61 ズートア要塞攻略戦──王の盾
要塞の巨大な門が、轟々と重々しい音を立てて徐々に開かれていく。薄い暗い要塞内に光が射し込み、少しずつ荒野の光景が広がっていった。巨大なミノタウロスを先頭に、獣人の大群が地面を揺らして迫ってくる。同じ地面に立って見るそれは、屋上から見るのとはけた違いの迫力があった。まるで、開かれた地獄の門の向こうから現世を攻め滅ぼそうとやって来る鬼や悪魔や死神やらの大軍のようだった。
豪胆をもって鳴る王の盾の精神にも恐怖が立ち込めた。身体の震えは、ミノタウロスの起こす揺れのせいだけではなかった。思わず逃げ出したくなる。
部下の恐怖を払うかのように、ドレスラーが叫ぶ。
「怯むなァーーー!! 屋上の要塞兵の足止めで、敵はまだ合流できずにいる。今なら我らの半分以下の数だ、十分に各個撃破できる!!」
王の盾の兵力は、第一部隊の二倍以上あった。『外』を含めずに、である。王の命が何よりも最優先とされてきたカレルセでは、いつの時代も王の盾が最大最強戦力だった。
「まず目の前の一部隊を撃滅し、その後屋上のカルと協力し残りを討つ! 各員、戦闘準備!!」
敬愛する隊長の声が恐怖を勇気へと変え、王の盾を一歩前へと進ませた。隊長のためなら地獄も天国だった。その行動が隊長にも勇気を与える。
「我らが出たら門を閉めろ!」
「ですが──」
「我らは盾だ! 後ろに護るべきモノがある限り、盾に退くことなど許されない!!」
それが王の盾の矜持だった。そしてドレスラーに残された最後の矜持。
ドレスラーは剣を掲げ、叫んだ。
「王の盾、出陣!!」
「オオオオォォォォオオ!!」
隊長の号令で、王の盾は一斉に要塞から地獄へと飛び出した。重い鎧をガチャガチャと鳴らしながら、荒野を全力で疾走し、訓練通りに迎え撃つための陣形を組んでいく。盾と槍を持った重装備の歩兵が最前列に陣取り、盾を合わせて巨大な鉄壁を形作った。その間から槍を構える。最後列には魔法部隊が控え、ドレスラー隊長は最ではないが前の方で陣取っていた。
王の盾に騎馬隊はいない。王を守護する者が高い位置から王を見下ろすなど許しがたい行為、という馬鹿げた理由だった。もし騎馬隊がいたとしても、おそらく馬はこの戦場に出ようとはしないだろうが。マトモな馬ならこの戦場に出ることを拒否するであろうが。
あっという間に、ズートア要塞の目の前に砦が出現した。それは王を守るために考案された、王の盾の鉄壁の陣形。カレルセが誇るもう一つの難攻不落だった。
獣人の第一部隊はそれを見ても全く勢いを緩めなかった。もちろん、要塞から出てきた敵の軍勢が自分達より多いことも、彼らが迎撃陣形を組んで待ち構えていることも、屋上からの攻撃で第二部隊が足止めされていることも、ちゃんと把握していた。それでも、ヒトなどに負けるはずがないと思っているドブルスは、不利な状況など意に介さず猪突猛進する。そして、ドブルスの差別意識ともいえるその矜持を知っている他の獣人たちも追従するしかなかった。
しかし、追従する獣人の中には迷っている者も少なくなかった。万全を期するなら、一度速度を緩めるか後退して第二部隊を待つべきでは、と。しれっと合流し人狼に戻ったヴェルフから、レオン率いる第三部隊が出撃の報を受けたこともあり、さらにそれを助長させていた。
その迷いを消し去ったのは、サムのカタコトの叫びであった。
「カマウナ! スベテヲケチラセーーー!!」
結局のところ、ドブルスが止まらない以上それが最善策だった。迷い捨てた獣人たちは、眼前の敵に全神経を集中させた。
第一部隊の先頭は、ドブルスたちミノタウロス族。横一線に並び、頭部の巨大な角を前に突き出して突進する。それはまさに雄牛の群れ。
王の盾の最前列は、重装備の歩兵。盾を合わせて巨大な壁を形成し、その間から槍を構える。それはまさに鉄壁の砦。
巨大な雄牛の群れはどんどん迫り、そして鉄壁の砦に激突する。……と思われたが、雄牛の角は鉄壁に届く前に止まっていた。鉄壁の前に透明な魔法の盾が張られていたのだ。この魔法こそが、王を護る絶対の盾、複合魔法『王の盾』だった。
「バカなッ!! 我らミノタウロスの突進が、ヒトなんぞに止められるなんて……!」
ドブルスは目を剥いた。だが、『王の盾』もミノタウロスを止めるので精一杯だった。ドブルスの角の先にパキ……パキ…と小さなヒビが生じていたのだ。
「なんだと!? 『王の盾』が……」
今度はドレスラーの驚く番だった。ヒビは瞬く間に盾全体へと広がり、パリーン! と、ガラスのように粉々に砕け去った。彼らの、王への信仰が揺らいでいるのだ、この結果は当然のように思われた。
ドレスラーは自失に陥ったが、最前列の王の盾に迷いはなかった。ミノタウロスたちの動きが止まった一瞬に、一斉に槍を突き出していた。次々と槍がミノタウロスに突き刺さる。しかし、ミノタウロスたちは誰一人倒れなかった。勢いが殺されていたこともあり、ヒトの槍は、巨大なミノタウロスたちの分厚い筋肉の鎧を貫けなかったのだ。
次の瞬間、止まったミノタウロスたちを乗り越えて、獣人たちが王の盾に襲いかかる。王の盾は槍と剣で迎え撃った。
苛烈な白兵戦がはじまった。
獣人たちは力任せに武器を振り下ろし、堅牢な盾ごと、重厚な鎧ごとヒトの骨を砕き、鉄壁内に入り込むとする。倍はあろうかという身長差に、王の盾は数の力で対抗した。入り込んだ獣人を集中攻撃で撃退し、すぐさま鉄壁を作り直す。
一秒ごとに両者の血がぶちまけられ、茶色一色だった荒野が赤色に染まっていく。互いにどれだけいがみ合おうが、血の色は同じ赤だった。
必死の攻防は、王の盾の方が優勢に見えた。身体能力に絶対的自信がある獣人たちは、思い思いに王の盾に襲いかかったのだが、それがまずかった。王の盾の兵士は、その一人一人がこれまで戦ってきたヒトより格段に強く、さらに複数人で高い精度の連携でもって、獣人を各個撃破していったのだった。
王の盾は王を守護するというその性質上、近接戦闘に長けた部隊だった。王や王城に被害を出さずに守るために、派手な攻撃魔法やカレルセの代名詞である召喚魔法ではなく、地味な肉体強化魔法や盾魔法、それに集団戦術を究めた部隊だったのだ。しかし、それだけではヒトと獣人の間に横たわる大きな身体能力差を埋めることはできない。王の盾の強さの秘密は、最後列に構える魔法部隊による血統魔法にあった。
血統魔法。それは、数百年続いたカレルセの貴族主義が生んだ唾棄すべき魔法である。貴き血を有する者の身体能力を大幅に強化させ、逆に賤しき血の者の身体能力を弱体化させる魔法で、当人の能力や才能ではなく、親の血だけで全てを判断する究極の差別魔法だった。むろん、人間の血液に貴賤など存在するはずもなく、カレルセ国内の基準である。
さらに浅ましいことに同じカレルセ貴族でも貴賤の差があり、受けられる強化に差があった。そのため、たゆまぬ努力で王の盾になった下級貴族よりも、金の力で王の盾になった『外』の連中の方が強化を受けられることも少なくなかった。
数の力とこの魔法のおかげで、鉄壁の陣形は獣人たちに対しても鉄壁だった。しかしドレスラーは焦っていた。このままでは敵を撃滅する前に敵の第二部隊が殺到する。そうなれば数の優位は失われ、我々に勝ち目はなくなる。敵もそのことに気付いているのか、先ほどから攻撃の勢いが衰えていた。
悩んだ末に、ドレスラー隊長は賭けに出ることに決めた。獣人の死体を器に精霊を召喚する。だが、王の盾は召喚魔法が得意ではない。しかも戦闘の最中となると、一体召喚するのが精一杯だった。たった一体でこの戦況を変えられる強力な器……。
「全軍、トロールを狙え! 人間の戦場にバケモノは目障りだ!!」
ドレスラーは叫んだ。精霊の器としては完璧と名高いトロール。しかも知能の低いトロールなら、怒らせるだけで簡単にワナに飛び込んでくれるはず。
「バケモノ、ダト!?」
トロールが、緑色の顔を黄色く(ヒト的に言うと赤く)して唸った。
かかった! ドレスラーは心の中でガッツポーズをした。しかし、悟られまいと冷たく吐き捨てる。
「醜いバケモノのくせに人間の言葉を喋るな!」
隊長らしからぬ直接的な暴言に、一番驚いたのは彼を慕う部下たちだった。しかし、部下たちはすぐに隊長の意図に気付いた。鉄壁の一部に穴を開けて、トロールと隊長の間に意図的に直線を作り出した。数人の兵士が隊長の前に立とうとしたが、ドレスラーは一喝する。
「どけ! 騎士の一騎打ちを邪魔するな!!」
一騎打ち、その言葉がトロールの怒りを爆発させたように見えた。
「ヒトゴトキガ、オレニカテルトオモッテルノカッ!!」
激怒したトロールは、作られた直線を怒れる闘牛のように突進する。ドレスラーは腰を落とし、剣と盾を構えて迎え撃つ。トロールは突進しながら巨大なこん棒を振り上げると、ドレスラーに向かって振り下ろした。
ドンッ!! と、強烈な衝撃が戦場を揺るがせた。砂煙が舞い上がり、二人の姿を覆い隠す。
「くぅぅ。老骨にトロールの攻撃は堪えるわい」
煙の中から老兵の声がした。振り下ろされた巨大なこん棒を、ドレスラーは真っ正面から受け止めていたのだ。
「ナッ!?」
驚いているトロールに、四方八方から兵士たちが飛びかかった。まるで角砂糖に群がる蟻のようにトロールの全身に張り付き、次々と剣を突き立てる。瞬く間に、黒い髭の海賊でも青くなるほどの無数の剣が突き立てられ、トロールは飛び出す代わりに、
「グワァアアア~~~!!」
と、咆哮のような悲鳴を上げた。
「卑怯なマネをすまない。だがわしは軍人、勝つためには多少の卑怯も厭わないのだ」
短い残響を残して動かなくなったトロールを弔うように、ドレスラーは言い訳じみた謝罪を口にした。しかし、驚くべきことに返答があった。すこぶる軽い口調の返答が。
「ええよ、ええよ。お互い様やし」
ドレスラーを含めた王の盾は、驚きのあまり凍りついた。それは、蟻に群がれた角砂糖から聞こえてきたのだ。
「ま、まさか、生きているのか?」
と、ドレスラーが言いかけたとき、不意に張り付いていた兵士たちが吹き飛んでいった。そして中から全く無傷のトロールが現れた。
「悪いけど、ワイはスーパートロール。頭のできも皮膚の硬さも他のトロールとは段違いなんや」
「さっきまでのカタコトは……!」
「あれはアホなフリ」
「フリだと! バカな!?」
バカじゃなくてアホなんやけど、とサムは心の中でボケた。しかし流石に口出す雰囲気ではないので、真面目に理由を答える。
「アホなトロールやってると敵が勝手に油断してくれる。戦闘中に怒りで周り見えんなるようなアホに、誰も本気出そうと思わんやろ? せやから戦闘を楽に運べる。今回だって楽にここまで入り込めた」
サムは、最初からドレスラーの考えに気付いていた。その上で挑発に乗った演技していたのだ。
「力ずくでもここまで来れたやろうけど、流石に無傷ではムリや。自分みたいに、ワイの攻撃受け止める強いのんもおるし」
「ワナにかけるつもりが、逆にわしの方がかけられてたのか」
「そうそう。相手をワナにかけてると信じてるときは、かえって自分がワナにかかってることに気付きにくい。相手がアホなトロールやったら尚更や」
「なるほど、勉強になった。だが、主が囲まれていることには変わりない。お前たち武器を構えろ!」
自らも武器を構えて、ドレスラーは部下たちを叱咤した。凍りついていた兵士たちも、サムに吹き飛ばされた兵士たちも、一斉に動き出し、サムを取り囲んだ。
「まだやんの? 囲んでる言っても、前におる兵士と違ってこの辺におる兵士弱いやろ? それに上の攻撃も止まってるし、もうすぐこっちの援軍来んで?」
サムは屋上を指差して、呆れたように聞いた。
ドレスラーは敵と向き合っているというのに、思わず振り返った。そして目に飛び込んできた光景に愕然とする。
「なぜだ、なぜ門が開いている!?」
ズートア要塞の門は完全に開いていたのだ。
「え、そっち? 門やったら、自分ら出てきてからずっと開きっぱなしやったけど……」
事情を知らないサムはあっさりと答えた。正面の獣人に集中していた王の盾は、誰一人として、背後の門が動いていないことに気付いていなかった。
「なん、だと!?」
もうこれ以上は……。ドレスラー隊長は叫んだ。
「撤退だーーー!! 全軍、退けーーー!!」
突然の撤退命令に、驚いたのは獣人の方だった。その隙に王の盾は逃げ出した。鉄壁を維持したまま後退する。本能的に追いかけよとした獣人たちもいたが、サムが止めた。
「逃げ出す敵なんてほっといてええ! それより負傷者の手当てが先や!!」




