82 なぜ、エヴァンスに頼んだのか?
背後から迫り来る死神の鎌を感じながらも、エヴァンスは膝を着いたまま動こうとはしなかった。肉体ではなく精神が限界だったのだ。
当たる──。
そう思った瞬間、シアは思わず躊躇してしまった。全身から血を流したおかげで頭に上っていた血が下がったのか、あれだけ燃え盛っていた怒りの炎は少し前から鎮火の一途を辿り、理性も回復しつつあったのだ。
しかし、勢い良く振り下ろした剣は止まらない。シアは目を瞑った。
エヴァンスは枯れた枝が落ちるのを見ながら、声にならない声で呟いた。
「申し訳ございません、アデル様。俺はもう……」
ガキンッ! 思いがけない金属音。そして衝撃が、剣を通じてシアの腕を震わせた。ハッとして、シアは目を開けた。そして驚いた。
膝をついたままのエヴァンスが、振り返りもせず後ろ手に構えた刀で、シアの剣を受け止めていたのだ。
「止めてくれた! ──ッ!!」
そう言ってから、シアは顔を歪めた。エヴァンスを殺せなかったことに、ホッと安堵している自分に気がついたのだ。
(お前の怒りはそんなモノなのか!? コイツはフィラを殺した敵だぞ!! それなのにお前は……、お前は──ッ!!)
自分自身に対する怒りをぶつけるように、シアは剣に力を込めた。そのまま上から刀ごとエヴァンスを押し潰しそうとしたのだ。
「そんな体勢で耐えきれるはずがない!」
ギリギリと不協和音を鳴らしながら、シアの剣がエヴァンスに迫る……。そのはずだったのだが、シアの剣は一ミリも進まなかった。それどころか、徐々に押し返されはじめた。
「な、何が…起きている……?」
信じられないといった様子でそう言ったのは、エヴァンスの方だった。何か嫌な予感を覚えたシアは、攻撃を止めてその場から飛び退いた。
「アハハハ! ボクが助けてやったんダヨ。感謝してよネ~~~」
シアでもエヴァンスでもない、第三者の声が響いた。それは無邪気な子供のような声で、エヴァンスから聞こえていた。
「お、俺の中から声が……!?」
エヴァンスは思わず自分の口を押さえた。そしてハッとする。
「そ、その声! 貴様、シズルかッ!?」
「シズルって……、まだ気づいてなかったんだネ」
子供のような声が呆れるように言った。
「ボクはシルフ。アデルの精霊ダヨ、よろしくネ♪」
エヴァンスは愕然とした。
「なッ、アデル様の!?」
「そんなことより、お前はホンット使えないネ。こ~んなにも魔力を増やしてあげたってのに、ヒトも殺せない救世主に負けるだもん、ビックリだよ。でも当然だよね~。せっかくアデルが選んであげたのに、周りのことばっかり見て、自分の持ってないモノに嫉妬して、勝手に絶望して。ナニ? 自分がこの世界で一番不幸とでも思ってるの? 自分以外は誰も努力してないとでも思ってるの?? キミより救世主の方が不幸で、キミより努力してきたかもってどうして考えないの???」
邪気たっぷりの無邪気な声に、エヴァンスはたじろいだ。
「そ、それは……」
その瞬間、エヴァンスのコアが蒼く輝いた。憎悪を具現化したような赤黒い光から、夏空のような爽やかな蒼い光に変わったのに、なぜだか空気はより一層重くなったような気がした。
「ハハハ、こんなに簡単に心を乱すなんて、身体よりも心を鍛えるべきだったね。でも安心して、キミが一生懸命鍛えた身体は、ボクが上手に使ってあげるからサ♪」
「バカな、生きている人間を器にするには契約が必要なはずっ!? いくらアデル様の精霊と言えど、俺は貴様を受け入れなどしないぞ!!」
「バカはキミだよ、エヴァンス。なんでキミの中からボクの声がすると思う? なんでコアの色が変わったと思う? 分からないのなら、自分の胸に手を当てて考えてみなよ、アハハハ!!」
シルフは、ことさらバカにしたように笑った。
「まさか……!」
エヴァンスは自分の左胸にあるコアに手を当てた。
「そうさ、キミがアデルから貰った心臓は、ボクの新しい器だったんだ。だからこの心臓を受け入れたってことは、中にいるボクも受け入れたってことになるんだよ。ホント、卑しい貧乏人は扱いやすくていいよね♪ アデルが平民なんかを重用する理由がよ~く分かったよ。だって自分に何をしてくれるかじゃなくて、立派な肩書きと偉そうな態度があればどこまでへーこらしてくれて、ちょっと甘い言葉をあげれば喜んで命さえ差し出してくれるんだもん♪」
大きく見開かれたエヴァンスの瞳が、シルフの言葉を理解するにつれて絶望色に染まっていく。
「俺は、アデル様にも裏切られていたのか……」
「アハハハ、やっと気がついたの? キミみたいなゴミを、アデルが重用するワケないじゃん。最初っからボクの器にするためだったんだよ。どうせキミは死ぬ気だったんだし、この身体はボクがもらうよ。じゃあね、エヴァンス。アハハハハ!!」
「クッソーーーーー!!」
エヴァンスは上体を大きく反らし、どこまでも蒼い空に向かって絶望の雄叫びを上げた。
シアは動けなかった。今や、シアの怒りは完全に理性と疲れに席を譲っていた。今のうちにエヴァンスを殺すべき……、それが無理でもせめて拘束するべきなのは分かっていたが、エヴァンスの異様な様子に、ただ固唾を呑んで成り行きを見守ることしかできなかった。
永遠かと錯覚するような数秒の間、エヴァンスは叫び続けてたが、やがて全てを出し尽くしたようにガクンと前に首を垂らした。
だが、その身体は、すぐに何事もなかったかのようにすっくと立ち上がった。そして、シルフの可愛らしい声が響く。
「待たせたね~、救世主。ゴミのくせに案外しぶとくてさ、完全に身体を奪うのに思ったより時間かかっちった♪」
シルフは無邪気な声で言いながら、おおよそエヴァンスがしないであろう可愛らしい動きでくるりと振り返った。顔には子供のような無邪気な笑みを浮かべている。しかしその身体からは、可視化された邪気のような黒々とした魔力が轟々と立ち上っていた。
「何だ、その魔力!? 身体を奪っただけじゃないのか?」
目を見張って驚くシアに、シルフはいたずらっぽく笑った。
「いひひひ~、スゴいでしょ、コレ。コアのリミッターをぜ~んぶ外したんだ♪ エヴァンスのヤツ、ビビって一個も外してなかったからね、いっぱい残ってた魂が一気に魔力に変わってってんだぁ~」
シルフの声には、新しいおもちゃの機能を説明する子供のような無邪気さがあった。だが、その身体からは悪魔のような黒い魔力が放たれている。その相反する二つの性質に、シアはゾッとし、何も言えなくなった。シルフは構わず喋り続ける。
「ホント便利だよね~、このコア。こんなに簡単に魂奪えるんだもん。昔、精霊界でサラマンダーを殺したときにこのコアがあれば、ボクは今ごろ最強の精霊になってて、憎たらしいウンディーネに殺される心配もしなくてよかったのにぃ~。……あっ、でもダメか。そうなってたらこっちに来ることもなくって、アデルと会うこともなかったんだもんねー。って、ちゃんと聞いてるの、救世主?」
シルフが嬉々として喋っている間にも魔力は爆発的に増え続け、そしてとうとう朝陽さえも陰るほどの闇へと成長していた。おそらく……というか確実に、陰っているのはシルフの周りのこの空間だけなのだろうが、シアには世界が闇に包まれたように思えた。
「そんな大量の魔力、身体が保つはずがないッ!?」
シアが、悲鳴にも似た叫び声を上げた。シルフは、軽く首を傾げる。
「何言ってんの? モチロン──。保つワケないヨ♪」
「えっ……?」
あまりに堂々とした出来ない宣言に、シアは面を食らった。だがしかし、真に驚くべきだったのは、その後に続く言葉だった。
「だからリミッターがついてるんじゃんか。これを外すと、際限な~く魔力が増えてって、そんでコアの限界を超えて、ボン! 爆発するんだぁ~。こんなにも魔力があるんだ、すっっごい爆発になるだろうね~~~」
心底楽しそうに言うシルフに、シアは戦慄した。眉をひそめて、静かに問う。
「自爆……するのに、なんでそんなに楽しそうなんだ……?」
シルフはあっけらかんと答えた。
「ああ、ボクはダイジョブ。魂の半分がアデルの──こっちの世界のだから、器がなくてもすぐには死なないし、ちゃんと離れたとこに別の器を用意してるから。爆発するちょっと前にエヴァンスから抜け出して、ボクの魔力が尽きる前に新しい器のとこまで飛んで行けば問題ないよ。で、救世主はどうするの?」
突然の意外な質問に、シアは戸惑った。
「えっ、オレ???」
「うん。ボクは救世主に用ないし、ロクセットの方に逃げるんなら見逃してあげる。今すぐ逃げ出せば、爆発範囲外まで逃げれるかもしれないよ」
シルフの言葉が、シアの心に引っ掛かった。シアは大きく深呼吸すると、表情を引き締めた。
「……アンタは、どうするんだ?」
シルフはきょとんとした。
「ボク? ボクはモチロン獣人連合国に突撃するよ。エヴァンスがゴミ過ぎたせいでこんなとこでリミッター外すハメになったけど、ホントは国境の向こう側で爆発させるつもりだったんだし」
シアの顔色が変わった。それだけは絶対に阻止しないと、でないとオレはなんのために……。武具を持つ手に、自然と力が入る。
それを見て、シルフはニッコリと笑った。
「ボクと戦うつもりなんだね。いいよ、こんな良い器は久しぶりだから、本気で暴れてみたかったんだ♪」
シルフの周りに風が渦巻きはじめた。戦闘準備を整えているようだった。しかし、シアには戦う気などなかった。勝ち目がないからだ。
万全な状態ならまだしも、シアはエヴァンスとの戦いで血を流し過ぎていた。すぐに傷口を縫って止血したとはいえ、限界が近かった。こんな状態で、シルフになど到底勝てるはずがなかった。だが、それでもシルフを止めなくてはならなかった。
だからシアは、シルフに勝つことよりも足止めすることを考えた。
(コアの限界が来るまで何とか時間を稼いで、シルフをここで爆発させる。そうすれば、ヴェルフたちは救えるはず……)
準備を終えたシルフが飛びかかろうとしたとき、シアが機先を制した。攻撃ではなく言葉で。
「そんなに良い器なら、なんでこんなところで使い捨てにするんだ?」
出鼻をくじかれたシルフは一瞬ぷくっと頬を膨らませたが、数瞬の間を置いて、ニヤリと笑った。
「……アレ、言ってなかったけ? エヴァンスの肉体強化魔法があれば、コアの爆発を強化して大爆発にできるんだよ。学者たちの計算によると、こっからでも十分に国境の向こう側まで吹き飛ばせるみたいなんだ。ボクたちの街も二、三個一緒に吹き飛ぶけど、獣人たちの本隊を一網打尽に出来るんだ、安いもんだよね」
「ウソだ! どんな大爆発だろうとナディエ・ディエを壊すことはできないはずだ!!」
シアは、在らん限りの力で叫んだ。今のシアにはそれくらいしかできることがなかったから。シルフは冷たく笑った。
「別に壊すなんて言ってないよ? 爆発は、スパーダストラーダ峡谷を通って向こう側に殺到するんだ。何も知らない獣人たちが一瞬で焼ける姿は見ものだろうね。アハハハハ!!」
悪魔のような笑い声を上げながら、シルフの身体が浮かび上がった。
「爆発を止めたいならエヴァンスを殺すしかないよ。さぁ殺し合おうよ、救世主!!」
言い放つと同時に、シルフが風と共に襲いかかってきた。




