64 ズートア要塞攻略戦──本当の夢
エヴァンスは炎の中にいた。これまでを燃料に、これからをも焼き尽くしてしまう黒い業火の中に。
士官学校での理不尽に耐え抜いた日々も、戦場でのライバルだと思っていた人狼との戦いの日々も、そして孤児院での幸せの日々も、これまでの全てを呑み込んで、なお激しく燃え盛る怒り。このままでは精神までも焼き尽くしてしまう。灼熱に焼けるような痛みが、それをエヴァンスに痛いほど教えていた。だが、魂の底から沸き上がる激情と魔力はどうしようもなかった。いや、どうしようとも思っていなかった。むしろ、エヴァンスは激情に身を任せていたのだ。
このクソガキを殺せるのなら、どうでもいい。
ただ選ばれただけのガキが、苦労も努力も何にも知らないようなガキが、俺の何十年もの、血反吐を吐く努力を嘲笑っているのが許せなかった。何より俺より強いことが許せなかった。怒りで狭窄化している視野では、ガキも努力していた可能性など思いもしない。
何も持たずに生まれてきた俺みたいな孤児は、どれだけ努力したところで選ばれた者には勝てないのか。
それはシア個人への怒りを超越して、この世の理不尽への怒りだった。エヴァンスがこれまで経験してきた理不尽に対する、身を焼くほどの怒り。だが。
「知ってるか。獣人連合では、司令官のアンタより副官のディクソンの方が遥かに強いって言われてるんだぜ」
クソガキの口から発せられたこの言葉を聞いたとき、エヴァンスの心に神風が吹き荒び、燃え盛っていた黒い業火はあっという間に吹き消された。そして焼け野原のようになった心の中で、エヴァンスは燦然と輝くモノを見た。
『親友の横を歩く』
それは、自分でも忘れていた本当の夢だった。何もかもを焼き尽くす業火でも焼けなかった大事な想い。親友への想い。それを思い出したとき、本当の自分が目を覚ました。
「ああ、知っているよ。アイツは…アンドレイは俺なんかと違って特別だからな」
さっきまでの激しい怒りがウソだったかのような、静かな声だった。
「俺をここまで引き上げてくれたのはアンドレイだ。アイツのおかげで、平民の俺が要塞司令官にまでなれたんだ」
エヴァンスは、まるで透き通った湖面のような、スッキリとした穏やかな表情をしていた。
にもかかわらず、シアの全身は粟立っていた。それに気付いた瞬間、シアは悟った。
「覚醒が、完成した……! でもいきなりなんでっ!?」
さっきまで漏れ出していた怒りと魔力が、今はエヴァンスの体内で渦巻いている。それをシアは肌で感じ取っていた。表情が険しくなり、剣と盾を持つ手にも自然と力が入る。しかし、エヴァンスはふっと微笑を浮かべて、刀を収めた。
「思い出したんだ。忘れていた本当の夢を」
穏やかな声で、どこか嬉しそうにエヴァンスが言った。シアは、何を言い出したのかわからず、思わず頭の上にクエスチョンマークを浮かべた。
「なんだ、お前が聞いたんだろう?」
エヴァンスは、ストレッチするように腕を伸ばしながら、怪訝な顔をした。シアは、またもや何のことかわからなかったが、今度はすぐにハッとなった。
「覚醒できた理由……?」
エヴァンスは軽く点頭すると、今度は肩を回しはじめた。
「ああ、そうだ。それだけじゃわからないだろうから少し昔ばなしをしてやる。俺を覚醒に導いてくれたお礼だ」
それは奇妙な申し出だった。戦闘中に昔ばなし……? エヴァンスさんは急いでいるはずなのに、と、シアは訝しんだ。
「……お願い、します」
それでもシアは受け入れることにした。体力回復のためにも少しでも時間が欲しかった。それに、もしかすると王の盾たちを蹴散らしてヴェルフたちが助けに来てくれるかもしれない。と淡い期待も抱いていた。どちらにせよ、時間稼ぎがしたかったのだ。
「いいだろ。まずは……そうだな、アンドレイについてだ。アイツはカレルセ貴族の超名門、ヴィルヘルム侯爵の一人息子なんだ」
「えっ!? あの父親を殺したっていう……」
シアは驚いた。カレルセから逃亡する馬車で、親方たちから聞いたカレルセ昔ばなし。その中に出てきた、わずか十歳で父親の首をアデル王に渡した子供。それがあのディクソンさん!?
「なんだ、知っていたのか。だったら話は早い。あの一件のおかげで、アンドレイはアデル王に気に入られていてな、軍に入ってからは色々と優遇されてたんだ。それなのにアイツは俺の副官についた。アデル様に無理まで言ってな」
「なんで?」
「夢のためだ」
「夢?」
「ヴィルヘルム領を取り戻すことがアンドレイの夢なんだ。愚かな父親のせいで荒廃したヴィルヘルム領に、もう一度昔のような繁栄をもたらす、ってな。だが、前の領主──しかも実の父親のヴィルヘルム候を殺した自分には、領主になる資格なんかない、アンドレイはそうも考えているんだ。だからアイツは、俺に前を歩かせてくれた」
エヴァンスはずっと、立場的には前を歩いていたが、精神的には後ろを歩いていた。ディクソンが完璧超人なことを知っているエヴァンスには、親友に対する後ろめたさや嫉妬などの暗い感情はなかった。なかったがそれでも、親友を名乗っている以上、本当は隣を歩きたかった。誰が見ても釣り合う存在になりたかった。それが、子供の頃からの夢だった。
エヴァンスは、その夢を誰にも言わなかった。親友の横を歩く、なんて、恥ずかしくて親友にも言えなかったのだ。そんなとき、ディクソンがポロリと漏らした『二人の夢』。その言葉が嬉しくて、いつの間にか本当の夢を忘れていた。
いや、忘れたかったのだ。それが、如何に大それた夢なのかは自分が一番わかっていたから。大貴族と平民の孤児、その差はどう頑張っても埋まることはない、と思っていたから。だが、この作戦を成功させれば。
「話しの途中で悪いが、もうここまでだ。こっちの準備が終わったんでな」
エヴァンスはスラリと刀を抜いた。エヴァンスにとっても、昔ばなしは時間稼ぎだった。
「準備?」
シアは心の中で舌打ちをした。ヴェルフたちの救援は間に合わなかった。だけど、体力が回復できただけマシか。
「初めての覚醒だからな、自分の状態を確認してたんだ。…それと、怒りのせいで固まっていた筋肉をほぐしてたん、だッ!」
ピョンピョンと軽く跳び跳ねながら言うと、エヴァンスはダッと突っ込んできた。
「来た!」
シアは剣と盾を持つ手に力を込めて、グッと集中力を高める。エヴァンスの突進はまさに矢のようで、最初の一撃よりも格段に速かった。がそれでも、今のシアにはハッキリと見えていた。
(最初と同じ右上からの振り下ろし! なら、今か……!?)
シアも最初と同じようにスッと身を翻してエヴァンスの一撃を回避すると、チャンスとばかりに右手を動かそうとした。しかし動かす前に、エヴァンスの攻撃が同じではないことにシアは気付いた。初撃と違い、エヴァンスの刀は空を斬っただけで床石まで届いていなかったのだ。まるで避けられることを想定していたように。
エヴァンスの瞳と刀がキラリと閃いた。その瞬間、エヴァンスは流れるように二撃目を放った。二撃目が本命だったのだ。シアの首筋にゾクリと寒気が走る。
寸前に気付けたシアは、仰け反るようにバッと後ろに飛び退き、間一髪で回避することができた。パラパラと髪の先が散る。
(──はっ! 危なかった、ホントに死ぬとこだった)
シアの全身からは汗が噴き出していた。
「ちっ、顔を殴らせて首を飛ばそうと思ったのに、よく避けれたな」
エヴァンスが恐ろしいことをさらりと言ってのけた。シアは汗だくになりながらも、さらに集中力も高める。
「なら、真っ向勝負で決めさせてもらう!」
エヴァンスの猛攻がはじまった。大振りでも、直線的でも、単調でもない、嵐のような連撃。パワーもスピードもキレも、先程とは段違いに向上し、時おりフェイントすら織り交ぜられていた。しかし一太刀すら当たらなかった。シアは全てを防ぎきっていたのだ。本気のヴェルフとの訓練のおかげで、防御に専念していれば対応できた。ただ、攻撃はおろか、口撃を考える余裕もなかった。
一撃でも受け損なえば、一瞬でも隙を見せれば、確実に『死』が待っている。その緊張感が、プレッシャーが、死への恐怖がシアの精神を削る。その中でシアは笑った。
(本気のヴェルフと比べれば大したことない。耐えて耐えて耐え抜いてやる!)
嘲弄のためではなく、成功率三割マシのための笑顔。
「これにもついてこれんのかよ、クソガキ!」
エヴァンスが吠えた。それはドロドロとした憎悪ではなく、さっぱりとした怒りと少しの感嘆が混じりあっているようだった。
「ホント腹立たしいな。ただ選ばれただけなのに、何十年と努力してきた俺と互角に渡り合うなんて!」
「選ばれた選ばれた、言うけれど、別に応募した訳じゃないし、選ばれたこと自体が不本意極まりない。努力に関してもそうだ。なにやらずっと遊んでたみたいな言われようだが、オレだって必死に努力してきた。たった二ヶ月ほどの努力だったが、エヴァンスさんよりも大変なことをやらされていた自信がある。特に最初の一ヶ月、ドミニクさんの訓練は血反吐を吐くなんてかわいいもんじゃなかった!」
シアは、心の中で抗議した。口に出さなかったのは、どっちの方が大変だったなんて不幸自慢は趣味じゃないし、それに作戦とはいえ、エヴァンスさんのことを散々バカにした罪悪感があったからである。これでおあいこにしよう、シアは勝手にそう思っていたのだ。
ついに、エヴァンスの猛攻にも終わりが訪れた。全ての攻撃を防ぐシアに、エヴァンスの方が大きく距離を取ったのだ。
「ったく……本当に腹立たしいガキだな。覚えたての第二魔法まで使わされるハメになるとはな」
苦笑いしながら言うと、エヴァンスは左手を前に出し、手のひらをシアに向ける。
「これが俺の第二魔法。メガ・ウインド!」
その瞬間、ゴォオオ! と、風が唸りを上げて襲いかかってきた。
「攻撃魔法!? ここ……!!」
シアは、頭部だけでも守ろうと盾を上げる。直後、吹き飛ばされそうな突風がシアの体を打ち付けた。しかし、防御していない脚にも何の痛みもなかった。慌てて盾を下げるが、エヴァンスはいなかった。
「いない!?」
驚いたシアの、すぐに真後ろで声がした。
「防御してもらって悪いが、今のは攻撃じゃなくてただの風だ」
覚醒したばかりのエヴァンスでは、ただ風を吹かせるので精一杯だったのだ。しかし、それでもシアの視界を防ぐのに成功し、さらには追い風となって自らの移動速度を上げるのにも役立っていた。
「お前を殺して、俺は親友の横を歩く!!」
エヴァンスは渾身の一撃を放った。背後からの渾身の一撃、シアは一歩も動けずにいる、絶対に防がれない自信がエヴァンスにはあった。もしシアが回避しようとしても、それより速く斬る自信もあった。しかし──。
その刃は、シアに届く直前で止まっていた。バリバリ! と、眼前で何かが光ったと思ったその瞬間、エヴァンスの全身は痺れて、硬直していたのである。
「な……何をした!?」
エヴァンスには何も分からなかった。振り返ったシアは右手でお腹を押さえていた。
「サム特製ビリビリTシャツ。この服には、サムの魔法で電撃が閉じ込められてて、サムの顔を押せば放出されるんだ」
「電……撃!!」
エヴァンスはまさに雷に打たれたように驚き、痺れて思うように動かせない身体はそのまま倒れそうになった。
「俺は、倒れるわけにいかんのだ!」
エヴァンスは、なんとか気合いで踏ん張った。急速に痺れが解消されていく。
「やっぱり倒れないよね……」
サムは、シアの意思を尊重して、絶対に死なないように弱めの電撃にしてくれていたのだ。
「だけど、そんなけ止まっててくれたらもう充分」
「なんだと!?」
「それ」
刀を持つエヴァンスの右手には、シアの剣から伸びた細い糸が巻き付いていた。
「グッ!」
思わずエヴァンスは振りほどこうと、手を振り回した。が、それがまずかった。糸は切れるどころかどんどん伸びていき、気付いたときには、エヴァンスはがんじがらめに拘束されていた。
「これがオレの魔法。糸魔法だよ」
「こんな糸!」
エヴァンスは全身に力を入れて、引きちぎろうとしたがビクともしなかった。
「ムダだよ、それはアラクネの糸だから」
シアが勝ちを確信したとき、もう一人の絶叫が響いた。
「エヴァンス様! 魔力の充填が終わりました!!」
声のした方を見ると、新生レオナルの槍が禍々しいまでの光を放っていた。
「よし! 俺に構わず撃てぇええ!!」
エヴァンスは即座に苛烈な決断を下した。ブラウンも迷うことなく、嬉々として了承する。
「了解ーー!」
一歩遅れてシアも動き出す。だが、シアの体力はすでに限界だった。数歩もいかずに、足がもつれて倒れてしまった。
(間に合わない──)
すでにブラウンの手が、発射ボタン目掛けて落下していた。シアの目には、それがひどくゆっくりに見えた。あれが発射されたら全てが終わる。ヴェルフもサムも、みんな死ぬ。
「アハハハ! これで私は貴族だ!! ようやくお前たちに良い生活を──」
ブラウンの手は、だが、発射ボタンの横を通過した。そのままドサッとうつ伏せに地面に倒れこんだ。
「は……?」
ブラウンは動かなかった。それもそのはず、頭にはナイフが突き刺さっていたのだ。
「助かった……?」
エヴァンスもシアも、何が起きたのか分からなかった。だが、ブラウンの頭部のナイフを見たとき、エヴァンスは驚愕と絶望の叫び声を上げた。
「なんでお前が……ブラウンを……。アンドレイッ!!」




