68 藪からバケモン
ズートア要塞の中には、巨大で堅牢な牢獄が存在していた。捕虜を拘束するためというよりも、味方の懲罰用に、貴族が造らせた不名誉な牢獄である。だが今現在、使用されている牢はただ一つだけ、拘束されているのもたった一人だけだった。他の兵士たちは、何が起きているのか理解する間もなく武装解除され、自室にて監禁されていたのだ。
がらんどうとした牢獄にはたった二人、鉄格子の内と外に一人ずつ、それだけだった。外にいる方が鉄格子にすがりつき必死に哀願する。
「なぁ、ヴァンス。このままアデルの元へと帰っても殺されるだけだ。お前もわかっているだろう、アデルの世界にはシルフしかいない。シルフ以外は全て、どうでもいい使い捨てのコマとしか思っていない。僕と一緒に来てくれ……とは言わない。だがせめて、王都ではなくエヴァンス孤児院に帰ると言ってくれ。そう約束してくれるなら、ここのカギを渡す」
それは寛大な申し出だった。しかし、牢の中にいる者は首を縦に振らない。むしろ、傲然と拒絶した。
「断る! 俺はカレルセの軍人、何よりこの要塞の司令官だ。責任も取らず、一人おめおめと逃げるわけにはいかん。アンドレイ、俺は、この命あるかぎりアデル王に尽くす!」
その軍人の鑑とも言える言葉の裏には、親友に裏切られた反動があった。エヴァンスは意固地になっていたのだ。もし、裏切られる前にアンドレイの計画を知っていたら、喜んで協力していただろう、と彼は思う。親友の横に立てるのであればどっち側でもよかった。だが親友は、自分をも裏切り、今や鉄格子の向こう側に立っている。それが許せなかった。
そのとき、一人の兵士が慌てて飛び込んできた。むろん、エヴァンスもよく知っている顔だった。
「ディクソン様! 問題発生です。地上に急いでください!」
「だがまだ話が……」
ディクソンは、チラリと牢の中を見た。しかし、エヴァンスは背を向ける。
「行け! もうお前と話すことなどない!!」
「……すまない」
親友への思いを切り捨てるように呟くと、ディクソンは牢獄を飛び出し、地上へと階段を駆け下った。急いでいるときは、エレベーターよりも階段の方が早かった。
地上では、すでにマイヤーとサルムーン、そしてレオン王たちが集まっていた。だが、不思議なことに誰一人として慌てている様子はなかった。階段を駆け下りながらディクソンが聞く。
「マイヤー、何があったんだ?」
「ようやく『外』の連中が逃げ出したのですが、それを追って獣人の一団がスパーダストラーダ峡谷に侵入したようなのです」
「そうか、侵入されたか」
ディクソンは、すっかり暗くなった峡谷の方を見て、苦々しく呟いた。サルムーンが一歩前に出て、頭を下げる。
「申し訳ありません、ディクソン様。番を任されていたというのに、目を離した隙に侵入を許してしました」
ディクソンは、サルムーンへと視線を移したが、口を開く前にマルコが割って入った。
「お待ちください! それは彼の落ち度ではなく、我らのせいなのです」
ディクソンは、ほぅ? とさらに視線を移した。マルコは、事情を説明した。
サルムーンが持ち場を離れたのはドブルスのせいだった。ドブルスの怒号を聞いたサルムーンは、マイヤーの身を案じ、マルコと共に本陣のテントへと向かった。その隙にラークたちが要塞へと侵入し、同じ隙をついて逃げ出そうとしていた『外』を見つけたのだった。
「ですから全てはドブルス、こやつにせいなのです。申し訳ありません」
マルコに名指しされたドブルスは黙然としていた。ドブルスにしてみれば、自分も被害者だ、という思いがあった。
ドブルスが怒号を上げた理由は、ラークから嘘の情報を教えられたからだった。そのため、ドブルスは最初、「俺をたばかるとはラークめッ! 戻ってきたらただでは済まさんッ!!」と激怒していたが、マルコとレオンから、「ラークの言葉をそっくりそのまま信じるなど愚の骨頂、浅慮にもほどがある!」と、反論しようのない正論で叱責され、今は大人しくなっていたのだった。
「いえ、元より誰の責任を問うつもりはありません。全ては『外』が逃げ遅れたのが原因ですから。それよりも追わなくて良いのですか?」
「それは心配ない。すでに…シアたち四人が追っている。彼らに任せておけば大丈夫だ。我らは、万が一に備えて援軍の準備だけはしておこう」
すっかり暗くなったスパーダストラーダ峡谷を、シアはサムとフィラの背中を追って全力で疾走していた。走りながら、前の二人に声をかける。
「あのっ! オレ、思わず付いて来ちゃったけど、遅かったら、置いて先に行って!」
「そんなん気にせんでええよ。なんやったら速度落とそか? ワイも疲れてきたし」
と言いながら、サムは速度を落としてくれた。先にフィラが速度を落としたから、仕方なく合わせたのだった。
「ほんとに先行ってくれて大丈夫ですよ、ここ一本道で絶対迷わないし」
「いいんだよ、そんなに急いでいるわけでもないしね」
「えっ、でも、急がないと、誰かを追ってるんじゃ?」
シアは、サムたちが走り出したから思わず付いてきただけで、ヒトが逃げたことと、それを獣人が追っていることだけしか知らず、サムたちが追っているのがどっちなのかも知らなかった。
「大丈夫大丈夫。追ってんのがラークたちやから。あの腰抜けどもは、追いかけ回すだけ追いかけ回して、絶対に追い付こうとはせーへん。下手に追い付いたら反撃されるかもしらんからな。せやけど、ほっといたらどんな要らんことするかわかったもんじゃない」
サムは呆れたように笑ったが、その声は侮蔑の音色に彩られていた。まるっきり関係ないのに、シアはチクリした胸の痛みを感じ、思わず項垂れた。
「それに、ワイらより先にローランドが追ってくれてる。ワイらの役目は、ローランドが止めたんを連れ帰ることや。流石のアイツも、片腕であの人数はきびしいやろうからな」
それに気付いたのかどうかわからないが、サムの声は普段の明るいサムに戻っていた。シアは、ホッと胸を撫で下ろした。
そのとき、フィラが振り返り、心配そうに聞いてきた。
「そんなことより、疲れてないかい、シア?」
「えっ?」
「エヴァンスと戦ってから、まだそんなに経ってないんだろ?」
「あっ……!」
言われてみれば確かにそうだった。エヴァンスとの死闘で体力をほとんど使い果たしたはずなのに、今は疲れていない。何しろ、全力疾走できるほどだった。
「大丈夫、ゼンゼン疲れてないよ」
シアは笑って答えた。それを見て、フィラも笑う。
「よかった」
「でも、何でだろ?」
サムたちとディクソンさんが会話している間休憩していたとはいえ、こんなに元気なのは自分でも不思議だった。
「それはあれやろ、空っぽの身体に濃いぃ魔力浴びて、一気に魔力に馴染んだんとちゃうか? ……よくよく考えてみれば、シアはヒトやのに、こんな真っ暗ん中ワイらに走って付いてきてるし」
サムは軽く答えてから、首を捻って付け加えた。フィラは空を仰ぎ見た。
峡谷に細長く切り取られた夜空は、どんよりと曇っていて、月も星も完全に覆い隠されていた。
「それもそうだね。この暗さ、ヒトの目だったらたぶん何も見えないだろうね」
要塞から離れたこの場所には街灯の類いもなく、フィラたちは何の灯りも持っていなかった。
フィラの言葉で、シアは、初めてスパーダストラーダ峡谷に来たときのことを思い出した。
「ここに初めてきたときは、エヴァンスさんと……じゃなくて、馬車の明かりがないと、まさに一寸先は闇ってかんじで何にも見えなかったんだけど、今は、ハッキリとじゃないし何寸先かわかんないけど、全力疾走出来るくらいには見えてる」
「うん、何言ーてるようわからんけど、前より見えるようになってんのやったら、それは修行の成果や。よう頑張ったな、シア。ワイらがあんまり速ない方や言うこと差し引いても、魔法も使わず獣人に付いてこれるヒトはなかなかおらんで!」
「あ、ありがとう」
シアは、複雑な気分だった。今までの頑張りを誉められたことも、その成果が実感できたこともすごく嬉しかった。しかしそれは同時に、この世界に長居しすぎたせいで、シアの身体がこの世界に順応しはじめているということでもあったのだ。
(こんな人間離れした身体能力で元の世界に戻ったら──)
シアの思考はそこで止まった。フィラが声を上げてくれたからであった。
「おや? 前で何かあったのかい、ローランドが急ぎはじめたよ」
「おっほんまや。……ラークたちが止まったんや。何があったんか知らんけど今のうちや。ワイらは急ぐけど、シアはゆっくり来ればいいから」
シアも目を凝らしてみたが、ラークたちはおろか、ローランドの姿も見えなかった。見えたのは、遠くなってゆくサムとフィラの背中だけだった。どうやら獣人の身体能力に到達するのはまだまだ先らしい。シアはホッとしたような、残念なような、またしても複雑な気分になった。
(忘れよう、今は……)
シアはままならない気持ちを消し去るように頭を振った。それから、サムたちから離れないようにと、必死で走り出した。
ラークたちが立ち止まったのは、突然現れた奇妙な人影のせいだった。
馬車が走り去った後、道の真ん中にぽつんと立っていた、フード付きの真っ赤なマントを羽織った小さな人影。フードとマントで何者かわからないが、サイズ的におそらくヒト。手にはランタンを持っている。馬車の群れは、その人影を構わずに逃げて行った。
ラークたちは最初、馬車から突き落とされた生け贄なのかと思ったが、その割りには急がず騒がず身構えもしない。敵意や悪意もなく、ただじっとこちらを見ているだけ。とにかく奇妙で不気味で、幽霊や幻影の類いか、と本気で悩むほどだった。
腰抜けの彼らが対応に困っていると、その人影はランタンを掲げて、辺りを照らした。闇に紛れていた大小様々な黒装束たちが浮かび上がる。
「げっ! 獣人。さっきの馬車の慌てようはそうゆーことか。あ~あ、砦は難攻不落って聞いてたからゆっくり来たのに……どうしようかしら?」
それは以外にも若い女性のような声だった。途端に、浮き足立っていたラークたちがいきり立つ。女性の声がいやに落ち着き払っていることにも気付かずに。
「残念だったなぁ~、嬢ちゃん。お前たちの難攻不落の要塞は俺たちが落としちまった」
「なんだ、要塞に恋人でもいたのか?」
「俺たちに喰われれば、腹ン中で一緒になれるかも知んねぇなぁ~」
ギャハハハ! と、ラークたちは下卑た声で大笑いした。相手が女性だとわかるだけで勇気も元気も百倍になる、どうしようもない彼らだった。
女性は何も言わなかった。ただ、ため息でも吐くようにフッと軽く息を吐いた。すると、口火を切った獣人がその場にバタリと倒れた。
「あら? どうしたの、おじいちゃん。立ちくらみですか?」
嬢ちゃんが涼やかに冷笑を浴びせかけた。ラークたちは目を剥いて驚いた。
「な、何をしやがった、あの女ッ!?」
誰かが叫んだが、答えられる者は誰一人いなかった。ラークたちは呆然と立ち尽くしていた。何をされたか全くわからないし、そもそもたった一人のヒト──しかも女が、三十を優に超えるこの獣人集団に反撃をするなど、彼らは思ってもみなかったのだ。だが、その圧倒的人数差がラークたちに勇気を与える。
「て、敵はたった一人だ、全員でかかれば訳ねぇぜ!!」
「そ、そうだそうだ! 何されたかわかんねぇが、一回だけしかやってこねぇ。つまり連続で使えねぇってことだ」
ラークたちは、自らを鼓舞するように囁き合き、武器を構えた。血走ったような眼光で、ヒトを睨み付ける。
「やっちまえッ!!」
ラークの凡庸な号令で、黒装束たちは一斉に躍りかかった。
「そうこなくっちゃ♪」
女性は不敵に笑うと、持っていたランタンを空高く放り投げ、鼻歌まじりに走り出した。マントの下から二本の剣を抜く。
互いの距離は一気に接近し、剣と剣が激突する。と思われたが、女性は寸前で身を翻し、ラークたちの間を縫うように駆け抜けた。
「な、何が起こっている!?」
ようやく追い付いたローランドは、我が目を疑った。女性の鼻歌が鳴り響く中、ラークたちが次々と倒されていくのだ。見えるのは黒の間をジグザグに駆け抜ける赤い線だけ。
「魔法!? いや、ヒトかッ!!」
それが超高速で動く人影だと気付いたのは、黒を一人残らず倒し終えた人影が、ローランド目掛けて一直線に突進してきたからであった。マントの下から覗く剣が冷たい光を放つ。間一髪のところで、ローランドはガントレットを装着した腕で受け止めた。あまりの衝撃に顔を歪める。
(ぐっ、お、重い! こんな小さな身体のどこに──)
だがしかし、彼女の剣は止まらなかった。そのまま力ずくで剣を振り抜いたのだ。ローランドは呆気なく吹き飛ばされた。すかさず受け身を取って立ち上がったが、愕然としていた。
「バカな……この俺が、ヒトに力で負ただと!? 俺はゴリラの獣人だぞ……それがこんな小さなヒトに……」
ラークたちとは違い、ヒトと言うだけで無条件に見下すローランドではなかった。しかし、獣人のローランドにしてみれば、彼女など子供のような大きさだった。腕の太さなど彼女の何倍も太い。その体格差がありながら力勝負で負けたなど、ローランドは信じられなかった。肉体的にはダメージより、精神的ダメージの方が大きかった。
あれだけの人数を一瞬で倒したのに、赤い人影は何事もなかったかのように静かに立っていた。ローランドの顔を見て、軽やかに笑う。
「へぇ〜、同じようなカッコだけど、さっきのヤツらとは違うのね、ごめんなさい。……あっ! ショックを受けてるとこ悪いけど、そこアブナイわよ♪」
ハッとしたローランドは身構えた。ガントレットを前に体を守る。が、意味はなかった。次の瞬間、ゴーン!! とローランドの頭に、彼女が放り投げたランタンが命中した。たまたまである。
「ふ、不覚……」
空高く放り投げられたランタンの威力は凄まじかった。流石のローランドでも一発ノックアウト、そのまま後ろへとひっくり返ってしまった。
女性はスッと剣を伸ばし、ランタンが地面に落ちるギリギリのところで、剣先を持ち手に滑り込ませてキャッチした。
「おっと、アブナイアブナイ♪」
剣のさきちょにぶら下がったランタンが辺りを照らし、闇に隠れて様子を窺っていたサムたちを炙り出した。
「あら、まだ二人いたの?」
トロールとアラクネの姿を見ても、女性は余裕だった。だが、駆け寄るヒトの姿は見逃していた。
「あの人数を一瞬で、それにローランドを吹き飛ばしたってのに、一瞬の隙すら見せなかったよ」
「ほんまに……あの厄介連中は。薮つついてバケモン出しやがった」
フィラとサムは険しい顔で、女性を見つめた。彼女は、片方の剣は真っ直ぐと伸ばしランタンをぶら下げ、もう片方はぶらんと垂れ下げている状態なのに、微塵の隙さえないように見えた。それに、あれだけ動いていたのに、彼女の服装は一切乱れていなかった。
「なぁんだ、恐い顔してるだけで来ないんだ」
残念そう言うと、女性はランタンをぶら下げている剣をゆっくりと持ち上げ、刀身を滑るように落ちてきたランタンを掴んだ。
そのとき、フードの中が照らされて、彼女の顔が露になった。シアは、ハッとした。
「マイ、さん……?」




