47 ナディエ・ディエ
地面でひっくり返っているサムを見下ろして、シアは喜びに打ち震えていた。
(オレ、異世界人してる~~~!!)
この世界に来て、初めてそう思うことができた。それは、現地人に対する優越感ではなく、ようやく異世界の知識が役に立ったという嬉しさだった。
これまでのシアはただの無知な人間でしかなかった。周囲の人々からこの世界のことを教わるだけで、何も返すことができなかった。この世界のことを何も知らないのだから仕方ない、そう理解していた。それでもせめて、異世界の知識でもってこの世界にはない新しい発想を生み出したかった。それがようやく叶ったのだ。シアの喜びはひとしおだった。
山に風穴を開けて道を通す、そんな元の世界での当たり前の発想がこの世界にはなかった。オレの異世界の知識がズートア要塞の存在意義に風穴を開けたんだ……シアは心の中で、ガッツポーズしていた。
しかし、
「そりゃあ不可能だ」
フッと軽く笑って、ヴェルフがあっさりと言った。
「……へ?」
すっとんきょうな声を上げたシアに、フィラが笑いかける。
「あの壁は自然のモノとは違うからね、魔法も物理も受け付けないんだよ。もちろん地中もね」
「なんやねん、普通に言うんかい! ワイがこんなリアクションしてんのにぃ~」
サムは口を尖らせながら、のっそりと立ち上がる。
「あの壁──ナディエ・ディエは、大昔に魔法で創られたモノなんや」
イスを起こしながら、サムが何気なく言った。
「ま、魔法!? あれが魔法だって言うんですかッ!?」
シアは驚いた。世界を区切るように横たわるあの長大な壁が、魔法によって創られたモノだとは信じられなかった。が、シアにも少し思い当たる節があった。
『まるで子供が砂場で作ったようだな』
それは、獣人の森の入り口からナディエ・ディエを見たときに、シアがぼんやりと感じたことだった。
(まさか、本当に……?)
シアは、ブンブンと首を振った。
(いやいや、そんなバカな。あんなモノ、人間が創れるはずないじゃん、サムの冗談に決まってる)
そんなシアの考えを見透かしたように、フィラが笑う。
「もちろん、人間が創ったんじゃないよ」
「人間じゃ、ない?」
「女神の子供が創ったんだ」
ヴェルフが自分のグラスに酒を注ぎながら言った。
「め、女神様に子供ォ~!?」
シアは驚愕した。シアの世界も女神信仰が盛んだったのだ。シアの家族は信心深くなかったため、詳しいことは知らないが、女神に子供がいるなんて聞いたこともなかった。冷静に考えると、別世界の話なのだから当然だが。
「ただの伝説なんやけどな」
サムがよっこらしょとイスに座りながら言った。
「ナディエ・ディエは、女神様の子供が『誰も通さん』って強い意思で創った、っていわれてるんや。だからあの壁にはえげつない量の魔力が流れてるって。ワイらもそんなにアホとちゃうから、これまで幾千万もの獣人や魔人たちが、あの壁に穴掘ろうと挑戦してきたけど、キズ一つ付けられへんかった。ってか、数百年? いや少なくとも千年以上か? よお知らんけどそんくらい永~~~い間、風雨にさらされ続けてるのにあの壁の表面は今までつるっつるや。アホみたいな大きさだけでも人間業やないのに、その上自然に勝つほどバカみたいに頑丈。せやから伝説になった。……まぁ、流石に内側はそこまで硬ないらしくて、カレルセはそこから魔力吸い取ってねんけどな」
「でもそれ、おかしいですよ!」
シアが声を上げた。
「なにが?」
「だって、ナディエ・ディエにはスパーダストラーダ峡谷とか、あと他にも同じような峡谷があるんでしょ?」
サムの話が本当ならば、ナディエ・ディエに向こう側まで通ずる峡谷などあるはずがなかった。
「せや、峡谷は三ヶ所もある。だから女神様の魔法やのうて、女神様の子供の魔法なんや」
サムは、どこか得意気だった。
「……?」
シアは眉間にシワを寄せた。
「これはこの世界の歴史……ってかただの伝説なんやけど、世界を創った女神様には二人の子供がおったんや。武芸百般を極めた兄と魔法を極めた妹や。三人は仲良し親子やったらしいんやけど、あるとき喧嘩になったんや。理由までは伝わってないけど、妹が兄にキレたんや」
サムは、途中から気持ち小声になっていた。まるで、ゴシップを撒き散らす噂好きのように。
「神様の、家族喧嘩ですか……」
シアは、ゴクリと唾を呑んだ。
「そんな構えなくても大丈夫だよ。喧嘩ってったって、殴り合いの激しいやつじゃないからサ」
「そう、なんですか」
シアは、何だかホッとした。
「家族喧嘩でも、神一家がすりゃあ世界がメチャクチャになるだろうからな、自重したんだろヨ」
「いやいや、神様も人間と同じで、上の子には勝てないって、下の子が知ってたんだと思うよ」
ヴェルフとフィラが、それぞれの解釈を述べた。
「そんなことはどっちでもエエんやけど、とにかく、怒った妹は誰にも会わんように閉じ籠ろうとしたんや」
「あっ! それ、ウチの弟妹たちもよくやってました。ウチの場合は妹の紫苑の方がしっかりしてるから、ほとんど弟の藍の方だったんですけど。怒ったときも怒られたときも、へそ曲げて押し入れに閉じ籠るんです」
その度に、兄は押し入れの前に座って、弟を慰めた。その間、妹は部屋の外から心配そうな顔で覗いていた。弟が機嫌を直して出てくると、三人で仲良くおやつを食べた。何でもない日常、いつまでも続くと思っていた日常。だが、今では夢となってしまった日常。
シアは、二人のことを思い出して泣きそうになった。懐かしくて、温かくて、涙がこぼれそうだった。
「そんくらいなら可愛らしいんやけど、女神様の子供の場合は次元が違った。閉じ籠るためだけにナディエ・ディエを創ったんや」
「………………」
押し入れ感覚で世界の形を変えるとは……シアは開いた口が塞がらなかった。
「ワイら人間やとそういうリアクションになるけど、相手は同じ次元の存在やから簡単に破られてしもた。女神様は魔法でナディエ・ディエに穴開けて、兄は剣でナディエ・ディエを斬り裂いて、各々道を作った。せっかく閉じ籠ろうとしたのに、ずかずか侵入されたら妹は堪ったもんやない。だから、妹もナディエ・ディエに裏道創って逆にそっから飛び出したんや」
そこでサムは、ニッと意味深に笑った。シアはハッとした。
「……それが三ヶ所の峡谷!」
サムが、指をパチンっと鳴らした。
「大正解! これが峡谷の正体や。ちなみに、剣で斬られたんが獣人連合んとこの峡谷で魔法がマギアんとこ、そんで裏口が魔人帝国んとこや。さっきは不可能や言~たけど、正確に言うと、女神の子供と同じ次元の力があれば可能や。女神と同じ力じゃないぶんちょっとだけ優しいけど、それでも要塞落とす方がめちゃくちゃ簡単やろうけどな」
言われてみれば、たしかにそうだった。ナディエ・ディエ──女神の子供が創った壁──に穴を開けるくらいなら、ズートア要塞──人間が造った要塞──を落とす方が百倍簡単そうだった。
「じゃ、じゃあこういうのはどうですか!?」
だが、シアは引き下がらなかった。どうしても異世界人したかったのだ。
「オレの世界にあった兵器のミサイル……は流石にムリか、でも大砲くらいだったら、オレの異世界の知識とサムの発明力で再現できると思うんです。それにこの世界の魔法を組み合わせて、ドカンと一気に──」
「それはアカン!!」
突然、サムが大声で言った。シアはビクッと身を縮める。
「あ、ごめん、驚かせてもうたな……。せやけど、それだけはアカン。ワイだってホントは、異世界の技術にめっちゃ興味ある。今だってシアの世界のこと、根掘り葉掘り聞いたいもん……。けどな、それは危険すぎる。別の世界で、何度も何度も失敗を積み重ねて進化した技術を、ハイって渡されても使いこなせるワケがない。この世界の魔力なんかと組み合わせたら、制御できんと世界が滅びるかもしれん。それに、魔力の兵器利用は三国間の条約で固く禁じられてるねん。禁じられてなくても、ワイはする気ないけどな」
サムは苦く笑っていた。
「条約、ですか?」
「通称『レオナル条約』。その昔、一人の大発明家が最強の矛と最強の盾を発明したんや。魔力を利用した兵器なんやけど、それが強力すぎて世界ごと破壊しかけたんや」
「世界を破壊!? それは異世界の技術だったんですか?」
「いや、違う。発明したんはこの世界のヒトや。カレルセのレオナルって発明家なんやけど、そのヒトは超天才で、ワイらとは次元の違う頭脳を持ってたんや。最強の矛は、溜めた魔力をそのまま打ち出すってシンプルな兵器やったんやけど、次元の違う天才が造ったら次元の違うモンができてん」
ハイ! と勢いよくシアが手を挙げた。
「でも、魔力をただ飛ばしても、見かけだけ派手で威力は出ない、って聞きましたよ!?」
「よう知っとるな、ヴェルフだって知らんのに」
サムは驚いたように言った。ヴェルフはワニ肉にかぶり付きながら肩をすくめた。
「カレルセにいたときに、四天王から教えてもらいました」
シアは、飛ぶ斬撃についてマイに質問したことがあった。するとマイは、
「魔力はエネルギー。それを『力』に変換する方法が魔法。つまり魔力は調味料。そのまま食べたら不味いけど、料理に使えばすごく美味しくなる。コックの腕次第でどこまでも、ね♪」
と、コック姿でマイらしい説明をしてくれたのだった。
サムはうんと頷いて、静かに語りはじめた。
「レオナルもそう思ってた。だから王族から兵器開発を命令されたとき、その兵器を造ったんや。数多の発明家が挑戦して、ことごとく失敗に終わったそれを……」
レオナルは戦争が大っ嫌いだった。大切なモノを守るために戦うことには、一定の理解を示すことができたが、見知らぬ誰かを殺しに行くことなぞ、理解できないし、理解したくなかった。人殺しの道具など死んでも造りたくなかった。だが、カレルセでは王族の命令に逆らうと容赦なく処刑された。そしてそれは当人だけでなく、その周りにまで責が及ぶのが常だった。そこでレオナルは、見た目だけ派手で大した威力の出ない兵器、魔力をそのまま打ち出す兵器の開発に着手したのだった。
「せやけど、天才にも誤算があった。試作品の段階で、そこらの有象無象が造ったのと次元が違うくらい頑丈に造れてしもたんや。そのせいで、試作品はズートア要塞に配備されることになった」
溜めた魔力をそのまま撃ち出すという兵器の特性上、威力を上げるには溜める魔力量を増やすしかなかった。しかし、有象無象の発明品では十数人程度の魔力にしか耐えられなかった。そのため、威力不足とされ、実戦投入されることはなかったのだ。
「そんで運の悪いことに、ちょうどそのタイミングで、ハーピーの一族がズートア要塞に総攻撃仕掛けたんや。そん当時も要塞防御の要は地上のゴーレムやったから、空飛ぶハーピーの大軍なんてどうしようもなかった。慌てふためいたカレルセは要塞の魔力、すなわちナディエ・ディエの魔力を試作品にぶちこんで、発射したんや」
その一発で、空を覆うようなハーピーの大軍は壊滅した。ナディエ・ディエの魔力は、ただ飛ばしただけでも想像を絶する破壊力だったのだ。
「完全に誤算とはいえ、大量殺戮兵器を生み出してしまったことに絶望したレオナルは、兵器の開発中止と完全な破壊を申し込んだ。けど、当然そんな認められへん。なんせ王はウキウキや。この兵器があれば世界は我が物だ、って。そんでレオナルに、壊れた試作品の修理、完成、大量生産を急げって命令したんや。でも、レオナルは耐えられへんかった。自分の発明品が、これ以上誰かの命を奪うことに。だから亡命した」
シアは目を見張った。
「でも、それじゃあ家族は……」
サムは悲しそうに首を振った。
「おそらく皆殺しにされた。それを分かってて、それでもレオナルは自分で造った悪魔を止めるために亡命したんや」
「なんで……」
シアは顔を歪めて呟いた。
「悪魔を造った責任を取るためと、これ以上の殺戮を見てらへんかったんやと思う。発明家にとって、発明品は我が子にも等しいからな」
大量殺戮兵器と化した我が子を止めるために、レオナルはドワーフの国へと亡命した。そして獣人連合国と魔人帝国の両方に協力を申し込んで、死に物狂いであの悪魔を止める方法を探した。だがしかし、いくら天才と言えどたかが人間、ナディエ・ディエの魔力に対抗する方法など見つけらず、時だけがどんどん過ぎていった。唯一の救いは、レオナルが亡命したことでカレルセの兵器開発の速度がガクッと落ちたことだった。とはいえ、カレルセにはレオナルの造った試作品が残っている、完成は時間の問題だった。
「けど、まだ戦争が続いているってことは止めれたんでしょ?」
シアの質問に、サムは神妙な面持ちで頷いた。
「自分の造った悪魔を止めるために、レオナルは『魂』を売った。文字通りにな」
「魂!? あの身体の中にあるってアレですか?」
「せや。魂は生き物なかで蓄積されて、結晶化した魔力の塊みたいなもんで、めっちゃ力持ってんねん。レオナルは、周囲の動植物の魂を強制的に吸収して、シールドを形成する発明品を造ったんや」
シアは、再びハッとした。
「……それが最強の盾!」
だが、今度は指パッチンはなく、サムは静かに頷くだけだった。
「うん、その通り。けど、これは追い詰められた天才の最終手段で、重大な欠陥があったんや」
「欠陥?」
「魂を奪われたらその生き物は死ぬ。それに魂を強制的に吸収するって言うたかて、強い魂には抵抗されるから弱い魂やないと吸収できひんかった。だから大量の生き物を殺す必要があったんや。ナディエ・ディエの魔力に対抗するには、数百とか数千の魂が必要やったらしい」
その発明品のおかげで、獣人連合国と魔人帝国はようやくカレルセの兵器に対抗できるようになった。しかしその後、レオナルは忽然と姿を消してしまった。
「実際、戦争で何度か使われたんやけど、最強の矛と最強の盾はほとんど互角やったらしい。せやから、三国の間でより兵器開発の熱が高まったんや。獣人連合国と魔人帝国が魂使った兵器を開発したら、カレルセは魂を最強の矛に使ってさらに強力な兵器を開発する。そんな開発合戦を繰り広げて、その結果、生き物を殺しすぎて荒廃した死の大地が広がとった」
それを目の当たりにして、世界はようやく気が付いた、このまま兵器開発を進めれば世界が滅びる、と。それからすぐに三国は、魔力と魂を使った兵器を禁止した条約、レオナル条約を締結し、全ての兵器を廃棄した。
「それから一度も兵器は使われてないし、今はもう荒廃した大地にも緑が戻ってる」
サムの話に、シアは以前の世界を思い出していた。科学者なのか政治家なのか高級軍人なのかは知らないが、とりあえず一般人より賢いとされるはずの人々が、愚かにも欲望のまま突き進み、ボタン一つで世界が滅ぶと言われた世界を。
「……ごめんなさい」
シアは震える声で謝った。この世界にどんな影響があるかなんて、考えもしなかった。身勝手で、その上しょうもない、異世界人したいなんて意味不明な思いで、この世界を滅びの道へと誘いかけたのだ。いくら反省しても足りなかった。
「シアが謝ることじゃないよ。アンタは、アタシたちのことを思って提案しただけなんだからさ」
と、フィラが笑いかけたが、シアは俯いたまま小さく頷くだけだった。
「……それにしても、そのレオナルってヤツも天才なんだったら、欠陥のない盾を造ってくれりゃあいいのにね」
フィラは、サムに視線を移して言った。サムは何か言おうと口を開けたが、それより先にヴェルフが答えた。
「いや、レオナルはわざと欠陥を残したんじゃねぇか?」
予想外の場所からの予想外の答えに、フィラは少し驚いた。
「どういうことだい?」
「欠陥がなけりゃあどこまでも兵器開発が続いて、いつまでのレオナルの矛は使われ続ける。それじゃあヤツの望み──矛を止めることは叶わねえ。そうなるくらいなら、いっそ世界ごと矛を破壊する覚悟だったんじゃねぇか?」
ヴェルフはあっけらかんと言って、グラスをグイッと傾けた。フィラとサムは顔を見合わせた。呆れるべきか感心するべきか、判断がつかなかったのだ。結局、
「はぁ~、なんともアンタらしい考え方だね」
と、フィラが言葉を濁した。酒を飲んでいるヴェルフの耳がピクっと動いたのを見て、サムはとっさにパンッと手を打った。
「そんなことより! 落ち込んでるところ悪いんやけど、カレルセでハーピーについて何か聞かんかったか、シア? 噂でも何でもいいねんけど」
シアはゆっくりと顔を上げた。
「……ハーピーですか?」
「せや、ハーピーや。両手と両足が鳥みたいになってる人間や」
「ごめんなさい、聞いてないです。獣人の存在も、ズートア要塞で見て初めて知ったくらいで、カレルセでは一切聞いたことなかったです」
「そうかぁ、ありがとう」
「いきなりどうしたんだい?」
「ホラ、クズハはんがハーピーの里から抜け出したのを探してる言ーてたんやんか。せやから、カレルセとかマギアに居るって情報あったら、四天王との戦いにクズハはんを巻き込めるかなって……」
色々と疑問が浮かんだが、シアは何も聞かなかった。そんな気分ではなかった。
それから少しして、シアは一人、先にテントへと帰っていた。寝る前に、日記を書きたかったのだ。
「最後に書いたのはいつだっけ……」
と、カバンから日記を取り出して、パラパラと捲る。そこには筋トレの記録と、弟妹への思いがびっしりと綴られていた。それは自分でも呆れるほどだった。
「はは、返事なんて返ってくるはずないのに」
シアは乾いた笑みを浮かべた。乾いた笑いでも笑いは笑い。なんとも情けない理由だが、シアの気分は少し上向きになった。
「藍と紫苑も笑ってくれるかな」
そう思い、二人の笑う顔を思い浮かべると、シアの気分は一気に上を向いた。
「よし、書くぞ!」
シアは、改めて日記と向き合った。




