71 師弟の戦い
漆黒の闇に支配されたような峡谷の中で、真ん中に立つマイの姿だけが、彼女の周りをふわふわしているランタンの灯りでくっきりと浮かび上がっていた。
赤いマントに身を包み、右の剣を前に突き出してポーズを決めているマイ。左の剣はだら~んと垂れ下げ、無防備に突っ立ているようにも見える。一見隙だらけに見えるのに、どっしりと構えているせいか、それともマイの実力がそうさせるのか、おそらく後者だろうが、まるで大樹と相対しているような、そんな感覚にシアは陥っていた。
シアは盾をしっかりと構え、防御姿勢を取った状態で、マイを中心に時計回り──フィラとサムが倒れている方とは逆──に、間合いを測るようにじりじりと移動しはじめた。マイは、顔だけでシアを追う。
「そんなに怯えなくても、剣の上達を見るだけだから魔法は使わないわよ」
「別に…、怯えているわけじゃないです。ただ、そのランタンが眩しくて……」
「あら、それはごめんなさい。これでどう?」
と、マイはランタンを浮上させた。照らされる範囲が変化し、マイの姿がぼんやりになる。
「ありがとうございます」
シアはお礼を言ったが、変わらず防御姿勢のまま移動を続けた。シアがちょうど九十度くらい動いたところで、マイはため息を吐いて、シアと対面するように身体の向きを変えた。
「……わかったわ。先手を譲ろうと思ってたけど、来るつもりないみたいだし、私から攻めるわね」
マイはそう言うと、構えを変えた。左足を引いてグッと腰を落とし、「キツ~~~……」と言いながら弓を引くように左の剣も引く。右の剣は突き出したまま内側に直角に向きを変え、左の剣の切っ先を乗せた。
「あの構えはっ!」
それは、マイから教わった技だった。
(一直線に突進して渾身の突きを放つ技。だけど、こんなに離れてるのにいきなり?)
真っ直ぐ突っ込んでくる無謀な突進はカウンターのチャンス……のはずなのだが、張り詰めた弓のような、いやむしろ、放たれるのを待っている矢のようなマイの姿からは嫌な予感しかしなかった。
「ツキ!!」
マイが叫んだ。同時にシアは左へと飛び退いた。自分の予感に従ったのだ。
次の瞬間、ドンッ!! と、雷が落ちたような轟音が鳴り響いた。
それは、マイの剣がナディエ・ディエに突き刺さった音だった。シアが避けたせいで、マイの突きは目標ではなく、その背後にあった岩壁に直撃したのだった。
(速すぎて何も見えなかった。カウンターなんて狙っていたら今ごろ……)
振り返ったシアはゾッとした。
一瞬前までは峡谷の真ん中に立っていたマイが、今は壁際に立っている。シアが飛んだあの一瞬で、横を通りすぎて壁際まで移動したのだ。しかも、マイの剣は岩壁に突き刺さっていた。それも刀身が完全に隠れるまで深く深く。
「んなアホな!? 内側って言っても、あの壁は女神の子供の魔法、ワイがおもいっきりぶつかっても欠けもせんかったんやぞ!! それをスライムに針刺すみたいに……!」
サムは飛び上がりそうなくらい驚いた。実際飛び上がりろうとしたが、痛みで立ち上がることもできなかった。
「あら、ちょっと速すぎたかしら?」
マイはスッと剣を引き抜くと振り返り、何事もなかったかのように言った。言い方も表情も穏やかだったが、シアはボコボコにされた苦い記憶がよみがえり、思わず大きく飛び退いた。無言で激しく点頭しながら、そこからさらに少し後退する。一歩目は普通にビビったからで、残りは勝つのためだった。
「シアの成長が見れると思うと嬉しくて、ちょっと張り切り過ぎちゃったみたいね♪ それじゃあ~、これくらいでどうかしらッ!」
と、マイがダッと地面を蹴って、躍りかかってきた。リズミカルに両手の剣を振るい、踊るように剣撃を放つ。シアは剣と盾の両方を使ってそれを防ぐ。二人の攻防は音楽的な響きを奏で、さらにマイの赤いマントがたなびき、本当に踊ってるようだった。
「いいわね~、シア。救済の武具じゃなくても戦えるようになったのね♪」
マイの剣は、本気のヴェルフよりも剣速は速かったが、剣撃自体は軽かった。最後まで力が入っていない、当てるだけの剣、獣人流に言うとお遊びの剣だった。マイにしてみれば、本当にシアと遊んでいる感覚なのだろうが。だがそのおかげで、シアにも少し余裕があった。
「あかん、シア! 防ぐの手一杯なんやろうけど、攻撃せんと勝たれへん。このままやとじり貧やで!」
サムの予想通り、シアはすぐにじりじりと後退しはじめた。予想が的中したというのに、サムは眉間に深いシワを刻んだ。
(おかしい、あまりに早すぎる……。いずれは押されると思っとたけどこれは……そうか!)
それは、シアの訓練をずっと見てきたサムだから気付いたことだった。サムは、呆然としているフィラの肩を激しく揺すった。
「いつまでボーッとしてんねん、フィラ! しっかりしい、シアはワイらのために戦ってくれてんねんぞ。お前がしっかり見ててやらなあかんやろ!!」
サムは、フィラの顔をシアの方へと向けた。シアは、マイの激しい剣撃を捌きながら、峡谷のカレルセ側──戦闘前のシアの位置からするとほとんど反対側──まで移動していた。それを見て、フィラはハッとした。
「アタシが……!」
サムが力強く頷く。
「せや。間違わんように、今はちゃんと見てるんや」
「今はまだ……」
フィラは身を乗り出して、シアの一挙手一投足を見つめた。
「何かコソコソ言ってるわね、あの二人。水を差される前にトドメを刺そうかしら」
マイが倒れている二人の方を向いて、何気なく言った。ここぞとばかりに、シアもチラリと左を見る。その瞬間、
「せっかく反撃の機会をつくったのに、なんでシアも一緒によそ見してるのかしら」
マイは不満気に言い、盾ごとシアを蹴り飛ばした。わざわざあの二人の前に転がるように。そして三人の方へと歩きながら釘を刺した。
「先に言っておくけど、師弟対決に水を差すような無粋な真似するのなら、私も魔法使うからね」
「シアッ!!」
二人が同時に叫んだ。だが、シアは何事もなかったかのように飛び起きると、ボソッと呟いた。
「あと半分……」
そして、今度は自分から攻めた。直線ではなく緩やかな曲線を描き、マイに突進する。マイは、優雅に微笑んで待ち構えた。
「そうこなくっちゃ♪ さぁて、攻めはどうかしら?」
シアの剣撃は苛烈を極めた。端から見ると、殺す気がないとは思えないくらいに苛烈で容赦がなかった。しかしマイにはかすりもしない。マイは剣も使わず、退がりながら体捌きだけでそれを避ける。一本対二本。技量だけでなく剣の数でも負けているシアは、一度防御に回るとそこから攻撃に転じることができなった。だからこそ攻めた。遮二無二攻めた。レプリカをきらめかせて、マイを攻め立てる。
「そうだよ、その調子……」
フィラは祈るように呟き、サムは拳を振るった。
「今のうちや、シア。相手が遊んでるうちに一気に決めてまえ」
だがしかし、シアの優勢は長く続かなかった。マイが飽きたのだ。
「実戦を経て、どれだけ強くなったのか楽しみにしてたのに、てんでダメダメね」
マイはがっかりしたように大きなため息を吐いた。
「ねぇ、シア。あなた、本当にヤる気あるの? それともただの時間稼ぎ?」
マイの表情が変わった。怒ったとかではなく真顔になっただけ。楽しそうに微笑んで端整な顔から笑顔が消えただけだった。たったそれだけなのに、周囲の温度が下がったような気さえした。
無機質な表情に凍ったような蒼い目。シアは、メイド姿のマイを思い出して凍りつきそうだった。それでも前に出なければならなかった。勝つために。己を奮い立てるように叫び、斬り込む。
「ちゃんと勝つ気です!!」
マイはスッと身を退いてかわすと、綺麗な眉を少しだけしかめる。
「そんな剣じゃハエだって殺せないわよ?」
マイの言う通り、シアには殺す気どころか傷付ける気すらなかった。がしかし、勝つ気はあった。それに剣の振りも本気だった。ただ根底に、『絶対に当たらない』というマイナスの確信があるだけで。
「やってみなくちゃわかりませんよ!!」
シアは懲りずに攻め立てた。あと少し、もう少しだけ下がって……。強気な言葉で弱気な心を覆い隠し、力の限り剣を振るう。
「ねぇ、もしかして、い世界からわざわざ呼び出されたんだから殺されない、って思ってる? だったら大きな間違いよ。確かにマギア王からは殺すなって命令されてるけど、私、マギアの人じゃないし、そもそも王なんて偉いとも何とも思ってないから」
嵐のような剣撃を簡単にかわしながら、マイが冷たく言った。そして、氷のような微笑を浮かべる。
「だから、本気にならないのなら死んでちょうだい♪」
その瞬間、シアの剣が弾かれていた。避けるのではなく、マイが左の剣で逆袈裟に払ったのだ。何とか剣を放さずに済んだが、シアは体勢を崩してしまった。すかさずマイが右の剣を振るう。シアにはそれがちゃんと見えていた。焦らずに盾で防ぐ。しかし、マイは同時に左の剣を返し、がら空きになっている右側からシアの首を狙っていた。
「うわっ!!」
ぎりぎりのところで仰け反って避けると、シアはムリヤリ大きく飛び退いた。よろめきながらも踏ん張り、転倒はまぬがれた。シアの蒼白な頬からつぅーと赤い血が流れる。
(微塵の殺意も感じないのに、剣には刃が入っていないのに、魔法も使っていないのに、もう少しで死ぬとこだった……)
青ざめた顔とは裏腹に、シアの心臓は暴れ狂っていた。奇跡的に避けられたが、一歩、いや半歩でも間違えれば、死んでいたであろう事実に恐れ戦いていたのだ。マイが本気で殺そうとしているのか、それとも脅しているだけなのか、シアにはわからなかった。それでも一つだけ確かなことがあった。マイさんはウソをつかない。
マイは目を細めて、冷たく問い詰めるように言った。
「へぇ~、今のを避けるんだ。だったら、もう少しマシな攻撃が出来たはずよねぇ?」
それは、氷で作られたナイフのようにシアの身体を貫いた。暴れ狂っていたのがウソのように心臓は大人しくなり、シアは思わず後ずさった。ただただ恐ろしかった。
「あ~あ、期待してたのにな」
と、マイがゆっくりと近づいて来た。
逃げなきゃ殺される。シアは理性ではなく本能でそう悟ったが、身体が思うように動かない。そのとき、フィラが叫んだ。
「シア! 残りはアタシがやる!!」
シアは、弾かれたように走り出した。クルッと反転して、一目散に円の外を目指す。マイは虚を突かれたのか、動き出すのが半瞬ほど遅れた。
「……背中を向けて逃げ出すなんて、救世主失格ね」
心底残念そうに呟くと、マイはダッと駆け出した。半瞬の遅れなど全く問題にせず、一瞬でシアに追い付くと、その背に向かって剣を振り下ろそうとした。が、
「見えてるわよ」
と、急に動きを止めた。その直後、ビュン!! と、何かがマイの目の前を通過した。それは倒れたままのサムが投げた、糸を固めて作った拳大の糸玉だった。
「そんなことしたって、今さらシアが逃げられるわけないじゃない」
倒れている二人を見て、マイは呆れたように言った。
「フン、アンタの選んだ救世主は逃げないんじゃなかったかぃ?」
フィラが不敵に笑って、シアが逃げた方を指差した。見ると、少し離れた所にシアが立っていた。こちらを向いて剣を掲げている。
「あら、逃げたんじゃなかったの、シア?」
怪訝そうに首を傾げるマイを無視して、フィラが叫ぶ。
「準備できたよ、シア!!」
シアは、地面に剣を突き立て、叫んだ。
「女神をも織り込むタペストリー!!」
カッ!! と、地面が光を放ち、薄暗い峡谷に眩い光が溢れた。マイはすかさず飛び上がったが、遅かった。光は意思を持っているかのように、マイに襲いかかり、引きずり下ろす。
「なにこれッ!?」
よく見ると、光の正体は輝くような白い糸だった。糸は、マイの顔以外に十重二十重 に巻き付き、完全に拘束してしまった。あっという間もなく、マイは顔を動かすことしかできなくなった。
「うわっ、捕まちゃった……。てか、魔法使えるようになったの!?」
マイが驚いて周りを見ると、地面一帯に白い糸で、巨大で複雑な魔方陣が描かれていた。直径は、峡谷の道幅ほとんどいっぱいで、その内側に複雑な記号と絵が描かれている。
ヴェルフとの戦いで披露した魔方陣とは比較にならない、より大きく、より複雑な魔方陣。マイを確実に捕まえるために、シアは一番難しい最強の魔方陣を選んだのだ。それはアラクネの奥の手中の奥の手で、保管している全てのアラクネの糸を一気に放出する最終手段だった。
「ええ。糸魔法を使えるように」
シアが得意気に頷いた。作戦を考えるために辺りを見渡したとき、地面一面に散乱しているフィラの糸を見て、この作戦を思い付いたのだ。ドミニクが言っていた、『マイの弱点は足元』を思い出したからだ。それに、拘束なら誰も傷付けなくて済む。
シアは、最初からこの作戦を成功させることだけを考えていた。糸を操る距離を少しでも短くするために、最初のマイの位置を中心とした円を想定し、その軌跡の上を辿りながら地面に散乱した糸を操り、外から内へと複雑な紋様を描き上げて、魔法陣を完成させたのだ。しかもマイと戦いながら、気付かれないように細心の注意を払って。実際にシアが描いたのは四分の三くらいで、残りはフィラが描いてくれたのだが。
「へぇ~、糸魔法! 最近習得したのに、もうこんな大きな魔法使えるなんてやるわねぇ~。流石、私の弟子♪」
拘束されて身動き一つとれないのに、マイは余裕だった。余裕で敵になったシアを感心していた。
「まだ、オレの魔力だけではこんな魔法使えませんよ……っと」
師匠に褒められて嬉しかったシアは、少し気を抜いてしまい倒れそうになった。魔方陣の発動にはフィラの糸に残っていた魔力を使ったのだが、それでもこれほど巨大な魔法陣を戦いながら描くとなると、シアの体力も魔力も気力もすっからかんだった。
「シア、早よトドメ刺せッ!!」
サムが叫んだ。




