほどに眩しく暖かかった。コアの光が再び赤黒い輝きに戻る。
「ゴミのくせに、ボクの支配から抜け出すなんて……!! ……でも、もう遅いよ。いまさら身体を奪い返したって爆発は止められない! この膨大な魔力、ゴミのお前には制御できるか? ムリだよね、ボクが居なくなくなったら数分も経たずにボカンだ! それともどうする、爆発を止めるためにコアを壊すの? あれれ、でもコアはお前の心臓だったよね?? アハハハ!! お前はどっちみち死ぬ運命なんだ、エヴァンス!!」
悪魔のような高笑いが響き渡った。しかし、エヴァンスは驚くほど静かに答える。
「ああ、知っている。これは俺の身体だ」
それは、覚悟を決めた男の声だった。
「なんだよ、強がちゃって……。分かってないようだから教えてあげるけど、お前はただ死ぬんじゃなくて大爆発するんだよ。お前の孤児院はこの近くだろ? お前がここで爆発すれば、間違いなく孤児院も吹き飛ぶんだよ!! だけど残念、ボクがボロボロにしちゃったから、その身体じゃコアは破壊できない。あっ! もしかしてそこにいる救世主に壊してもらおうって思ってるの? アハハ、それはムリだよ。殺しのない楽園のような世界で育った救世主に、お前を殺すことなんて出来ないよ。だってソイツは楽園に帰ろうとしてるんだ。血に塗れた手じゃ楽園の門は叩けないだろ? もし戻れたとして、血塗れの救世主は楽園でどう生きる? 一生隠し続けなくっちゃいけないんだ。友人にも親にも兄弟にも! 楽園の十字架はさぞ重たいだろうねぇ~。ギャハハハハ!!」
シルフが喚き散らした。
シアは何も言えなかった。たしかに、シルフの言う通りなのかもしれない。
『殺し』はしたくない。そんなこと当たり前過ぎて、その理由まで考えたことはなかったが、シアは恐れていたのかもしれない。藍と紫苑にまで悪魔と呼ばれることを。
「キミたちがどうするか、最後まで観てたいけどボクはそろそろ失礼するよ。作戦が成功したことを早くアデルに伝えたいからね。アハハハ、じゃあねぇ~♪ …………あれ、出られない!? なんで??? なんでッ!?」
狂ったように笑っていたシルフが、突然焦り出した。シアには何が起こっているのかわからないが、必死に『なんで』と繰り返している。すると、エヴァンスがニヤリと冷たく笑った。
「知らなかったのか? 卑しい貧乏人は、貰ったモノを死んでも返さないんだぜ。俺と一緒に死んでもらうぞ」
「ナニ言ってる……ボクは大精霊シルフだぞ! この世界はボクとアデルのモノなんだッ!! お前なんかに閉じ込め──」
「後は地獄で聴いてやるから、今は黙ってろ!」
コアが強く輝き、徐々にシルフの声が聞こえなくなった。
「すまない、待たせたな……」
そう言うエヴァンスの顔は、憑き物が落ちたように晴れやかだった。全身血に塗れ、今にも死にそうだったが、出会ったときと同じように自信に満ち溢れている。何がどうなったのか、シアにはさっぱりだった。ためらいがちに質問する。
「シルフは……どうなった、んですか?」
「アイツは、ここに閉じ込めた」
エヴァンスは左胸のコアを指した。シアの顔がパッと輝く。
「じゃあ終わったんですね!? だったら今のうちに獣人連合国に。サムならきっと爆発を止め──」
「いや、まだだ。まだ俺とお前が残っている。さぁ、立て!!」
「は……?」
シアは一瞬、言葉の意味がわからなかった。
「なんで!? エヴァンスさんはアデルに騙されたんでしょ? だったらもう戦う必要なんて……」
「俺は、誇り高きカレルセの軍人だ。たとえ王に裏切られようと、国と民を守るのが務め。この命が尽きるまで、俺は国家の敵を排除する!」
今さらなのはエヴァンスも重々承知していた。でもだからこそ、こうする必要があった。
「……立たないのならば、俺は獣人連合軍を倒しに行くぞ」
「ダメ!」
シアは反射的に叫んだ。
「だったら立て! 立って構えろ、救世主ッ!!」
エヴァンスは叫ぶと、腰を落として刀を上段に構えた。それだけで、悲鳴を上げるかのように全身から血が吹き出す。だが構えは一切ブレず、刀からは凄まじい剣気が立ち上っていた。
その姿を一目見ただけで、シアは説得を諦めざるを得なかった。エヴァンスの『覚悟』が見えたのだ。
「クソッ、なんで……なんだよ……!」
シアは剣を地面に突き刺して、必死に立ち上がろうとしたが、無理だった。足は動かないし、腕にも力が入らない。だが、魔力はまだ残っていた。
「フィラ……、最後にもう一度だけ力を貸して……」
そっと呟くと、魔力を振り絞る。剣を放し、両手を上げた。
「クモ魔法・創造」
シアの両手からするすると糸が伸び、シアの背後に糸人形を造っていく。
本来、糸人形は術者の姿を模して造るモノである。自分と同じ姿の方が操りやすいからだ。だが、シアが造った糸人形は、フィラの姿をしていた。色が白いだけで、本人と瓜二つの人形だった。
「絡操」
シアが呟くと、糸人形はぎこちない動きで、座り込んでいるシアを後ろから抱き締めた。強く、しっかりと。
苦しいだけの冷たい抱擁。分かりきっていたことなのに、シアの心は一瞬にして絶望感と罪悪感に支配された。だが、それで良かった。
やがて、シアを離して糸人形が立ち上がった。すると、それにつられるようにシアもゆっくりと起き上がる。まるで下手くそな人形師に操られた操り人形のように、奇妙な動きで一度宙に浮いてからふわりと地面に降り立った。いや、シアの両足は地面には着いていなかった。上から吊られていたのだ。
シアは自分の身体に糸を巻き付け、自分自身をマリオネットにしていた。人形師役にフィラを選んだのは、自分勝手で自己満足の、ねじまがった贖罪のためだった。
ぎこちない糸人形に動かされて、シアは剣を構えた。盾を捨てて両手で剣を持ち、グッと腕を引き、切っ先をエヴァンスに向ける。
シアの準備が整うのを、エヴァンスは静かに見ていた。その顔が歪んでいるのは、痛みのためではなかった。
「すまない……」
『すまない』では済まないことなど分かっていた。それでもエヴァンスはそう言わずにはいられなかった。それからシアの反応を待たずに叫ぶ。
「……だが、戦いは別だ。本気でいくぞッ!!」
エヴァンスは不敵に笑うと、全身を激痛が襲っているのにもかかわらずにダッと駆け出した。
全身を朱に染めて疾走してくるエヴァンスの姿は、まるで命の炎を燃やしているようで、自らの身体を燃やして周りを明るくする蝋燭のような儚さがあった。
シアは動かなかった。ただ、切っ先をコアに向けるように剣を構えて、エヴァンスを待ち構える。
「立ち上がっただけか、救世主! 貴様の覚悟はそんなものなのか!!」
エヴァンスが挑発するように叫んだ。シアにはそれに応えて叫ぶだけの体力が残っていなかった。囁くように弱々しい声を押し出す。
「仕掛けは、もう済んでいる」
その言葉に、エヴァンスはハッとした。いつの間にか、シアの前には無数の細い糸が張られていたのだ。
(まるで蜘蛛の巣だな。奥にはアラクネと、磔にされたシアか……)
エヴァンスには、シアが蜘蛛の巣に囚われているようにしか見えなかった。
「……ハッ、だが無駄だ! この程度じゃ俺は止められんぞ!!」
エヴァンスは構わず蜘蛛の巣に突っ込んだ。構っている余力などなかったのだ。シアの創った糸は、数が多いだけで見かけ倒しだった。エヴァンスの身体が触れるだけでぶちぶち千切れていく。あっという間にシアに近付くと、エヴァンスは飛び上がった。そして、シアに向かって全身全霊の力を込めた刀を振り下ろす。
「エヴァンス流・奥義──」
だがしかし、その刃はシアには届かなかった。シアの前に張られたたった一本の細い糸にエヴァンスの腕が引っかかり、シアの目の前で止まっていたのだ。
「なっ──!?」
エヴァンスが目を見張ったその瞬間、シアの剣がエヴァンスの心臓を中にいるシルフごと貫いた。シアが貫いたというよりも、シアの構えていた剣にエヴァンスが自ら身を投げ出した形だった。エヴァンスのコアから、「ごめんね、アデル……」と、弱々しいシルフの声が聞こえたような気がした。
「……たかが一本に止められるとはな……」
エヴァンスは悔しそうに言うと、わずかに血を吐いた。
勝者は、敗者より死にそうな表情と声で答えた。
「これは、フィラの──アラクネの糸だ」
目の前に張った一本の糸。これだけはフィラの糸だった。シアの剣が抜けないようにと、フィラが巻き付けてくれていた糸。フィラが死んでほどけたそれを、シアは折れた左腕に包帯のように巻いていたのだ。折れた腕と折れそうな心を支えるために。
「……そうか、蜘蛛の巣はこれを隠すために。見事だ」
エヴァンスはそう言うと、自らで剣を引き抜いた。傷口からわずかな血と大量の魔力が吹き出す。
「ありがとう、救世主。これでもう爆発はしない。俺も救われた……」
エヴァンスはかすかに笑うと、力無く倒れた。
「…やっぱり二人の方が正しかったよ……ごめん、アンドレイ、おばあちゃん」
エヴァンスの最期の言葉は声にはならず、誰にも届かなかった。エヴァンスの命が尽きたことを明示するかのように、左胸のコアが二度明滅し、完全に消えた。
「終わったよ、フィラ……。オレ、やったよ……。だからもう一度……──」
言い終わる前にシアは倒れた。糸人形が徐々に崩れはじめていたのだ。起き上がる気力はすでに残されていなかった。シアはそのまま目を閉じた。
遠のく意識の中で、近づいてくる声と足音が聞こえた。おそらくはヴェルフ。シアは必死に気力を振り絞る。
「……フィラが……要塞で……」
そこでシアの意識が途絶えた。
一方その頃、遠く離れた地でも異変を感じ取った者がいた。アデル王である。それは魂の繋がりなどの精神的なモノではなく、もっと肉体的なモノだった。
ロクセット城の地下牢に囚われている彼は、シルフが助けに来てくれるのを今か今かと楽しみに待っていた。すると突然、フッと身体が軽くなったのだ。初めは気のせいかと思った。こんな狭い檻に閉じ込められて、ろくに食事も取っていない──食事はきちんと三食出されたが、平民の食事など要らぬとアデルが拒否したのだ──のに、身体が重くなることはあっても軽くなることなどあり得ない。
しかし、気のせいではなかった。それが、二十年間発動し続けてきた召喚魔法が終了したことによるものだと気が付いたとき、アデルは膝から崩れ落ちた。地下牢の硬くて汚い床に膝を打ち、その痛みがこれが夢でないことを思い知らせる。半永久的に生きるシルフが自分より先に死ぬなど、想像すらしていなかった。何の覚悟もないままに、突然かけがえのない半身を失ったショックは計り知れないほど大きかった。
だが、アデル王はすぐに立ち上がった。悲しんでいない訳でも不屈だった訳でもない。自らの正しさを信じて揺るがないアデル王にとって、良い結果は全て自分のおかげ、悪い結果は全て誰かのせいだったのだ。王にはもっとも向かない性格であろう。とにかく、この最低最悪の結果が誰によってもたらされたモノなのか、アデルは知る由もない。ゆえに、彼の魂を切り裂くような激しい悲しみは、彼以外の全て──この世界に対して向けられた。
「この世界がシルフを拒むのなら、僕は世界を拒む。壊そう、世界を」
アデル王が牢屋内の壁に手を触れると、そこに魔方陣が現れた。虜囚の魔法を封じるための魔法陣である。
アデルは、その真ん中に六芒星を描いた。それはカレルセ王家秘伝の、召喚魔法を応用した転送術だった。悪逆非道だった歴代の王たちは皆、暗殺や謀略、民衆の反乱を恐れていた。そこで、いつなんどき投獄されても、安全な場所へと脱出できるように開発したのがこの魔法であった。方法は単純である。あらかじめ安全な場所に自分を召喚する魔法陣を用意しておき、必要になったときにその場所に召喚されるといったものであった。この方法であれば、魔法を封じられていても魔力さえあれば脱出することができた。
あの日と違い、アデルはたった一人で、暗くて狭い部屋を脱け出した。




