32 魔法と足し算
「それで、クモ魔法ってどんな魔法なんですか?」
待ちきれない、といった様子でシアは聞いた。ズートア要塞から落とされても動じなかったヴェルフの重そうな足取りを見ても、よく知らない場所でよお知らんトロールと二人っきりになっても、それでもシアはウキウキしていた。『魔法が使える』その事実には、全ての不安を消し去るほどの喜びがあったのだ。
「うん? なんや、わからんのか?」
サムは少し驚いているようだった。
「クモ魔法は通称やし、ヒトには伝わらんか……。なら、お楽しみや! フィラが来るまでドキドキしながら待っとき」
「え~~~、そんなこと言わずに教えてくださいよぉ~」
「呼んでくんのなんてすぐやねんから、ちょっとぐらい待ちぃや。百聞は一見にしかず、って言うやろ」
「でもぉ~」
シアは小さい子供のように頬を膨らませた。
「でもぉ~、やない! ……うっ、ほんならあれや! この国に来たとこやし、なんや質問いっぱいあるやろ? 待ってる間にじゃんじゃん答えるでぇ~」
シアのしゅんとした顔を見て、サムは慌てて付け加えた。
「質問、ですか……?」
シアは、何かあったかな、と首を捻った。
(ここでまだ、クモ魔法って何ですか? って聞いたら流石に怒られるだろうな……)
そう思い、シアはハッとした。
「蜘蛛も、獣人何ですか?」
サムは、きょとんとした。
「自分、何言うてんの?」
「あっいや、そのぉ~、昆虫とか爬虫類みたいな、獣じゃない…人間でも、獣人何ですか?」
「ああ、そうゆう~。せや、蜘蛛は昆虫ちゃうけど、ここにおんのはみんな獣人やで。なんならワイも獣人やし」
「えっ、そうなんですか!?」
シアは驚いた。人狼とかケンタウロスのように、人に何が足されているかわかるモノを獣人と、そしてトロールとか悪魔のように、人に何が足されているかわからないモノを魔人と、そう勝手に思い込んでいたのだ。
「だったら魔人って、どんなのがいるんですか?」
「ワイ以外のトロールとか魔人帝国におる人狼とか」
「は?」
目をまん丸にするシアの顔を、サムは興味深そうに覗き込んだ。
「やっぱりヒトって種族にこだわんねんな。せやけどワイらにとってはただの所属でしかないねん」
「所属……?」
「そうや。例えば人狼。ヴェルフみたいに獣人連合国におったら獣人やし、同じ人狼でも魔人帝国の方におるんやったら魔人。ただそれだけや。ワイらはヒトと違うて、肌や目の色どころか、手脚の数からその特性までハッキリとした種族差はある。せやけど、ワイらはヒトと違うて差別──人狼やから好きとかトロールやから嫌いとかはない。まぁ、ヒトを差別するヤツとか同族愛の強いヤツとか、あとは個人間の好き嫌いとかはもちろんあるけどな……。っと、ちょうど戻って来たみたやわ」
サムが指差した先、遠くの方にヴェルフ……らしき人影と、その隣にはもう一人の姿があった。シアには遠すぎてよく見えなかった。二人は、こちらに向かって歩いてきているようだった。
「はぁ? ヒトの子がクモ魔法? アンタ、何バカなこと言ってンだい、そんなことあるわけないじゃないか!」
ヴェルフは眉をしかめた。
「それは俺じゃなくてサムに言ってくれよ。アイツの発明品がそう判断したンだからサ」
「まぁ……そうだね。それにしてもアンタ、まだ魔法も使えないような子を、自信満々であんな作戦に推薦したのかい?」
「まあな。魔法は使えないが、剣の腕はそれなりだ。ちょっと鍛えればエヴァンスくらいなら倒せるだろうヨ」
「でもさ、エヴァンスって前の戦いで『覚醒』してなかったかい?」
あっ……と、ヴェルフは大きな口をあんぐり開ける。隣から深いため息が聞こえた。
「呆れた、やっぱり忘れてたのかい」
ヴェルフは口を尖らせた。
「だがよ、元の魔力量が少なかったんだ。『覚醒』したところで第二魔法は使えないだろう。だから、お前がシアに魔法を教えてくれたら何とかなる……たぶん」
「たぶんってアンタ……。なんだかあの子が可哀想になってきたよ」
「だろ? シアは自分に関係ないゴタゴタに巻き込まれて、色々と可哀想なんだよ。だからさ、頼むよフィラ先生」
フィラはもう一度ため息をついた。
「アンタがそれを言うのかい……。まったく、しょうがないね。クズハの店で一杯おごってもらうから」
ヴェルフは、ニヤリと笑った。
「オッ、サンキュー。ちょうど晩飯のときにシアのことを説明するって、サムと約束してんだ。そンときに極上の一本をおごるゼ」
話がまとまるのとほぼ同時に、二人はシアたちの前に着いていた。ヴェルフは、シアの肩をポンっと叩いた。
「待たせたな、シア。コイツがフィラ、お前に魔法を教えてくれるアラクネの族長だ」
フィラは、テントで見たアラクネだった。魔窟の中で唯一、シアに優しかった者。
(クモ魔法って蜘蛛魔法……──)
シアは一瞬、黒い目を大きく見開いた。が、すぐに頭を振り、脳裏によぎった不安をかき消した。
(それにしても……)
改めて近くで見ると、フィラの見た目はやはり恐ろしかった。ヴェルフより少し小さいだけの長身もさることながら、その下半身の蜘蛛の部分。シアは蜘蛛が平気だった。だが自分の腰ほどもある巨大な蜘蛛は、黒と黄を基調にした毒々しい見た目の巨大蜘蛛は話が違った。
思わず後退りしたくなるのをグッとこらえて、シアは逆に一歩前へと進み出た。彼女が優しいことを知ってるからこそできたのだ。
「シアです。よ、よろしくお願いします」
しかし、シアの声は少し上ずっていた。
「アタシはフィラ、よろしく」
フィラは素っ気なく言った。
「早速だけど、ボウヤにはこの魔法がどういうモノか、実際に見て知ってもらう」
「シアを頼んだぞ、フィラ。それとサム、これ助かったゼ。超便利だった。中にシアの着替えとワレモノが入ってるからあとは頼んだ。じゃ、俺はレオンに呼ばれてるから」
担いでいた白い袋をサムに押し付けると、ヴェルフは逃げるように走っていった。
「ちょい待ちぃや、ヴェルフ!」
サムは、ヴェルフを追いかけた。が、追い付く前に、
「アンタは待ちな!」
と、フィラが手から細い糸を放った。それは見事、サムの背中に引っ付いた。サムは必死に走っているが、まるでリードに繋がれた犬のようにそれ以上進めない。
フィラは、そんなサムには一瞥もくれずに説明をはじめた。
「糸を出して、それを自在に操り、敵を攻撃する。これがこの魔法の基本。そして、敵に切られないように糸の強度を高める。これが糸魔法の極意だよ」
「糸魔法……?」
「そうだよ、それがクモ魔法の本来の名前。アタシたちクモは、生まれ持った能力として魔力を使わず糸を作ることができる。それにクモの糸ってのは特別強靭だ。それこそトロールが引っ張っても切れないほどにね。だから、糸魔法はクモ魔法って呼ばれるようになったんだよ」
「………………」
シアは、ピーンと張られた糸の先を見た。サムがまだ必死に走っていた。しかし、その場からまんじりとも動けていない。それが本気なのかふざけているのかはわからないが、目を凝らさないと見えないほど細い糸一本でサムの巨体を止めている。たしかに普通の糸ではなさそうだ。
「この魔法は至極単純な魔法──言ってしまえば糸を操るだけだからね。だからこそ色々と応用も利く。手本を見せるから、そのままサムを見てな」
そう言うと、フィラはくるんっと振り返った。
「いくよ。まずは拘束。糸をそのまま飛ばして、敵を縛り付ける」
フィラは両手から糸を放ち、あっという間にサムをぐるぐる巻きに拘束してしまった。
「う、うわっ!? 動けへん」
サムは手も足も出ない、まさにイモムシのようになった。
「お次は創造。糸を編んでモノを造り、それを操る」
両手から大量の糸を出した。それはするすると編まれていき、サムより大きい真っ白なアラクネの人形が生まれた。巨大なアラクネ人形は、まるで意思を持っているかのように、ひとりでにサムの元まで走っていく。
「あっ、自由になった」
突然、拘束していた糸がはらはらと落ちて、サムは自由になった。しかし、真後ろに人形が立っていた。
「それから絡操。敵の手足を直接糸で縛り、操る」
巨大なアラクネ人形の指先から糸が飛び出し、サムの手足に引っ付いた。
「うわっ、動かん!? けど勝手に動く??」
巨大なアラクネ人形に操られ、サムはまるで絡操人形のようなぎこちない動作で、こちらに向かって歩いてきた。
「最後に切断。糸を魔力でさらに強化し、敵を切り裂く」
フィラは右手を振りかぶった。すると、サムの背後にいた巨大なアラクネ人形の頭に五本の線が入り、ばらばらと崩れ去った。
「うおっ!?」
急に解放されたサムは、バランスを崩し、ドテン! とひっくり返ってしまった。フィラがサムに手を差し伸べる。
「実験台、ありがとね、サム」
サムは、不満げな顔でそれに掴まった。
「それはええねんけど、もっと早よツッコンでぇな。ずっと走ってたさかい、もうヘトヘトや」
サムの不満は別のところにあったようだ。
「はいはい、次からは気をつけるよ」
フィラは苦笑いでサムを起こすと、シアの方を見た。
「で、何とも締まりのない顔をしているけど、ちゃんと見てたのかい?」
シアは、ポカーンと口を大きく開けていた。フィラの魅せるクモ魔法に圧倒されていたのだ。簡単に次々と魔法を使って見せたが、その一つ一つがシアにとっては驚愕だった、サムの白々しいリアクションが気にならないくらいに。彼女は手本だと言っていたが、同じことをできるイメージが微塵も湧かない。
「………………はい」
「いつもならここで、次はアンタらの番だ、糸を出してどれが得意か試してみな、って言うんだけど……、ボウヤは、糸を出せるのかい?」
それは当然の質問だった。そしてそれこそが、シアが目を逸らしていた不安だった。
「…………ムリ、です」
シアは、俯いた。ヒトが糸なんか出せるはずがなかった。数瞬の静寂ののち、フィラがサムに聞いた。
「サム、この子、ほんとにクモ魔法なの?」
「当たり前や! ワイのアイテムに間違いはないッ!!」
サムは、自信満々に断言してみせた。
「シアのおとんが服屋言~てるし、水晶ん中のこれ、糸やろ?」
と、フィラに水晶を渡した。
「……たしかに、小さいけどこれは糸だね。だったら魔力量さえ増えれば、使える糸を創れるようになるはずだよ」
シアはバッと顔を上げた。
「ホントッ!?」
「ええ。アラクネたって、無尽蔵に糸を出せる訳じゃないからね。そんなときの奥の手の一つさ」
そう言って、フィラは両手を合わせた。そしてゆっくりと開く。すると、両手の間に白い糸が現れた。
「おおっ……!」
「……糸ってか紐やな、これは」
「うるさい。こっちの奥の手はほとんど使わないんだ、不出来なのは仕方ないだろ」
フィラは、サムをギロリと睨んだ。
「よ、ヨッシャ! せやったら、まずは魔力増やすでぇ~。心配せんでも、魔力増やすんは簡単や。倒れるまで魔法使て魔力すっからかんにしたら、よく食べてよく眠る、それだけや」
「じゃあ早速、魔法で糸を創ってごらん」
フィラに促されて、シアは見よう見まねで両手を合わせた。そして目を閉じて、両手に力を込める。
「………………」
しかし、何も起こらない。当たり前だ、シアはそう思った。だって、ちゃんとやり方を教わっていないんだから。
「魔法って、どうやって使うんですか?」
「えっ? どうって……」
改めて聞かれると、フィラは非常に困った。魔法など、気がついた頃には当たり前に使えた。フィラが特別なわけではなく周りの皆もそうだった。この世界の人間にとって、『魔法を使う』ことは『歩く』ことと同じようなもので、特別意識せずとも使えるものだった。
フィラは困った顔で、サムを見た。サムは自信満々に答える。
「魔法に一番重要なんは信じることや。つまり、魔法を使うためには魔法を使えるって信じるんや!」
まさかの精神論に、シアは面を食らった。
「えっ……あの、もうちょっと理論的に……」
「理論的ぃ~?」
サムが顔をしかめた。
「せやったらシアに問う。一足す一は?」
「は?」
シアは答えられなかった。もちろん足し算ができないのではない。
「ええから答え!」
「二……?」
シアは首を傾げた。足し算に不安があったわけでもない。これが魔法とどう関係するのかわからなかったのだ。
「せや。簡単やな。そやったらそれの理論的な証明は?」
「えっとそれは……」
シアは知っていた。『1+1=2』に数学的な証明があることを。しかしあることを知っているだけで、パッと答えれるほど数学は得意ではなかった。
「……わかんないです」
「せやろうな、ほとんどの人間がそうや。それでもみんな足し算を使える。なんでや?」
サムは両手を広げて、シアに問いかけた。が、考える間を与えず、すぐに答えを言った。
「それはな、みんなが信じてるからや。世界中の人間の信じれば、理論的じゃないことでも真実にすることができる。それほどに信じる力ってのは偉大なんや」
その瞬間、シアの頭の上に雷が落ちた。
(たしかに……、たしかにそうだ。今までだって見たこともない何かを信じてきた、祈ってきた。それに比べれば魔法はちゃんとある……実際何度もこの目で見たんだから!)
今なら魔法を使える、そんな気がした。
シアは、そんな自分の心を信じた。何の気負いもせずに、ただ両手を合わせて力を込める。すると、ぼわぁ~と弱い光が溢れた。
「……あっ、できた」
シアの手の中には糸があった。糸屑のように小さな糸。初めて魔法を使えた、というのにシアの感動は少なかった。魔法を使えると、心から信じて使えたのだから当然かもしれない。むしろ、サムの方が驚いていた。
「あんなテキトーな話で信じたんや……、自分えらい素直やなぁ~」
「え?」
感心してるような呆れているような、そんなどっち付かずのサムの声に、シアは目を丸くした。そのときシアの糸がフワリと浮かんで、フィラの元まで飛んでいった。
「アタシが操れるってことは、間違いなく糸だね。長さも強度もゼンゼン足りないけど、とりあえずおめでとう。今日はもう遅い、あとは魔力が尽きるまで糸を創る練習をしなよ」
フィラは優しく微笑んで、そう言った。
「せやったらあとはワイが見とくから、フィラは先にクズハはんのお店に行ってるか?」
「いいのかい?」
「ええよええよ。ワイはここ片付けなあかんし」
辺り一面にサムの発明品が散乱していた。
「なら、お言葉に甘えることにするよ」
「はいはい~じゃあシアが倒れたらお店に連れてくわ~」
「ありがとうございました」
シアは、遠ざかっていくフィラの背中にお礼を言った。




