56 シアの作戦前夜
「いやぁ~、それにしてもヴェルフが復讐否定派やったとはな。知らんかったわ~」
よっこらしょ、と地べたに座りながらサムが言った。傾けていたグラスを止めて、ヴェルフが怪訝な目でサムを見る。
「アァ? 誰がいつ否定した?」
「いや、だって今……!」
サムは驚いたような顔で、ヴェルフを指差した。その手をパシンと弾くと、ヴェルフはグラスを戻した。
「だから、あれは死者のためってのを否定したんだ。だってそうだろ。死者のため、なんて高尚な謳い文句をぶら下げて復讐したところで、お礼もなけりゃあ生き返るわけでもねぇ。ただ憎い相手を殺してそれで終い。残るのは虚しさと……後は新たな復讐者くらいか」
理解できねぇ、とばかりに、ヴェルフは肩をすくめてかぶりを振った。
「それはそうやけど。だからって大切なモノ奪われて、それで敵を許せるんか?」
サムの問いに、ヴェルフはあっけらかんと答える。
「だったら殺せばいい。自分のために。そもそも憎い相手を殺すなんて、完全に自分のためじゃねぇか。それを死者のため、なんてのたまうから虚しいんだ。いっそのこと、スッキリして毎晩ぐっすり眠るために復讐する、って方がまだ健全だと思うぜ、俺は」
ヴェルフは思う。この世は生きている者のためにある、と。だからこそ、生きている者は死んだ者に縛られてはいけない。せっかく生きているのだから、『死』なんかに囚われているのはもったいない、と。
「確かに、それは一理あるわ。ワイが復讐したのも、このままやったら笑って生きられへんような気がしたからやったもんなぁ」
サムは納得したように頷いた。しかし、シアは頷けなかった。だから代わりに俯いた。
復讐には興味はないが、ヴェルフの言葉はシアの胸を締め付けていた。自分の生き方を否定されているような気がして。何度も何度も変わろうと思った。変わりたい、と。だけど無理だった。言い訳に言い訳を重ねて、何も変われずここに座ってる。
(何も、知らないくせに……。みんながみんな、あなたたちみたいに強くはないんだ……)
そう思うが、言えなかった。ヴェルフの方が正しいと分かっているから。だからシアは俯いた。
「……誰もが、アンタたちみたいに強いわけじゃないんだよ」
フィラが静かに言った。シアはパッと顔を上げた。強い側のフィラが、こちら側に理解を示してくれたような、そんな気がして嬉しかった。
「ハッ! 強いもクソも関係ねぇ、これは心の問題だ。心ってのは、自分の中にだけ存在してんだ。身体的な強さならいざ知らず、心の強さに種族や年齢、性別なんて関係ねぇ。誰でも、思い一つでどこまでも強くなれんだろが!」
ヴェルフは真剣な眼差しで、吐き捨てるように言った。あまりにも真っ直ぐで、目を背けたくなる強い言葉に、シアは耐えられなかった。が、フィラはキッとにらみ返した。
「だからこそ……!」
しかしそこでフッと視線を逸らし、うめくように言う。
「……その思い一つで、どこまでも弱くなっちまうんだよ」
ケッ! と、ヴェルフもそっぽを向いた。
特等席に静寂が生まれた。周りの喧騒がより寂しさを引き立てる。
「生きるってのは、自己満足の旅やとワイは思ってる」
イヤな沈黙が広がりきる前に、サムが静かに口を開いた。
「どんなけ順風満帆の正解の道を歩んでるように見えたって、死ぬときに本人が後悔してたら悲しいし、逆にどんなけ艱難辛苦の失敗の道を歩んでても、死ぬときに本人が満足したらそれはそれでええんやん。だから、どっちが正しいとか間違っているとかそんなんは、旅が終わったとき──死んでみて初めて分かることやと、ワイは思うねん。……死んだことないからよう知らんけど」
真面目に耐えられなかったのか、サムは最後に軽く笑って、ちょけを付け足した。
だが、三人の反応は薄かった。サムはわざとらしく咳払いをすると、
「……まぁだから、結局ワイらは、人生って航海を一生かけて後悔の少ないように頑張るしかないんや」
今度は大真面目に言い切った。ヴェルフが強気に笑う。
「後悔? んなもん俺の旅には存在しねぇ。俺は正解の道しか選ばねぇ。むしろ俺が選んで、歩いた道だけが正解だ」
ヴェルフらしい、あまりにも自信満々の答えに、シアは拍手したくなった。
「またえらい大きく出たなぁ~」
サムが笑って言った。もしかしたら呆れていたのかもしれない。言ったのがヴェルフでなければ、サムは酔いどれの戯れ言とバカにしていただろう。けれども、ヴェルフは堂々と胸を張る。
「後悔ってのは、過去の己の選択を悔やむことだ。だがよ、選ばなかった何万、何億もの道は、正解だろうが失敗だろうが存在しねぇんだ。そんなことで後悔するなんざ、意味ねぇどころか無駄だ。だったら誰に何と言われようが、胸張って全部正解でいいんだよ。自分で決めた道ならなおさらな」
ヴェルフはどこまでも前向きだった。傲慢なほどに。
シアは、自分には到底できない考え方だと思った。そして、それはサムも同じようだった。
「なぁ、フィラ。さっきワイとヴェルフをいっしょくたにしてたけど、訂正してくれる? ワイはヴェルフほど強ないわ」
「意気込みの話だ、そう生きたいなっていう意気込みの。もちろん短期的な後悔なら俺にもある。毎朝起きる度に、最後の一杯止めときゃ良かったって後悔してるぜ」
「うん。やっぱりヴェルフとは別で頼むわ」
「別にどっちでもいいんだが、そう言われると何か腹立つな」
「嫌やわぁ、ポジティブの極致に達してるお人が腹立つやなんて~」
「お前、完全にバカにしてるだろ?」
「ハッハッハ! そんなことないよ~」
サムは笑って誤魔化すと、くるりとシアの方を向いた。
「……ところでシア、さっきヴェルフと打ち合うとったその剣。それで、明日の作戦も行くつもりなんか?」
「あっ、はい、そうなんです」
サムに言われて、シアはテーブルに立てかけていた剣を手に取った。
「やっぱりそうなんか……」
サムは眉間にシワを寄せて、いかめしい顔つきで呟いた。シアは慌てる。
「あのっ、すいません。言うの忘れてました」
大事なことなのに、シアはすっかり忘れていた。お世話になったサムとフィラの二人にはちゃんと言わなければ、と思っていたのに。ヴェルフの本気の訓練だったり、人狼のマントを貰ったり、オルソさんたちに会ったり、と色々な出来事が忘れさせたのか。あるいは、何を言われるのかが怖くて、言い出せない気持ちが忘れさせたのか……。どちらにせよ、忘れていたのは本当だった。
「ヴェルフには先に言ってて、サムとフィラにもちゃんと言おうと思ってたんですけど、色々あったからか、それでちょっと忘れちゃって……──」
シアはそこで止まった。ふと、疑問に思ったのだ。もし覚えていたとして、オレはちゃんと言い出せたのだろうか、と。
その自問に答えが出ることはなかった。フィラの声が、シアの思考を遮ってくれたおかげだった。
「ふ~ん、そうなのかい。それで、何が問題なんだい? その剣は爺さんの打った剣なんだろ?」
シアは、説明の代わりに剣を抜いた。その瞬間、フィラの顔色が変わった。
「模造刀……!!」
フィラは、シアの剣に刃が入っていないことを一目で見抜いた。
「これはどういうことなんだい、ヴェルフ!?」
フィラは、テーブルに手のひらを叩きつけて叫んだ。
「どうもこうも、シアは真剣を使うのが、誰かを殺すことが怖いんだとよ」
「何甘えたことを……! 敵はアンタを殺す気でかかってくるんだよ!? ちゃんとそれを分かってるのかい!!」
フィラは目を剥いて叫んだ。今まで見たこともないような激しい怒りだった。だが、それは優しい怒りだった。シアの身を案じているからこその。
「うん、ヴェルフにも言われた」
シアは、逃げられなかった。逃げてはいけないと思った。だから、フィラを真っ直ぐに見つめて、思いをぶつける。後悔しないように。
「だけどオレは……命を奪うのが怖いん、です。うまく言葉には出来ないけど、すごく怖いんです。誰かの命を奪ってしまったら、そう思うだけで身体が震えるんです」
サムは険しい表情のまま、シアに問う。
「ハッキリ言うけど、今のシアが模造刀でエヴァンスに勝つなんて至難の業やで。それこそ、十回やって一回成功するかどうか……、もちろんエヴァンスは普通に殺す気やろうから、失敗した九回のシアは死ぬ。そんくらいの成功率とリスクなんやで?」
「それでも、オレは殺さない方を選びたい……選びます!」
シアは、ハッキリと力強く言い切った。サムはフッと小さく息を洩らす。
「そうか、自分で選んだんやな。せやったら、ワイにできることは少しでも成功率の高い作戦考えることだけや」
「ありがとうございます!!」
「ちょっと! サムまで何言ってんだい!!」
フィラは金切り声を上げた。
「諦め、フィラ。ヴェルフが言うても聞かんかったんやし、ワイらが何言~てもムダや。そんだけシアの思いは強いんや」
「ま、待ってよ……。これはアタシたちの戦いなんだよ!? なんで、なんでシアが、そんなリスクを背負わなきゃいけないのさ?」
いつも冷静なフィラが取り乱していた。
「フィラ、これはシアが決めたことや。ワイらがとやかく言うことやない」
サムが諭すように言った。しかし。
「そんなの……。アタシは、アタシは絶対許さないよ。そんな危ない作戦を、この子にやらせるなんて……!!」
フィラはバッと立ち上がった。怒っているというより焦っている、そんな必死さだった。見かねたヴェルフがガンとグラスをテーブルに置いた。
「フィラ! シアは、お前の弟じゃないんだ!」
その瞬間、フィラは目を見開いて、固まった。激しい思いが渦巻いていた黒い瞳が、魂が抜けたように色褪せ、虚空を見つめる。
「……そう、だったね……。取り乱しちまって悪かったよ……」
フィラはそう言い残すと、とぼとぼと闇夜に消えていった。出会ってまだ一ヶ月だったが、これまでのフィラからは想像できないほど弱々しかった。シアは追いかけようとしたが、ヴェルフが止める。
「止めとけ、シア。今追ってもろくなことにはなんねぇから。それよりお前は、サムに明日の作戦について聞いた方がいいんじゃねぇか?」
「……はい」
そう返事したものの、シアは後ろ髪を引かれているのは明らかだった。チラチラと、フィラの消えていった方を見ている。
「大丈夫、フィラは強い娘や。それに、明日の作戦さえちゃんと成功すれば、そのあとでなんぼでも喋れる。せやから今は作戦に集中し」
サムは優しく言った。
「はい。お願いします」
シアは今度こそフィラへの思いを断ち切って、サムに向かった。
「うん、ええ返事や」
と、サムはいつものように笑う。
「ええか、まず第一に、ディクソンと会ったら迷わず逃げなあかんで。アイツはエヴァンスより遥かに強いからな」




