49 訓練の集大成
お昼前の、柔らかな陽射しが降り注ぐ獣人キャンプの訓練場で、シアとヴェルフが向き合っていた。その周りをサムをはじめ、フィラにクロコに……大勢の獣人たちが取り囲んでいる。彼らは訓練をしに来たのではなく、二人の訓練を見物しに来ていたのだった。毎日休むことなく行われるこの時間の訓練は、深酒のせいで朝起きるのが遅い獣人たちにとって、遅めの朝食を食べながら観るのにちょうどいい見世物と化していたのだ。
「シア! 昨日俺が言った通りにすれば勝てるはずだーー!」
「今日こそヴェルフの野郎に一泡吹かせてやれーー!!」
「あんま弱い者いじめすんなよー、ヴェルフーーー!!」
観客たちからやんややんやと声が上がった。半分はシアの応援で、もう半分はヴェルフへの野次。
シアは、いつの間にか獣人たちから応援されるようになっていたのだ。毎日毎日、ヴェルフにボコボコにされながらも休むことなく頑張っているその姿に、獣人たちがいたく感動したらしい。むろん、獣人全員がシアの味方になっているわけではなく、いまだにヒトを認めずに敵対視している獣人も大勢いる。
シアは、声援に苦笑いで応えた。応援されることは嬉しいのだが、自分の訓練に付き合ってくれているヴェルフが悪役みたいになっているのは申し訳なかった。だが、良いこともあった。ヴェルフにボコボコされたあとで、獣人たちからアドバイスが聞けたのだ。食べながら観ているとはいえ、彼らの多くが歴戦の戦士。種族も戦い方も異なる歴戦の戦士たちの、色々な視点からのアドバイスはすごく勉強になった。実践できるかは別として。
「ウルセー! 外野どもは黙ってろォ!!」
ヴェルフが木刀を振りながら吠えた。その言動がさらに悪役らしさを加速させる。端で見ているフィラとサムがため息をついた。
「シアが気にしてるのを知ってるのに、なんでわざわざあんな言い方するのかねぇ」
「気にしていないからやろうな。ワイはシアが嫌や言うから止めたけど、いちいちこんなこと気にするなんて気にしぃにも程があるって、ちょっと呆れてる」
獣人たちにとって、悪役うんぬんは見世物を面白くするための擬似的なモノで、ヴェルフは一向に気にしていなかった。それはシアも分かっているのだが、それでも何となく気が悪かったのだ。ヴェルフの場合、本当に悪役だと思われても気にしないだろうが。
「いいか、シア」
外野が黙った瞬間に、ヴェルフはシアの方を向いた。何か言い返そうとしていた外野たちは、仕方なく口を閉じる。訓練を邪魔するほど野暮ではなかった。
「今日が最後のチャンスだ。ルールはいつもと同じ、素の状態の俺相手にどうにかして一撃入れてみろ」
素の状態──人狼姿で肉体強化魔法を使っていない─で、さらにエヴァンスの戦い方を真似したヴェルフと戦い、一撃入れることができれば、覚醒したエヴァンスにも勝てるだろう、ということだった。もちろんシアは武器でも魔法でも、使えるモノは何を使っても良かった。それでもシアの装備は、右手に木刀、左手に盾、と、いつもと変わらなかった。
「今日中に一撃を入れられなかったら、エヴァンスに勝てる見込み無しってことで左手を斬り落とす。わかったな?」
ヴェルフは、灰色の瞳を冷たく光らせた。
「わかってます」
そう言ってから、シアは盾を装備した、無くなるかもしれない左手に目を落とした。手のひらにはフィラから貰ったアラクネの糸があった。貰ったときは輝くような真っ白だったこの糸も、一ヶ月間使い続けたせいでまっ茶色に汚れている。それでも切れる気配を感じさせないのはアラクネの糸の為せる業なのか。左手をぎゅっと握りしめると、シアは木刀を構えた。
「よろしくお願いします!」
「おお、いつでもいいぞ」
ヴェルフは構えもせず、木刀で肩を叩きながら言った。
「はい、行きます!!」
と、威勢良く吠えたわりに、シアは盾を構えたまま、じりじりと少しずつヴェルフとの間合いを詰めはじめた。この一ヶ月のヴェルフとの訓練で、格上に対して一気に距離を詰めることがどれほど愚かなことなのか、痛いほど思い知らされていたのだ。単に勢い任せの直線的な攻撃は、簡単にカウンターを合わせられて手痛い反撃を被ることになった。隙を突いたのならいざ知らず、面と向かったこの状態では通用するはずがない。
「……無謀な突進はなしか。ならこっちから行くぞ!」
ヴェルフはニヤリと笑うと、ダッと駆け出した。一気に距離を詰め、木刀を振り下ろした。今のシアにはそれがちゃんと見えていた。慌てずに、腰を落としてしっかりと盾を構える。
ガーーンッ!! シアは、ヴェルフの一撃を完璧に受け止めていた。木刀だというのに、シアの左手がビリビリと痺れる。
「ほぉ、これは受けるのか」
ヴェルフが面白そうに笑った。シアは、左手が動くのを確認するようにすばやく手を開閉すると、すぐに反撃を繰り出した。
「ハァア!!」
シアの木刀が空気を斬り裂く。
「ハッ、遅ーよ」
ヴェルフはバッと飛び退いて避けると、着地したその足でダッともう一度シアに躍りかかった。
「どんどん行くゼ!!」
その言葉通り、ヴェルフは容赦のない、火を吹くような連撃を繰り出した。一ヶ月前のシアであれば到底捌ききれなかった連撃にも、今のシアはついていく。無理はせず、剣と盾の両方で攻撃を捌き、一瞬の隙を見逃さずに反撃を繰り出した。
(よし、イケる! あとはこのまま……)
ボコボコにされながらも一生懸命頑張ったおかげで、シアは素の状態のヴェルフとは打ち合えるようになっていた。最後まで力を入れて剣を振り切る、最後まで力を入れて攻撃を受け切る。これを意識せずとも普通に行えるようになっていた。つまり、お遊びの剣から卒業していたのだ。しかし、だからと言ってヴェルフに攻撃が当たるわけではなかった。それにこのまま打ち合いを続けても、先に限界を迎えるのはシアの方だった。
「このままじゃいつもと同じでジリ貧だぞ。さぁ、どうする?」
攻める勢いを一切緩めずに、ヴェルフが笑った。
ヴェルフは、シアの左手を斬りたいわけではなかったが、それ以上に手加減する気はなかった。そもそもこれは手加減して良い部類の問題ではない。勝てる見込みもないのに送り出したところで、エヴァンスに殺されるだけだからだ。みすみすエヴァンスに殺されるくらいなら、ここで左手を切り落とした方がどちらにとっても良いだろう、ヴェルフはそう考えていた。
「ウルサイ!!」
シアが叫んだ。焦りの叫びというよりも、集中しているときの叫びのようだった。しかしその瞬間、シアの剣が少し鈍った。ヴェルフはそれを見逃さなかった。迫り来るシアの剣を、力一杯振り払った。避けるでも防ぐでもなく、弾き返したのだ。
ガーーン!! と、凄まじい衝撃がシアの右手に走った。シアは、何とか木刀を飛ばさないよう踏ん張ったが、その代わりに体勢を崩してしまった。ヴェルフはすかさず、返す刀で強烈な一撃を放つ。
シアは、とっさに木刀と身体の間に盾を滑り込ませた。が、それが精一杯で、身体ごと吹き飛ばされてしまった。それでもシアは即座に立ち上がり、ヴェルフに向かっていく。
「受け身は巧くなったが、真っ向勝負じゃいつもと変わらねぇぞ!」
激しく打ち合いながら、ヴェルフは忠告した。だが、今日のシアはいつもと少し違った。悪い意味で。
シアは十合も打ち合うことなく、またすぐに隙を作り、吹き飛ばされたのだ。そしてすぐに立ち上がり、また向かってくる。それを何度も繰り返していた。それでも盾を巧く扱い、直撃だけはぎりぎりで避けていた。
「おいおい、どうしたどうしたぁ~? 今日が最後だってぇ~のに昨日より動きが悪ぃんじゃねぇのか? 外野に気ぃ取られてンのか? 本気でやらねぇと左手が無くなんだぞ!」
「分かってる!」
汗だくの泥まみれにしては、シアの返事は冷静だった。その冷静さが、ヴェルフに違和感を覚えさせた。
(へぇ~、何か狙ってるな。さぁてどうする? 普段の俺なら一度距離を取って様子を見るが……フッ、エヴァンスなら気付かないな)
ヴェルフは軽く笑うと、そのまま真っ正面から打ち合いに応じた。
(やはりそうだ。攻撃でも防御でも、気を抜いて隙をつくるタイミングが多すぎる。いや、気を抜いているというより、俺じゃないところに集中しているのか……)
エヴァンスでは気付けないと断定したくせに、ヴェルフはシアの企みを看破しようと観察していた。
(……だが、遅かったようだな)
ヴェルフは、心の中でため息をついた。シアはすでに息も絶え絶えで、体力の限界はすぐそこといった様子だったのだ。何度も吹き飛ばされたせいで、いつもより早く体力の限界を迎えたのだろう。
(これ以上はムダだな、昼からに期待するか)
そう思って、ヴェルフが一歩踏み込んだ瞬間、シアはバッとその場から大きく飛びすさった。さらにそこから二、三回飛びすさり、ヴェルフから大きく距離を取ると、ハァーーーと大きく深呼吸した。そして木刀をくるんっと一回転させてから後ろに引き、腰を落とし、盾を身体の前に構え、ギッとヴェルフを睨んだ。その表情は真剣そのもので、先程までの疲れは一切見えなかった。
(ほぉ~、イイ表情になったな。さぁて、何を仕掛けてくるか、お手並み拝見)
ヴェルフはニッと笑うと、木刀を構えてシアの動きを待った。
シアは、ダッと走り出した。ヴェルフに向かって一直線に。
「結局、最後はそれか……。今さら一か八かの賭けは通用しないぞ!」
ヴェルフは剣を振り上げ、シアの無謀な攻撃にカウンターを合わせようと一歩踏み出した。その瞬間、ヴェルフの身体は後ろからグッと引っ張られた。
「なにッ!?」
よく見ると、ヴェルフの四肢と胴体に数本の糸が巻き付いていた。地面に茶色い糸で描かれた魔方陣があり、糸はそこから伸びていたのだ。
ヴェルフはそのまま前進し、力ずくで糸を切ろうとしたがびくともしなかった。たかが数本の細い糸が巻き付いているだけなのに、まるで鎖で縛られているようだった。
「この糸はッ!? アラクネの奥の手か!!」
アラクネの糸で魔方陣を描くことによって、糸を出し尽くしたとき用に保管しておいたアラクネの糸を召喚する。それがアラクネの奥の手だった。シアは、ヴェルフと戦いながらフィラから貰った糸を操り、その魔方陣を描いていたのだ。
ヴェルフは何とか抜け出そうとしていたが、すでにシアは目の前だった。
「キツ・ツキィィィ!!」
シアは叫びながら渾身の突きを繰り出した。サムに教えてもらった通り、技名を叫ぶと自然と力が入った。ネーミングはともかく。
ビョオゥ! と空気を貫き、シアの剣が凄まじい勢いでヴェルフに迫った。しかしシアの一撃は、ヴェルフには当たらなかった。ヴェルフはほとんど後ろに倒れるように、上体を地面と水平になるまでのけ反らせて、すんでのところで避けていた。地面から伸びている糸に拘束されているので、糸がたるむ方向──地面の方には動くことができたのだ。
ヴェルフはその無理な体勢のまま剣を振るい、目の前にあるシアの剣を弾き飛ばした。木刀はシアの手を離れて、空高く舞い上がった。
「惜しかったな!」
それを見て、ヴェルフは勝ちを確信した。いくらアラクネの糸といえどたかが数本。シアが木刀を取りに行ってる間、ほんの数秒あれば容易に切れる。しかし。
シアは木刀を取りに行くのではなく、木刀に向かって右手を伸ばして、その場で飛び上がっていた。獣人ならいざ知らず、ヒトの跳躍力では決して届かない距離。だが、ヴェルフはハッとした。宙を舞う木刀の柄には糸が巻き付いていたのだ。それはシアの右手から伸びていた。
シアは毎晩、魔力が尽きるまで糸を創る自主練をしていた。誰かに言われたからとかではなく、毎日自動で回復するモノは使いきっておかないと気が済まない、というゲーム好きの悲しき性質だった。だがその結果、シアの糸を創る能力は格段に向上していた。瞬時に糸を放ち、宙を舞う木刀を捕まえることも可能になっていた。まだ相手を拘束するような強度はないが、物を引き寄せるくらいならの強度ならあった。
「マジかよ、ヤられたぜ……」
ヴェルフは苦笑いした。糸を切る数秒を確保できなかった。それにこの体勢で上からの攻撃、受けたとしてもそのまま潰されてしまう。まさか、シアがここまで魔法を使いこなせるようになってるとは、ヴェルフも予想していなかった。
シアは木刀を引き寄せ、空中でしかと掴むと、落下しながら木刀を振り下ろした。
「トビ・ギリ!!」
ガンッ!! と、シアの木刀が地面を叩いた。そこにヴェルフはいなかったのだ。地面には、無残に引きちぎられた糸の残骸だけが散乱していた。
「ウソッ!?」
驚くシアの首もとに、後ろからスッと木刀が突きつけられた。
「アラクネの奥の手を地面に仕込むとはな、なかなか良い作戦だったぜ」
ヴェルフは、シアの後ろに立っていた。シアは力尽きたように、その場にへなへなと座り込んだ。
「ありがとう。でも、戦いながら糸を操るのは初めてで、一番簡単な魔方陣でも時間がかかっちゃって、もうヘトヘト……」
そこへ観客たちがドドドドと駆け寄ってきた。落ち込んでいるシアを尻目に、やんややんやと喝采を上げる。
「ようやったな、シア! おめでとう!!」
「俺が教えたのと違うけど、見事な作戦だったぜ!」
シアは目をパチクリさせて、観客たちを見上げる。
「え? でも、ヴェルフには一撃も当てられなかった……」
シアの言葉に、フィラがフンと鼻を鳴らした。
「最後、コイツは魔法を使ったんだよ。そうでもしないとアタシの糸は切れないからね」
ヤられた、と苦笑いしたあのとき、ヴェルフの負けず嫌いが発動していた。シアの一撃が直撃したとしても、イテッ、くらいで済むのに、それでも負けたくないと思ってしまったのだ。その瞬間、ヴェルフはルールのことなど忘れて肉体強化魔法を使っていた。そして糸を引きちぎり、目に止まらぬ速度でシアの背後へと回ったのだった。なんとも大人げない。
「あ~そうだな。今のシアならエヴァンスには勝てるだろう。俺には勝てなかったがな」
ヴェルフは、傲然とふんぞり返って言った。開き直っていたのだ。さらに大人げない。
「って、ことは……?」
シアは瞳を輝かせて、ヴェルフを見た。ヴェルフはニッと笑う。
「ああ、合格だ、シア」
「やったーー!!」
シアは疲れも忘れて飛び上がった。観客たちも一緒に喜ぶ。
「やったなー、シア! マジで、ヴェルフに一泡吹かせるとはな!!」
「これでシアも正式に戦士の仲間入りやーー!!」
「よっしゃーー! 今から宴会するぞ! 祝勝会だ!!」
クズハの店で騒ぐぞぉ!! と、大盛り上がりだった。
そのとき、獣人キャンプに半鐘の音が鳴り響いた。
「敵襲ー! 敵襲だぁーーーー!!」




