48 誰もが未来に夢を見る
のっそりと顔を出した太陽が、世界に一日の始まりを告げていた。柔らかな朝陽の中、様々な場所で様々な生き物たちが目を覚まし、最後かも知れない今日を、最後にしないようにとまた全力で生きる。
だが、ここスパーダストラーダ峡谷はそうではなかった。起き抜けの太陽では底まで照らす力がなく、まだ薄暗い。それでもズートア要塞の足元では、時間と階級に縛られた人間たちが、時計の針に追われるように、並んだ馬車の周りをせかせかと動き回っていた。今日が最後かも、など疑うことも知らず、まだ見ぬ未来のため。
「オイ! こっちは積み込み終わったぞ!! 先に出発していいのかァ!?」
「あ!? 俺に聞かれても知らねぇよ! 親方に聞け!!」
「その親方たちがどっか行ったからテメェに聞いてんだ!!」
「なら、探すか他を手伝え!!」
「おい、これはどこに持っていけばいい?」
「アァン! そんなことも知らねぇで──っと兵隊さんだったか、すまねぇ、それはそっちに置いてくれ! ありがとうな!」
「ははは、気にするな」
そんな中、一人の軍服が悠然とズートア要塞を見上げていた。茶色の髪と爽やかな容姿を持った壮年の男性。その佇まいとごちゃついた軍服の装飾から、せかせかと動き回る彼らより上の階級、縛る側の人間ということがうかがい知れた。
ズートア要塞は、一ヶ月前の戦闘で破壊されたのがまるで嘘のように完璧に修復されていた。ダインに貫かれた要塞外壁に、ここからでは見えないが、超巨大ゴーレムに潰された要塞屋上の司令部と、人狼によって引かれた外壁の線も、何もなかったかのように綺麗になっている。
軍服が大工たちの腕に見惚れていると、ズートア要塞から四人の男たちが出てきた。その四人は軍人ではなく一般人だった。しかし軍服は、その四人を見ると、ビシッと敬礼した。
「お疲れ様です。撤収作業はもう少しかかるようです」
「こっちは終わりましたぞ、マイヤー殿」
その明るい声に、マイヤーは敬礼を解いて、思わず前のめりになった。
「ど、どうでしたか?」
「魔法にゃあ少してこずったが、頼まれた箇所は全部直した。これでこの要塞は、外も中も完璧だ」
「おぉ! 流石は名高きロクセットの親方四人衆。たった一ヶ月であの風穴を綺麗に直していただき、その上要塞内部の整備点検もしていただけるとは……。司令官代理に代わりに感謝申し上げます」
マイヤーはそう言って、もう一度敬礼しなおした。
「ガッハッハ! ワシらにかかればこれくらい朝飯前──」
豪快に笑う親方の前に、ずいっと別の親方が割り込んだ。
「そんな、お礼を言いたいのはこちらの方ですよ。長年この仕事をやってきて色んな現場を渡り歩いてきましたが、こんなに良い現場は他にはありませんでした」
この男は、職人気質の親方たちの中では一番常識的なヒトだった。ゆえに対外交渉を任されるリーダー的存在だった。かと言って、親方内での発言力向上には何ら寄与しないので、ただ面倒な役割を押し付けられただけなのである。
「そうそう、ウマイ飯にウマイ酒。それに兵隊さんたちもみんな親切で、雑用を買って出てくれるもんですからすこぶるやりやすかった」
従来であれば、親方たちのそれは軍人に対するおべんちゃらに過ぎないのだが、これは紛れもなく本心だった。それが分かっているのか、マイヤーは人好きのする笑顔で応える。
「そうですか、それは良かった。元はと言えば、我々の不甲斐なさが招いたこと。ディクソン司令官代理からも、極力皆様を手伝うように、と訓令が出ておりました。それにこの一ヶ月敵襲もなく、我々兵士はそう忙しくありませんでしたから。専門的なことは皆様にお任せするしかありませんが、雑用であれば我々でも手伝えるので、兵士たちも皆、積極的に協力したのでしょう」
親方たちは感嘆のため息を漏らした。
「いやはや、上が変わるだけでこうも変わるもんなんですな。数年前にズートア要塞に来たときはまだ大貴族が司令官で、兵士たちも手伝うどころか邪魔ばかり、その上仕事とは関係のない貴族どものワガママばかり聞かされて、もう仕事どころじゃありませんでしたからな」
「いやぁ、偉そうな貴族どもがいないだけでこうも仕事が捗るとは」
と、大笑いする二人の親方に、リーダーが掣肘を加える。
「お、おい、お前ら、言い過ぎだ!」
「そうお気になさらず。私も含め、今ここに残っている貴族たちのほとんどが領地も持たない下級貴族。偉そうな貴族どもに言わせれば、大貴族に取り入るしか能のない連中なのですよ」
若い貴族軍人は、柔らかな微笑をたたえて毒を吐いた。年長の平民たちは返答に窮した。気まずい沈黙が流れる。そのとき、
「親方ぁ~~~! 撤収準備完了しましたぜぇ!」
と、せかせか動き回っていた部下たちから声がかかった。親方たちは、助かった、とばかりに動き出す。
「オッシャ! じゃあ全員乗った馬車からとっとと帰るぞ!!」
大声で命令しながら、親方が一人、部下のもとへと走っていった。
「では、我々もこれで失礼させてもらいます」
リーダーがペコリと頭を下げた。マイヤーは一歩退いて、道をあける。
「また壊された際にはいつでもお呼びください」
ホッとしたリーダーは、マイヤーの横を通るときに余計なことを言った。
「…申し訳ありませんが、そうならないように精進させてもらいます」
一瞬の間を置いて、マイヤーが敬礼しながら言った。
「イヒヒヒ、それはそうですな!」
「気取って慣れない言葉遣いするから」
一人はからかうように、もう一人は呆れたように笑いながら、後に続いた。
「うるせー! 黙ってついてこい!!」
笑う二人にピシャリと言うと、リーダーは肩を怒らせて、大股で馬車へと向かった。
先程まで並んでいた馬車の列は、もう最後の一台になっていた。その荷台の前には、先に行った親方が待っていた。
「ワシらは認識を改めねぇといけねぇな」
「藪から棒になんだ?」
「ディクソンとエヴァンスのことだ。今もアデルの下で軍人をやってるあの二人を、出世のために魂を売った、ワシはそう見下しとった。だが、あの二人は軍に残って、内側からこの国を変えようとしてたんだ」
「ああ、そうだな。そんで見事にズートア要塞を変えちまった。俺たちも若ぇ者に負けないように頑張らねぇとな」
親方たちはうんうんと頷きあって、馬車に乗り込んだ。最後に乗り込んだ親方の合図で、馬車はすぐに動き出した。
馬車の中には一人、先客がいた。行きに一緒だったあの青年だった。
「親方! あのときはすんませんでした!!」
青年は、親方たちを見るや否や頭を下げた。
「俺、田舎者で、親方たちのことを何にも知らなかったんです!」
親方たちは苦笑いした。謝る必要のないことで平謝りされるのはとても居心地が悪かった。
「そう気にするな。俺たちは貴族じゃないんだからよ」
何気なく出た言葉がそれだった。リーダーは如何に自分が変われていないかを思い知らされた。それを知ってか知らずか、親方の一人が話を変える。
「そういえば、お前さん一人か? 兄ちゃんは一緒じゃねぇのか?」
この青年は、ズートア要塞で働いている兄を故郷に連れ帰るために、この仕事に参加していたのだった。
「あっいや、それが……」
青年は口ごもった。
「会えなかったのか?」
「一応会えたんですけど……、今この国で、新しく貴族になることって出来ますか?」
青年は躊躇いがちに訊ねた。
「は!? そんなのムリに決まってだろ。普通に暮らせてるから忘れてるけど、この国はマギアに侵略されてんだ。アデルが好きに出来るのは軍隊だけで、新たに貴族を任命する権利なんてないはずだ」
「やっぱり、そうですよね……」
「それがどうしたんだ?」
「兄が、もうすぐ貴族になれるから今帰るわけにはいかない、って言うんですよ。機密事項だから、って詳しく聞けなかったんですけど」
「それで連れ帰るのを諦めたのか?」
「はい。最初は、貴族なんかになれなくても良いから家族で一緒に暮らそう、って説得してたんですけど、兄貴が楽しそうだったから、だんだん一緒じゃなくても良いかな、って思えたんです。それに兄貴は兵士じゃないで、戦場に出て死ぬことも──」
そのとき突然、馬車が大きく揺れた。馬車は、真っ直ぐなスパーダストラーダ峡谷を斜行しているようだった。
「オイ、アブねぇだろ! ちゃんと前見て運転しやがれ!!」
親方の一人が御者席に向かって怒鳴った。
「そうじゃないっす! 外っす! 外ォ!!」
御者が叫んだ。車内から見ると、前方から峡谷を埋め尽くすほどの大軍勢が轟々と地響きを鳴らして、こちらに向かって爆走してきていた。親方たちは、目ン玉が飛び出しそうになった。
「な、なんだこの大群はッ!?」
「お、おい、あの旗ッ!!」
ズートア要塞の執務室で仕事をしているディクソンのところに、マイヤーが慌てて駆け込んできた。
「ディ、ディクソン様! 大変です!!」
「何をそんなに慌てている?」
書類に目を落としたまま、ディクソンは素っ気なく言った。
「そ、それが……エヴァンス司令官がお戻りになられました!!」
「それがどうした?」
ディクソンは、顔を上げて部下を見やった。
「むしろ、予定よりも遅いくらいではないか?」
貴公子然としたその顔には不審の色が浮かんでいた。
「大規模な援軍を引き連れているのです!」
「なにッ!?」
ディクソンは血相を変えて、飛び上がった。大規模な援軍……今のカレルセ軍にはそれほどの兵力は残っていないはず。ここズートア要塞に駐留している我ら以外の大規模な部隊となると、王都を守護している彼らしか……まさか……!
「ディクソン様、お待ちをッ!!」
マイヤーの制止も振り切って、ディクソンは部屋を飛び出した。風のような速度で廊下を走り抜け、屋上への廊下を駆け上がった。執務室からでは、地上に降りるよりも屋上に上がる方が速いと判断したのだ。
あっという間に屋上の扉の前にたどり着くと、ディクソンは勢いそのままに、バーン! と蹴り開けた。
「て、敵襲!?」
警備兵たちが悲鳴にも近い声を上げて扉を見たとき、そこに誰もいなかった。ディクソンは扉を蹴り開けると同時に、目にも止まらぬ速度で移動していたのだ。
ディクソンは、カレルセ側の石柵に掴まって、スパーダストラーダ峡谷を見下ろしていた。
端っこに馬車一台分の空白を残して、峡谷を埋め尽くすような大部隊がこちらに向かっていた。そして、至るところではためく金と赤の豪奢な旗。
「やはり王の盾。しかも、これは全軍か……」
ディクソンは、金色の瞳を大きく見開いて呟いた。無意識のうちに石柵を掴む手に力が入る。バキッ! と音を立てて、石柵に亀裂が走った。
「ディ、ディクソン代理!?」
警備兵たちの驚きの声も、今のディクソンの耳には入らなかった。普通と様子の違う司令官代理の姿に、警備兵たちは顔を見合わせ、おずおずと近づことした。そのとき、屋上に怒号が響いた。
「お前たち!」
「ひぃ!?」
警備兵たちは飛び上がって、声のする方に目をやった。屋上の扉の前に、息を切らしたマイヤーが立っていた。手には黒いコートと軍帽。
「……エヴァンス司令官が、お戻りになられた。ここはいいから、さっさと下に行ってお出迎えしろ!」
「は、ハイッ!!」
いつになく高圧的なマイヤーの口調に、警備兵たちは一も二もなく走り出した。全員が出ていくのを見て、マイヤーはディクソンの元へと急いだ。
「ディクソン様、念のためこれをお召しになってください」
その声で、ディクソンはフッと我に返った。横を見ると、マイヤーが自分の戦闘服を差し出していた。
「マイヤー……」
「彼らの目的が奈辺にあるのか、まだ知れないのですから」
「……あ、ああ、すまない」
ディクソンは戦闘服を受け取った。ロングコートを羽織り、軍帽を深く被り、手袋をつける。それからロングコートの前をしっかりと閉め、顔を隠すように目元まで引き上げた。
「見張りを追い出しましたので、私はここに残ります」
「ありがとう、助かった。……では、行ってくる」
「どうぞ、ご武運を」
ディクソンは魔力式のリフトを使って、一気に地上へと降り立った。ちょうどそのとき、先頭の馬車が要塞前に止まった。すでに兵士たちは整然と整列している。
「アンドレイ、見てくれ、この軍勢を! これ全部──王の盾全軍が俺たちの部下になったんだ!!」
馬車から降りてくるなり、エヴァンスはおもちゃを買ってもらった子供のような笑顔でそう言った。
「俺たち……ですか?」
ディクソンの声は、驚いているようだったが、それ以上の感情は読み取れなかった。目元以外を覆う黒装束によって隠されていたから。
「そうだ! 俺とお前だ。アデル様は正式にお前を副司令官に任命してくださった。そしてあの王の盾を、あのエリート貴族どもを俺たちの部下につけてくださったのだ!!」
エヴァンスは、喜色満面の笑みを浮かべていた。
「これであと一歩だ、アンドレイ。今度の実験さえ成功すれば、俺たちは貴族だ。ようやく俺たちの夢が叶うんだ!!」
「そう……ですか」
熱っぽく語るエヴァンスに比して、ディクソンの反応は冷めていた。エヴァンスはそれを一瞬訝しんだが、周りに部下たちがいることに気付き、軽く咳払いをした。
「……いや、戻るのが遅くなってすまない、ディクソン。なにぶんこの軍勢だ、何をするにも時間がかかってな」
エヴァンスは威厳のある司令官を演じようとしたが、その声は喜びを隠しきれていなかった。
「いえ、ちょうど今朝、要塞の修繕工事が終わったところです。例の実験は、今ブラウンが最終確認中で、何も問題がなければ予定通り明日行える、とのことです」
ディクソンは、淡々と事務報告を済ませた。
「そうか!」
エヴァンスは手を打って喜んだ。
「ならば今日のうちにケモノどもの根城を正確に突き止める。ゴーレムを出せ!!」
「……はい。すぐに偵察用ゴーレムを召喚し、獣人のキャンプを探らせます」
ディクソンは静かに復唱した。その表現に多少の誤差があったことに、エヴァンスは気が付かなかった。




