39 優しさ
「んじゃ、そろそろ狩りに向かうか」
ヴェルフが言った。シアはギョッとして素早く左右に目を走らせた。二人のお皿はキレイに空になっていた。それに引き換え、自分のお皿にはまだ半分も残っている。二人の食べる速度が速かったわけではなく、シアが遅かったのだ。図鑑を見ながらだったから。シアは図鑑を閉じ、残りを掻き込む。
「せやな。フィラ、店のん借りてってええか? 漁の道具と、あとシアに山菜採りの道具」
「アンタらのは裏にあるから勝手に持っていきな。シアは、ちょっと待ってな」
そう言って、フィラはまた奥へと消えていった。
「ほな、ワイらは行こか。外で道具見繕うで」
「お、おう」
ヴェルフは、サムに言われて店の外に出た。
「道具貰たらシアもこっち来てな」
「ふぁ、ふぁい」
シアは手で口を押さえながら、精一杯の返事をした。
(…………急いで食べる必要なかったなぁ~)
店にぽつんと一人残されたシアは、果物を頬張りながらそんなことを考えていた。
しばらくすると、フィラが戻ってきた。
「待たせたね。これが山菜採り用道具だよ」
フィラは、ヒトサイズの背負い籠と小刀をカウンターにドンっと置いた。
「あと、これも持ってきな」
フィラが差し出したのは、銀色でミトンタイプの分厚い手袋だった。
(鍋つかみ……?)
訝しながらもシアは受け取り、まじまじと確認した。所々黒くなってるが、紛うことなき鍋つかみだった。山菜採りに鍋つかみ? いや、この世界では別の何かなのかも……。
「……これは、なんですか?」
首を傾げて問うシアに、フィラはあっけらかんと言った。
「鍋つかみだよ。焦げてて使ってないからあげる」
合っていた。シアの頭は余計にこんがらがった。渡した本人が『鍋つかみ』と言っているのだから、この世界でも鍋をつかむための道具なのだろう。だったら、なぜ山菜採りに?
シアが不審がっているのに気付いたのか、フィラははにかんだように笑った。
「ホラ、ヒトはアタシらみたいに皮膚が強くないだろ? トゲで引っ掻いたり、変なの触ってかぶれたりしたら大変だからサ。ほんとは手袋があったなら良かったんだけどね」
シアは、ドキッとした。フィラの顔から視線を逸らすように、頭を下げる。
「あ、ありがとうございます」
「シア」
声をかけられて、シアはゆっくりと顔を上げた。フィラが微笑んでいた。限りなく温かく、どこまでも優しい微笑みだった。
フィラは、シアに向かってスッと手を伸ばした。シアは、動けなかった。白くしなやかな指がそっとシアの頬に触れる。少し冷たかった。
「ほっぺに何か付いてるよ」
フィラが、シアの頬を優しく拭った。シアは、ハッと息を呑んだ。
「……っ! あのっ、ごちそうさまでした、美味しかったです。ありがとうございました!!」
まくし立てるようにお礼を言うと、シアは道具を引っ掴んで逃げるように店から飛び出した。すぐに曲がり、店の影に隠れる。そこでようやく息をつけた。呼吸が乱れ、頬がやけに熱い。それは何も全力で逃げたからだけではなかった。
両親共に仕事人間で、あまり一緒にいなかったシアは、両親からもこういうことをしてもらった記憶がなかった。それどころか、いつもは弟妹たちにする側だった。おばあちゃんが亡くなった、あの日から。だからこそ、嬉しかった。どうしようもないくらいに。どうにかなってしまいそうなくらいに。
息と気持ちを整えてから、シアはヴェルフたちの待つ店の裏へと歩き出した。
「おっ、やっと来たか」
店の裏に出ると、すぐにヴェルフに声をかけられた。ヴェルフは、自分の背丈よりも大きい籠を背負っていた。隣にいるサムも同じ大きさの籠を背負っているので、おそらく大きい獣人用の籠なのだろう。サムの方には漁に使う網が入っていた。
シアが籠を背負っているのを確認すると、サムはニカっと笑った。
「ちゃんと道具貰たようやな。ほな行こか」
サムの先導で、籠を背負った三人はキャンプの奥──本陣のテントの方へ向かって進んだ。
キャンプ内は、喧騒と活気に溢れつつあった。ちょこちょこと起き出してきた獣人たちが、動きはじめたのだ。その多くが三人と同じ方向に進んでいた。シアたちとは違い、皆武器も持たず手ぶらで寝ぼけ眼だった。
「着いたで! この道が水飲み場の川まで続く直通ルートや」
本陣の大きなテントを迂回して真裏に出たところで、サムが言った。
鬱蒼とした森の中に一本の道があった。両隣には塗り潰したような緑が広がっているのに、そこだけが別世界のように真っ直ぐ茶色が伸びている。それはまさに、闇の中の一筋の光のようだった。
そして、多くの獣人たちが往来していた。来してくる者の中には水浴びでもしたのか、ぼとぼとと水を滴らせている者もいた。
「ここは、毎日多くの獣人が通るから森の獣たちもほとんど近寄らねぇ。けどま、念のためにやっとくか」
ヴェルフはスッと前に出て、道の真ん中に立った。シアも後に続こうとしたが、サムに止められた。
「ちょい待ち。シアはここで耳塞いどきぃ」
振り返ると、サムは両手で耳を塞いでいた。なぜ? と思ったが、シアは言われた通りに耳を塞いだ。
「ええで、ヴェルフ! 一発かましたって!!」
サムの大声で、周りにいた獣人たちも一斉に耳を塞いだ。中には何か叫びながら走って離れる者もいたが、ヴェルフはそんなのもお構い無しに、森に向かって吠えた。
「ワオーーーーン!!」
それは大気を震わせ、キャンプ中に轟いた。まさに狼の遠吠え。その腹の底に響くような声にシアは驚いた。そして一瞬、ここから離れなきゃ、と思ったが、行動に移す前にハッと我に返った。気がつくと、ヴェルフがこちらを見て笑っていた。
「これに耐えるとは昨日よりも魔力上がったようだな、シア。これより弱い『声』でも、昨日のお前はホイホイ言うこと聞いてたンだぜ」
そんなヴェルフに四方から罵声が飛んだ。
「ウルセーんだよ、ヴェルフッ!!」
「二日酔いの頭に響くだろうがッ!!」
「水飲んだら二度寝しようと思ってたのに、完全に目が覚めちまっただろう!!」
イチャモンをつける者共をギロリと睨んで、ヴェルフは吠えた。
「知るか! 飲み過ぎた昨日の自分に文句言えッ!! それとも本気で吠えてやろうかッ!?」
イチャモン対暴論。もちろん双方納得しなかった。それどころか逆にヒートアップし、男たちは喧嘩腰でヴェルフに近づいてきた。一触即発のピリピリとした緊張感が漂う。しかし、ヴェルフは余裕の笑みを浮かべていた。そして、殊更見せつけるようにすぅーーーっと大きく息を吸い込んだ。その瞬間──。
「わっ!? 待て待て待て、俺たちが悪かったーー」
喧嘩腰だった者からそうでない者まで、全員が血相を変えて逃げ出した。
それを見て、ヴェルフはフゥーと息を吐くと、満足そうに頷いた。
「よし!」
(流石は弱肉強食の獣人。これもよしなんだ……)
シアは唖然とした。だが、サムも苦笑いを浮かべていた。
「ま、まあ、こんな感じで森の動物たちも逃げ出して、当分戻ってけーへんから、こっから川までの間なら一人でも安心して山菜採れるわ」
「えっ、一人!? お二人はっ?」
シアは、慌てて聞いた。
「この辺の動物おらんなったし、ワイらはちょっと遠くの湖で魚獲ってくる。獣人でもたまに行方不明になる危険なとこやからな、シアが来るには早すぎるわ」
「なんだ? 一人じゃ寂しいのか?」
ヴェルフがからかうように言った。半分はその通りだったが、シアは強がってもう半分を強調することにした。
「いや、獣人連合国に慣れるまではあまり離れるなって、昨日ヴェルフが言ったんじゃないですか!」
シアは慣れるどころか、まだここに来て丸一日も経っていなかった。
「それなら大丈夫や。シアはまだ慣れてへんやろうけど、昨日のバカ騒ぎでほとんどのヤツらがシアを仲間として認めたはずやから、みんな優しくしてくれるはずや」
「ああ、そっか……」
シアは、昨日の宴を思い起こした。獣人たちはみんな、よそ者だったシアに対しても気さくで優しかった。種族や見た目の違いなど意にも介さず、自分の生を、今を、全力でただ楽しんでいるように思えた。それが明日をも知れない戦争中だからなのか、ただ酔っているだけなのか……。それでもシアは、彼らのその姿に太陽を見た。クズハの言っていた「後悔のない『生』」がそこにあるような気がして。
「それに、さっきの遠吠えで酔い潰れてたヤツらも全員起きたはずだ。じきに動き出してここに来るだろうから、シアを仲間と認めてないヤツらも手を出せねぇ」
「……わかりました」
自分でそう言っておきながら、シアは何がわかったのか、よくわからなかった。
「ほな、ワイらはちょっと行ってくるから、シアはこの道沿いで山菜採って、籠が一杯なったらクズハはんの店で待っといて。あんまり森の奥に入ったら危ないから気ぃつけや。あっ、それと、揃いの黒装束着て顔隠してるヤツらだけには注意しぃや。アイツら一人ではなんっも出来ひんけど、集まったら何しよるか分からんからな!」
不穏な言葉を残してサムたちの姿が遠ざかっていった。残されたシアは、一気に不安になり、心の中で叫んだ。
(え~~~、注意しいやって、どうやってぇ~~~!?)
この道は見通しの良い一本道だった。獣人相手に走って逃げ切れるわけがないし、左右の森の中ならなおのこと。
「………………っはぁ~~~」
大きなため息をついてから、シアは、とりあえず山菜採りをしよう、と思った。鍋つかみを装着し、小刀を持って藪を掻き分け、山菜を探す。黒装束たちに会わないことを祈りながら。
「あっ! あった、これか。……あれ、これもっ、それもっ!?」
サムの言った通り、獣人の森は採り放題だった。素人のシアでも簡単に見つけられるほど、そこここに色んなキノコやら山菜やらが生えていた。
ほどなくすると、寝起きの獣人たちが姿を現しはじめた。彼らの多くはシアを見ると、救世主だったりシアだったりヒトだったらヴェルフのツレだったり……、思い思いの呼び名で声をかけ、そして山菜を採っていることを知ると、思い思いの方法で手伝ってくれた。
アルラウネが高級なキノコや薬草を教えてくれたり、オークが自慢の鼻でキノコを見つけてくれたり、人狼がガバッと藪を割って山菜を探しやすくしてくれたり、クロコが大きな木を揺らして果実を落としてくれたり、と、こちらもサムの言った通り、皆大変優しくしてくれた。彼らがひっきりなしに手伝ってくれてたからか、黒装束たちに睨まれることはあっても絡まれることはなかった。
おかげでシアの籠は瞬く間に一杯になった。
「もう入らねぇな。なら、クズハの店に持っていくといい。店の場所は知ってるか? 一人で持てるか?」
「はい、大丈夫です。色々とありがとうございました、クロコさん」
「なぁに面白そーだったから手伝ったまでだ。じゃあな」
シアはクロコに別れを告げて、重い足取りでクズハの店へと向かった。物理的に籠が重かったのもあるが、それよりフィラに会うのが気まずかった。




