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4  魔法

 太陽も一日の仕事を終え、地平線の彼方へ帰ろうとしている黄昏時。傾いた陽が一日の終わりを告げているにもかかわらず、闘技場にはまだ力強い声と器械の音が鳴り響いていた。

「あと一回! よし、今日はこのくらいだな。よく頑張ったな!」

「あり、が、とう、ござい、ます」

 シアは息も絶え絶え、身体もボロボロだったが、目だけはらんらんと輝いていた。終わったら魔法、終わったら魔法、と呪文のように唱えて、この地獄のトレーニングを乗り越えたのだった。

 ドミニクは、シアの無言の要求に苦笑いしながら、シアに回復魔法をかけて『魔印の特製プロテイン』を渡した。

「わかってるから、そう急かすな。先に器具を片付けるから、これを飲んで待ってろ」

「ハイ」

 シアは素直に、プロテインをゴクゴクと飲んだ。魔法が待っていると思うと、不味いプロテインも我慢できた。そのとき、ドミニクから衝撃発言が飛んで来た。

「言っておくが、今のシアには魔力がないから魔法は使えないぞ」

「えっ……!?」

 シアの口からまずい汁が垂れる。

「約束は魔法の実演だ。使えるようになる、とは言ってないぞ」

 シアの「騙された」と言いたげな表情を見て、ドミニクは機先を制した。

「…………」

 魔力がないなら仕方ない。魔法の世界で、四天王『魔』の肩書きを持つドミニクの魔法を実際に見れるのだ。それで我慢しよう。と、シアは自分を納得させた。

「…………わかりました。それでどんな魔法を見せてくれるんですか?」

 トレーニング器具を片付け終えたドミニクは、本のページをパラパラとめくりながら言った。

「そうだな。回復も魔法だし器具の出し入れも魔法だが、見せるならやっぱり自然系がいいかな」

「自然系?」

「火とか水とか風とか、自然のものだ。それらを体系化して定量化したのが、うちの国の基本的な戦闘魔法だ」

「???」

 シアは首を捻った。

「簡単に言えば、魔法を威力ごとに分類しているんだ。たとえば、一番弱いのが……」

 ドミニクはそう言いながら、シアの目の前に人差し指を突き出した。

「ファイア」

 ドミニクの指先に、シアの目の前に、ボッと炎が燃えた。

「熱ッ!」

 シアは、反射的に後ろに飛び退いた。それを見てドミニクは、喉の奥で笑いながら人の悪い笑みを浮かべた。

「この程度の火に、そんなにビビるとはなぁ~」

 落ち着いて見てみると、炎はろうそくの火程度のものだった。シアは恥ずかしさを隠すように言い切った。

「ちょっと、びっくりしただけです」

 ドミニクは、ろうそくの火を吹き消すように、指先の小さな火をフッと吹き消した。そして、笑いながら本をめくった。

「ハハハ、そうか、そうか。じゃあ次は、数段階すっとばして戦闘用の威力を見せるから、気を付けろよ」

 ドミニクは手のひらを上にして右手を出した。

「メガ・ファイア」

 ドミニクの手のひらに炎が燃え上がった。ちゃんと覚悟をしていたシアは、今度はビビらなかった。その代わりに感嘆の声を漏らした。

「おぉ!!」

 シアは、炎に負けないほど目を輝かせていた。元の世界でもガスコンロを捻れば簡単に炎は燃え上がった。それでも、人の手のひらで燃え上がる強火には感動を禁じ得ない。

 ドミニクは、手のひらの炎と笑みをスッと消すと、真剣な顔で、

「よし、遊びはここまでだ。次のは危ないから下がるぞ」

 と言って、壁に向かって歩きだした。シアはワクワクドキドキしながら、ドミニクの後に続く。

「いいか、絶対に俺の後ろから出るなよ」 

 ドミニクは、闘技場の壁際まで下がり、シアに念を押した。

「わかってますから、早く、早く」

 シアはキラキラした目でドミニクを急かした。どう見ても浮き立っているシアに、ドミニクは心の中でため息をついた。

(う~ん、『メガ』までにしといた方が良かったかな。でも今さら、危険だから止めると言っても、シアは納得しないだろうな)

 ドミニクは仕方なく振り返り、右手を前に出した。チラッとシアが動いていないことを確認してから、魔法を唱えた。

「ギガ・ファイア」

 次の瞬間、ドミニクの右手から轟然と炎が吐き出された。ドミニクは、まるで火炎放射器のように延々と炎を吐き、あっという間に闘技場を炎の海へと生まれ変わらせた。

「……マジッ!?」

 轟々と燃え盛る炎は、傾いた太陽より明るくシアの青ざめた顔を照らす。ゲームでもこんな強力な魔法を使うには、長ったらしい呪文がいるのに、それなのに一瞬で発動するなんて……。これって、救済の盾一つで防げるものなのか……。シアは、目を大きく見開き、一心に炎を見つめていた。何とか安心できる要素を探そうと、脳をフル回転させていたのだ。

「これらが戦闘用魔法の基本形で、もっと上もあるが、ここで見せられるのはこれまでだ。城や街を焼いたら怒られるからな。あとは術者の好みで、威力を高めたり、形を変えたり、数を増やしたり、まぁ色々だ」

 ドミニクはシアの気持ちも知らず、いけしゃあしゃあと語る。

「…………その本のおかげで──」

 その言葉が四天王『魔』のプライドに障ったのか、ドミニクは食い気味で追い討ちをかけた。

「いや、この本は魔力をコントロールするためのものだ。それに今のは最低限の威力だ」

 凄まじい熱気にさらされているというのに、シアは冷や汗が止まらなかった。

「…………呪文とか、魔方陣とかはいらないんですか?」

「それらを使えば実力以上の強力な魔法を使えるが、時間と集中力を必要とするから戦闘ではほとんど使わないな。……安心しろ。俺クラスの術者なんて、敵にはいないさ」

 ドミニクはようやく、シアが青い顔をしていることに気付き、フォローを付け加えた。シアは、ドミニクの肩書きを思い出して少し安堵した。すると、次の心配が生まれた。聞くのも怖いが──、

「……あのっ、人って、どの威力までなら耐えれますか?」

 知らないのはもっと怖かった。シアは思いきって聞いてみた。

「そうだな~。術者の魔力量で威力は変わるが、殺意のある魔法だったら、魔力のないシアはどれも耐えられないだろう。救済の盾を片時も離さないことだな。ハッハッハ」

 ドミニクは笑いながらあっさりと答えた。

「えっ!?」

 シアは戦慄した。

 ドミニクの言葉も恐ろしかったが、それ以上にドミニクが恐ろしかった。燎原の炎をバックに笑うドミニクは、まさに悪魔のようだった。

(やっぱり帰るべきだったかも……。いやいや、紫苑の病気を治すんだろ!)

 シアは、ブンブンと頭を振って、弱音と悪魔の幻影を振り払った。そのとき──。

 ゴオォォオ!! と闘技場に突風が吹き、燎原の炎は一瞬で吹き消された。シアが呆然と佇む中、真っ黒に焼け焦げた土の上をマイが近づいてきた。

「何やってんの? この城、燃やすつもり?」

 重い言葉なはずなのに、マイはそう軽く言ってのけた。

「そうじゃない。シアに魔法の説明してたんだ」

「あら、そうなの。シア、今のドミニクの火を消したのが、私の風魔法よ♪」

 マイは、フフンっと勝ち誇るように言った。

「いや! 火と風の相性の問題だ! それに俺のは本気じゃなかった!」

「そんなことより、そろそろ晩ご飯よ。行きましょ、シア♪」

 マイは、シアにウィンクするとクルッと振り向いた。

「そんなことじゃなくて、オイ、無視か!」 

 ドミニクがマイの背中に抗議する。今のドミニクは、バックの炎も消えたこともあり、悪魔というより小悪魔のようだった。




 その日の夜、シアは眠れなかった。一日中、ドミニクにシゴかれてヘトヘトなはずなのに、回復魔法のおかげで疲れは吹き飛んでいた。

 ベッドに入ってもなかなか寝付けないシアは、ドミニクの「おかげ」と言うべきか、「せい」と言うべきか、としょうもないことを考えていた。そんなことでも考えていないと、「どの魔法も耐えられない」と笑う悪魔の姿が頭から離れなかったのだ。

 どうしても眠れないシアは、やっぱり「せい」の方だな。と結論付け、他にすることもないので自主連でもしようと思い立った。といっても、ドミニクが居ない(であろう)この時間では、救済の武具もトレーニング器具も使うことはできない。

「それでも、寝るための運動だし、闘技場で少し走るか」

 と、シアはベッドから起き上がり、枕元に置いてある魔法のランタンを灯した。だだっ広い室内がぼんやりと明るくなる。

 この世界では科学よりも魔法が発達していた。灯りや水道などの生活インフラには科学ではなく魔法が使われていた。そしてそれらは、どんな人間でもどんな状況でも使いやすいように設計されており、異世界の、魔力のないシアでも不自由なく暮らすことができた。

 シアは一度、う~んと大きく伸びをしてから、魔法のランタンを持って部屋を出ようとした。そのとき、シアの脳裏に悪魔の姿が蘇った。

「どの魔法も耐えられないだろう。救済の盾を片時も離さないことだな。ハッハッハ」

 シアは、ブルッと身震いした。まさか、城の中で襲われることはないだろう。そう思いながらも、念のために救済の武具を持って部屋を出た。

 昼間でも静かなロクセット城は、夜になるとより一層の静寂に包まれていた。なぜだかシアも音を立てないように、真っ暗な廊下をひっそりと進んだ。

 誰にも気付かれることなく、城の庭に出ることに成功したシアは、そこで風を切るような音を聞いた。それは闘技場の方から聞こえているようだった。その証拠に、闘技場の方は少し明るかった。

 シアは、ここまで来て二の足を踏んだ。知らない人が闘技場を使っていたらどうしよう、と。でも、ここまで来たんだ、マイさんやドミニクさんかも知れないし、一応遠くから確かめて見よう。帰るのはそれからでも遅くない。そう思い、抜き足差し足、ゆっくりと闘技場に近づいた。

 やはり闘技場には灯りが点いていて、中には誰かいるようだった。シアは門の影から、こっそりと中を覗く。

 闘技場の中央に長髪の剣士が一人いた。その剣士は、見えない相手と戦っているかのように、軽やかに動き回り、流れるように木刀を振っていた。一振りごとにあの風を切るような音が鳴り響く。外壁に備えられた灯りは頼りなく、剣士のいる中央まで十分な光が届いていなかった。顔はわからないが、マイには見えなかった。もちろんドミニクでもない。

 帰ろう。とシアは思ったが、そうしなかった。

 ぼんやりとした灯りの中で、長髪を振り乱し一心不乱に剣を振る剣士の姿は、剣の訓練というよりも、踊っているように見えた。神秘的なほどに優雅なその剣舞に、シアは釘付けになっていたのだ。

 すると突然、剣士の剣舞がピタッと止まった。そして、一呼吸おいて、ゆっくりとシアの方に顔を向けた。

「あら、こんな時間に人が来るなんて珍しいわね」

 凛と澄んだ女性らしき声が闘技場に響いた。剣士は、まっすぐシアを見つめていた。

(──しまった)

 シアは心の中で呟いた。剣舞に見とれるがあまり、知らず知らずのうちに門の影から出ていたのだった。

 シアは、何か言わなきゃと思ったが、何も出てこなかった。一人であたふたしていると、剣士がゆっくり近づいてくる。そして、顔がわかる距離まで近づき、剣士の方が驚いた。

「あっ! 救世主!」

 どうやら、剣士はシアのことを知っているようだった。シアも驚いて、マジマジと剣士の姿を見た。左手に木刀、右手に丸い盾、ボサボサの金色の長い髪に、汗と土で汚れているが端整な白い顔、そして、シアを見つめている綺麗な緑色の瞳……。

「……あっ!!」

 シアは思い出した。剣士は、本名を伝えてはいけないと教えてくれたあの女性だった。年上の綺麗な女性だと思っていたが──。

「覚えていたのね、うれしいわ」

 そうにっこりと笑う彼女は、同い年くらいの可愛い少女に思えた。ドレス姿ではないこともあってか、前回感じた人形っぽさはなく、生き生きとしている。それでも、シアは前回よりもドキドキした。真夜中に二人っきり、という状況のせいかもしれない。

「あ、あのときは、ありがとうございました」

 前回と違い、シアは何とか言葉を絞り出した。あの忠告の真意はわからないが、とりあえず感謝した。

「お礼なんて、いらないわ」

 彼女はそう言うと、ふいっと視線を逸らした。そして、よそを向いたまま聞く。

「たしか、シア、だったわよね?」

「そうです」

 シアは嬉しかった。彼女が自分の名前を知っていた、というたったそれだけのことが、何だか妙に嬉しかった。彼女は、もう一度シアの顔を見つめると、イタズラっぽく笑った。

「シア! お座り!」

「えっ!? ……え?」

 いきなりの命令にシアは狼狽えた。一瞬、思わず座りそうになるのを耐えたが、どう応えればいいのかわからない。やっぱり座るべきだったか。そんなことを真剣に悩んでいた。すると、

「どうやら、わたしの忠告を聴いてくれたみたいね」

 彼女は満足げに微笑んだ。

「…………」

 シアは何も言えなかった。彼女の言動の意味がわからなかったこともそうだが、それよりも、彼女の微笑みに見惚れていたのだった。シアのその表情が説明を求めているように見えたのか、彼女は慌てて説明をはじめた。

「この世界では、名前……、特に本名はそれ自体が大きな力を持っているの。本名を使えば、その相手を意のままに操ることができるくらいに。だから、この世界では普通、本名の一部か、あるいは全く別の名前を名乗るの。魔力のないキミは気を付けないと、簡単に操られるわよ」

 彼女の説明にシアはゾッとした。もし、あのときの忠告がなければ、今ごろ操られていたかも知れない。そう思うと、シアの口から、心からの感謝が飛び出していた。

「教えてくれて、本当にありがとうございます」

「だから、お礼なんてする必要ないの……」

 感謝の言葉を受けて、彼女の顔が翳ったように見えた。が、彼女は、すぐにケロッと表情を変え、愛想の良い微笑みを浮かべた。

「そんなことより、キミもこんな時間に稽古?」

「はい、なんだか眠れなくて……」

 シアは、ドミニクさんのせいで、とは言わなかった。

「それなら、一戦どう?」

 彼女はシアに木刀を突きつけた。シアは思わず両手をあげて降参する。

「オレ──」

 シアの言い訳を彼女は遮った。

「大丈夫よ。わたしも救済の剣には選ばれているから、その剣では斬れないのよ」

 シアは、あんぐりと口を開けた降参ポーズ、という間の抜けた姿のまま、記憶を辿った。たしかに彼女は、救済の武具をシアから受け取っていた。救世主じゃない普通の者では、持てないはずの救済の武具を。

「……なら、アナタも救世主なんですか?」

 シアの問いに、彼女は静かに首を振った。そして、哀しげに微笑んだ。

「いいえ、わたしは救済の剣にしか選ばれていないの。だから、救世主じゃないの」

「そう、なんですね」 

「じゃあ、問題もなくなったし、行くわよ!」

 彼女は、何事もなかったかのようにそう言うと、グッと腰を落とし、木刀を構えた。その姿には剣士の迫力があり、先ほどまでの可愛らしい少女とは、別人のように見えた。

 しかし、シアの問題はそのことではなかった。今にも斬りかかってきそうな彼女の迫力に、シアは両手と頭をぶんぶんと振り、慌てて言う。

「いや、そうじゃなくて、オレ、まだ救済の武具を使いこなせてないんです」

 前回、救済の武具を使ったとき、シアは全身がボロボロになり動けなくなった。あのときのことを思い出すと、今でも全身が痛くなる。ドミニクのいない今、あのときのようになるのは絶対に避けなければ。

「えっ? そう、なの……」

 彼女は顔を赤らめて、少し恥ずかしそうに構えを解いた。しかし、すぐにパッと顔を輝かせる。

「それじゃあ、救済の剣の先輩からアドバイス! 平静を保つこと。救済の剣を扱うには、普段の戦闘と一緒で平常心が一番大事よ!」

 その笑顔に、コロコロと表情を変える彼女に、シアはドキッとした。

「落ち着け……、平常心、平常心」

 シアは、彼女のせいでドキドキしている心を落ち着けようと、小さく首を振って呟いた。

「そうよ。それさえ守れば、身体の限界を超えることはなくなるはずよ!」

「ありがとうござい──」

「だから、お礼はいらないって言ってるでしょ!」

 三度目の感謝に、彼女はとうとう声を荒げた。それは彼女にとっても想定外だったようで、言った本人の方が驚いていた。

「──わたしに力があれば、キミを喚ぶ必要はなかったんだから……」

 彼女はばつが悪そうに目を伏せて、呟いた。しかしそれは、微かにシアまで届いてしまった。

「え?」

 判別不能な囁きに、シアは思わず聞き返した。彼女は、そんなシアを睨むように見つめた。

「…………行くわよ」

「いや、長さが違──」

「行くわよ!!」

 言うが早いか、彼女はシアに斬りかかった。救済の盾が自動的に防ぐ。

「ちょ!! 待って!」

 シアの必死の抗議に対して、彼女は子供のような無邪気な笑顔を返した。

「戦いは何時も突然よ。それに敵は待ってなんかくれないわ。どんな時でも平静を保ちなさい」

「平静、平静、平静……」

 と、シアは呪文のように唱えながら、救済の剣を抜いた。平静を保った一撃は、あっさりとかわされた。老師と戦ったときより鈍かったが、それでも達人の剣と言っても差し支えがないほどには鋭かった。

「そうよ、その調子!」

 彼女は、軽やかに救済の剣を避けた。そして、流れるように木刀を繰り出した。救済の盾がそれを防ぎ、ほぼ同時に救済の剣が動く。達人同士のような攻防が続いた。

「救済の武具がいくら強くても、所詮は道具よ。操られるのではなく、キミが操りなさい。その太刀筋を自分の身体に叩き込みなさい」

 彼女の言葉に、シアはハッとさせられた。

(そうか、救済の武具に身を任せているだけではダメなんだ)

 今更ながら、救済の武具と彼女の戦いに集中する。平静を保っているおかげか、シアには救済の武具の動きが見えた。

 最初は、救済の武具の操り人形になっていたシアだったが、徐々に、次は身体がどう動くかがわかるようになっていく。彼女の動きまでは読めないが、救済の剣と盾が身体をどう動かすはわかる。自分の身体なのだからそれは当たり前なのだが、それでもシアは感動を覚えた。

(左を受けて、すぐに右で斬り返す、次は──)

 シアは動かされるのではなく、自分の意思で動いた。

(──横に振り払う)

 そのとき、救済の剣の動きとシアの動きが完全に一致した。

「きゃあ!」

 一段と鋭い一撃に、彼女はバッと後ろに飛び退いた。彼女の長い髪の先がパラパラと散る。

「今のは……」

 シアは、今の一撃に思わぬ手応えを感じていた。操られているとはいえ、シアには自分の意思がある。それは救済の武具にとって抵抗になっていた。しかし今の一撃は、シアの意思と救済の武具の動きが一致した。それゆえに救済の武具は、本領を発揮することができたのだ。

「今のはなかなか良かったわ。それで、身体はどう?」

 シアは身体を動かしてみる。どこも痛くなかった。平静を保っているおかげで、剣先から斬撃が飛ぶことはないが、身体から異音が鳴ることもなかった。それに、彼女の木刀は老師の拳と違い、シアまで衝撃が伝わることはなかった。

「大丈夫です。絶好調です」

 シアは笑って答えた。

「それなら、ここからは遠慮なく行くわよ!」

 彼女は木刀をくるんっと一回転させると、ニヤリと笑った。そして、腰を落とし、木刀を左後方に下げ、右手の盾を体の前に構える。緑色の瞳が不敵に光った。

「わたしから一本でもとれたら、名前、教えてあげる♪」

 彼女から名前を教えてもらう。ただそれだけのことに、シアのやる気は奔騰した。シアも彼女と同じように、鏡写しのように構える。

 合図もないのに、二人が同時にダッと走り出した。シアには彼女の動きが見えていた。シアは、彼女の動きに合わせて救済の剣を繰り出した。しかし、彼女の速度は一気に上がった。

 ドンッ!! 救済の盾と彼女の盾が激突した。衝撃で身体が軋む。それでも、シアはそのまま救済の剣を振り抜いた。先ほどと同じ、動きがシンクロした鋭い一撃を、彼女はあっさりとかわした。

 遠慮のなくなった彼女の動きは、どんどん速度を増していった。次第にシアの平静が失われていく。それとともに、救済の武具も速度を増し、シアは操り人形に返り咲いた。それでも、彼女の攻撃を捌くので精一杯だった。救済の剣の切れ味なら、彼女の木刀を刃で受けるだけでまっぷたつにできるはずなのに、彼女の流れるような剣舞はそれすら許さなかった。

 シアは、焦りはじめた。今しがた掴んだはずの手応えは、すでにシアの手元には残っていなかった。

(平静を──)

 と思った瞬間、救済の盾の動きが止まった。彼女が自分の盾で救済の盾を止めていたのだ。

「ウソ!?」

 次の瞬間、彼女の木刀が救済の剣の柄を強かに打った。救済の剣がシアの手を離れ、空高く舞う。そして、彼女の木刀がシアに向かって振り下ろされた。

「わたしの勝ちね♪」

 彼女の木刀がシアの首元で止まっていた。

「強い……」

 シアは地面にへたり込んだ。まるで歯が立たなかった。

「たった数日で、なかなかやるわね」

 彼女は息一つ乱さず、シアに手を差し伸べていた。シアは、彼女の手に掴まり起こしてもらった。

「ありがとう──あっ!」

 シアはまたお礼を言ってしまった。だが、今回は──。

「ごめん。やりすぎた? 大丈夫?」 

 彼女は怒らなかった。それどころかむしろ、シアを心配してるようだった。シアは、身体中に痛みはあったが、動けないほどではなかった。平静のおかげか筋トレの成果か、救済の武具を少しは使えるようになったが、素直に喜ぶ気分になれなかった。

「心の方が痛い……」

 シアはボソッと呟いた。『救世主』なのに、同い年くらいの少女に完敗した。四天王とかじゃなく、可愛らしい女の子に。

「え?」

「あっ、いや、そんなに強いなら、一緒に魔王退治に来てくれたらなぁ~。なんて……」

 シアはなんとか誤魔化そうと、思い付いたことをそのまま口から出した。だが、なんだがより恥ずかしくなった。

「残念だけど、わたしまだ戦場には立てないの……。わたしも戦場に立ちたい。だけど、父はわたしを認めてくれない……」

 そう答えた彼女の表情は、翳っていた。

「なんで? こんなに強いのに……」

「そんなのわたしが聞きたいわよ。『お前の盾は何のためにある』って偉そうに聞いてくるだけで、理由なんて教えてくれないわ。盾なんだから自分を守るためよ!」

 守るため、と彼女は言ったが、シアにはそうは思えなかった。彼女は救済の剣を体さばきだけでかわし、一度も盾で防ぐことはなかった。だが、シアは言わないでおこうと思った。救済の剣の切れ味のせいかもしれないし、そもそも受けるまでもなかったのかもしれない。なにより素人の分際で偉そうな事を言って、彼女に嫌われたくなかった。

「その盾……」

 彼女の盾には、一輪の白い花が描かれていた。少し変わった見た目の花だが、額縁に入れれば絵画になりそうなほど見事な絵だった。

「すごくきれいだ」

 シアは花にも絵にも興味はなかったが、それでもそう思った。

「ありがとう。これは母から譲り受けた物なの。一族に伝わる訓練用の盾」

 彼女はすごく嬉しそうに笑った。ピカピカに磨きあげられているが、表面の無数のキズが歴史を感じさせる。

「母もこの盾で訓練して、騎士団の団長にまでなったの。それでね、いくつもの戦場で父の横に立って戦っていたの。だから、わたしも父の横に立つの。それなのに……」

(こんなに強くても、親に認められたくて必死な普通の子供なんだな。オレも紫苑が倒れるまではこうだったのかな)

 と、シアは思った。そして、少しで慰めになればと、彼女に元の世界でよく言われた安易な言葉をかけた。

「親っていうのはいつも子供のことを心配してるんだよ」

 シア自身実感したことはなかったが、戦場だ、ただの遠出を許さない親とは話が違う。しかし、彼女の顔から笑顔が消えた。そして、寂しそうに呟いた。

「全ての親がそうだったらいいのにね……」

 その顔を見たとき、シアは言わなければよかったと後悔した。かける言葉を探していると、どこから声が聞こえた。

「お嬢様、そろそろお時間です」

「あら、もうそんな時間? ありがとう、スパティフィラム」

 二人っきりだと思っていたシアは驚いた。そして、声の主を探し、再び驚いた。

 闘技場の端に一人の執事風の男が立っていた。くすんだ金髪のオールバックに、黒いスーツのような服は、ビシッとしていてシワ一つなかった。驚くべきことに、その男は灯りの真下にいるはずなのに、よく見ないと気が付かないくらい影が薄かったのだ。

「ご主人様より目立たない、従者の鉄則です」

 スパティフィラムと呼ばれた男は、ニコリともせずに言った。シアは、心を読まれたような気がしてギクリとした。

「今日は楽しかったわ、シア。名前は次の機会にね♪」

 彼女はそう言い残すと、スパティフィラムと共に闇夜に消えていった。

 シアは、二人の背中を見送ってから、思いがけない運動で重くなった身体を引きずって、部屋に戻り、そのままベッドに倒れ込んだ。

「次こそは、名前を……」

 悪魔の幻影が入り込む隙も無いほどに疲れたシアは、そう思いながら眠りに落ちた。


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