72 SHE SHORT STORY──だって私は……
「えっ、トドメッ!?」
マイに初めて勝って、有頂天になっていたシアの心は、サムの声によって一気に現実に引き戻された。敵国最強の戦士を捕らえれば、こうなることは明々白々 、簡単に予想できたはずなのに、作戦に必死だったシアはそこまで気が回らなかったのだ。
「でも! 拘束してるんだから、このまま捕虜すれば……」
「アホかっ! こんなバケモンどうやって拘束し続けんねん! 一瞬でも気ぃ緩めたらその瞬間逃げられて、そんで全滅するわ。だからその前に早よ殺せッ!!」
殺気立ったサムの怒号が峡谷に響き渡る。そんなピリピリした中で、場違いなほどお気楽な声が聞こえてきた。
「あっ! 私がバラバラにしたアラクネの糸で魔法陣を作ってる。足りない魔力をそれで補ったのか。もしかして、ランタンが邪魔ってどけさせたのも地面を見えにくくするための作戦? やっるぅ~♪」
異次元の強さを誇ったマイは、指一本動かせない簀巻き状態でも平常運転、いつも通り楽しそうだった。今まさにいっぱいいっぱいになっているシアには、彼女が本当に異次元の存在に思えた。
「こんなときに何呑気なこと言ってるんですか!? 早く降参してください、じゃないと殺されちゃいますよ!?」
シアの声は、降参を促す側とは思えないほど必死だった。マイはケロリと答える。
「ヤダ!」
「ヤダって貴女、状況分かってるんですかッ!?」
さらにヒートアップするシアに対して、マイは表情を引き締めて、珍しく真剣に言った。
「どんな状況でもイヤなものはイヤ。私は自由に生きるの。それに、分かってないのはシアの方よ」
「え?」
「これは真剣勝負なのよ。捕まったからって、五体満足で降参なんてするわけないじゃない。そこのトロール君の言うように殺すか、せめて片手くらいは奪わないと」
マイは、蒼い瞳でじっとシアを見つめて、静かに言った。真夏の空のように果てしなく深く蒼い瞳に、シアは思わずたじろいでしまった。ヴェルフの言っていた『覚悟』が宿っているような気がしたのだ。
「もうええ! シアが出来ひんのやったらワイがヤる!!」
サムはそう叫ぶと、こん棒を支えに何とか立ち上がった。そのままこん棒を松葉杖代わりに、ボロボロの身体を引きずるようにして、魔方陣の上をゆっくりと進む。
「このバケモンは、今ここで殺さんと……」
マイは首だけでサムの方を見ると、彫刻のような端整な顔に艶然とした笑みを浮かべた。
「ねぇ、そのバケモノって呼び方、いい加減止めてくれない? あなたたちに呼ばれるとばかにされてる気がするのよ」
「あ? なんでや。自分のその強さに、敬意を評して、バケモンって呼んでるんや。ワイらにとっちゃあ、最高の誉め言葉やで」
サムの緑色の顔は醜く歪んでいた。まさに鬼の形相。だがそれは、仲間のために全身を襲う激痛に耐える必死な形相だった。その顔を見て、マイが薄く笑う。
「あなたたち程度ならそうでしょうね」
「ア? なんやと!」
「キャ~♪ コワイヨ~♪」
怒りでさらに歪んだ顔で睨まれて、マイはどこか楽しそうに首を左右にバタつかせた。
「チッ! ほんま、ふざけよって」
サムが憎々しげに舌打ちした。
「ちょっと待って──」
「待たん! いくらシアの頼みでも、このチャンスは逃されへん!」
「で、でもマイさんは……」
シアは救いを求めるようにフィラを見た。だが、
「アンタの願いなら叶えてやりたいけど、こればっかりはごめんよ。彼女はあまりに危険すぎる。今ここで確実に殺しておかないと」
フィラは、青白い顔を静かに振った。この間にもサムが少しずつマイに近づいている。シアはどうすればいいかわからなかった。解決策を探して、疲れきった脳ミソをフル回転させる。
(サムを止めなきゃ。でもどうやって? 話も聞いてくれないし力ずくで……、いやムリだ。サムがいくらボロボロだからってオレが力で勝てるはずがない。そもそもオレも限界だし、動いたら魔法が解けてしまいそう……あっ、魔法を解いてマイさんを逃がせば! いやいや、ダメだダメだ。そんなことしたら今度は二人が殺される。三人とも助けるには……)
何か、何か方法は、と必死に考えるシアだったが、そんな方法などなかった。非力なシアの力では実現不可能だった。あるとすれば、一か八かの賭けしかなかった。そうこうしている間に、サムはすぐそこまで迫っていた。
(やっぱり、魔法を解いてマイさんを逃がす代わりに、二人を見逃してもらうしか……)
追い詰められたシアが、一か八かの賭けに出ようとした、そのとき。
「シア、魔法を解く必要なんてはないわ」
優しい声が聞こえた。ハッとしたシアが顔を上げると、マイはいつもの優しい微笑みを浮かべてた。拘束され、殺されようとしているのに。
「でもこのままじゃマイさんが!」
「私はもう敵なのに、まだ心配してくれるのね。シア、やっぱりあなたは私が選んだ救世主だわ。でも大丈夫……」
今にも泣き出しそうなシアに、にっこりと笑いかけると、マイは蒼い瞳をキラリと煌めかせて不敵に笑った。
「……もう遊びは終わりにするから♪」
その瞬間、マイから強烈な赤い光が放たれた。それは右耳のイヤリングからだった。
「何をする気か知らんけどもう遅いわッ!」
サムが最後の力をふりしぼり飛び上がった。
「遅くなんてないわよ。だって私は……」
「いくらバケモンでも、その状態でこれは受けられへんやろォ! ギガトンハンマーーーーッ!!」
サムの全体重を乗せたハンマーが、マイにトドメを刺そうと落下した。
だが、そのハンマーがマイに届くことはなかった。サムの巨体が、物理法則を無視して空中に止まっていたのだ。サムからすると、止まっているというよりも延々と落ち続けているような感覚だった。全身に風を受けているのに、衣服もたなびいているのにちっとも地面に近づかない、そんな感覚だった。
「なんでや! もうとっくに地面のはずやのに、そやのにこれは……風ッ!?」
サムはハッとした。マイが冷たく笑った。
「……怪物だから♪」
ゴオッ!! と、突風が吹いた。それは風の威力を遥かに超え、爆発に近かった。岩壁にはヒビが走り、そこに呆気なく吹き飛ばされたサムが三度目の衝突をし、轟音と共に崩れ落ちる。シアとフィラは反射的に身構えたが、不思議とそよ風すら感じなかった。
夜空を覆っていた厚い雲が吹き飛ばされ、峡谷に満月の光が降り注いだ。しかし、マイの姿はなかった。マイを拘束していた最強の魔法陣は完全に破壊され、糸屑すら残っていない。
「どこっ!?」
と、シアが探そうとしたときだった。上から声が聞こえてきた。
「よもや、人ごときが我にこの姿を出させるとは……。みごとだ」
氷点下の空気のように、どこまでも冷たくて透き通った声だった。聞いただけなのに、シアもフィラもサムも震えが止まらなかった。
マイは峡谷の間に浮かんでいた。が、その姿はヒトではなかった。腕は肩口から鳥のような巨大な翼に変化し、月光を受けてオーロラにも似た輝きを放っている。ズボンの裾から覗く足も鳥のように変化し、鋭いカギ爪が生えている。イヤリングは役目を終えたように光を失い、ただの紅い宝石に戻っていた。それ以外は変わっていなかったが、その顔はメイドのときよりも硬く冷たく、そして蒼い瞳は凍った刃のようで恐ろしいほど冷たかった。
羽ばたきもせずに空に浮かび、青白い月光を浴びて輝くその姿は、神々しいまでに美しかった。そして、凍えるほどに恐ろしかった。
「天使……」
シアは圧倒されていた。『マイさん』が異形に変化したことより、その美しくも冷たい姿に。
「我はシュルラプテス・フォルモサ・カユーガ。マギア四天王の一角にして、ハーピーの女王」
マイが言葉を発する度に、シアは体温が奪われていくような気がした。だが、二人はまだ諦めていなかった。
「ヒトの域を越えているとは思ってたけど、まさかハーピーとはね……」
「あのイヤリングで化けてたんか。せやけどたかがハーピー、言ってしまえばデカイだけのただの鳥や!」
「そうだね。シアが時間を稼いでくれたおかげで体力も回復できた。援軍が来るまであともう一踏ん張りだね」
絶望に押し潰されないように軽い調子で言い合い、最期まで死に抗おうとしていた。絶望的だとしても、一秒でも長く生き永らえるために全力を尽くす、それが彼らにとって『生きる』ということなのだ。しかし。
「黙れ」
『マイ』がバサッと翼を広げた。それだけで威圧的で圧倒的な魔力が広がり、それが見えざる手となり三人にのしかかる。まだ魔力を感じられないシアでも、辺りの空気が重くなるのを感じた。
「これが四天王最強……ははっ、やっぱり桁外れに魔力が多いんじゃないか……」
「こんなん、援軍が来たところで、勝てるわけないやん……」
フィラは起き上がるのを止め、サムの手からはこん棒が転がり落ちた。抵抗も虚しく、二人は圧倒的な魔力に押し潰されてしまったのだ。
二人の戦意が失われたのを見ると、『マイ』はシアに冷たい視線を向けた。
「あとは貴様だけだ、救世主」
シアは動けなかった。その冷たい瞳で見られるだけで身体が芯から凍るような、それどころかこの空間ごとパキパキと音を立てて凍っていく気さえした。個体化したような空気の中で呼吸すらままならない。
「どうする、まだ足掻くか?」
恐怖で口も聞けないシアは、弱々しく首を横に振るとその場にへたり込んだ。
その瞬間、
「よし、なら私の勝ちね♪」
と、『マイ』の顔がパッと輝いた。纏っていた威圧的な魔力が消え去り、凍った空間が解けていく。まさに太陽のような笑顔だった。
「あ~よかった。ついつい真剣勝負について偉そうに講釈垂れちゃったから、シアも降参しないって言い出したらどうしようって思ってたのよ」
シアの身体も解けはじめ、いの一番に忘れていた呼吸を再開した。
「──ッハ、はぁあ~」
「あら、大丈夫?」
ふわりとシアの前に舞い降りて、顔を覗き込んでマイが言った。見た目が変わってもいつもの『マイ』だった。シアは心の底からホッとした。同時にムッともした。
「平気じゃないですよ! 何なんですか今の!?」
「何って、何が?」
「さっきの喋り方って言うか、恐ろしい雰囲気とかもろもろですよ」
「あはは〜」
と、マイは照れ笑いした。
「あれは子供の頃、姫と良くやってたごっこ遊び。降参させるのにちょうどいいかなって」
シアは目が点になった。
「ごっこ遊び……? あれが??」
「そうよ。私が魔王であの娘が救世主。あの娘、この遊びが大好きでね、毎日のようにやってたらどんどん上手くなっちゃったの。だけど、それがこんなところで役に立つとはねぇ~」
「……ってことは、それもコスプレですか?」
シアが遠慮がちにおずおずと聞いた。
「違うわ。こっちが私の本当の姿よ♪」
マイは自慢気に翼を広げて見せた。青みがかった鮮やかな緑色で、まるで溶かしたサファイアとエメラルドで染めたように綺麗だった。
「じゃ、じゃあ、ハーピーの女王ってのも?」
「ええ、本当よ。この双剣とイヤリングがその証し♪」
マイがそう言うと、どこからともなく双剣が飛んできた。よく見ると、銀色の刀身には金色の紋様が刻まれ、持ち手や鞘にも金色の装飾が施されている。
「十数年も昔の話だし、それに女王になってそのまま里を飛び出してきたから、今はもう『元』だろうけどね」
マイは何気なく言った。しかし、シアの頭の中では疑問が渦巻いた。
(十数年前に女王になった?? マイさんは一体いくつなんだ?)
最初の疑問がそれだった。
(見た目から勝手に、二十から三十くらいだと思ってたけど、十数年前に女王になったのなら、もしかして四十とか五十?? けど、そんなに年上には見えないよなぁ~。う~ん、わからん)
これまでの人生で、他人の年齢など気にしたことがなかったシアは、見た目で正確な年齢を判断するなど不可能だった。だが流石に、妙齢(?)の女性に年齢のことは聞けなかった。失礼と思うかどうかは、年齢や性別を問わず個人の価値観だと思うが、一般的に失礼とされていることに挑戦する勇気がシアにはなかったのだ。
頭の上にハテナを浮かべて「う~ん」と唸っているシアを見て、マイは説明不足だったことを察した。シアの背後──ズートア要塞に続く道を──にチラリと視線を送ってから、彼女は過去を話しはじめた。
「そうね~、あれは私が七、八歳くらいのときだったかしら。王か女王が死んだのか引退なのか任期が終わったのか、そもそも任期があるのかも知らないんだけど、まぁとりあえず新しい王を決めるってなったのよ。ハーピーの世界も弱肉強食。だから、王も戦いで決めるのがしきたりだった。それぞれの家から最低一人は代表を出して、全員で一斉に戦って、最後まで立ってたのが新しい王。それで私が全員叩きのめして、新しい王になってからそのまま里を出てきたの♪」
シアは驚いた。話の内容もさることながら、急転直下の終わりについていけなかったのだ。聞き逃したはずがないのに、一話まるまる飛ばしたような気さえした。とりあえず、気になったところから聞いてみる。
「えっと、その戦いは子供だけ?」
「いいえ、私以外はみんな大人だったわ。私は両親が早くに死んで、一人で暮らしてたから出る羽目になったのよ」
「……じゃ、大人同士で戦い合って、最後の二人が相打ちだったとか?」
「いいえ、私は嫌われてたから、始まった瞬間みんな一斉に狙ってきたわ。だから纏めて瞬殺できたの。まぁ、殺し禁止の戦いだったから殺してはないんだけどね」
マイはあっけらかんと言った。
「八歳で!?」
「そうよ、だって私は怪物よ。籠に入った鳥とは格が違うわ」
マイが鼻をツンと上げて、自信満々に言った。
「それで女王になった記念に、宝物庫にあったこの双剣とイヤリングを勝手に貰って、里を飛び出したの♪」
「なんでわざわざ。抜け出すんやったら、戦いに参加せんかったらいいやん」
いつの間にか近くに来ていたサムが突っ込みを入れた。隣ではフィラが肩を貸している。二人とも観念した様子だった。
「だって里の端っこで一人静かに暮らしてたのに、『これは掟じゃ! 参加せぬのであれば里から出ていけ!!』なんて、名前も知らないジジババが偉そうに言うんだもん。腹立つじゃん」
マイは、頬を膨らませた。
「それは腹立つね」
フィラは賛同したが、サムは顔をしかめた。
「それはそうかも知らんけど、せやからってそんな暴力的なんはちょっとなぁ~」
「どこが暴力的よ。ハーピーを皆殺しにして、里を自分だけの物にするよりよっぽどマシでしょ?」
恐ろしいことを、マイはごく自然と言ってのけた。
「確かにそれよりは……って、え? マジで!?」
あまりに自然すぎて、サムは一瞬気付かなかった。
「ええ、マジよ。里に吹く風が好きだったから住んでただけで、住民には何の思い入れもなかったからね、最初はそれも悪くないかなって思ったの。流石に良心が痛むのと、ハーピーの怨念が渦巻く里ってのは気持ち悪いから止めたけど。それで里を出ることにしたの。里の外の話を母から聞いてて、前々から興味あったし、ちょうど良い機会かなって。だけど、逃げ出したって思われるのは癪じゃない。だから女王になって、堂々と里から出てきたの」
一気に言い切ると、マイはパンっと手を打った。
「ハイ! 私の話はこれでおしまい。そろそろあなたたちの援軍が来るだろうしね♪」
マイは笑って言った。だが、三人はゴクリと唾を飲み込んだ。仲良く話していたが、マイは敵でしかも勝者。降参した三人の生殺与奪の権は、彼女のモノなのだ。殺そうとして失敗した三人は、逆に殺されても文句は言えなかった。
サムが一歩前に出た。
「ちょっとええか、シュルラぷ、て……?」
「マイでいいわよ」
「ほんならマイはん。あんたはんを殺そうとしたんはワイだけや。せやからワイの首だけで、女子供は見逃してくれへんか? 虫のええ話なんは分かってる。せやけど、どうかこの通り」
サムは土下座をして、マイに懇願した。
「バカッ! アンタ何言ってんだい! アタシも戦士だよ、死ぬ覚悟はとうにできてる。だけどこの子は、シアだけは見逃してくれないかい?」
フィラも前に出て、シアを庇うように両手を広げた。
「二人とも何言って──」
「嫌よ」
マイはあっさりと拒否した。サムが絶望に満ちた顔で、マイを見上げる。
「血も涙もないんかい……」
「だって、私が頼まれたのは悪事の証拠だけ。だ・か・ら、邪魔さえしなければ誰の首も取る必要はないの。もちろん腕も脚もね♪」
そう言うと、マイはにっこりと笑った。
「助かったぁ〜」
と、三人は大きく息を吐いた。
だがその頃、ズートア要塞でも問題が発生していたのだった。




