43 追憶のアラカルト──シアと不器用な家族
午後の暖かい陽射しの中、巨大ワニは骨だけになった身体で寒そうに横たわっていた。骨格標本の製作者たちは、出来に満足したのかぞろぞろとお店に戻り、代わりにドワーフたちがのそのそと群がりつつあった。
シアは、サムの物語がハッピーに終わったことにホッとしながら、温かいスープをずずッと啜り、ほっと一息ついていた。すると突然、
「で、シアのとこはどうやったん?」
と、サムが聞いた。
「えっ、オレですか?」
シアは驚いた。先にこちらが聞いたのだから、聞き返されるのは当たり前なのだが。
「せやな。たしか、ご両親は呉服屋やってる言うてたな?」
サムにそう聞かれて、シアは複雑な表情をした。それを見て、
「言いたないんやったら無理にとは言わんけど」
と、サムは付け加えた。
言いたくはないが、先に聞いて答えてもらってる以上、シアに選択肢はなかった。
「……両親じゃなくて父です」
シアは静かに訂正した。
「うん?」
「呉服屋は父方の家業なんで、両親じゃなくて父だけです」
「なんや、それは悪いこと聞いたなぁ……」
「それで、アンタが弟たちの世話をしてたのかい」
サムとフィラは、しんみりと呟いた。ヴェルフがストレートに聞く。
「ん、なんだ? おっ母さんは死んじまったのか?」
「ちょっと、ヴェルフ! アンタはほんとデリカシーがないね」
「あっいえ、生きてます。職業が違うだけで母もちゃんと生きてます」
シアは慌てて訂正した。
元の世界では、この言い方でも誤解を生むことはまずなかった。それだけ世界が平和だった。しかし戦争が続くこの世界では、親を亡くすのは珍しくない。
(いや、ありふれたことなのかもしれないな……)
そう思い、シアは胸が締め付けられた。
「そうかい、それは良かった。でもだったら、さぞ心配しているだろうね」
「何がです?」
シアは、本当に何のことかわからなかった。フィラは眉をひそめる。
「何がって……子供が突然消えて何ヵ月も帰ってこなかったら、当然、どこの世界の親だって心配するだろう?」
そういえば、孤児院の院長にも同じようなことを聞かれたことがあった。あのときはまだ、『向こうの時間は止まっている』と、シアは信じていた。しかし今は、そうでないことを知っている。異世界の門の向こう側に、動く藍と紫苑を見たから。
それでも──。
「大丈夫です。下手したら、二人ともオレが消えたことにも気付いてないかもしんないです」
シアは笑って答えた。家のドアごとこの世界に喚ばれたから流石に気付いているとは思うが、それでもあの両親が自分のことを心配しているとは考えなかった。
「なんや? 自分もおとんとおかんと仲悪かったんか?」
「いえ…、悪い、わけではないです……」
もし仲が悪かったとしても、サムの昔話の後ではとても言えないだろうな、と、シアは思った。それから
「ただ、二人とも仕事人間でほとんど家に帰ってこないんで」
と、苦く笑った。
「そうかい。それは寂しいねぇ」
「オレはいいんです。もうそんな年じゃないし、小さいときは両親の代わりにおばあちゃんが居てくれたんで……」
「シアがこんな素直なえぇ子に育ったんは、きっとおばあちゃんのおかげやねんな」
サムがにっこりと笑った。
「そう言ってもらえると嬉しいです」
シアは穏やかに笑った。自分が良い子なのかはわからないが、おばあちゃんが褒められるのは嬉しかった。
「たしか、裁縫教えてもらったって言ってたな」
ヴェルフが思い出したかのように呟いた。その瞬間、シアの目がクワッと開いた。
「違います! それは祖母です。あと、教えてもらったんじゃなくて叩き込まれたんです!」
シアは火を吐く勢いで言った。だが、ヴェルフは動じない。
「アァ? おばあちゃんも祖母も一緒だろ!?」
「ゼンゼン違います! たとえ世間では一緒だったとしてもオレの中では違います。おばあちゃんは優しくて温かくて大好きでした。でも、祖母は厳しくて冷たくて大っ嫌いです!!」
シアのあまりの剣幕に、三人は顔を見合わせた。
「お、おぉそうか、よくわからんが悪かったな」
「まぁ…家族って言っても人間同士なんだから、どうしても合う合わないはあるよ」
フィラのその言葉に、シアは何故だが少しムッとした。
「チョイ待ちぃや、フィラ。たしかに相性もあるけど、その前には必ず問題行動があるんやで。それを相性で簡単に片付けんといてぇや」
サムは、ほとんど反射的に反論していた。
「別に、アンタとドブルスのことを言ったわけじゃないよ。それにアンタたちは家族じゃないだろ」
フィラは、冷たく言い放った。
「せやけど……」
サムは思わず頷いてしまった。それからハッと首を振る。
「いや、ちゃう! これはシアの話や。あんまり帰ってこんような親にでも仲悪ない言うシアが、大っ嫌いとまで言うんやから、それは相性云々やのうて祖母の方に問題行動があったんやと思うで。せやのにそれを相性で片付けたら、シアにも悪いところがあるみたいになるやん」
「それは……たしかにそうだね。ごめんなさい、シア」
フィラは、少し考えてからシアに頭を下げた。
「いえ、そんな謝るようなことでは……」
シアは恐縮した。すると、サムがポンっと手を打った。
「ほんならこれで仲直りやな。……で、祖母と何があったん? 良かったら聞かせてぇや」
サムは、前のめりだった。良かったらと言いつつ、聞く気まんまんだった。
「あっ、そっちとこっちじゃ常識とかもちゃうやろうやけど、詳しい説明とかいらんで。ワイらがそっちに行くことないし、雰囲気で聞いとくから」
と、付け加えから、サムは『はい、どうぞ』とばかりににっこりと笑った。
シアは、話したくないどころか、思い出したくもなかったが、サムに聞かれたら仕方がない。話さざるを得なかった。
「大した話じゃないんですけど、祖母は本気で、裁縫をオレの体に叩き込もうとしたんです」
シアは静かに話しはじめた。
「祖母は……父方なんですけど、さっきも言った通り父の家系は代々呉服屋だったんです。うちの店は古かったんで店舗兼自宅になってて、藍と紫苑が生まれるまで、両親とオレと祖母の四人で暮らしてたんです。それでオレは長男だったから、祖母が躍起になってたんです。店を継がせるため、一族の裁縫技術の粋を継承するって……」
思い出すのは古い家の、寒くて薄暗い小さな部屋。祖母の監視のもと、冷たい畳の上で正座させられて、延々と布に針を走らせた。
「祖母の教え方は、控え目に言ってもクソだったんです。オレはまだ小さかったのに、見て覚えなさいの一点張りで、ろくな説明もアドバイスもなくって、そのくせダメだしだけは強烈で、『もっと速く! もっと丁寧! もっと正確に!』とか『本当にこの家を継ぐ気があるのですか!?』とか散々言われて、何度も何度も手を叩かれた……」
祖母の顔も思い出せないが、あの冷たい声と冷たい手だけは強烈に覚えていた。
「なんやそれ!? ほんまに教える気あるんか!」
サムは、顔をしかめて言った。
「偉そうに他人に教える前に、自分がちゃんとした教え方を学んで来いや」
「オレも、今はそう思います。だけどあの時はまだちっちゃくて、この教え方が間違ってるなんてわかんなくて」
フィラは静かに訊いた。
「アンタの親は、ばあさんを止めなかったのかい?」
シアは頷いた。
「これは、本当に気付いてなかったと思います。祖母も仕事人間で普段は店に出てたんで、裁縫の稽古はいつも祖母の休憩時間だったんです。夕方の休憩時間にオレを保育園まで迎えに来てくれて、そっからって感じで……。その時間帯、両親は仕事で家には居なかったし、オレはオレで言わなかったし……」
言わなかったのではなく、怖くて言えなかったのだ。裁縫が下手クソだとバレれば、両親に捨てられてしまうのではないか、幼いがゆえに、シアはそんな馬鹿げたことを本気で恐れていた。
「そうかい。仕事も大切だろうけど、もっと大切なモンはいっぱいあるのにねぇ」
フィラは苦々しく呟いた。シアは、何も言えなかった。
「要塞で服を縫ってたのが裁縫技術の粋ってヤツか?」
ヴェルフが何気なく聞いた。シアは笑って首を振った。
「違います。オレは裁縫技術の粋を継承してないんです。その前に藍と紫苑が生まれて、オレは両親と新しい家に引っ越したんです。それで祖母とは離れられたんで」
新しい家は、店と同じ街だった。それゆえ転校する必要もなかったし、祖母に会おうと思えば徒歩でも会いに行けた。それでもシアは会いたいとは思わなかった。一度も。
「両親は今も、職場から近い店の方で寝泊まりしてるみたいで、新しい家にはほとんど帰ってないんですけど」
「そうかぁ。こう言うのもアレやけど、弟妹ちゃんが双子で良かったなぁ~」
「なんでです?」
「だって、家族が一気に二人増えて、家が手狭になったから引っ越したんやろ?」
「へっ……?」
シアはすっとんきょうな声をあげた。そういうわけではなかった。店は、老舗の呉服屋だけあって広かったのだ。昔は従業員たちが住み込みで働いていたから、二、三人増えたところで部屋はまだまだ余っていた。
「なんや違うんか? 話し聞く限り、おとんとおかんは仕事で忙しいヒトらやってんやろ。それがわざわざ仕事場から遠いとこに引っ越すなんて、それくらいしかないちゃう?」
シアは首を捻った。
「たしかに……」
言われてみればそうだった。母は車通勤だったが、それでも病院まで遠くなってたし、父なんて職場から徒歩ゼロ分、どう頑張ったって遠くなる。あの両親がそんなことを考えずに家を建てたとは思えなかった。
「なんででしょう?」
シアは今まで考えたことも、気にしたこともなかった。
「知るか。オメェん家の話だろ」
ヴェルフは冷たく切り捨てた。
「はぁ~~~、こンのふかふか狼はまったそんな冷たいこと言いよって」
サムは大げさにため息をついた。シアは苦笑いするしかなかった。
引っ越したとき、小学校低学年だったシアは、引っ越しの理由など聞かされていなかった。というより、何か言ってたような気もするが、どうでも良かったから覚えていなかった。大っ嫌いな祖母から離れられて、大好きなおばあちゃんと一緒に暮らせる。そして、久しぶりのお父さんとお母さんとのお出かけ。それだけで胸がいっぱいだった。
(たしか、引っ越しは突然だったな……)
シアは目を瞑って、過去を掘り起こした。
それは藍と紫苑が生まれる前──お母さんが産休に入ってからだった。小さなシアが、自分の部屋でいつものように学校へ行く準備をしていると、父と母が部屋に入ってきた。両親が揃って部屋に来るなど初めてだったから、小さいシアはとても驚いた。そしてこれが最後になるのだが、シアは知る由もなかった。
シアが驚いていると、両親は優しく微笑んで言った。
「今日は学校を休んでいい。一緒に出掛けるぞ」
「お母さんの、おばあちゃんの所に行くのよ。さぁ着替えて。このお家には帰ってこないから、大切な物はこのカバンに入れてね」
両親と一緒に荷造りをして、そのまま両親に手を引かれて、おばあちゃんの家まで歩いて行った。人でごった返しているアーケード街で色んな物を買って、途中公園でさっき買ったお弁当を食べて、おばあちゃん家に着いてからも一日中両親が遊んでくれた。
(そう、か……、あのアーケード街は、店の近くの……)
巨大ワニでよみがえったアーケード街の記憶はこのときの記憶だった。そして、手を繋いでくれていたのは両親。
(そうだ……! あの絵本はこのときに買って貰ったんだ……)
大好きだった救世主の絵本。唯一両親が選んでくれたプレゼント。それが何より嬉しかった。はずなのに……。
(なんで、忘れてたんだろう?)
シアはそう思って、さらに過去を掘り起こそうとしたが、その前にフィラの優しい声がした。
「やっぱり、両親はシアを心配してたんだよ」
その声が、シアを引っ越しの理由探しに引き戻した。
「心配、ですか……?」
シアには全然ピンとこなかったが、フィラは力強く言い切る。
「そうだよ! 何かしらでばあさんの虐待を知った親が、シアを守るために引っ越したんだよ!」
たしかに、母は産休で家に居たから、祖母の稽古を知る機会はあった。そしてよくよく思い出してみると、一度おばあちゃん家に引っ越してから、そこで新しい家が完成するのを待って、おばあちゃんと一緒に新しい家に引っ越したのだった。
(まさか、祖母からオレを守るためだけに、家を建てて引っ越した……!?)
非現実的なことだが、それが一番理にかなっているような気がした。
シアは、自分の家がけっこう裕福だと知っていた。両親の職業とほとんど休みなく働いていること、そして仕事以外には興味がなくほとんどお金を使っていないこと、それらを鑑みれば自明の理だった。実際、家政婦さんを雇う金銭的余裕がある。
それでもシアは、自分のためにあの家を建てた、とは思えなかった。裁縫の稽古を止めさせたのであれば、祖母に注意すればいいだけの話。そしてあの両親は、気に入らないことは誰にでもハッキリと言うタイプだった。だが同時に、注意した上で自分たちに出来る最大限の対策を講じるのもあの両親らしい、と、シアは思っていた。
「………………」
シアは雑念を振り払うのように、大きく頭を振った。
「もうどうでもいいんです。どうせ過去のことですし、今のオレには藍と紫苑がいるんで。オレは二人を守らなきゃいけないから」
それ以外は二の次だ、そう自分に言い聞かせるようにシアは言った。
周りの大人たちが苦い顔をしていることに、シアは気が付けなかった。




