5 新たなる目標
「おっ、シア! 今日はやけに早いんだな」
翌日の早朝、ドミニクが闘技場に入ったとき、そこではシアがランニングをしていた。シアはその声でドミニクに気付き、駆け寄った。
「ハァハァ、おはよう、ございます」
どれだけ走っていたのか、シアは息を切らし、汗だくだった。ドミニクはさりげなく回復魔法をかけた。
「やる気があるのは良いことだが、どうかしたのか?」
そうドミニクに聞かれて、シアは頭を掻いた。
「え~と……」
実は、夜明け前に目を覚ましたシアは、ふと闘技場の灯りを消していないことを思い出したのだ。もし点いたままだとしても、たかだか数時間のことだ。そんなに気にすることはない。とは思いつつも、一度気になると眠れない、損な性格のシアだった。
結局シアは、薄暗い中ベッドから抜け出し、闘技場に向かったのだが、灯りは消えていた。とんだ無駄骨だったが、すでに眠気もどこかに消えていた。以前なら藍たちを起こす時間までVRゲームで遊ぶこともできたが、今はそれもできない。シアは、大きくため息をついてから、今度こそ走ってドミニクさんを待つか、と、闘技場に入った。その瞬間、パッと灯りが点いた。何てことはない、闘技場の灯りは自動点灯式だったのである。
「ちょっと早く目が覚めたので……」
シアは笑って誤魔化した。そして、さらなる追求を避けるために畳み掛けた。
「そんなことより、ウォーミングアップは済んでいるので、早速トレーニングお願いします」
「ちょうどいい。今日はトレーニングの前に、目標について話そうと思っていたんだ」
「目標?」
シアが首を捻ると、ドミニクは怪訝な顔をした。
「ああ、そうだ。昨日、シアが言い出したんだろ?」
シアは、昨日と言われ思い出した。思わず目を伏せる。
「そう、でしたね」
昨日のシアと違い、今日のシアは目標を必要としていなかった。すでに、目標ができたからである。昨晩再会した『真夜中の君』──名前も知らない彼女を、シアは日記にはそう表記しようと思っていた。もちろん、面と向かって呼ぶ勇気はない──から名前を教えてもらうことだ。シアにとっては、ただの名前でしかないのに、知ったところでその先が変わるわけでもないのに、それでも無性に知りたかった。
シアは、それが小さな目標ではないことをわかっていた。しかし、それのためなら不思議とやる気になれた。
「それで、どんな目標なんですか?」
しかし、シアはそれを誰にも言う気はなかった。四天王なら真夜中の君の名前を知っているだろうが、それでは意味がない。
シアは、真夜中の君に認められて、彼女から名前を教えてもらいたかったのだ。
「騎士学校でも取り入れている試験をやってもらう。初級、中級、上級の三段階あるんだが……、口で説明するよりも見せた方がわかりやすい。早速挑戦してみるか?」
「お願いします」
「よし。少し待て、準備する」
ドミニクは数歩後ろに下がり、本と右手を出した。
「アクア」
ドミニクの右手から水が溢れ出した。その水は物理法則を無視して、空中を漂っていた。
「……からの、『ウンディーネ』!」
ドミニクの声に反応して、水が輝いた。そして、輝いた水は一ヶ所に集まり、グニョグニョと形を変え、徐々に人型を形成していく。
「ウンディーネ!? 四大精霊……」
シアは色々な意味でドキドキしながら、その様子を見つめていた。
四大精霊とは、土、水、火、風の四大元素を司る精霊で、土のノーム、水のウンディーネ、火のサラマンダーに、風のシルフのことである。
魔法のないシアの世界に精霊は存在しなかったが、ゲームなどのフィクションでは頻繁に登場していた。そして、どの作品においても、ウンディーネは麗しの美女として描かれることが多かった。
シアは、この世界に来てすぐシルフに会っている。アデル王が喚び出したシルフの力で、空を自由に飛んだのだ。だがあのときは、シルフの属性が目には見えない風のせいなのか、シルフの姿を見ることはできなかった。しかし、ウンディーネの属性は目に見える水。しかも、今まさにその水が目の前で人のカタチになっていた。
突然、水は一段と強い閃光を放った。そして、目が眩む光の中から、何かが叫びながら飛び出した。
「ドミニクーーーー!!」
光の中から飛び出したそれは、一目散にドミニクの胸に飛び込んだ。
「会いたかったわ。どうして、もっと喚んでくれないの!」
「オイ、いきなり飛び付くな」
ドミニクは、首根っこを掴んでそれを引き剥がした。
「え?」
シアは、初めて見るウンディーネの姿に目を疑った。噂に違わず女性ではあった。それにチラリと見えた横顔から美形なことがうかがえる。しかし、
「ちっさ!?」
水でできたその青い身体は、ドミニクの腰くらいの大きさしかなかった。一瞬、ドミニクが大きすぎるせいか、とも思ったが、その姿はどう見ても子供、それも未就学児にしか見えない。
「あら、ホントね」
引き剥がれたウンディーネは、あどけない表情でドミニクを見上げた。
「魔力の節約だ。今日喚んだのは戦闘のためではなく、試験のためだからな」
「え~~、戦いじゃないのぉ? それに試験たってこの子、魔力の欠片もないじゃない」
ウンディーネはつんと口を尖らせた。明らかに不服そうだった。
「まぁ、そう言うな。次の戦いでは全力を出せる『器』を用意するから。それに、『この子』は前に話した救世主だ」
ドミニクは、だだをこねる子供をあやすように言った。その二人の様子に、シアは弟妹のことを思い出していた。
「この子が例の? へぇ~、こんな子がねぇ~」
ウンディーネは少し驚いた様子で言うと、品定めするかのようにシアの周りを一周した。
「私の好みではないけど、ギリギリ合格点ってところかしら。それでアナタ、魔力もないのに試験、受けたいの?」
ウンディーネは下から傲然と言った。シアの心に立ち上った懐郷の念は、少しも子供っぽくない幼女の立ち居振舞いで消え去った。
「よ、よろしくお願いします」
シアは、妹より小さい女の子に頭を下げた。ウンディーネは振り返って、ドミニクの方へ歩き出した。
「まぁ、いいわ、ドミニクの頼みだし。じゃあ喚ぶから、器を創って」
「ありがとう。よし、シアもこっちに来い」
ドミニクはシアに手招きしてから、地面に片膝をついた。ウンディーネは、小さくなったドミニクの耳元で呟く。
「それと、約束、破ったら許さないから」
「ああ、分かってる。俺はウソはつかん」
シアがこっちに来たのを確認してから、ドミニクは地面に手を付き、魔力を流した。すると、闘技場一面の地面が光り輝き、そこここで土がせり上がりはじめた。やがて、シアと同じくらいの大きさの、下手くそな土人形たちが生まれた。
「五十体だ。頼んだぞ、ウンディーネ」
「はいはい」
ウンディーネは生返事をすると、土人形たちに水をかけはじめた。ただでさえ下手くそな土人形たちの表面がドロドロに溶け、垂れ下がる。それらが乱立する光景はおぞましいものがあった。
「うわぁ~~~」
シアの身体中に鳥肌が立った。そのとき、泥人形たちの目と口がガバッと開かれ、一斉に叫んだ。
「アァアアアア~~~!!」
一瞬の間を置いて、シアも叫んだ。
「ギャアアアア~~~!!」
「アハハハハ!! ドミニク、この子面白いわね!」
ウンディーネはその光景を見て、大笑いしていた。
「だ、だって、泥人形が、動、動いて」
シアは、泥人形たちを指差し、ドミニクたちに訴えた。シアの指先は恐怖でブレにブレて、どこを指しているかわからない。が、どこを指しても泥人形だった。
「当たり前じゃない。そのために私の眷属をゴーレムに入れたんだもの」
ウンディーネは、涙を拭きながら答えた。
「え? だって、あなたの属性は水なんじゃ?」
精霊は器が必要な場合、水の精霊なら水の器に、土の精霊なら土の器、というように、それぞれの属性の器にしか入れない。シアはそう思っていた。現にウンディーネは水を器にしている。
「そうね、私は水よ。私たち精霊に器が必要な理由は、こっちの魔力が薄いからよ。だから極論、魔力さえ十分にあればなんでも器になるのよ。まぁ私は、火は嫌いだし、風は大っ嫌いだから死んでも器にはしないけど。でもね、土だけは好きだからいいの」
「なんで、土だけ?」
シアは眉をひそめた。
「だって、ノームちゃんは性格が良いから」
あっさりと答えるウンディーネに、シアは絶句した。
「えっ、そんな理由……」
「そうよ。私たち精霊は、他の生き物より自然に近いってだけで、人間と同じく生きているもの。好き嫌いが全てなのよ」
ウンディーネはすっぱりと言い切った。
(いや、人は好き嫌いが全てではないと思うけど……)
シアは心の中で反論した。その横でドミニクは一人納得していた。
「へぇ~、そうだったのか」
「あら? 言ってなかったかしら?」
ウンディーネは驚いてドミニクを見上げた。
「ああ、初耳だ。器を土にしたのは試験のためだ。泥なら衣服の汚れで、攻撃を受けたかどうかがわかりやすい」
「えっ? あいつら攻撃してくるんですか?」
今度は、シアが驚いてドミニクを見た。その横で、ウンディーネがドミニクの身体をよじよじと登っていた。
「ああ、試験の説明がまだだったな。初級は五十体のゴーレムを素早く倒す。中級は五十体のゴーレムを無傷で倒す。上級は百体のゴーレムを素早く無傷で倒す。それぞれに目標時間があって、上級をクリアすれば卒業だ。シアの場合は、ゴーレムの攻撃にダメージがないようにするから、無傷ではなく汚れずに、だな」
身体を登られているにもかかわらず、ドミニクは平然としていた。
「……それなら、はい、よかったです」
シアの方が、気になって話に集中できなかった。
「じゃあ早速、初級に挑戦だ。初級だけは攻撃してこないから、安心して戦え」
「私たちが見ていてあげるわ。器を壊しても精霊たちは傷付かないから、思う存分斬りなさい!」
ウンディーネは、ドミニクの両肩にまたがり、ゴーレムたちをビシッと指差した。
「はい」
シアは気を取り直して、ゴーレムたちと向き合った。攻撃してこないとはいえ、五十体の不完全な泥人形がうごめく光景に足がすくむ。
シアは、大きく深呼吸をしてから救済の剣を抜いた。目を瞑り、昨日、真夜中の君から教わったアドバイスを思い出す。
「平常心、平常心……」
と呟きながら、シアは敵をまっすぐにみつめた。心はすごく穏やかだった。
(今なら……いける!!)
シアはなぜだかそう確信した。そして、その場で救済の剣を大きく横に一閃した。するとシアの思惑通り、巨大な斬撃がゴーレムたちに向かって飛んでいった。
「やった! できた!!」
シアは喜んだ。しかしそれも束の間、斬撃は先頭の一体を斬り倒しただけで、霧散した。
「……なんで?」
シアは剣を振り切ったまま、停止していた。相手は所詮泥だし、全部とはいわないが半分くらいは倒せるだろう、と思っていたのだ。呆然と立ちすくむシアに、ドミニクが背後から声をかける。
「まさか、もうそれを使いこなすとはな」
シアは、身体を停止させたまま、顔だけでドミニクを顧みた。ドミニクは、話しながら歩いてくる。
「先に言っておくべきだったが、その剣技は魔法じゃない。魔力をただ飛ばしているだけだ。だから、目に見えるほどの魔力を飛ばしても、あの程度の威力にしかならない。使い方を考えないと、魔力の無駄遣いだ。それに──」
ドミニクは少し上を向いて、頭にしがみついているウンディーネに合図を送った。するとウンディーネは、シアに向かって水滴を飛ばした。一滴がシアの右腕に当たった。たったそれだけで、シアの右腕に電流のような痛みが走った。
「痛ッ!」
「それに腕への負荷も大きいみたいだな。剣に関しては俺よりマイの方が詳しいから、質問があるなら彼女に聞いてみるといい」
ドミニクはシアに回復魔法をかけると、背中をバンっと叩いた。
「一体減ったが、最初だからそのまま続けろ」
背中の痛みに耐えながら、シアは救済の剣を構えた。初めて使えるようになった技が、使えない技だと教えられても、不思議とガッカリしていなかった。この程度の失望にはもう慣れっこになっていたのだ。
シアは異様な集団に相対し、もう一度深呼吸して心を静めた。すると、頭の中にイメージが流れ込んできた。自分がゴーレムに向かって走っていた。
(これは……、救済の剣から? そうか、この通りに走ればいいんだな)
「行きます!」
シアはそう叫ぶと、イメージ通りに走り出した。標的のゴーレムに近づくと、イメージが変化した。すれ違い様に剣を振るい、ゴーレムを真っ二つにしている。
シアは、そのイメージと同じように救済の剣を振るった。一撃必殺、ズパッとゴーレムが真っ二つになった。
「やっぱり、そうだ!!」
シアは、イメージを追うように動き続けた。
「これで、終わりだ!!」
シアは、残った二体のゴーレムのうち、一体を袈裟斬りにし、勢いそのままに残りを逆袈裟に斬り上げた。
二体のゴーレムが同時に崩れていく中、バッ! と救済の剣に付いた泥を払うと、チン! と華麗に救済の剣を鞘に納めた。シアは、最後まで救済の剣からのイメージ通りに動いたのだった。
「ハァハァ……痛く、ない……ククク、やった、やったぞ!」
シアは肩で息をしながら、拳を握りしめた。そこには、昨日掴み損ねた手応えが確かにあった。ものの数分で四十九体のゴーレムを斬り終えたのだ。
「まあまあだな」
ドミニクは、愉悦に浸っているシアに向かって、一言そう言った。シアは、耳を疑った。
「なんで? どこも痛くないよ!」
声を荒らげて反論する。
「そうだな。息は乱れているし、何より遅すぎる。初級の目標は、息を乱さずに半分の時間で、ってとこかな」
ドミニクは、冷たく言い放った。
「えぇ!? でも、剣の指示通り動いてこれなんですよ」
「これは今のシアの限界であって、剣の限界ではないからな」
「…………」
シアの泣き言は、あっさり否定された。
「当面、身体作りのトレーニングがメインだ。試験を受けたいときは、トレーニング後に言ってくれ」
そう言ってドミニクは、いつものトレーニングジムの建設をはじめた。
「じゃ、私帰るわ。この子、面白いし、いつでも喚んでいいわよ。頑張ってね~、シア」
ウンディーネはそう言って、ドミニクの肩からひょいっと飛び降りた。すると、ウンディーネの身体はただの水に戻り、バシャと地面に撒かれた。
シアは、天を仰いだ。元の世界と変わらない爽やかな青空が広がっていた。どこまでも眩しい朝陽が、世界と自分を照らしている。
(……小さな目標も大きな目標も決まった。あとは、それに向かって努力するだけだ!)
「さぁ、はじめるぞ!」
トレーニングジムを創り終えたドミニクが、シアに声をかけた。
「ハイッ!!」
シアは、力一杯返事した。
それからのシアは、目標だけをしっかりと見据え、脇目も振らず真っ直ぐに突き進んだ。日中は四天王の訓練を受け、夜には自主連に取り組んだ。
ドミニクの訓練は相も変わらず、地獄のような筋トレだったが、シアは弱音を吐かず、意欲的に取り組んだ。身体を鍛えれば鍛えるほどに、試験をクリアするタイムはどんどん速くなり、強くなっている実感がわいた。
四天王はどうやら週休二日制のようで、週に二日、ドミニクが来ない日があった。そんな日は代わりにマイが来てくれた。
マイは剣術の師範らしく──格好は紋付き袴に、やはりサンダル──、剣術の訓練をつけてくれた。剣術といっても、身体の動かし方や足さばきなどの基礎がメインだった。それと、かっこいい技名の叫び方やかっこいい納刀の仕方など、戦闘に役立ちそうにないことも教えてくれた。マイは、「酉印の魔法瓶」という瓶に、ドミニクの回復魔法を入れて持ってきてくれた。おかげで、ドミニクの来ない日でも、シアは夜に自主連をすることができた。
訓練の日々は目まぐるしく過ぎていき、あっという間に数ヶ月が経った。
シアは、一日も休むことなく訓練を続けた結果、初級、中級と、ドミニクの試験を着実にクリアしていた。
しかし、シアのもう一つの目標の方は芳しくなかった。真夜中の君は、毎夜闘技場に現れるわけではなかった。シアは、多くないチャンスを無駄にしまいと、彼女が現れると必ず戦いを挑んだ。そして、あっさりと返り討ちにあった。彼女はシンプルに強かったのだ。
シアは、強くなればなるほど、彼女との力の差を思い知らされた。その度に、シアの心は折れそうになった。しかし、シアを返り討ちにしたあとで、彼女は眩しい笑顔と優しいアドバイスをくれた。それに少しの雑談も。
彼女と過ごす時間は短く、彼女と話す時間はもっと短かった。それでも、彼女のことを知れば知るほどに、名前を教えてもらいたい、シアのその思いは増す一方だった。
訓練だけではなく、弟妹への日記も毎日欠かすことなく書き綴った。就寝前に書く日記は、シアにとって、元の世界との唯一の繋がりで、もう一つの心の拠り所になっていた。訓練しかしていない日々では、日記がただの筋トレの記録になることも多く、次第に藍と紫苑に向けた手紙のようになっていた。全てが終われば、元の世界の元の時間に帰るのだから、手紙を書いても意味がないと思いつつ、シアの思いは止まらなかった。
一頁、また一頁と二人への手紙を書き上げるごとに、紫苑の病気を治せる日が、二人ともう一度会える日が、近づいていく気がした。
そしてついに、上級試験に合格する日がやって来た。