60 ズートア要塞攻略戦──仕掛けられたワナ
一体のゴーレムもいないだだっ広い荒野を、我が物顔で猛然と突き進む獣人の大群。その地鳴りのような足音が一瞬ごとに大きくなっていく。色を失った兵士たちを絶望の谷底へと突き落とすには十分すぎる光景だった。さらに追い打ちをかけるように、森から第二部隊が飛び出した。
マイヤーは、痛いほど手を握りしめてその光景を見つめていた。信じられないといったように秀麗な顔を歪ませ、白い歯はギリリと不協和音を立てる。要塞司令官と副司令官が不在の今、マイヤーが要塞の責任者だった。
「ど、どう動く、マイヤー?」
高級士官が絞り出すように聞いた。この男はサルムーン。マイヤーと同じく領地を持たない下級貴族の出身で、マイヤーとは軍に入る前から旧知の仲だった。
僚友の言葉に、マイヤーは素早く屋上を見渡した。兵士たちは持ち場には着いているが、どの顔も蒼白で、戦意が残っているようには見えなかった。
「だが、ここにはまだ王の盾が……」
カレルセ軍最強と称されるエリート集団、王の盾。王を守るためだけに選りすぐられた最強の兵士たち。その全軍が王の元を離れ、今はここズートア要塞に援軍として駐留していたのだ。
マイヤーはもう一度、荒野に目をやった。屋上からだと荒野全域が見渡せ、獣人連合の陣形が手に取るようにわかった。獣人が慎重策をとったことから、その狙いと弱点まで一目瞭然に思われた。
その上でマイヤーは決断できなかった。慎重策がゆえに、こちらがとれる策も無数にあったのだ。しかし何時までも悩んでいる訳にはいかない。こうしている間にも、刻一刻と足音が迫力を増している。
マイヤーは考えを全て捨て、原点に立ち返った。彼らが戦う理由。
「我らがお護りすべきは──」
その言葉に、僚友も力強く頷く。
「そうだ。この命失おうと、今度こそお護りしなければ」
マイヤーは決断を下した。顔を上げて命令を叫ぼうとしたその瞬間、バン! と屋上の扉が開かれて、王の盾が雪崩れ込んできた。
「何をやっている! 何故ゴーレムを召喚しない!?」
王の盾隊長のドレスラーが怒鳴った。その横で『外』──金の力で王の盾の端っこにぶら下がっている連中──が、荒野を見て呆然と立ち尽くしていた。マイヤーは口から出しかけた命令を飲み込んで、ドレスラーのもとへと駆け寄る。
「それが……どうやら迎撃用ゴーレムの召喚魔法が作動していないようで……」
王の盾副官のカルは、目を剥いて叫んだ。
「バカな! その魔法がゆえにこの要塞は難攻不落なのだぞ!? 卿らがいて、何故そんなこと──」
「原因究明は後だ!」
副官の糾弾を遮るようにドレスラーが叫んだ。そしてマイヤーに命令する。
「先に魔法を作動させろ! 今ならまだ間に合うはずだ!!」
しかしマイヤーは動こうとしなかった。カルが不審そうに問う。
「何をしている、マイヤー?」
「私の権限では出来かねます。作動には司令官か副司令官が必要です」
マイヤーは悪びれる様子もなく言った。その言い方が、カルの癪に障った。たしかにマイヤーのせいではないのだろうが、この緊迫した状況でなんて言い草だ!
「だったら呼びに行けばいいだろッ!!」
カルも、状況を忘れて喧嘩腰になっていた。マイヤーは、チラリとカルに冷たい視線を投げ掛け、それからドレスラーを向かって言う。悪びれずに。
「お二人とも王の勅命で極秘作戦を行っていまして、連絡が取れないのです」
それは正確な情報ではなかった。司令官のエヴァンスは極秘作戦中だが、副司令官のディクソンはこの作戦に異議を唱えたため休暇を与えられたのだった。
「なッ!?」
「王の……極秘作戦……!」
その瞬間、ドレスラーとカルは、自分たちが置かれている真の状況を理解した。若い副官は両目を見開いて、わなわなと震え出した。
「我々がここに派遣されたのは、ゴーレムの代わりをさせるため……? しかも作戦を一切知らされずに! あまつさえ敵にはそれが漏れている、だとぉ!? 我々王の盾を何だと思っているのだ! バカにするにもほどがあるッ!!」
カルは激昂していた。しかし、ドレスラーは何も言わない。ただ、年老いた瞳には深い失望の色が浮かんでいた。
「隊長! こんな馬鹿げた戦いに命を賭ける価値などありません。今すぐここから退却すべきです!」
副官の大それた進言にも、老齢の隊長は表情を変えず、ゆっくりと首を振った。
「まだダメだ」
「何故です!?」
若い副官は、理解できないとばかりに食ってかかった。
「我々は、王の盾である前にカレルセの軍人だ。軍人の本分は民を護ることにこそある。今更ながらそれを知った。いや、本当はもっと前から知っておった。だが、認めることができなかった。愚かなわしは、因習にとらわれていたのだ。だからこそ、何もせずにそれを放棄することはできん! 誰が何処で何を考えていようと、わしは最善を尽くすだけだ!」
言い終わったとき、ドレスラーの瞳からは老いも失望の色も消え去り、年齢を超越するような剛毅と鋭気が取って代わっていた。ドレスラー隊長は前に出ると、あえて権高に叫んだ。
「聞けぇ! 今からここは我ら王の盾が指揮する!! 文句のある者はおるかッ!?」
ドレスラーの声には、長年王の盾隊長を務めてきた者の貫禄と威厳があった。聞く者を惹き付ける力が。絶望に身を委ねていた兵士たちがよろよろと声の方に目を向ける。だが、いまだに顔は青ざめ、一言も発さない。マイヤーも何も言わなかった。不服そうな表情で、指揮権が奪われるのを見ていた。
ドレスラーは屋上を見渡して、反論がないことを確認すると、さらに続けた。
「理解していると思うが、ズートア要塞を落とされれば我らに命はない!! もし生き延びたとて、アデル王に殺されるだけだ!! 死にたくなければ死ぬ気で戦えッ!!」
ドレスラーの力強い声と、死にたくない、その単純で原始的な本能が、兵士たちに覇気を取り戻させた。その兵士たちの間から雄叫びが上がる。初めはまばらだったそれが、徐々に数を増してゆき、あっという間に獣人にも負けない迫力へと成長した。
その様子に満足そうに頷くと、ドレスラーは副官に命令する。
「カル! ここはお前に任せる。わしは下で迎え撃つ!!」
その命令にいち早く反応したのは、生けるカカシと化していた『外』の連中だった。
「ちょ、ちょっと待てよ! 下って、要塞の外に出るって言ってんのか!?」
「ああ」
「じ、自殺行為だ!! お、俺は嫌だぞ、そんなの死ぬに決まってる!!」
「フン、外が貴様ら本来の持ち場だろ。それに、もしここを落とされたら、貴様らはどの面下げてアデル王に見えるつもりだ」
「そ、それは……」
「曲がりなりにも貴様らは王の盾の一員だ。それが逃げ帰ったと知れば、王の怒りは如何程だ? おそらく、貴様らは生きて帰ったことを後悔することになるだろうな」
『外』たちは、今やカカシよりも屍に近い顔色になっていた。ドレスラーの恐ろしい予言を容易に想像ですることができたから。なにしろこれまでは、彼らが王の怒りを買った愚か者を拷問する立場にあったのだ。
脅しとも取れるドレスラーの恐ろしい予言が、『外』の連中の尻に火をつけた。
「く、クソ! やってやる、どうせ死ぬならより多くを道連れにしてやる!!」
人の道と云うものがあるとすれば、彼らは潔いまでにその外を突き進んでいた。ひとかけらの同情も彼らにはもったいないことを再確認すると、ドレスラー隊長は死地へと向かって歩き出した。
「隊長、後武運を!」
副官のカルが恭しく敬礼をして、敬愛する隊長を見送る。
「お待ちください! どうか、我らもお連れください」
ドレスラーが屋上の扉をくぐろうとしたとき、これまで黙っていたマイヤーが口を開いた。しかし。
「いらん! 王の盾の戦闘に部外者は邪魔だ。連携が取れず、かえって足手まといになる。お前たちはここでカルの指揮に従ってくれ」
即答だった。だが、マイヤーは退かない。
「それは重々承知しています。ですが、要塞の魔力を使えない今、門を開けるためには要塞に詳しい人物が必要になるかと」
「……いいだろう」
今度は即答ではなかった。ドレスラーは少し考え、渋々といった様子で了承した。
「だが、一人だけだ。サルムーン、来い!」
「ですがそれでは──」
叫ぶマイヤーを無視して、ドレスラーは颯爽と扉をくぐり、下へと降りていった。王の盾の面々がそれに続く。突然の指名に当惑しているサルムーンに、マイヤーはそっと耳打ちした。
「戦う必要はない。門を開けてくれるだけでいい」
サルムーンはハッと瞳を輝かせると、無言で頷いて王の盾の後を追った。
隊長が居なくなると、カルは早速仕事に取りかかった。屋上中央へと移動しながら叫ぶ。
「いいか!! 我らは敵第二陣を攻撃する! 召喚士隊は召喚範囲ギリギリに、可能な限り多くのゴーレムを召喚しろ。弓隊は召喚士隊に協力しろ。召喚魔法が使えない者は魔力を渡せ。強さや質は二の次だ、とにかく数を用意しろ! 魔法隊は魔法の準備。敵の動きが鈍ったところに総攻撃を仕掛ける。魔力が尽きるまで打ち続けろ!!」
マルコ率いる第二部隊は、先を征く第一部隊に追いつけと、猛スピードで無人の荒野を駆け抜けていた。だがしかし、第二部隊が召喚範囲に侵入しようとしたそのとき、突然地面が光り輝き、数十ものゴーレムの大群が現れた。本来の、要塞の魔力を使ったゴーレム召喚とは数も質も比べ物にならないが、それでも一瞬、『ワナ』の二文字が第二部隊全員の頭をよぎり、速度を緩めてしまった。
その瞬間、要塞屋上から第二部隊に向かって攻撃魔法の雨が降り注いだ。目前のゴーレムたちに気を取られていた第二部隊は、わずかに反応が遅れた。普段の戦いならば、それでも獣人の反射神経で魔法を回避できたであろう。しかし『死』への恐怖が、『生』への渇望が、兵士たちの魔法の速度と威力を何倍にも引き上げていた。至るところで爆発が生じ、第二部隊の獣人たちが空を舞う。
「なんだこの威力は!?」
「やはりワナだったのかッ!!」
「撤退か? だが、第一部隊はどうする?」
魔法の直撃を免れた第二部隊の獣人たちも混乱は免れなかった。ゴーレムを無視して第一部隊を追うのか、ゴーレムを破壊して第一部隊を追うのか、それとも撤退するのか、それぞれの迷いが隊列を乱し、そこに更なる魔法が降り注ぐ。
「しまった……!」
マルコは目を見張って、うめいた。しかし瞬時に冷静さを取り戻し、正確な状況判断を下す。
「狼狽えるな! これはワナではない、ただの苦し紛れの抵抗だ!! いくら魔法の威力があろうとも、屋上から飛んでくるのだ。慌てなければ回避するのは容易い!! 魔法を警戒しつつ、まずは目障りなゴーレムを破壊する!!」
マルコの冷静な声は、第二部隊に秩序を取り戻した。そうだ、どこから攻撃が来るのかわかっているのだ、避けるのは容易い。それにゴーレムたちも落ち着けばどうということはない。
「オオッーーーーーッ!!」
その頃、シアとヴェルフは敵の攻撃を全く受けずに、要塞の門に到達しようとしていた。第一、第二部隊の派手な登場のおかげで、たかが一匹の狼の存在は忘れ去られたらしい。
門までもう少しという所だった。不意にヴェルフの耳がピクリと動いたのに、シアは気が付いた。どうかした? と聞こうとしたそのとき──。
ゴゴゴ……、と、大地を割るような轟音が響いた。それはとてつもなく大きい「ナニカ」が動くような音だった。
「要塞の門が、動いてる……」
シアは、我が目を疑った。あの無駄に大きい門がゆっくりと開きはじめていたのだ。ヴェルフの鼻は、さらにその奥に潜む大軍の存在まで嗅ぎ取った。
「ヤベェ……!」
ヴェルフの唸り声は、轟音にかき消されてシアには届かなかった。だが、ヴェルフの焦りは、速度が一気に上がったことでシアにも届いた。
無駄に大きな門は、開けるのにも無駄に時間がかかった。おかげで向こう側の景色が見える前に、ヴェルフたちは門にたどり着くことができた。
「行ってきます!」
色々なドキドキでシアの心臓は今にも飛び出しそうだった。それでもシアは、笑顔で要塞の門に触れた。
背中が軽くなったことを確認すると、ヴェルフは即座にターンして逃げ出した。要塞の中からどのような大軍が出てきたとしても、別に勝てないわけではないが一人で危険を冒す必要はない。それは事実というより、ただの負けず嫌いだった。




