40 おしゃべりサムと湖の主
寂しそうなシアをほっぽって、ヴェルフとサムはどんどん奥へと進んでいた。
「なぁ、ヴェルフ。アイツらが逃げへんかったら、お前は本気で吠えるつもりやったんか?」
「あぁ? 逃げたんだからそんなことどうでもいいだろ」
「だから、もし逃げへんかったらどうしたん? っていう仮定の話やん!」
「だから、もう終わった仮定の話に何の意味があるんだよ!」
「あっ! そんなこと言ってたら自分、女の子にモテヘんでぇ」
「あ? 自分を変えてまでモテようなんざ思わねぇヨ」
サムは、ニヤニヤと笑った。
「せやな。ヴェルフにはフィラがおるもんな」
「はぁ!? 何でそこでフィラが出てくんだよ! アイツは、そんなんじゃねーよ! ただの…腐れ縁だ!!」
「ほんまにぃ? 子供ん頃からずっと一緒におるんやろ?」
サムが面白そうにヴェルフの顔を覗き込んだ。
「しゃあねぇだろ。今となっちゃ、暴走した俺を止められるのはアイツくらいなんだからサ」
「またまたぁ~、そんなこと言って──」
「ああ~~~! 分かったよ。仮定の話に付き合えばいいんだろ!」
ヴェルフが大声でサムの言葉を遮った。しつこさに辟易としたのだ。そしてそのまま強制的に話を戻す。
「俺はハナッから吠えるつもりなんてなかったヨ。てか、クズハが寝てんのに二回も吠えたら殺されるつーの」
今は過去の仮定の話よりも未来の──ヴェルフとフィラの家庭の話の方が気になるわぁ~、と、サムは言いかけたが、流石に怒られそうなのでグッと堪えて違う言葉を口から出した。
「……せやったら、もし逃げへんかったらどうするつもりやったんや?」
ヴェルフは灰色の瞳を冷たく輝かせ、握り拳を作ってサムを睨み付けた。
「そんなの決まってるだろ。ウルセーヤツは全員まとめて殴り倒す!」
お前も例外じゃないぞ、と、ヴェルフの瞳が語っているようにサムには思えた。それでもサムは、
「おっとろしぃわ~」
と、大げさに怖がっているフリをして答えた。
「ケッ! ほら、さっさと行くぞ!」
「わぁー待ってぇや、ヴェルフ~。……せや、お前がおらん間に新しい発明品造ってん。何やと思う?」
「興味ねぇ」
「そんな意地悪言わんと聞いてぇな~」
「断る」
「正解はなんと──」
そんな会話をしながら、二人は川に沿ってさらに奥へ奥へと進み、ようやく目的の湖に到着した。
「やっと着いた~~」
「それはこっちのセリフだ。一人で来たときよりどっと疲れたぜ」
ヴェルフはボソッと呟いた。結局、道中ずっとサムのおしゃべりに付き合わされていたのだった。
「ん? 何か言ーたか?」
「いや。やっぱりここまでは俺の声も届いてないみたいだな、って」
鬱蒼とした木々に囲まれた、大きな大きな湖。森の新緑を溶かしたようなエメラルドグリーンの水は透き通っており、生い茂った水草の間を大小様々な魚が泳いでいるのが見える。湖の中心部では水鳥たちが優雅に揺蕩い、向こう岸では大鹿が水を飲んでいた。
この水系は、獣人連合キャンプの生命線だけではなく、この森の動物たちにとっても命の水だった。湖を囲む木々のそここに獣道があり、その中には何か大きな生き物が通ったのか、木々をなぎ倒し、何かを引きずったように地面が抉れている場所もあった。
サムは、湖の畔に立って網を構えた。
「せやな。でっかい魚もぎょーさんおるし、ここまで来て正解やったな! ほなヴェルフ、頼んだで!」
ヴェルフも湖の畔に立った。下手くそに網をぶつけられないよう、サムからは大きく距離を取っていたが。
「ヘーヘー。簡単に言ってくれるが、逃がすのと違って集めんのは色々面倒なんだぜ」
二人は猟師であっても漁師ではない。シアの安全とクズハの店の在庫を考慮した結果、漁の方が効率がよかった。だから漁にしただけであって、二人とも漁の経験が乏しければ技術も乏しい。それゆえに二人の漁は至極単純だった。
ヴェルフが魔力を籠めた『声』で魚を集め、サムがそこに網を投げる。そのままサム一人でずりずりと湖底を擦りながら網を引き揚げ、網に入っている魚たちを籠に移す。その間にヴェルフが『声』で魚を集めなおす。たったそれだけだった。それでも大量の魚を捕まえられるほど、この湖は豊かなのである。
ヴェルフの『声』に集められたのは、何も魚だけではなかった。リスや鳥などの小さな動物たちも引き寄せられていたのだ。ほとんどの動物は森の境界の草むらに身を隠していたが、たまに命知らずの肉食動物が籠に入れそこなった小さな魚をかっさらに来た。二人はそんな小さな獲物には目もくれず、ひたすら漁を続けていた。
約一時間後、巻き上げられた湖底の泥で湖面は濁り、魚の姿は目視できなくなっていた。
「ヴェルフ! 次で籠一杯になるやろうからもうエエでぇ~!」
「じゃ、ラスト頼んだぜ!」
「まっかせときぃ~!」
サムは揚々と応えた。魚の姿は見えなくとも、魚たちが集まっている所はばしゃばしゃと湖面が騒いでいるので問題なかったのだ。
サムは、これまでと同じように網を投げ、グイッと引っ張った。これまでと同じようにずっしりとした重量感がサムの両腕にかかる。そのまま力一杯引っ張り、一気に網を引き揚げようとしたそのとき、突然網が軽くなり、サムは後ろにすっ転んでしまった。
「いて!」
「何やってんだよ、サム……」
と、ヴェルフが振り返った。そのとき、ふと視界の端に入った森の光景に、ヴェルフは少し違和感を覚えた。何かが変わったような……。
「いや、何やいきなり網が軽なってな……」
眉間にシワを寄せながら、サムは軽くなった網を手繰り寄せた。すると、網は途中で切れていた。まるで何かに噛み切られたように。
「ありゃ、切られてる」
と、サムが肩をすくめた、その瞬間──。
ガバッ!! と湖面が割れ、巨大な何かが大きな口を開けて、サム目掛けて飛び出してきた。網に気を取られていたサムは動けなかった。
(しもたッ──)
それはワニだった。湖面から飛び出ている部分だけでもサムよりも大きい超巨大なワニ。岩のようなゴツゴツした皮膚に、ヒトぐらいなら丸のみに出来そうな大きな口。そしてその口には、巨体に相応しい巨大で鋭い牙がビッシリと並んでいる。
魔力が影響を及ぼすのは人間だけではなかった。魔力はこの世界の生き物全てに作用し、そして全ての生き物の身体能力を向上させ、巨大化又は強靭化させたのだった。
(ああ──魚に惹かれてこっち来たんか。そんでついでにトロールも喰っとこかってわけか……)
迫り来る巨大ワニの牙に引っかかった網の残骸を見ながら、サムは死を覚悟した。いくらトロールといえども自分より大きいワニに噛みつかれては助かりようがない。
サムの頭の中に走馬灯が流れた。
思い出したくもない、幼少期のトロールの村での記憶。異端児として村中のトロールに忌み嫌われ、謂れのない暴力に晒され続けた笑えない日々。そして、教育と称して誰よりも苛烈な暴力を振るった父。
(最期に思い出すんがクソ親父か……)
いつものように激怒した父親に、小さなサムが殴られる。
ドンッ!!
記憶の小さなサムと共に、現実のサムも飛ばされていた。だが、尻餅をついただけで不思議と痛みを感じなかった。
(は……!? 記憶のクソ親父がワイを助けたんかっ!?)
サムは、二重でありえないことを思った。しかしサムを突き飛ばしたのは、記憶のクソ親父でも巨大ワニでもなく、ヴェルフだった。ヴェルフが間一髪のところで、サムと巨大ワニの間に割り込んだのだった。
「ぐっ……」
ヴェルフは両手を目一杯広げて、大きな口を受け止めていた。しかし、巨大ワニは止まらなかった。そのままヴェルフを喰おうと突進し続ける。凄まじい力だった。ヴェルフも全身全霊の力で対抗していたが、じりじりと押されていた。
(クソッ! 間に入ったのはいいが、魔力が足りねぇ! 魚を集めるのに使い過ぎたか……!)
動物の本能を利用して逃げ出されるのと違い、本能に逆らわせて集めるのには多量の魔力を必要とした。加えて、ヴェルフの足元は水揚げしたときの水でぐちょぐちょに泥濘んでいて、踏ん張りがきかずに力が入らなかった。
(ヤベェ! このままじゃ、喰われる!!)
ヴェルフは焦っていた。それにもかかわらず、すぐ後ろからは呑気な声が聞こえてきた。
「いやぁ~~~、クソ親父の顔思い出しながら死ぬとこやったわ~。ほんま助かったで、ありがとうな、ヴェルフ」
「礼なんてどうでもいいッ!! そこ退くか手伝うかしろ! こんな化け物もう抑えてらんねぇよ!!」
「よっしゃ! ほんならそのまま押さえといて」
サムはすっくと立ち上がると、懐から爪楊枝のような小さな木の棒を取りだし、空高く飛び上がった。そして、体を弓なりにして叫ぶ。
「メガトン──」
爪楊枝がグーーーン! と大きくなり、瞬く間にサムの身の丈ほどのこん棒になった。
「ヤベッ!?」
ヴェルフは危険を察知し、すぐさま飛びすさった。バクッン!! と、巨大ワニのアゴがヴェルフのいた空間を噛み砕く。さらに間髪入れず、巨大ワニはヴェルフの着地を狙い、飛びかかった。人狼の跳躍力にも勝る俊敏さだった。あと半瞬あれば、見事ヴェルフを仕留めていただろう。しかしその前に、
「──ハンマーーーッ!!」
と、サムが落下の勢いそのままに、巨大なこん棒をワニの頭へと振り下ろした。
ドッゴーンッ!! と、凄まじい衝撃波が大気を、大地を、森を震わせ、一斉に鳥たちが騒ぎ飛び立つ。
脳天にサムの一撃を食らった巨大ワニは、音もなくその場に倒れ、そのまま動かなくなった。
静かになった湖畔に、ヴェルフとサムは大の字で倒れた。
「アブなかったぜ……」
「ほんまに。でも、ようワイとワニの間に入れたなぁ~~」
ヴェルフは倒れたまま、森を指差した。
「ああ、さっきまでいた野生動物たちがいなくなってたからな」
すっ転んだサムを見たときの、違和感の正体はそれだった。
野生動物の危機察知能力は、獣人のそれの数段優れている。常に死と隣り合わせの日常を生き抜いてきた野生動物たちだけに許された能力。まさに野生の勘だった。
「それで匂いを探ってみたが危険な匂いはなかった。だから、水中から来るってわかったんだ」
「せやったら何でワイに教えてくれへんかったん?」
教えてくれてたら先に逃げれたやん、そう思うが、助けられた手前、サムは強くは言えなかった。
「そんなことしたら折角の大物に逃げられちまうだろが」
ヴェルフはあっけらかんと答えた。サムは「ワイはエサかいっ!」と突っ込みたかったが、それよりも納得感の方が強かった。
「たしかに……。こんな大物逃すのはもったいないな」
「まさかこんなにデッケェワニとは俺も思わなかったけどな」
サムは身体を起こして、改めてワニを見た。
巨大ワニは、この世界でも滅多に見ない大きさだった。尻尾の先まで含めると、サム三人分はあろうかという巨体。湖の主と呼んでも過言ではなかった。
「ほんまにコイツ、ワニか!? 羽無いだけでほとんどドラゴンやん!!」
と、ハイテンションで騒ぐサムに、ヴェルフは倒れたまま冷たく言った。
「まぁ、羽無い時点でワニだろうな」
「……ヴェルフが昨日クロコ怒らせたからちゃうか?」
「ハッ! アイツを怒らせただけでこんな大物狩れンなら、毎日だって怒らせるぜ」
サムは、声を出して笑った。
「アッハッハ! たしかにな。この大きさやったら週一でも喰うのに困らんな!」
ヴェルフは身体を起こして、巨大ワニを指差した。
「で、俺たちは今から、あの一週間分の肉を持って帰んなきゃいけないってわけか」
自分が一週間に喰う肉の量、それに骨や革などもろもろを合わせたその重さは……。ヴェルフはゾッとして、考えるのを止めた。
「せやな。それと籠一杯の魚も、な」




