41 シアと空飛ぶワニ
太陽がほとんど真上まで昇り、午前を終わらせようとしていた。ぼちぼち起き出してくる獣人も少なくなり、道端にしゃがみこんでいるヒトに興味を示す者は少なくなっていた。
シアは、一人で黙々と山菜を採っていた。だが、内心はすごく不安だった。待てど暮らせど、危険な湖へと狩りに出掛けたヴェルフとサムが戻ってこないからだ。
(そろそろお昼だよな。だったらもう戻ってくるはずなのに……)
シアはチラリと振り返った。ヴェルフとサムはいない。
昼からはフィラが魔法の訓練をしてくれる。だから二人は昼には戻ってくる、シアはそう思っていた。しかしよくよく考えてみると、二人が直接そう言ったわけではないし、二人が魔法の訓練に付き合ってくれるとも限らない。
(それとも、今日は一日中狩りをするつもりなのかな?)
それならそれでよかった。そしてその可能性も大いにあった。それなのに、
(だけど……もしかしたら、二人の身に何かあったのかもしれない……。獣人でも行方不明になるって言ってたし……)
と、そんな不吉なことを考えてしまう。自分があの二人を心配する立場ではないと分かっていながら、それでもシアは考えずにはいられなかった。頭に浮かんだ不吉な影に悩まされていた。
(ああーーーー! ちゃんと聞いとくんだったぁ~~~!!)
シアは、何もわかっていないのに『わかりました』などと安易に答えた自分を呪った。それから、悩んでもところでどうしようもないことで悩まないよう、無心になるために山菜と向き合った。
しばらくして、道の奥から大きな声が聞こえてきた。
「おーい! ワニ通るから道空けてぇ~~~!!」
(この声は、サムッ! 帰ってきたんだ!!)
シアはパッと顔を輝かせて振り向いた。そしてギョッと固まった。
遠くの方に、見たこともないような巨大なワニの頭が見えたのだ。頭だけでほとんど道幅いっぱいの大きさで、前からは頭しか見えず、全身がどれほど大きいのか想像もできなかった。それでも頭がだらんと垂れ下がっているので、死んでいることだけはわかった。
(たしかに、道を空けてもらわないとコレは通れないな……)
シアは、巨大ワニを見上げて納得してしまった。すぐにハッとして、首を振る。
(って違う!! デカ過ぎんだろっ!! えっだって、垂れ下がっている頭の部分だけでオレより大きくない??)
シアは唖然としながら、巨大ワニの大きさを確かめるように少しずつ視線を下げていった。すると、ワニの頭の奥に緑色の人影が見えた。
「あっ!」
小さく声を上げて、シアは巨大ワニに駆け寄った。
「お帰りなさい、サム! …ヴェルフも!!」
サムは、ワニの前足の付け根辺りを肩に担いでいた。そしてその後ろ──尻尾の付け根辺りにヴェルフがいた。ワニから滴る水のなのか、それとも汗なのか、ヴェルフはグッショリと濡れていた。そして二人の背中には背負い籠。
「ただいま、シア。見てみぃ! ドラゴンやで!!」
「えっ、ドラゴン!?」
シアは、顔を真っ赤にして叫んだ。元の世界では夢物語でしかなかったドラゴンが、あの伝説のドラゴンが目の前にいる!! ……死んでいるけども。
「この世界には普通にドラゴンがいるんですかッ!?」
シアは感激のあまり泣きそうだった。しかしその感激は、サムによって一瞬で打ち砕かれた。
「や、ごめん、冗談。コイツは空も飛ばれへん、ただのものゴッツイ大きいワニや」
「へ……?」
「ドラゴンはこの世界でも伝説上の生き物や。……でも、物事なんて考え方一つやし、ドラゴンってだけでそんなに喜べんのやったらドラゴン思っててもええんとちゃうか?」
(そ、そういうものなのだろうか?)
シアがぽかんとしていると、ヴェルフの怒号が飛んできた。
「んなことどうでもいいから! さっさと進めッ!! こっち重すぎて死にそうなんだ!!」
「はっ、はいっ。そうですよね、ごめんなさい。オレも手伝、い、ま……──」
シアは言いながら巨大ワニを見上げて、尻切れトンボになった。どう見ても、ちっぽけなヒトが手伝える大きさではなかった。まず、シアとサムたちでは身長差がありすぎてワニに手が届かない。尻尾の先なら地面を擦っているので届くが、持ち上げられるとは思えなかった。
「ええよ、ええよ。キャンプまでもう少しやし、ワイら二人で十分や」
サムは笑いながら、再び歩き出した。シアは邪魔にならないように、サムとヴェルフの間──巨大ワニの下に入った。
運ばれている巨大ワニを、何気なく見上げていたシアはふと思った。屋根みたいだなぁ~、と。シアの脳裏に、小さい頃に行ったアーケード街の記憶がよみがえってきた。
どこまでも続くような立派な屋根に、道幅も……大体このくらいだった気がする。両端にお店がずらっと並び、人と物で溢れているアーケード街。
そして、自分の前と後ろにいる大人。人で溢れている商店街の中、迷子にならないように手を繋いでくれた……これは誰なのだろう。縦に並んで歩いていたからか、顔がわからない。
「誰であっても……屋根は支えてなかっただろうな」
朧気な幼少期の記憶だが、それだけはハッキリと断言できた。
シアはそんなアホなことを考えながら、巨大ワニを支えている二人の大人を見た。サムは余裕そうだった。ご機嫌な様子で足取りも軽い。だが、ヴェルフは見るからにしんどそうだった。息は荒いし足取りも重い。
「大変そうだなぁ~」
完全なる他人事な感想と共に、いつの、どこの記憶なんだろう、と、シアは少し不思議だった。今、シアの住んでいる地域にアーケード街はなかった。
「そっちはどうやった? 山菜採りは楽しかったか、シア?」
サムが振り返って、シアの顔を見ていた。
「あっ、はい。楽しかったです。皆さん手伝ってくれて、思ってたよりいっぱい採れました」
シアは背負っている籠を傾けて、サムに見せた。
「おっ、スゴいやん。どれもこれも珍しい薬草ばっかりやん」
「そうなんです。ヒトのお酒のお礼に、ってアルラウネの皆さんが教えてくれたんです」
「そうか。あの娘ら畑やって酒造ってるから、薬草なんか採る必要ないんか」
サムは一人納得したようにうんうんと頷いた。それから思い出したように聞く。
「せや、魔力なくなり草は大丈夫やったか?」
「はい。この道、何往復かしたんですけど、一回も見なかったです」
シアは少し残念そうに答えた。花にはあまり興味はないが、光っているのならば話は別。一度実物を見てみたかったのだ。近付きたいとは思わないが。
「なんでもアルラウネさんたちが見回ってくれてて、キャンプの近くで見つけたら別の場所に植え替えてるって聞きました」
「そうなんや。どうりで最近見いひんわけや」
サムはもう一度納得したようにうんうんと頷いた。そして、三回目の頷きで首を傾げた。
「うん? 何往復……? もしかして、その籠一個目とちゃうん?」
「はい。これで、五個目くらいです」
「そんなにか。一個満杯にしたら、店でくつろいでくれてよかったのに」
サムは少し驚いたように言った。
「お店で待ってるのも、ちょっと手持ち無沙汰で」
シアは頭をかいた。実は、手持ち無沙汰よりもフィラと一緒に待っている気まずさに耐えられなかったのだ。
フィラは大人だった。逃げ出すように去っていったシアに対しても、いつもと変わらず──いつもと呼べるほど二人は同じ時間を共有してはいないが──温かく迎えてくれた。それでもシアは、大人に成りきれていないシアは、一人で勝手に気まずさを感じ、またもや逃げ出したのだ。採ってきた山菜を引き取ってもらい、もう一度山菜採りへと。
「五個もか……。下手したらワイの獲ってきたの要らんかったんとちゃうか?」
サムがぽつりと呟いた。
サムとヴェルフは、獲ってきた魚をシアに渡すつもりだった。シアが訓練に集中できるよう、自分達の分を後回しにして、先にシアの一ヶ月分の食料を確保するつもりだったのだ。シアに渡す魚が減れば自分達の分が増えるので、それは嬉しい誤算なのだが、今のヴェルフにしてみればただの誤算だった。
「ハァーーーッ!? だったらこのクソ重いワニなんて狩る必要なかったじゃねぇか!!」
ヴェルフは、今すぐ捨てて帰りたい想いに駆られた。しかし今さらそんなこと、できるはずもなかった。
「クッソォーーー! やっぱりクロコの呪いじゃねぇかーーーッ!!」
このとき初めて、ヴェルフはクロコを怒らせたことを後悔した。
「よっしゃ。やっと着いたでぇ!」
「はぁ……はぁ……、やっと、か……」
三人は、やっとのことで獣人キャンプの入り口に辿り着いた。しかしその先には大きな本陣テントがあり、キャンプに入るにはこのテントを迂回しなくてはならなかったのだが……。
「……あのぉ~コレ、通れるんですか?」
どう見ても、ドラゴンサイズのこの巨大ワニは通れそうになかった。
「ムリやろな」
サムはあっさりと言った。
「えっ? じゃ、じゃじゃあ、どうするんですか?」
シアは焦った。少し前からヴェルフの目が虚ろになっており、限界がすぐそこまで迫っているようだったのだ。
「そう心配しなや。川辺に居ったヤツに、先知らせるよう頼んだからもうすぐ……って、ホラ、言うてたら来てくれたわ」
サムがアゴをしゃくった方を見ると、人影がこちらに向かって来ていた。頭から足元まである、マントのような黒い布で全身を覆っており、誰かはわからないが、ゆっくりと、そして時折少しふらつきながらも確実に近寄っていた。
サムもヴェルフも、ひどく重いワニを担いでいると言うのに、急かそうとはしなかった。シアはなんだか緊張した。ヴェルフはただたんに、喋る元気も残っていないだけなのかもしれないが。
人影は、たっぷりと時間をかけて三人の前までやって来た。だが、何も言わなかった。辛抱たまらず、サムが口火を切る。
「いやぁ~、起こしてもうてすんません、クズハはん」
人影の正体は、クズハだった。よく見ると、黒い布もマントではなく毛布だった。クズハは寝起き……というより、まだ半分寝ているようだった。黒い毛布にくるまり、目も半分くらいしか開いていない。ベッドから抜け出してきた、みたいな状態のクズハは、黒地に金の豪奢な扇子で口元を隠し、大きなあくびをした。
「ふぁ~あ、いいのよ。これも仕事のうちだから……。 で、これを持っていけばいいの?」
半分寝ているからか、クズハはドラゴンのような巨大ワニにも全く驚かなかった。
「そうですそうです。本陣テントが邪魔で、ワイらじゃ入れられへんのです。よろしくお願いします」
「はいはい~」
クズハの返事はすこぶる軽かった。
(お店の従業員たちを連れてきて、みんなで運ぶのかな?)
と、シアが思ったそのとき、黒い毛布の下からブワッと九本の尻尾が飛び出し、巨大ワニに巻き付いた。それと同時にヴェルフが倒れ込んだ。それなのに巨大ワニは寸分たりとも動かず、その場に浮かんでいた。サムも座り込む。
「あ~、疲れたぁ。ほんまおおきに、クズハはん」
「じゃ上げるわよ~」
何とも覇気のない声でクズハが言った。その途端、巨大ワニはふわりと浮き上がった。そのままぐんぐんぐんぐん空高く昇り、本陣テントの屋根より高いところで止まった。空高く飛ぶ巨大なワニ。その姿はまさにドラゴンのようだった。
「じゃあねぇ~」
クズハは眠たそうに手を振ると、そのまま何事もなかったかのように帰っていった。ドラゴンを、むしろ風船のように引き連れて。
「……………え~~~~~~ッ!?」
シアは飛び上がりそうなくらい驚いた。気持ちだけならドラゴンよりも空高く飛んでいた。
「あれをあんな簡単に、それもあんなに高く持ち上げれるんですかッ!? お二人でもあんなに重そうだったのに!?」
シアは、サムにすがりついた。サムも苦笑いだった。
「せやね。クズハはんの尻尾は、力だけで言うたら一本につきトロール一人分くらいの力やからな。九本全部使えばあれくらい朝飯前なんやろな」
サムにそう言われて、さらにはまだばっちりと空飛ぶワニが見えているのにも、シアの頭はその事実を受け入れられなかった。理解を超えるクズハの力に、
「流石は、九尾の狐……」
と、呟くしかなかった。
「あっ、トロール一人分言うても平均的なトロール一人分って意味で、ワイはトロールやけど尻尾二本分の力はあるで」
「何意味わかんねぇこと言ってンだ。そんなことよりとっととメシだメシ! 喰わなきゃやってらんねぇヨ!!」
ヴェルフは何だかヤケクソ気味だった。三人はクズハの店へと向かった。




