7 餞別
カレルセ王国の国境を守るズートア要塞は、夜が明けた直後から大慌てだった。敵襲……ではなく、予期せぬ来訪者があったのだ。最初にその人物を目撃したのは、夜間の警備兵たちだった。
東の空が白みはじめベッドまでもう一踏ん張りになった頃、屋上で見張りをしていた彼らのうち一人が、突然背後から「ねぇ」と声をかけられて飛び上がった。
「だ、誰だ!? キサマ!!」
その警備兵は、不審者に槍を突きつけて怒鳴った。しかし、不審者は慌てもせず、にこやかに言った。
「ねぇ、エヴァンスはどこ?」
「なんだ? どうした!?」
誰何の大声で、屋上にいた警備兵がぞくぞくと集まってくる。そして、そのうちの一人が叫んだ。
「ま、待てッ!!」
彼は不審者の素性を知っていたのだ。だが、彼の制止も虚しく、警備兵は槍をグッと不審者に近づける。
「何を言う! コイツはエヴァンス様を──」
彼は血相を変えて、不審者と警備兵の間に割って入った。
「バカ者! 槍を仕舞え! この方は四天王のマイ様だぞ!!」
その言葉で、全警備兵の顔から血の気がサァーと引いた。そして、一斉に跪いて謝罪の大合唱がはじまった。特に槍を突きつけた警備兵の恐怖はひとしおだった。だが、マイは気にしていなかった。むしろ鬱陶しそうだった。
「そういうのいいから、早くエヴァンスを呼んで」
先頭の警備兵が弱々しく頭を下げた。
「で、ですが、我々一介の兵士が、敵襲でもないのに司令官の眠りを妨げることは──」
「そういうのもいいから。私に槍を向けたアナタ、今すぐ起こしてきなさい。私は司令官の執務室で待ってるから」
マイはいたって平然と言ったのだが、名指しされた警備兵は無言で何度も頷き、脱兎のごとく駆け出した。
「大変です! エヴァンス様!!」
要塞司令官のエヴァンスは、自室のドアを激しく叩く音で起こされた。
敵襲か、と飛び起きたが、警報は鳴っていない。エヴァンスは不審に思いながら、ガウンを羽織り扉を開けた。そこには名も知らぬ警備兵が立っていた。
「なにごとだ?」
普通なら許されざる行為に、エヴァンスは不機嫌と不審をない交ぜに、部下を睨んだ。すでに精神的重傷を負っていた警備兵は、動揺が極まり訳がわからなくなってしまった。それでも、必死に報告しようと口を開閉させた。
「それが、あの、その──」
ただ手をバタつかせるだけで要領の得ない部下の説明に、司令官は心の中でため息をついた。そして、努めて穏やかに言った。
「まずは落ち着け。それから話せ」
司令官本人に諭され、幾分か落ち着きを取り戻した警備兵は、どうにか「マイ様が執務室に──」とだけ絞り出した。
思いもよらぬ名前に、今度はエヴァンスに動揺が走った。だが、流石は要塞司令官。そんなことは微塵も表情には出さなかった。
「そうか……。ご苦労、君はもう休みたまえ」
それだけ言うと扉を閉め、軍服に着替え、執務室に向かった。
エヴァンスが自分の執務室に入ったとき、マイは司令官の席にふんぞり返っていた。マイは、エヴァンスを見るや否やふんぞり返ったまま言った。
「アナタにやってもらいたい任務があるの。だから、至急王都に戻ってちょうだい」
エヴァンスは眉をひそめた。不快感を隠そうともしなかった。
「……何を、おっしゃられる。私はここの司令官で、ここは最前線なのです。このような状況下で司令官に持ち場を離れろと?」
「ええ。ここがアナタ達の言う通り難攻不落なら、部下がよっぽどの無能じゃない限り、司令官がいなくても大丈夫でしょう?」
マイはにこやかに答えた。
「それでもお断りさせていただく。私にも立場がある」
「だからこそ、アナタは断れないんじゃないの? ね、カレルセの軍人さん♪」
エヴァンスは両目を見開いた。しばらくマイを睨んだのちに、深々と頭を下げた。
「……慎んで、お受け致します」
その言葉とは裏腹に、エヴァンスの両目は怒りに燃えていた。
「ちゃんと報酬は用意しているわ。姫様がアナタのホームに支援を──」
突然、マイは何かに気づいたように窓の方を見ると、立ち上がった。
「じゃ、今日中に王都に来るように」
言うだけ言うと、マイはさっさと行ってしまった。エヴァンスはその背中を憎しみを込めた目で見ていたが、すぐに我に返ると王都へ向かう準備をはじめた。
「誰か! ディクソンを呼んでくれッ!! それと馬を用意しろ!!」
上級試験をクリアした翌朝、シアはいつものように部屋に運ばれた朝食を食べながら、物憂げに浸っていた。焼きたてのパンと、肉や卵などの動物性タンパク質、フルーツ盛り、それに紅茶。それがいつもの朝食メニューだった。
「ハァ~、明日から実戦か~」
シアは、深いため息を吐いて呟いたが、実戦に対してはあまり心配していなかった。これまでの努力と上級試験をクリアした実績が自信となり、ドミニクとマイと救済の武具に対する信頼と、初めて見る本物のモンスターへの期待で楽しみにしていた。
むしろそれに付随するものに悩まされていた。それを初めて聞かされたときの驚愕は今でも尾を引き、初対面の護衛に対する緊張と、実戦のあとに待っている真夜中の君との再戦への不安で憂鬱だった。
「ハァ~」
もう一度ため息を吐いた。それから、紅茶を取ろうと手を伸ばして、ズキッと痛みが走った。シアは、赤く腫れた左手を見つめた。それがシアの不安の原因だった。
「次はこんな捨て身の作戦、通用しないだろうなぁ~」
真夜中の君の虚を突くことに、唯一成功した捨て身の作戦。しかし、こんな作戦が二度も成功するとも思えない。
「実戦でスライムや巨大な動植物と戦ったところで、剣術が巧くなるとも思えないしなぁ~」
シアは、ため息混じりに呟いた。何しろ、シアの剣術は救済の武具に頼っている。相手に近づいて剣を振るだけで、あとは救済の剣が斬ってくれる。型に太刀筋、力の入れ方など、そんな小難しい技術は重要ではなかった。救済の武具の動きに耐えられる筋力が重要だった。
「剣術……?」
それから、自分の呟きに首を傾げた。
「……そうだ、マイさんにちゃんと教えてもらおう!!」
と、勢いよく立ち上がった。そこまでは良かったのだが、その先は真っ白だった。今日は剣術の稽古の日ではなかったのだ。稽古の日でなくてもマイに会うことはあった。しかしそれは、マイの方から来るのであって、シアから会いに行くことはなかった。それにシアは、彼女が普段からこの城にいるのかも知らなかった。
「……マイさんって普段どこにいるんだろう?」
シアは、力なく椅子に座った。それから、
「ドミニクさんなら知っているかな?」
何の気なしに振り返って窓の外に目を向けた。この部屋から闘技場は見えないのに……。そのとき、ふと窓際のテーブルに置かれたモノが目に止まった。
「あれは……、そうだ」
それは、ベルだった。メイドのマイに、「用事があるときはこれを鳴らしてください」と渡され、最初に一回だけ鳴らしたベル。訓練漬けの日々を過ごしていたシアは、生活において特に不自由することもなく、記憶と部屋の隅に追いやっていたのだった。
シアは朝食を中断して、窓際のテーブルに近づいてベルを手に取った。
「あのときは、すぐに来てくれたけど……」
シアは、半信半疑で鳴らしてみた。チリーンと澄んだ音が響いた。が、それだけだった。待てど暮らせどマイはおろか、他の誰一人姿を現さなかった。
「やっぱりあのときは、部屋の外で待っててくれていただけか……」
シアは、ベルを元の場所に戻し、朝食に戻った。そして、急いで朝食を済ませると、デザートのフルーツに手を伸ばした。
そのとき、突然部屋の扉が、バン!! と勢いよく開け放たれた。シアは、驚きのあまり椅子ごとひっくり返りそうになった。それを何とか耐え、入り口に目をやる。そして凍りついた。
そこには、メイド姿のマイがいた。
突然の出来事にシアは、凍りついたまま何も言えなかった。すると、マイはズカズカと部屋の中に入り、シアの対面にドカッと腰を下ろした。それから、テーブルに載っているリンゴをひっつかみ一口食べてから、
「何の用?」
と一言。
シアは、ホッと胸をなでおろした。格好だけで中身はいつものマイだった。
「……あの、剣術の稽古をつけてほしいんです」
「なんで?」
と聞いてからマイは、あっと思った。
(そういえば、強くなったら相手をするって約束してたっけ)
「実戦の前に、もっと強くなりたいんです!」
(シアも忘れているようだし、まぁいいか)
と、マイは明後日の方向を向き、リンゴを一かじりした。
「明日までにねぇ~、そうねぇ~。今でも救済の武具を使ったら身体が痛いの?」
「もう大丈夫です。どこも痛くなりません」
シアは、誇らしげに少し胸を反らして言った。
「なら一つだけあるわよ」
「ほんとですか?」
シアは、希望に顔を輝かせ身を乗り出した。マイは、シアの顔を見てニコッと笑う。
「ええ、簡単よ。救済の武具の力をもっと引き出せばいいの」
「そんなことはわかってるんです。そのためにずっと筋トレしてきたんですから……」
シアは、しょんぼりと戻って行った。
「それはシアの身体の限界を上げて、安全に力を引き出すためでしょ」
安全に──、そう言われてシアは、武老師と戦ったときのことが脳裏によみがえった。たしかに、あのときは実力以上の力を引き出せた。しかしその反動でシアの身体はボロボロになったのだった。このときの記憶は、今ではシアのよく見る悪夢ランキング、堂々の第一位に君臨していた。
「けど、それじゃあオレの身体が──」
「限界を超えるから身体が壊れるのよ。自分の限界を理解して、壊れる手前の、痛いくらいで止めればいいのよ」
マイは、至極当然のことのように言った。シアは、口を尖らせた。
「いいのよって言われても……」
それはそうなのかもしれないが、シアにはどうやるか検討もつかなかった。これまでドミニクの試験でも真夜中の君との戦いでも、手を抜かず全力、いや、それ以上を出そうと頑張ってきた。それでも、実力以上の力が出ることはなかったのだ。そのうえ、壊れる手前で止めるなんて、夢のまた夢のように思えた。
「じゃあ、最後に私が特訓してあげるわ。表へ出な!」
マイは、立ち上がって右手で窓の外を指差した。左手には、フルーツの盛られている皿を持っていた。
「ありがとうございます」
「フルーツ(コレ)とベル(ソレ)貰っていくわよ」
マイは、言うが早いか窓から飛び出した。シアは思わず声が出た。
「えっ!?」
シアが呆然と見つめる中、マイは空をスーっと滑るように飛んで行った。
「飛べるんだ……」
シアが闘技場に着くと、マイとドミニクが待っていた。マイはメイド姿を脱いで、マント姿だった。
「来たわね、シア。おふざけなしの特訓、始めるわよ!」
マイは、マントの下から二本の剣を抜いた。
「双剣!?」
シアは驚いて、思わず叫んだ。剣術の稽古ではマイも剣と盾を持っていた。それに真夜中の君も遠目に見かける城の衛兵も、みんな剣と盾を持っていた。だから勝手に、それがこの国の流派だと思っていたのだ。
「さあ、かかってきなさい」
マイは、右の剣をシアに向けた。
「けど真剣では、やっぱり……」
シアは今さらながら、相手が真夜中の君だったこそ、救済の剣では斬れない彼女だったこそ、遠慮なく戦えたことを思い出していた。自分から稽古をお願いしておいて、斬ることも斬られることも怖かったのだ。
「大丈夫。バラバラになっても、死ぬ前にあそこの筋肉が完璧に治してくれるわ。それに──」
マイは、左の剣でドミニクを指し、そのまま右の剣を自分の左腕に当てた。
「私の剣に刃は入っていないわ」
「でも──」
「そうだぞ、シア。俺が治してやるから、マイなんてたたっ斬ってしまえ!」
シアの弱々しい声を、ドミニクの力強い声がかき消した。
「フフフ、シアの剣なんて、当たりっこないわ」
マイは、笑いながら答えたが、それでもシアの表情は変わらなかった。
「うーん、仕方ないわね」
見かねたマイは、ふぅーと息を吐いた。それは紫煙のようにゆらゆらと漂い、救済の剣に巻き付いた。
「それで斬れないわ。何かで試してみなさい」
シアは、マイがしたように剣を自分の腕に当てた。
「ホントだ。痛くない!」
「デショ♪ ほんとは切れ味を上げる魔法なんだけどね。じゃ気を取り直して、かかってきなさい」
マイはウィンクをしてから、もう一度シアに剣を向けた。
「では、行きます!」
シアは、ダッと一直線に斬りこんだ。
「いきなりそれは、不用心じゃないかしら」
マイは難無くかわすと、体勢を崩したシアを蹴り飛ばした。
「ぐうぅ」
飛ばされたシアは、すぐに立ち上がった。調子に乗っていたことを反省し、腰を落としてしっかりと剣と盾を構えなおした。これまでの訓練のおかげで、その姿には剣士としての迫力があった。
「へぇ~、じゃあ、今度は私からッ!」
マイは、感心したように微笑んだ。
次の瞬間、救済の盾が勝手にマイの剣を防いでいた。
「えっ!?」
シアにはマイの動きが全く見えなかった。気が付いたときには、すでに目の前に居たのだった。
「まだまだッ♪」
マイは、踊るように両手の剣で変幻自在の剣撃を繰り出した。シアは、剣と盾の両方を使っても防ぐので精一杯だった。
「ほらほら、防ぎっぱなしじゃ、勝てないわよ。救世主サマ♪」
マイは挑発しながら、シアに気づかれないように少しずつ剣の速度を上げていった。
「わかってる、けど……」
シアは、どうにかこうにかマイの双剣を防いでいた。だが突然、ピキッと、腕から変な音が鳴った。次の瞬間──。
「そこまで!」
マイは、救済の盾ごとシアを力いっぱい蹴飛ばした。
「え?」
シアは、何をされたか分からなかった。気づいたときには、地面に転がっていた。身体のそこら中に痛みを感じていたが、とりあえず起き上がろうと、両腕に力を入れたとき、より一層の痛みが走った。
「うっ! この痛みは!?」
悪夢と同じ痛みだった。シアは知らず知らずのうちに、救済の武具の力を引き出しすぎて、身体の限界を超えていたのだった。
「大丈夫か? シア!」
シアの叫び声に、心配したドミニクが駆け寄った。ドミニクはすぐに回復魔法をかける。
「今の速さがシアの限界ね。どう、わかった? そこの手前で止めればいいの」
シアは無言で首を振った。限界を超えたことは理解できたが、それ以外は何も分からなかった。
「いいわ。なら、私が叩き込んであげる♪」
マイは、地面に転がっているシアを見下ろして、艶然と微笑んだ。シアは、二つの意味でゾクッとした。
「そろそろ日が暮れるわ。もう終わりにしましょう」
「あり、が、とう、ございました」
衣服に汚れ一つなく涼やかなマイとは対照的に、シアは泥まみれの汗だくでぼろぼろだった。それに身体中痛かったが、動けない程度ではなかった。
一日の特訓で、シアは何とか自分の限界を覚えることができた。というより、身体に叩きこまれた、文字通りに。何度も、何度も、吹き飛ばされ、地面を転がり、その度にドミニクに回復してもらって。
マイの特訓は単純だった。マイがシアの限界ギリギリ近辺の速度で攻撃し、シアはそれに対処するだけだった。マイの攻撃の速度が、シアの限界を下回ったときにはシアは反撃するタイミングを探し、逆にシアの限界を超えたときにはシアは甘んじてやられる必要があった。なぜならシアが少しでも限界を超えると、マイに容赦なく蹴飛ばされるからだ。
「こんな体たらくで、本当に魔王と戦えるんですか?」
シアは、憮然としていた。限界のラインを覚えても、シアの剣はマイに掠りもしなかった。四天王に勝てないのは分かっていた。それでも、ここまで一方的に負けるとは思っていなかった。
「シア一人ではムリね。だけど私たちがいるから大丈夫よ」
マイは、楽観的に言った。
「シア、そう落ち込むな。最後の方は惜しかったし、次やれば良い勝負になるさ」
「ほんと──」
「ハァ? 余裕だし、何回やっても勝負になんてならないわ」
ドミニクの慰めによって、ちょびっと取り戻しかけたシアの自信は、マイによって再び粉砕された。
「オイ! そこは、嘘つけよ! そうだ、マイの弱点は足元なんだ。コイツは足元への注意が足りないんだ。なんなら晩飯でも食いながら、マイとの戦い方を教えよう!」
ドミニクはマイを一睨みしてから、なんとかシアを慰めようとした。が、シアは力なく笑い、
「ありがとうございます。けど、ボロボロなんでシャワー浴びてきます」
と、肩を落としてとぼとぼ部屋に帰って行った。
「おい、回復魔法を──」
と、ドミニクが呼びかけたが、聞こえなかったのか、シアは振り返りもしなかった。
「もしかして私、やり過ぎちゃった?」
マイは、シアの後ろ姿を眺めながら、首を傾げた。
「あ~あ、俺が何ヵ月もかけて育てたシアの筋肉と自信が、一瞬で粉々だろうな」
ドミニクは呆れながら、マイに任せたのは失敗だったな、と反省した。
「う~ん、励ましに行った方が良いのかしら?」
「そうだな。だが、その前に城の方が騒がしい」
シアは、無気力をお供にふかふかのベッドでず~んと落ち込んでいた。すると、ノックの音が響いた。
「シア、開けるわよ?」
ノックの主はマイだった。
「何の用ですか?」
シアは、少しふてくされながら答えた。しかしマイは、そんなこと気にもせずに扉を開けるとズカズカ入ってきた。
「おっ、サッパリしたわね。はい、晩ご飯」
そして、あとから初日の晩餐会にも負けないくらい豪勢な料理が、空中を飛んできた。
「ありがとうございます。でも、こんなに?」
料理は止まることなくどんどん飛んできていた。明らかに二人で食べきれる量ではない。
「心配しないでも、少ししたらドミニクも来るわ。それよりさっき、砦からの使者が着いたわ。シア、明日の朝には出発できるわよ?」
一日でも早く元の世界に帰りたいシアにとっては、喜ぶべきことなのだが、シアは返答に窮した。昨日なら、二つ返事で出発しただろうが……。
「そう、ですか。マイさんは一緒に来てくれないのですか?」
シアは、一縷の望みをかけ聞いた。だが、
「ムリね」
あっさり、三文字で断られた。
「でも、私たちの訓練を終えた今のアナタなら、死ぬことはまずないわ。それでも死にそうになったら、なりふり構わず逃げればいいのよ。限界を超えて身体がボロボロになっても、生きていれば何とかなるわよ」
何とも言えない励ましに、シアは何とも言えない表情になった。流石のマイもそれには気づいたようで、ばつが悪そうに持っていた物をシアに投げ渡した。
「コレ、あげるわ」
シアは、受け取った物を見た。ソフトボールくらいの大きさの瓶で、中身は何か分からないが光を放っていた。蓋は厳重に閉じられている。マイの持っていた「酉印の魔法瓶」に似ているが、コレには瓶の周りを装飾するように色とりどりの宝石が嵌め込まれていた。それらの宝石に中からの光が当たり、キラキラと眩しいくらいに輝いていた。
「これは?」
「卒業祝い。約束の国宝よ」
「えっ!? でも、まだ魔王と戦ってもいないのに……」
「いいの、いいの。あれだけ訓練頑張ったのだもの。それを受けとる資格はあるわ。開けるだけでドミニクの回復魔法よりも強力な回復魔法が発動するわ。魔法は一回こっきりだけど、その宝石は本物だから高く売れるわよ♪」
「これで、紫苑を助けることが出来る! ありがとうございます」
シアは、思わず泣き出した。妹の病気を治せること、自分の努力を認めてもらえたこと、そして何より、こんな自分を信じてくれたことが嬉しかった。
「マイ~、また泣かしたのか? 大丈夫だ、シア。こいつの強さがおかしいだけで、相手にそんなに強いヤツはいないさ」
入り口にドミニクが立っていた。ドミニクは、泣いているシアを心配するように優しく声をかけた。
「違うんです、嬉しくて……。マイさんがコレをくれたんです。これで妹を助けられる」
「感情の機微もわからないとは、これだから筋肉は~」
「ぐっ、今来たとこで機微なんて分かるわけないだろ! それに筋肉は関係ないだろ!」
マイは勝ち誇ったように言い、ドミニクは必死に反論した。シアは、思わず吹き出してしまった。二人の子供じみた言い合いを見て、弟妹のことを思い出したのだった。
シアは、ひとしきり笑い終えると、深く息を吐いた。そして、真剣な顔で話した。
「フゥー。あの、オレ、明日出発します。お二人とも今までありがとうございました」
ドミニクは、マイとの不毛な言い合いを切り上げ、シアを見た。シアの体は、震えていた。
「そうか。本当にいいんだな?」
本当はよくなかった。国宝を持って一刻でも早くこの世界から逃げ出したかった。だが、それは裏切ることになる。こんな自分を信じてくれた、マイを、ドミニクを。それだけはできなかった、したくなかった。シアは、決意を固めるようにポツポツと話し出した。
「ホントは、よくないです。魔王を倒せる自信なんてないし、震えも止まんないです……。けど、訓練はちゃんとやったし、お二人にお墨付きをもらったし、それに早く妹を治さなきゃ。だから、パパッと実戦を済ませて、サクッと魔王を倒して、元の世界に帰ります!」
そして、その決意が揺らがないように、あえて強気な宣言をした。
「そうね。だったら今日は、よく食べて、よく寝て、明日に備えなさい」
マイとドミニクは、感慨深そうにシアを見ていた。
その夜、シアはこの城での最後の晩餐を食べながら、二人と大いに語らった。
「そうそう、忘れるとこだった。ほら、俺からも卒業祝いだ」
シアは、ドミニクから渡されたものを見て、首を傾げた。それは、赤く輝くカギだった。
「これは、カギ? この部屋のですか?」
シアの部屋にはカギはなかった。鍵穴はあるのだが、シアはカギを貰っていなかった。一度マイにカギについて聞いたが、「カギなんかしたら、メイドたちが仕事できないじゃない」と一蹴されたのだった。
「おしいが、少し違う。特製の『魔法のカギ』だ。戦場に荷物は邪魔だろ? だからそのカギでこの部屋を閉めれば、部屋は完全に封印される。閉めた者にしか開けられない。しかもカギは、閉めた者と同化するから紛失も盗難もない」
ドミニクは、得意げに説明した。
「へぇ~、ありがとうございます」
シアは、魔法のカギをまじまじと見ながら、お礼を言った。
「そうね。明日は、救済の武具だけであれば十分ね。必要なモノがあれば、エヴァンスに言って用意してもらいなさい」
「エヴァンス?」
「シアの護衛だ。詳しい人となりまでは知らないが、民からの信望も篤い勇将らしい。コイツが南の国境まで連れていってくれる」
「へぇ~、東じゃないんですね」
勝手に魔王は東にいる、と思い込んでいたシアは、何気なくそう言った。その瞬間、二人の雰囲気が変わった。楽しい歓談が、尋問に席を譲ろうとしていた。
「それ、誰から聞いたの?」
マイの鋭い質問に、シアはしどろもどろになる。
「えっ、いや、誰でもないです。元の世界で好きだった本があって、それでは魔王が東にいたんで、つい……」
「そう。それじゃ──」
マイは眉をひそめて、さらに詰問をしようとしたが、ドミニクがそれを遮り、楽しい歓談をムリヤリ席に引き戻そうとする。
「そういえば、そんな本はこっちの世界にもあったな。けど、今回は南のズートア要塞だ。それでエヴァンスはそこの司令官をしてるんだ」
マイは、納得している風ではなかったが、黙っていた。ドミニクがすかさずシアに合図を送る。マイには見えないように、マイを指差してから手をパクパクさせた。
「へ、へぇ~、そうなんですか。それで、要塞ってどんなとこなんですか?」
シアは、できるだけ自然に楽しい歓談に戻ろうとしたが、声が上ずっていた。
「スパーダストラーダ峡谷に建てられた難攻不落の要塞だ。この国が今まで無事だったのは、ひとえにこの要塞のおかげらしい。な、マイ」
ドミニクがマイに話を振った。シアは、すがるような目でマイを見る。マイは、何かを考えるように目を閉じると、ふぅと短く息を吐いてから笑った。
「そうね。シアも見たら驚くわよ、あの国境。天まで届きそうな巨大でなが~い岩の壁ナディエ・ディエが、誰も通すかって言わんばかりに横たわっているの。そこに小さな亀裂があって、小さいといっても私たちからすれば大きいんだけど、そこだけが向こう側に通じる道、スパーダストラーダ峡谷」
マイが嬉々として説明したが、シアの頭にはあまり入らなかった。それでも、マイに笑顔が戻ったことを喜んだシアは、質問した。
「その道を守っているのが、そのズートア要塞なんですね。なんでモンスター軍団は、わざわざそんな道を通って来るんですか?」
「それでも、ズートア要塞が一番可能性があるからだ。この国は山と海で囲まれていて、そのうちナディエ・ディエが北東から南西までの約半分を占めているんだ。他にも峡谷はあるが、そこも同じような要塞が守っている。それに、実際に見れば一目でわかるだろうが、あの高さを超えて進軍するのはほぼ不可能だ。たとえ、魔法を使ったとしても、な」
ドミニクから語られたそれは、シアを大いに驚かした。
「そんなに大きいんですか?」
「あれ? わたしのときと反応が違うわね。信じてなかったの?」
「あ、ええと」
「そりゃあ、要塞を砦っていうヤツは信じられないよな」
マイに問い詰められて戸惑っているシアに、ドミニクは笑いながら助け船を出した。
「要塞も砦も一緒じゃん。別に変わんないじゃん」
拗ねたように言うマイに、二人は大笑いした。マイもつられて笑った。その後も、三人の他愛無い話は続いた。
夜はしんしんと更けていき、シアはいつの間にか寝てしまっていた。
「あーあ。明日、出発だっていうのに、こんなとこで寝たら、風邪引くわよ」
マイは、いとおしそうに微笑むと、ひゅと手を振った。すると、どこからともなく風がおこり、シアを起こさないように優しくベッドまで運んだ。
「この子は本当に、素直で、努力家で、イイ子ね」
「ああ。ちょっと自分に自信がないのが気になるが、それ以外は文句なしだな」
「決めるのは、私たちじゃないけど、死なないように気をつけないとね」