76 『覚悟』
シアは、夢を見ていた。過去のトラウマと後悔が入り雑じった悪夢を。
「久しぶりにこの悪夢か……」
雨が降りしきる寒い日、呉服店の薄暗い仏間。その真ん中に敷かれた布団に横たわるおばあちゃん。その隣にはわんわんと泣き喚いている幼い自分。周りをバタバタと走り回る大人の足音。そして、その光景を部屋の隅から眺めている今の自分。
これは、おばあちゃんが亡くなった日の記憶を元にした悪夢で、元の世界でのよく見る悪夢ランキング一位だった。最初の頃は、横たわるおばあちゃんの側でただただ泣き続けるだけの悪夢だった。それがいつの頃からか、その光景を俯瞰する悪夢へと変化していった。
「あの日を、後悔するようになったからだろうな」
シアは、ぼんやりとそう思っていた。
小さい頃はただ悲しいだけだった。大好きなおばあちゃんの苦しんでいる姿が悲しくて、大好きだったおばあちゃんと二度と会えなくなるのが悲しくて悲しくて、だから泣き喚いていた。だが成長するにつれて、感情のままに泣き喚いている幼い自分が許せなくなった。まだ小さかったから何もできないのは仕方ない。しかし、苦しんでいるおばあちゃんの枕元で泣き喚くのはやってはいけないことだった。益にならないことは言わずもが、最期の最期までおばあちゃんを心配させてしまった。亡くなるとき、おばあちゃんはどんな思いだったのだろう。そう考えると後悔しかなかった。
「あの約束も、情けないオレをしっかりとしたお兄ちゃんにさせるためだったのかもしれないな……」
今となっては確める術の存在しないこと。だからこそ、それはシアの心に重くのしかかっていた。だからせめて、天国のおばあちゃんに安心してもらえるように、あの約束だけは絶対に守らなくちゃいけないのだった。何を引き換えにしても。そうだ、そうだったんだ……。
シアがグッと拳を握り締めたとき、小さい頃の自分が泣き止み、そして右の部屋を指差した。
数え切れないほどこの悪夢を見てきたが、幼い自分が泣く以外のことをするのは初めてだった。たしか、あっちは藍と紫苑が寝ていた部屋のはず……、訝しながらも、シアは視線を送った。
一枚のふすまに、赤い扉のようなモノが描かれていた。血のように赤く、糸のように細い線で描かれた、子供の落書きのような扉。
一切見覚えのないモノだったが、シアは不思議とどうすればいいのかわかっていた。吸い寄せられるように近付くと、何の迷いもなく扉を押した。すると、カッと赤い閃光が炸裂し、悪夢の世界を赤く染め上げた。
光はすぐにおさまったが、世界は変わっていた。シアはハッと息を飲んだ。
そこは病室の個室で、二人の幼い子供がいた。一人は白くて清潔なベッドに横たわり、色々な装置に繋がれてまだあどけない顔を苦しそうに歪ませている。もう一人はその横に座り、大きな目に涙を溜めてまだ小さな体をぶるぶると震わせている。
それは、シアの知っている場所の知らない光景だった。母の働いている病院、妹が入院している病室。だが、装置に繋がれている妹など見たことなかったのだ。病状が、悪化している……!!
「紫苑ッ!! 藍!!」
シアは手を伸ばして叫んだ。二人がこっちを向いたような気がしたその瞬間、二人の姿がフッと消えて、どこかの天井が目に飛び込んできた。
数瞬の間を置いて、シアは理解した。自分の叫び声で目を覚ましたのだ、と。
「………………夢、か。そう、だよな……」
シアはホッと息を吐いた。だが、胸の奥に渦巻く嫌な予感が消えることはなかった。それを締め出すように一度ギュッと目を瞑ると、シアはゆっくりと上体を起こした。ぼやけた頭でもわかる、見覚えのある場所だった。
「あれ、ここは、オレのテント……?」
自分の口から出た言葉に、シアは首を傾げた。自分のテントで目覚めて、何を不思議に思ったのだろう?
「ああ、そうか……マイさんと戦ったんだ。それで……」
シアは、ぶつぶつと呟きながら記憶の糸を手繰った。
「マイさんはヒトじゃなくてハーピーで、ズートア要塞を持って飛んでちゃって……、そのあとで気を失った……。だけど、なんで?」
何があったのか、シアは全て思い出した。だが、どれだけ記憶を手繰り寄せても、肝心の気を失った原因だけは思い出せなかった。確かに、体力も魔力も気力も全部使い果たした記憶はあったが、それでも気を失うほどの疲れではなかった。マイとの戦闘でケガしたわけでもないし、今も頭が少しぼんやりしているだけで痛い所はどこもない。
「オレは、何で倒れたんだろう……?」
もう一度首を傾げようとしたとき、突然シアは抱き締められた。
「シア!! 起きたんだね、良かった……」
フィラだった。いつもの彼女からは想像もつかないほどの喜びようで、力一杯抱き締めてくれていた。
「えっ!?」
シアは一瞬ギョッとしたが、すごく温かかった。フィラの喜びようも、力強い抱擁も、伝わる体温も、全てが温かくて、まるで春の木漏れ日の下でお昼寝しているような、そんな幸福感がシアの全身を包み込んでいた。が、すぐに苦しくなりフィラの腕をタップした。フィラの強い抱擁は、シアにとっては羽交い締めに等しかったのだ。
「あっごめん!」
フィラは、慌てて離れた。
「また、やっちまった。……分かってはいるんだけどネ、アンタはアタシの弟じゃないって。でもどうしてもあの子と重ねちまう。ホントダメだね、アタシは。ヴェルフにも注意されたってぇのに……。悪かったね、シア」
そう言って、フィラは微笑んだ。深い哀しみを湛えた、それでなお優しい微笑みだった。シアは、思わず見惚れてしまった。
「……ゼンゼン、嫌じゃないです。オレ、両親が忙しかったから、あんまり抱き締められた記憶がなくてちょっと戸惑ったけど、でも嬉しかった……です。あっでも、もうちょっと弱めにしてほしいかも……」
惚けたままシアが言った。
「ありがとう。シアは優しいね。……そうだ、サムに診てもらわないと」
思い出したように言うとフィラは、慌ててテントから出ていった。
シアはしばらくの間、フィラが出ていったテントの入り口を見つめていた。言ってしまった。言うつもりなんてなかったのに……。
やがて視線を移動させると、何もないテントの壁に向かって言った。
「で、あなたはいつまでそうしてるんですか、ヴェルフ?」
外からごそごそと音がしたかと思うと、頭をかきながらヴェルフがテントに入ってきた。
「いやぁ~、お前の叫び声が聞こえたから急いできたんだけどよぉ、なにぶん入りにくくってな」
そのままベッドの横にドカッと座る。
「それにしても、テント越しでよく俺がいるって気づいたな」
(えっ? ……そういえば、見えないのになんでわかったんだろう??)
シア自身、謎だった。テント越しでは見えるはずがないのに、音や気配があったわけでもないのに、そこにヴェルフがいると、シアは確信していたのだった。
「……で、そこで盗み聞きしてたんですか?」
ヴェルフに聞いたところで答えが返ってくるとも思えないので、シアは別のことを聞いた。
「フッ、五日も寝てた割りには元気だな」
ヴェルフは軽く笑っただけで、盗み聞きについては肯定も否定もしなかった。
「五日ッ!? オレ、そんなに寝てたんですか!?」
シアは愕然とした。それを恥じてると思ったのか、ヴェルフは慰めるように言う。
「ああ、言っておくが、倒れたのはお前だけじゃねぇぞ。他にも大勢が倒れてな、幸い全員軽傷だったが、今もまだ寝込んでるヤツもいる。それに峡谷が塞がれちまってな。何とか狭い道を通すことができたが、全軍でカレルセに進攻するにゃあちっと狭すぎる。負傷者と進攻ルート、この二つが解決するまでカレルセに攻め入れねぇ。だから何日でもゆっくりと休んで、今は全快することだけ考えな、シア」
ヴェルフの話に、シアはハーピーになった直後のマイを思い出してしまった。ゾッとするほど、冷たくて美しいあの姿を。それだけでシアの身体は勝手に震え出した。
「あんな、一人で要塞を持ってってしまうような怪物がいるのに、まだ戦う気なんですか?」
震える声で問うシアに、ヴェルフは少し眉をひそめた。
「ああ、もちろんだ」
「そんな……。あんなのがあと三人もいるんですよ!? そんなの絶対勝てっこない。死にに行くようなもんですよ!?」
シアは声が震えるのもお構い無しに、必死でヴェルフの無謀を止めようとした。ヴェルフの瞳に理解の色が広がった。だが、ヴェルフはどこか他人事のようにあっさりと言う。
「そうかも知れねぇな」
「だったら──」
「それでも俺は逃げるつもりなんてねぇよ」
シアの叫びを遮るように、ヴェルフはキッパリと言い切った。シアには理解できなかった。
「なんですか!? 捕まっている仲間も大事でしょうけど、今ここにいる仲間の方がもっと大事じゃないんですか!?」
ほとんど突っ掛かるように叫ぶシアにも、ヴェルフは動じない。
「戦うか逃げるかは、それぞれが決めることだ。誰にも強制できねぇし、させねぇ」
「じゃあ、みんなが逃げるって言ったら?」
「関係ねぇ、俺は一人でも戦う」
「なんで……?」
「でないと、一生後悔するってわかるからだ」
「後悔?」
「そうだ。四天王に挑んで、もし死んだとしても、俺はあの世で胸を張って正解だったと笑える自信がある。だがな、ここで逃げ出したら、どれだけ長生きしようが俺は一生後悔し続ける。生きている限り、どう頑張ったって死んでいくんだ。だから俺は、俺らしく死んでいくために生きている。それが俺の『覚悟』だ」
ヴェルフは、シアを真っ直ぐ見据えて言った。その力強い視線に、シアは何も言えなくなってしまった。止めなければ、と思っているのに言葉が出てこない。本物の『覚悟』を前に、シアは気圧されていたのだ。
と、そこに明るくて軽い笑い声が響いた。サムがテントに入ると同時に会話にも入ってきたのだ。
「ワイも戦うでぇ~、笑って生きるためにな。仲間見捨てたりしたら、小心者のワイは一生笑われへんようなるからなぁ~」
サムはいつも通りの軽い調子だったが、その赤い瞳には、ヴェルフと同じ力強さがあった。
「いやぁ~それにしても、四天王最強はマジで怪物やったな。このワイが笑うことを忘れてしもてたもん。せやけど不幸中の幸いや。あのハーピー、クズハはんの探してるハーピーやってん。せやから、獣人の怪物がマギアの怪物と戦ってくれることになったんや! 残りの三天王は、数の暴力と緻密な作戦でどうにかできる。……はずや。とにかく安心しい、シア。ワイらは何も、負け戦に挑むわけやないんやから。な」
と、サムは破顔一笑した。安心しい、と言われたところで、簡単に安心できるはずはなかった。それでもサムの笑顔を見ると、シアの身体の震えは止まった。
「……そんなことより、シアを診てやってよ」
サムの影に隠れるように立っていたフィラが、後ろからサムを押した。
「そっやった! シア、どっか痛いとこあるか?」
サムは、思い出したようにシアの診察をはじめた。




