65 ズートア要塞攻略戦──半端者
スパーダストラーダ峡谷を、北へ北へと爆走する馬車の一団があった。優雅にはためかせている金と赤の豪奢な旗とは対照的に、搭乗者たちは皆、青白い顔をして黙りこくっている。命からがら逃げ出してきた王の盾の一団だった。
馬車の数は、来たときより大幅に減っていた。獣人との戦闘で戦死者が出たせいもあったが、それよりも『外』の連中がいないことの方が大きかった。当然、『外』の連中も逃げ出そうとしていたのが、ドレスラー隊長の言葉を聞いたとき、思わず二の足を踏んでしまった。その間に、ドレスラーたちは逃走を開始し、その後『外』がどうなったのかは知らない。
スパーダストラーダ峡谷を抜けたところで追撃がないことを確認すると、ドレスラーたちはようやくホッと一息つくことができた。
「助かった、カル。お前が馬車の準備をしてくれていたおかげで、何とか無事に逃げ出すことができた」
ドレスラーたちが要塞まで撤退してきたときには、すでに馬車の準備が完了していた。そのおかげで、彼らはすぐに逃走することができ、獣人から追撃されることもなく逃げ切ることができたのだった。
「いえ、私は戦場全体が見渡せる場所にいたので……」
屋上で指揮を執っていたカルは、地上で戦闘していたドレスラーたちより先に要塞の門が閉まっていないことに気付いた。むろん、すぐにマイヤーを問い質した。
「なぜ、サルムーンは門を閉めないのだ! どうなっている、マイヤー!」
しかし、マイヤーは淡々と答えた。
「サルムーン一人の魔力では、門を開けるのが限界で、閉めるのには魔力が足りない」
その言い方がカルの癪に障った。
「ならなぜそれを先に言わなかった! まさか、これが貴様らの仇討ちかッ!?」
「そう買い被るな。サルムーンを指名したのも、私の忠告を聞かずに行ってしまわれたのもそちらの隊長だ。……それにエリート部隊に入隊したお前と違って、俺たちぼんくらは仇討ちの相手すら理解していなかったんだ」
「……そうか」
カルは、複雑な表情で戦場に目を転じた。
「おそらく、この戦いはこのまま負ける。ドレスラー隊長も門が閉まっていないことに気付けば、すぐに撤退を開始するだろう。だが、隊長も言っていたように、ズートア要塞を落とされてアデル王が許すはずもない。……だから、私たち王の盾はドレスラー隊長についていく。どうだ、お前たちも一緒に来ないか?」
「ありがたい誘いだが、すまない。いくらぼんくらと言えど、今さら主を変えるなんて恥さらしなことはできない。さぁ後は任せて、さっさと行け!」
「……そうか、そんなことがあったのか。お前と同じ、ヴィルヘルム侯爵家に仕えていた貴族ならあるいは、と思っていたが……」
ドレスラー隊長は残念そうに首を振った。それから信頼している部下たちに向き直った。
「よし! ここからは予定通り、東へ進路を取る。(我々王の盾は)マギアへ亡命するぞ!」
開かれた扉の前に立っていたのは、軍服姿のアンドレイ・ディクソンだった。廊下からの光を浴びて、金色の頭髪が輝いて見える。エヴァンスの脳裏に、忘れようとしていた『裏切り者』の存在がよみがえった。
「違うと言ってくれ、アンドレイ!」
エヴァンスは、質問をすることも忘れて否定を望んだ。しかし、ディクソンは何も言わなかった。
エヴァンスの顔が絶望色に変じかけたとき、廊下から足音が響いてきて、ヴェルフたちが現れた。
「オーイ、生きてるかー、シア?」
「おっ、この部屋は広いな」
「ほんま、ヒトの建物は小さくてかなんわ~」
レオンとサムは、身を屈めて部屋に入ってくると、う~んと伸びた。
「ヴェルフ! サム! それにレオン王まで!!」
シアは、喜びの悲鳴を上げて立ち上がり、三人に向かって駆け出した。だが、喜びのあまり気が抜けて、エヴァンスの拘束を解いてしまっていた。
「ズートア要塞は、我々獣人連合国が占拠した!!」
レオン王が大声で宣言した。しかし、エヴァンスは呆然と突っ立っていた。拘束が解けていることにも気が付かないで、親友の顔を一心に見つめている。
何が起きているか理解できなかった……というより、全てを正確に理解した上で認めたくなかったのだ。エヴァンスは、あまり賢くないと自覚している脳ミソをフル回転させて、親友が裏切っていない可能性を探していた。
(アンドレイがブラウンを殺した。俺が兵器に巻き込まれるのを防ぐため? でも、後ろのあのケモノどもは……? やっぱりアンドレイが裏切り者? いやでも、もうどうしようもなくなって降参しただけかも……)
だが、見つからなかった。それを自分の頭が悪いせいにして、エヴァンスは問いかける。
「何を、何をしてるんだ、アンドレイ?」
叫ぼうとしたのか、問いかけようとしたのか、自分でも分からない。だが、エヴァンスの口から出たのは、蚊の鳴くような声だった。
ディクソンは、その黄色の瞳を伏せた。
「……すまない」
その瞬間、エヴァンスの全身がぶわっと逆立った。謝罪されることに、これほどまでに嫌悪感を感じるのは初めてだった。したくもない謝罪を強要されたときでも、要求した謝罪が無視されたときでも、こんなにも嫌な気持ちになることはなかった。
「……謝るな。本当に……裏切った、のか……。なんで……?」
その声は、ヒトの聴力では聞き取れないほどに微かな振動だった。エヴァンスの瞳から光が消えていく。
これが夢ならば、もしくは俺はもうクソガキに殺されていて、意地の悪い神が創り出した地獄ならばどれほどいいだろう。しかし、そんな馬鹿な考えを信じられるほど、エヴァンスの頭は悪くなかった。
親友の声がトドメを刺した。
「これが僕たちの道──僕と父の夢を叶えるためだ」
その瞬間、エヴァンスの瞳から完全に光が消え去った。エヴァンスは、自分の体内で何かが壊れてゆく音を聞いていた。それが壊れきる前に、彼は駆け出していた。刀を握り締めて、親友だと思っていた相手めがけて突進する。
「何故だ、アンドレイ!! なぜ俺を裏切ったァァアア!!!!」
「ったく、諦めの悪いヤツだぜ」
言葉とは裏腹に、ヴェルフが嬉しそうに前に出ようとしたが、ディクソンが止めた。
「いえ、ここは私にお任せを」
ディクソンはそう言うと、武器を持っていないにもかかわらず前に出た。
「大貴族だからって、武器も持たずに覚醒した俺に勝てると思ってるのかァあああ!!」
エヴァンスは本気だった。本気で親友を殺すつもりだった。金色の頭髪を深紅に染めようと、白銀の一閃を放つ。
だが、それは届かなかった。毛むくじゃらの両の手のひらが凶刃を受け止めていたのだ。
「真剣白羽取りッ!?」
と思った瞬間、疑問に思う間もなくエヴァンスは投げ飛ばされていた。背中から床に叩きつけられて、息が止まるほどの衝撃が襲いかかった。だが、痛みは感じなかった。心の痛みが大きすぎたのだ。
エヴァンスはもう動けなかった。動きたくなかった。身体よりも心が限界だった。床に倒れたまま、情けない声を上げる。
「くそぉ……何が近接戦闘が苦手だ。ナイフも戦闘服もなしで、俺より強いじゃねぇか……!」
エヴァンスは目を閉じていた。もう何も見たくなかったのだ。
「ウソじゃない。この力は、この国では認められない力──使うことを許されなかった力なんだ」
「何を──」
目を開けたエヴァンスは言葉を失った。目の前に立っている軍服は、獣人だった。顔も手も、露出している箇所は全て白と灰色の体毛で覆われていた。だが、見下ろしている黄色の瞳は間違いなくディクソンのものだった。
「なんだ、その姿は……! お前は……ケモノだったのか……アンドレイ!?」
「ウソ……ディクソンさんは獣人だったの!?」
ヒトたちは狼狽えたが、獣人たちは冷静だった。
「あれは、猿人の類いやな」
「ヒトに変身できるなんて珍しいな」
ディクソンは、少し悲しそうな目をして、静かに首を振った。
「いいえ、私は混血だ。ヒトと獣人の」
「へぇ~、さらに珍しいな」
ヴェルフがあっさりと言ったとき、サムがパン! と手を打った。
「あっ、思い出した! どっかで見た顔やとずっと思ったけど、あのヒトやあのヒト。ヴィルヘルム侯爵!」
「確かに……! 言われてみればそうだ。目の色は違うが、ヒトの姿のときはよく似ていた」
「ん? なんだ二人とも知ってンのか?」
デカイ二人を見上げて、ヴェルフが聞いた。
「そうか、ヴェルフはまだちいちゃかったから知らんのか。ヴィルヘルム侯爵ってのは、カレルセに拐われた獣人を助けてくれて、おまけにこっちに帰してくれてたヒトや。あのヒトのおかげで、もう数え切れんくらいの獣人が奴隷にならずに済んだんや。二十年以上前の話やけど、獣人連合にとっちゃ今も恩人や」
「なるほど、その辺りがカレルセを裏切って我々についた理由か」
立派すぎるアゴに手を当てて、レオンが呟いた。
「おっしゃる通りです。私は、腐敗したカレルセ王家を滅ぼして、この国を誰でも安心して暮らせる国にしたいのです。父の夢を叶えるために」
ディクソンは、胸にしまっていた思いを話しはじめた。
「ヴィルヘルム領は獣人連合国との国境ですから、獣人たちを売り買いする奴隷商人たちの通り道だったんです。奴隷制度を嫌っている父にはそれが許せなかった。ですが、カレルセ王家がそれを認めている以上、大貴族の父でも公然と反対することはできませんでした。そこで父は、秘密裏に奴隷商人たちを襲撃し、奴隷の解放と奴隷商の壊滅を図っていたのです。そして奴隷だった猿人の母と出会い、私が生まれたんです」
ディクソンの黄色い瞳は、どこか遠くを見ていた。
「生まれたとき、私は完全にヒトでした。ですから両親はカレルセに残り、このヒトの国で私を育てることにしたのです。ですが成長するにつれ、私の中の獣人の血も成長したのか、この姿に変身するようになったのです。ある程度の制御はすぐにできるようになったのですが、今でも感情が高まると制御が難しくなりヒトの姿を維持できなくなってしまうのです。それを知った父は、この国を変える決意をしたんです。私が安心して生きられる国にしようと、ユリウス王子に協力したのです」
「ウソだ!」
黙って聞いていたエヴァンスが、倒れたまま叫んだ。
「父の夢を叶えるためなんて、そんなの俺は信じないぞ、アンドレイ! 第一、お前は愚かな父親を怨んでいると言っていた。そうだ、だからお前がヴィルヘルム侯爵を殺したんじゃないのか!」
「そういや、ヴィルヘルム侯爵は自分の子供に殺されたって聞いたな。それに、俺とシアも、お前にロープを斬られて殺されそうになったし」
ディクソンは覚悟を決めるように重い吐息を吐いてから、起き上がろうとしている親友を見た。握り締められた手には血が滲んでいた。
「私が怨んでいるのは、父の愚かな選択だ。我が子一人を守るために王家に勝ち目のない戦を挑み、守るべき領民に多数の犠牲を出して、そして……死んでいった。その愚かな選択を怨んでいるんだ」
ディクソンは言わなかったが、実のところ、ヴィルヘルム侯爵は自殺だった。ユリウス王子がアデルに殺されたことを知った侯爵は、アデルの魔の手から幼い息子を守るために、自らの手で自分の首を落としたのだった。目の前で父親が自殺し、その首を敵に渡しに行く。大人でもトラウマになるようなことを、幼い息子にさせるのは断腸の思いだった。だが、それしか息子を生かす方法はなかった。トラウマを抱えることになっても、それでも息子には生きていて欲しかった。その父の思いを汲み取り、ディクソンは今日まで生き抜いたのだった。
続いて、ディクソンはヴェルフに目を向けた。そして、
「地上まで届いていないロープを、上に引き揚げられる前に斬ったんだ。お礼を言われることはあっても、文句を言われる筋合いはないと思うが」
と、言おうとしたがそのとき、廊下からドタドタ聞こえてきたと思うと、マイヤーが飛び込んできた。エヴァンスが叫ぶ。
「いいところに来た、マイヤー! 緊急事態だ、今すぐ兵を集め、ろ……」
マイヤーは、だが、驚きもせずにつかつか部屋の中に入ってくると、獣人姿のディクソンの前に跪いた。
「ディクソン様、ズートア要塞の制圧は完了しました。兵士たちは皆、大人しく投降したため、双方に怪我人は出ませんでした」
「なッ!? 貴様も裏切ったのか、マイヤー!!」
驚愕の表情の司令官に一瞥をくれると、マイヤーはさも当然のように言った。
「裏切りも何も、元より私はヴィルヘルム家に仕えている」
「ご苦労だった、マイヤー。……ついでに、エヴァンス司令官を連れていってくれ」
喚きながら連れていかれる親友を、ディクソンは深い翳りに満ちた瞳で見つめていた。子供の頃から見ていた夢がようやく動き出したというのに、ディクソンの顔に喜びはなかった。
こうして、カレルセの誇る難攻不落のズートア要塞は、たった数時間で落とされたのであった。




