57 それぞれの作戦前夜
今宵のズートア要塞はいつもより静かだった。びゅうびゅうと強い風が吹いているが、聞こえるのはその音と風を斬るような鋭い音だけ。
満天の星空に手が届きそうなズートア要塞の屋上では、エヴァンスが一人で刀を振るっていた。まるで目の前に敵がいるかのように。
刀の稽古はエヴァンスの日課なのだが、要塞の屋上でするのは初めてだった。
通常、ズートア要塞の屋上には日中はもちろん、夜間であっても見張りの兵士が立っていた。むしろ、ヒトより夜目が利く獣人たちの夜襲に備えて、夜間の方が日中よりも厳重な警備体制が敷かれている。しかし今日はそうではなかった。久しぶりに帰ってきた要塞司令官じきじきの命令で、全兵士に半日の休暇が与えられたのであった。
この日はそれまでも異例づくしだった。一月も留守にしていた司令官が、『王の盾』を引き連れて帰ってきたと思ったら、いきなり獣人連合国に向けてゴーレムたちを放った。程なくしてゴーレム全滅の報が届くと、突然の休暇命令。理由は、明日は早朝から忙しくなるから、とのことだった。兵士たちは喜ぶ前に訝しんだ。しかし、不審であっても休暇は休暇。しかも半日もの休暇。文句を言う奇特な兵士は一人もいなかった。
とはいえ、いつ敵襲があるかも知れないので、警戒を怠るわけにはいかなかった。そこで、要塞司令官であるエヴァンスが見張りをすることになったのだ。高い給料を貰っているゆえの責任と、実験のために解除している迎撃用ゴーレムの召喚魔法を、再び作動させられるのが要塞司令官と副司令官だけだからである。
エヴァンスは、国境の向こうを気にしながら刀を振り続けた。
と、不意に背後に何者かの気配を感じた。エヴァンスは、即座に眼前の空想を一刀のもとに斬り伏せると、振り向き様に刀を振るった。
ガキンッ!! 金属と金属がぶつかり合い、けたたましい音が鳴り響いた。続いて、声がした。
「危ないではありませんか、エヴァンス様」
言葉とは裏腹に、静かで穏やかな声だった。エヴァンスはいたずらっぽく笑う。
「涼しい顔で受けておいてよく言うぜ。あと、二人きりのときはその堅苦しい喋りを止めろといつも言っているだろ、アンドレイ」
そこにいたのは副司令官のアンドレイ・ディクソンだった。彼がナイフで、エヴァンスの刀を受け止めていたのだ。
ディクソンは物々しい戦闘服ではなく、エヴァンスと同じ軍服姿だった。同じ物を着ているはずなのに、ディクソンが着ていると二、三割高級に見える。それがエヴァンスの小さな悩みだった。
「そう……だったな、ヴァンス」
「そうだ、それでいい」
エヴァンスは笑って言うと、ようやく刀を引いた。ディクソンもナイフを収めて、笑う。
「こんなときまで鍛練を欠かさないとは。変わらないな」
エヴァンスは、刀を突き出した。刀身が星明かりに照され、銀色に輝く。この名刀は、何も持たないエヴァンスにとって唯一の宝だった。
「ああ。一日も早く、お前から貰ったこの名刀に相応しい剣士にならなくちゃいけないからな」
それは約束だった。この名刀をディクソンから譲り受けたときに、エヴァンスが一方的に誓った約束。
「どうだ、久しぶりに手合わせしないか?」
あの日から必死に鍛練を続け、エヴァンスはようやく約束を果たせると、そう確信していた。だが、
「いや、遠慮しておく」
ディクソンはあっさり断った。エヴァンスは内心がっかりした。しかし、半ば想定していた返事だったため、表情には出さなかった。そして思う。
(何時からだろう? アンドレイが手合わせを断るようになったのは……)
アンドレイが孤児院に来た当初は、ことあるごとにケンカ……いや、アレは俺がつっかかっていただけか。とにかくよく殴り合いのケンカをしていた。あの頃は勝負にもならなかった。
それから色々あって、ばあちゃんが俺たち二人に護身術を教えると言い出した。それで毎日二人してばあちゃんにしごかれているうちに、いつの間にかアンドレイと仲良くなった。そうだ、俺が戦いに慣れてきて、勝負になりはじめたあのときからか。
「……知ってるだろ、僕が近接戦闘を得意としてないこと。だからあんな戦闘服で、色んなところに投擲用のナイフを仕込んでいるんだ」
エヴァンスがそんなことを思案していると、ディクソンが苦笑いで言った。言い訳だったのかもしれない。
「だが、俺のいないときに、要塞屋上で人狼と派手な大立回りを演じたと聞いたぞ」
「あれは、人狼に殺意がなかったから。その証拠に、ロクセット城でもここでも死者は一人も出なかった。もし人狼に殺す気があったのなら、僕も無事では済まなかっただろう」
「ああ、本当に腹の立つヤロウだ。敵国に単身で潜入し、誰も殺さずに酒と救世主だけ持っていきやがった」
エヴァンスは苦々しく言ったが、どこか嬉しそうでもあった。流石は俺のライバル、と言っているようだった。
「俺の手で引導を渡したかったが仕方ない」
エヴァンスは悔しそうに左の手のひらに右の拳を打ち付けた。それから、ディクソンを見る。
「で、何の用だ? アンドレイ」
ディクソンの爽やかな顔に、一瞬緊張の色が走った。エヴァンスは眉をひそめた。用があって来たはずなのに、と。
ややあって、ディクソンは遠慮がちに口を開いた。
「……明日の作戦のことなんだが……──」
その言い方で、エヴァンスは全てを察した。アンドレイは明日の作戦を止めにしよう、と言おうとしている。一瞬、冗談かとも思ったが、ディクソンの真剣な顔が本気だと物語っていた。
「何故だッ!? 次の作戦さえ成功すれば俺たちは貴族になれるんだぞ? 俺たちの長年の夢がすぐそこなんだ、ヴィルヘルム領も取り戻せるんだぞ!」
エヴァンスは戸惑った。共に夢見た願いがもうすぐ叶うのに、何故……。
「貴族になることが、ヴァンス、君の夢なのか? 違うだろ、そうじゃなかっただろ。自分みたいな孤児をつくらせない、そんな世界にしたかったんじゃないのか?」
「…………」
「あの兵器は危険だ。破壊力がありすぎる。獣人のキャンプには戦闘員だけではなく民間人も多数いるんだ。そんなところにアレを使ったら、僕たちみたいな孤児が──」
「それが『戦争』だ! 俺たちも命をかけて戦っている!!」
エヴァンスは叫んだ、ディクソンの言葉を遮るように。容易に想像できる、その先を聞きたくなかったのだ。
エヴァンスが感情を爆発させて熱くなるにつれ、ディクソンは感情を殺すように冷たくなっていく。
「本当に、正しいと思っているのか? 使ってはいけない大量殺戮兵器を使い、民間人ごと敵拠点を攻撃する。これが正しいと。『戦争』を言い訳にしていませんか?」
昔から、ディクソンには苦労知らずの子供のような、真っ直ぐな正しさを求めるところがあった。生まれは違っても、育ちは同じ貧乏孤児院だというのに。同じ苦労してきたというのに。
そして昔から、エヴァンスはディクソンの真っ直ぐな正しさと真っ直ぐ見つめる黄色の瞳には勝てなかった。
「…………いや、これはアデル王からの勅命だ。従うしか選択肢はないんだ」
エヴァンスは目を逸らした。子供のころであれば、迷わずに同じ正しさを見ることができたかもしれない。だが、今の彼には立場がある。上からの、ましてや王の勅命など拒否出来るはずがなかった。ゆえに彼は、軍人としての正しさに逃げたのだ。
ディクソンの表情は、今やほとんど無になっていた。名工によって彫られた彫刻のレプリカのように、感情もなければ生気すら感じられない、ただ美しいだけの彫刻。だが、その瞳の奥には悲しみが籠められているように見えた。
「選択肢など、何時だって掃いて捨てるほどあるでしょう。ないと思い込んでいるか、思い込まされているか……。どちらにせよ、不要な思い込みは捨てて、探せばいいのです」
「………………」
「何も命令を拒否せよ、とは言っておりません。今はまだ実験段階なのです、空に向かって射つでも、照準をずらしての威嚇射撃でも、やりようはあるでしょう」
エヴァンスは静かに首を振った。
「……いや、ダメだ。俺は、俺たちはカレルセの軍人だ。命令に逆らうことは許されない。予定通り、第一射で獣人キャンプを破壊し、第二射で獣人の首都を破壊。そして、全軍で総攻撃を仕掛けて、獣人連合国を完全に占拠する。そののち獣人の強靭な肉体を器として精霊の軍団を作り、この兵器と共にマギアを侵略する。これで世界が平和になるのなら、結果的に流れる血の量を少なく出来るのではないか」
エヴァンスの言葉は、半分、自分に言い聞かせていた。迷いを断ち切るために。
「それが成功したとして、金と権力が人間の上に立っているこの国では、平和なんて訪れるわけがありません。拝金主義者たちがまたすぐに姿を現して、民衆から搾取をはじめるでしょう。外敵がいなくなった平和な世界では昔よりも苛烈に」
「それは……」
エヴァンスはうなだれた。貧乏孤児院で生まれ育ったエヴァンスには、ディクソンの言葉が痛いほど理解できたのだ。貧乏孤児院で暮らしていたとき、貴族や金持ちしかいない士官学校で学んでいたとき、いつも特権に驕る者たちの不条理に晒されてきた。それを耐え抜いてきた。だからこそ、自分も同じ位置まで出世し、そんな奴らに脅かされない場所を作ろうと決めたんだ。そうだ、そしてこの作戦さえ成功させればやっと……──。
「だからこそ、俺たちが貴族となって、孤児院に、このヴィルヘルム領にもう一度平和を取り戻すんだ!」
エヴァンスは顔を上げて、力強く言った。そこに迷いはなかった。思い出した夢の原点が、迷いを断ち切ったのだった。
「作戦に納得できないのであれば、お前は参加しなくていい。この一ヶ月要塞を守ったのだ、それくらいは許されるだろう」
「ですが──」
「そう心配するな。あと数時間で夜が明ける。そうなれば夜行性のケモノどもが攻めてくることはない。あとは実験を見守るだけだ、副司令官がいなくても問題はない」
そのとき、ほんの一瞬だが、彫刻のような顔にヒビが入った。悲愴に満ちたヒビが。夢を見ているエヴァンスは、それに気が付かなかった。
「そう、ですか。出過ぎた真似を申し訳ございません。では、私はこれで失礼します。……ここは風が強くて寒いですから、気をつけないと風邪をひきますよ」
ディクソンは穏やかに笑ってそう言うと、何事もなかったように屋上を後にした。だが、確実に何かが変わっていた。エヴァンスは、親友のその黄色い目の奥にいつもと違うものを感じていた。だが、呼び止めることはしなかった。
「作戦が終わったあとで、もう一度ちゃんと話そう。そうすればアイツもわかってくれる。アイツなら」
それが互いに共通する思いだった。だが、二人はもう子供ではない。孤児院の庭で遊んでいたあの頃には戻れない。決して。
「お嬢様、やはり獣人連合はズートア要塞を本気で攻撃するつもりのようです」
ロクセット城の一室で、スパティフィラムがエル姫に報告した。
「やっぱり、そうなのね。言ってた通り、アデルに剣を突きつけて元の世界に帰せって脅すつもりなのね。だけど、異世界の門のカギはお父様が持っているから、アデルをいくら脅したところでシアは帰れない……」
エルは目を閉じて、思案するように呟いた。が、すぐに目を開けた。
「よし、私の作戦を早めるわ。……大丈夫、ちゃんと準備してきたし、うまくいくわ」
スパティフィラムが不安そうに眉をひそめたのを見て、エルは笑って付け加えた。
「何故、あの者一人のためにそこまで危険を侵すのですか?」
「それは……」
いつもなら『姫だから』の一言で済ませるはずのエルだったが、このときはそれが言えなかった。自分でも不思議だが、どうしても言えなかった。
「わかんない。だけどやるの!! とりあえず、私が安心してロクセットを離れれるように、アデルをどうにかしなくっちゃ!」
「……それならば良い方法がございます」
こうなったお嬢様を、止められる者がもういないことを知っているスパティフィラムは、しぶしぶながら良い方法を説明した。
「うん。それは良い考えね♪」
エルは嬉しそうに指をパチンっと鳴らした。
「だったら、急いでズートア要塞に行って証拠を集めないと。うん、これはマイに頼むのが良さそうね。スパティフィラム、悪いけど頼んできてくれる?」
スパティフィラムは退出すると、その足でマイの部屋へと向かった。
部屋の前で立ち止まり、ドアを叩く。
「マイ、いるか?」
ややあって、
「なにぃ~、何の用?」
と、眠たげな返事がして、ドアが開いた。だが、そこには誰もいなかった。
「入るぞ」
スパティフィラムは遠慮なく部屋の中へと入った。部屋の中は暗く、至るところに服が置かれている。肝心のマイは、ベッドに寝っ転がっていた。
「マイ、任務だ。ズートア要塞に行って、ある証拠を持って来てほしい」
「え~~、めんどくさ~い。それに、その任務なら私よりあなたの方が適任じゃないのぉ?」
「……これは姫からの命令だ」
その瞬間、マイはガバリと身体を起こして、
「エルのお願い!? それならやるわ!」
と、あっさり快諾した。それから、あっ! と思い出したように聞く。
「このこと、ダインは知ってるの?」
「もちろん」
「そう」
「早速だが、任務の詳細を説明──」
「あ~、それは明日でいいわ。眠いから」
欠伸混じりに言うと、マイは再びベッドに倒れた。スパティフィラムは軽くため息を漏らす。
「明日……というかもう数時間後には、獣人連合国がズートア要塞に攻め入る。そうなれば、余計手間がかかるぞ」
「ああ、ダイジョブダイジョブ。あそこは難攻不落らしいから」
マイは寝っ転がったまま、手をひらひらと振った。すると、室内だというのにどこからともなく突風が吹いて、スパティフィラムを部屋の外まで押し出した。
「あっ、おい!」
スパティフィラムの抗議の声も虚しく、ばたんとドアが閉まり、かちゃりとカギがかかる。
「おやすみ~♪」
スパティフィラムはドアを叩こうとしたが、思い止まった。マイに遠慮したのではなく、ムダだと知っていたからだ。彼は憮然とした足取りで、自室へと戻っていった。
希望、焦り、不和に不安、様々な人間の様々な想いに知らん顔して、チクタクと時は正確に進み続ける。時だけは、全てのモノに対して平等なのである。




