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2  四天王

 カレルセ王国の国境を守る軍事拠点、ズートア要塞。そこは今、この世界において唯一の戦場だった。要塞司令官であるエヴァンスの指揮の元、カレルセの精鋭たちが王国を守るために、日夜激しい戦いを繰り広げていた。

 スパーダストラーダ峡谷に建てられたズートア要塞は、その地の利を活かし、敵の侵攻を食い止めていた。要塞の門を閉じ国境を固めると、地上に大量のゴーレムを召喚し、要塞の上から魔法と弓で迎撃する。敵がどんなに大群であっても、ことごとく撃退してきた。

「ケモノどもめ、何度来ようがここは通さぬぞ!」

 猛るエヴァンス司令官の声が青い空に吸い込まれていった。





「おはようございます」

 シアは、無機質な声とノックの音で目を覚ました。窓から射し込む朝陽に何気なく顔を背け、そして飛び起きた。

「寝過ごした!? えっ、ここは?」

 シアは寝ぼけまなこで辺りを見渡した。起き抜けのぼんやりとした頭でも分かる。ここは自分の部屋ではなかった。

「あ~、そうだった、異世界だ。夢じゃなかったのかぁ~」

 シアは昨日のことを思い出し、ため息をついた。ここは自分の部屋どころか、自分の世界ですらなかったのだ。

「あいつらを起こす必要も、朝御飯の用意もないのかぁ~」

 シアはう~んと伸びると、そのままベッドに倒れ込み、二度目の眠りにつきかけた。そのとき、

「起きなさい」

 ドアの外からもう一度声をかけられた。忘れてた、起こされたんだった。とシアは起き上がった。

「はい、大丈夫です。今起きたとこで──。何か用ですか?」

「朝食とお召し物をお持ちしました。入ってもよろしいですか?」

 その無機質な声に、昨日と同じ無愛想なメイドさんだな。とシアは思った。

「どうぞ。ありがとうございます」

 扉を開け入ってきたのは、やっぱり昨日と同じ人だった。だが、シアはドキッとした。昨日はそれどころじゃなく気が付かなかったが、メイドは驚くほど美しかった。スラっとした長身に長い手足、深い深い海のように蒼い瞳、象牙で作られた彫刻のように整った白い顔、肩までたれた髪は、墨を流したように真っ黒だった。氷の彫像のように冷たい印象だが、時折髪の間からのぞく右耳のイヤリングだけは燃えているように赤く輝いていた。

 メイドはニコリともせずに、取って付けたようなお辞儀をすると、豪華な銀色のトレーが載ったカートと大量のハンガーラックを運び入れた。いや、それらは独りでに入ってきた。それも無駄に広かった部屋が埋まるのでは、と心配するほどに次々と。

「お飲み物は何になさいますか?」

 目の前の光景に戸惑っていたシアは、無性に糖分が欲しくなった。

「何か、甘いものをください」

「では、紅茶はいかがでしょうか?」

「それでお願いします」

「承知しました。お召し物はお好きなものをお選びください。今日は、この国を観光するのはいかがでしょう?」

 メイドは朝食の準備をしながら、シアに尋ねた。

「観光!」

 シアは目を輝かせて、メイドを見た。

「ここロクセットは、カレルセ王国の首都。ですから、この街には古今東西、世界のありとあらゆるモノが集まります。この世界について知るには最適かと」

「……いや、遠慮しときます」

 異世界観光には大いに心惹かれた。だが、シアは断った。

「観光はお気に召しませんか?」

 メイドは無表情で朝食の準備を続けている。シアは、その無表情な対応に少しの不気味さを感じていた。

「えっ、いや、そうではないんですが、早く元の世界に帰りたいので……。それより戦闘訓練を付けてくれませんか? (流石に、この世界のことをよく知ると逃げ出しづらくなるから、とは言えねぇよな)」

 シアは心の中で苦笑いした。そのとき、淀みなく動いていたメイドの手が、ピタッと止まった。そして、ゆっくりとシアの方に顔を向けた。

「私が、ですか?」

 彼女は、少し驚いたような表情でシアを見つめていた。シアには彼女がなぜ驚いているのかわからなかった。変なことを言ったつもりもないし、メイドに訓練してもらうつもりもなかった。それでも、

「あっ、いや、ち、違います。あの、誰でもいいんで、あっ、やっぱり強い人にお願いできますか?」

 それでも、シアは慌てて否定した。メイドのその蒼い瞳が、無表情のときより一段と冷たかったから。氷の彫像というより氷の怪物のような、見つめるだけで人を氷漬けにできそうな程に冷たかったから。

「……承知しました。伝えておきます」

 メイドはすぐに表情を消し、何事もなかったかのように朝食の準備を再開した。そして、それが終わると、軽くお辞儀をし、

「では、支度が整いましたら、そちらのベルを鳴らしてください。お迎えに上がります」

 と、部屋を後にした。

「ありがとうございます」 

 シアは心底ホッとして、心から感謝した。テーブルには、焼きたてのパン、ベーコンエッグ、リンゴ、そして紅茶が置かれてあった。

「あっ、おいしい──」

 メイドの入れてくれた紅茶は、熱くて、甘くて、美味しかった。シアの凍った体と心が解けるようだった。シアは紅茶を片手に、森のようになっている衣服を眺めた。鬱蒼としていて手前しか見えないが、それでも仕立ての良い高そうなシャツから、布を縫い合わせただけの簡素な服まで、それに下着も肌着も、よりどりみどりだった。

「こんなにいるか──。おっ、パンもウマッ。……けどな~」

 朝食はどれも美味しかった。だが、いつも弟妹とご飯を食べているシアにとって、一人の食事はどこか味気なかった。

「あっ! 待たせたら、またあの目で見られるかも……。急げっ!」

 シアはメイドの冷たい蒼い瞳を思いだし、身震いした。そして、昨日までと同じ朝の忙しなさに、一人その身を投じた。


 シアは急いで朝食を済ませると、衣服の森の手前から適当に動きやすそうな服を見繕った。そして、特急で支度を整えると、ベルを鳴らした。すると、ものの数秒で部屋の扉が音もなく開いた。扉の前には無表情のメイドが立っていた。

「お待たせしました。四天王のうち、三人が訓練をつけることになりました」

 メイドはこれまでと同じ事務的な対応でシアに説明した。

「えっ、四天王って、そんな人たちが訓練してくれるのですか?」

 シアにとって四天王は、よく聞くがよくは知らない、とにかく最強な四人組というイメージだった。そのうちの三人も訓練してくれる。その事にシアは驚きを隠せなかった。

「ハイ。救済の武具を使った訓練ですので、彼らでなくては務まりません。それと、この国にいる間の用事は私か四天王に、遠慮なくお申し付けください。では、闘技場に参りましょう」

 メイドはまたもスタスタと颯爽に歩く。シアは必死に後を追いながら、四天王に訓練してもらったらオレも魔法を使えるようになるかなと、期待で胸を膨らませた。


 昨日と同じ闘技場にはゴーレムの残骸はなく、代わりに筋骨隆々の大男と小柄な老人が待っていた。

(うわっ、スゲー四天王っぽい……、けど、二人?)

 シアがそう思いながら見ていると、小柄な老人と目が合った。

「ほー、お主が救世主か……」

 老人はシアをじっくり観察しながら、歩み寄ってきた。

 見た目はまさに老人だった。背はシアより低く、真っ白の短髪に、真っ白の顎髭をたくわえ、同じく真っ白な道衣のような衣に身を包んでいた。だが、背筋はピンっと真っ直ぐ伸び、足取りも軽やかだった。

「ところで、主は何故そんな格好をしているのじゃ」

 老人はシアの前まで来ると、あきれたように言った。

「え?」

 シアは一瞬ドキッとしたが、老人はシアを見ていなかった。不思議に思い、老人の視線を辿ると、その先にはメイドがいた。

 彼女の服装は黒いドレスの上に白いエプロンと、ザ・メイドという格好だった。しかし、よく見ると彼女の足元は素足にサンダル履きだった。

 シアが不思議そうにじろじろ見ていると、メイドはニヤリと不敵に笑い、バッと派手にメイド服を脱ぎ捨てた。

「えっ!?」

 シアは目を疑った。いきなり服を脱ぎ捨てたこともそうだが、彼女はメイド服の下に、どう着てたの? と聞きたくなるような、足元まである長いマントを羽織っていたのだ。

 メイドだった女性は髪を左耳にかけると、さも当然のことのように言い放った。

「何故って、救世主がどんなのか見たかったからよ」

「よし、これで三人揃ったな。俺はドミニク、四天王の『魔』だ。こちらは四天王の『武』老師。そして、そこのメイドだったのが──」

 ドミニクと名乗った大男は、何事もなかったように自分たちの紹介をはじめた。そして、最後に元メイドを紹介しようとしたとき、彼女は割って入った。物理的にシアと大男の間に。

「四天王最強の美人剣士のマイよ! ヨロシクね♪」

 元メイドは、待ってました! と言わんばかりにニコッと笑うと、ポーズを決めて自己紹介した。おまけにウィンクも付いていた。そこにあの無表情のメイドはいなかった。シアは彼女の肩書きより、その豹変ぶりに驚いた。

「……シアです。よろしくお願いします」

 シアは色々と面を食らいながらも、とりあえず一礼した。

「じゃあ、まずは……」

 マイは何かを探すように辺りを見渡すと、闘技場の一角を指差した。

「シア、救済の武具はあそこにあるから」

「げっ!? なんで、あんな所に?」

 マイが指差した先、闘技場の端に、救済の武具は無造作に転がっていた。

「さっきまで台座に載せて置いてたんだが、救済の盾に魔力をチャージするために魔法をぶつけたら、あそこまで吹っ飛んだんだ。俺たちには持つこともできないから、ほったらかしってわけだ」

 ドミニクの言葉を証明するように、救済の武具の周りには、台座の残骸らしき焼け焦げた木材が散乱していた。

「魔力をチャージ? 持てない?」

 シアが首を捻る。

「救済の盾はチャージした魔力を救世主に渡す。そして、救済の剣がその魔力を使って敵を切る。救世主じゃない普通の者が救済の武具を持つと、一瞬で全身の魔力を吸われて、最悪死ぬ。だから、俺たちには触れることすらできないんだ」

 ドミニクがシアの疑問に答えた。だが、シアには新たな疑問が生まれた。

「盾の魔力がなくなったらどうなるんですか?」

「ただの剣と盾になるわね」

 マイは、シアの心配をよそにあっさりと答えた。シアの表情が冬の空のようにどんより曇っていくのを見て、ドミニクが慌ててフォローする。

「心配するな。俺が大量の魔力をチャージしたし、救済の盾は魔法を防御するだけで自動でチャージされるから、そう簡単に魔力がなくなることはない」

 シアはホッとし、救済の武具を拾い上げた。その瞬間、盾から魔力が流れ込み全身に力がみなぎる。シアの全身がぼんやりと輝いた。

「じゃあ、次は真ん中で剣を抜いて」

 シアはマイの指示に従い、闘技場の中央で救済の剣を抜いた。磨きあげられた刀身は、爽やかな朝陽の中で冷たく光っている。昨日は見る余裕がなかったが、救済の剣はその名に相応しく、寒気を感じるほどに美しかった。

「まずはわしが相手じゃ。お主の力量を確かめよう」

 老師の言葉にシアは戸惑った。

「えっ?」 

 シアは人間と戦うとは思っていなかった。いくら四天王が強いとしても、こっちは真剣、それも岩の怪物を簡単に斬る伝説の剣、もし当たったら……。と思うと、ゾッとして体が動かなかった。

「何をしている? 本気でかかってきなさい」

 老師は構えもせず、シアに向かって手のひらをチョイチョイとした。

「本気でって、こっちは救済の武具で真剣なんですよ!?」

「そんなことも分からぬほど、もうろくしてるように見えますかのぉ? 来ないのであれば、こちらから行きますぞ!」

老師はそう言うと、人間とは思えない速度で突進してきた。あまりの速さにシアは一歩も動けなかった。ただただ、やられる! と思うのが精一杯だった。しかし、救済の盾が勝手に動いた。

 ドンッ!! 救済の盾が老師の拳を受け止めていた。次の瞬間、その衝撃がシアの体をかけめぐった。

「ぐうぅ」

 痛みに思わず声が漏れる。

「がんばれー! シア!」

 マイのお気楽な声援が届いた。ドミニクも腕を組んで二人の戦いを見物していた。

「それそれそれ」

 老師は絶え間なく生身の拳を、金属製の救済の盾に打ち込んだ。その度に、盾が吸収しきれなかった衝撃がシアの身体を打ち付ける。

「反撃しないと勝てないわよー!」

「くそぉ!」 

 好き勝手する四天王に、シアは思わず悪態をついた。その瞬間、それに反応し救済の剣が勝手に動き出す。

(しまった──)

 シアは自分の右手を止めようとするが、間に合わない。救済の剣は、老師めがけて振り下ろされた。しかし、老師は二本指で救済の剣を受け止めていた。

「マジッ!?」

 シアにはその光景が信じられなかった。目を見開いて呆然としていると、突然老師の方へ引っ張られた。

「マジじゃ」

 体勢が崩れたところに、老師の冷たい一言と蹴りが飛んできた。それにも救済の盾は反応し、勝手に防ぐが、シアは反応できなかった。そのまま受け身もとれず、盛大につんのめる。

「お主はそれで本気マジなのか? 救済の剣といえども、使い手がダメならこの程度なのかのぉ」

 老師は倒れているシアを見下ろして、大げさにため息をついた。シアはバッと立ち上がると叫んだ。

「なら、お望み通り本気でやってやる!! ケガするなよ、じいさん!」

 いきなり喚び出されて、訓練を頼んだのにいきなり殴られて、挙げ句の果てに失望されて、堪忍袋の尾が切れたのだ。シアの怒りに救済の剣が呼応し、自分でも驚くような速度で斬りかかった。が、老師は余裕で避けた。救済の剣は間髪入れず、目にも止まらぬ速さの追撃を繰り出すが、これも老師には当たらない。

「ハハハ、凄いな。これが、救済の剣! これが四天王!」

 シアは自分の凄まじい剣さばきと、それすら避ける老師に驚愕した。

「救済の盾から流れる魔力がお主の身体能力を引き上げ、救済の剣がお主の身体を操る。それが救済の武具じゃ」

 シアは救済の剣に身を任せ、さらに速く鋭く剣を振り続けた。

「おっ、動きがよくなったな」

「私の声援のおかげね♪」

「これが救済の剣の真の力か」

 見物客の二人は、真剣での殺し合いを楽しそうに観ていた。

 ブンッ! ブンッ! と、救済の剣は目にも止まらぬ連撃で、嵐のように攻め立てた。一振りごとに刀身から魔力を放ち、地面を斬り裂き、石壁に斬り込みを入れる。だが、老師にはかすりもしなかった。

「アハハハ! これがオレなのか!! ゲーム以上だ!!」

 シアは自分の動きに笑いが止まらなかった。今のシアには人と戦う恐怖など微塵も残っていない。その超人的な動きに魅了されていたのだ。

「少しはマシになったが、そろそろ限界じゃな」

 剣撃の嵐の中、老師は呟いた。次の瞬間、シアの視界から老師の姿が消えた。

「え?」

 シアには何が起きたかわからなかった。

「これで、終わりじゃ!」

 老師の声が後ろから聞こえた、と認識する前に、シアは救済の盾にムリヤリ後ろを向かされた。突然の急速反転に呻き声が漏れ、身体からは不吉な音が鳴る。

 ドゴンッ! 間一髪、救済の盾は老師の拳を防いだ。老師のトドメの一撃であろう攻撃を防いだシアは、痛みも忘れて喜んだ。

「受け──!?」

 しかし、喜びもつかの間、これまでとは比べ物にならない衝撃がシアを襲った。シアは救済の盾ごと吹き飛ばされ、地面を転がる。それでも闘志は衰えていなかった。

「まだだ!」

 シアはそう思い、すぐに立ち上がろうとした。が──、

「ぐわぁぁぁぁ!」

 身体中に激痛が走り、全身の筋肉と一緒にシアは悲鳴をあげた。

「…………なんで? 魔王にも勝てるはずなのに……」

 シアは立てなかった。地面に倒れながら愕然とした。

「お主の筋力では、この程度の動きにも耐えられないようじゃな。まずは身体を鍛えよ。さすれば、もっと武具の力を引き出せるはずじゃ」

 老師は息一つ乱さずに、ボロボロになった救世主を見下ろしていた。シアは、自分の力量をはるかに上回る速度で動き続けた結果、全身の筋肉がぼろぼろになっていたのだ。

「ウソ、だろ……」

 戦闘経験がなくても、救済の武具を使えるなら魔王を倒せる。そう言われたから……。救済の武具さえあれば、このチート武具さえあれば、戦闘経験の全くない自分でも、二、三日も訓練すれば魔王討伐に向かえる、そう思っていたのに……。ウソだろ。その救済の武具を使いこなすには、それ相応の筋力が必要だなんて……。

「あの動きに耐えられる筋力って、何年かかるんだよ……」

 シアは地面に倒れながら絶望した。

「じゃあ、あとは任せたぞ」

「もう少し強くなったら、私が相手をしてあげるわ♪」

 老師と元メイドは、倒れているシアを尻目に去っていった。 

「ハッハッハ! 老師はスパルタだから、手酷くやられたな」

 一人残ったドミニクは、笑いながら近づいてきた。シアにとっては笑い事ではない。文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、痛みと絶望に打ちのめされて、そんな気力も残っていなかった。

 ドミニクは倒れているシアの目の前で止まると、辞典のように分厚い本を開き、そしてなにやら唱えた。すると、淡い光がシアの全身を包んだ。

「えっ、何? 何これ!?」

 痛みで動けないシアには、何が起こっているかわからない。しかし、すぐにドミニクが声をかける。

「ほら、治ったぞ。起きてみろ」

(……治、った?)

 シアは訝しげながらも、恐る恐る体を動かしてみる。どこも痛くなかった。

「痛く、ない!! ……マジ!?」

 シアは魔法の効力に驚愕した。ものの数秒で、全身の痛みが嘘のようになくなったのだ。

「ありがとうございますっ!!」

 シアは飛び起きてお礼言った。ドミニクは近くで見るとさらに大きかった。二メートルはありそうな身長、丸太のような腕と脚、それに筋肉隆々の体躯はまるで大木のようだった。褐色に焼けた肌に、白い歯と磨きあげられたツルッとした頭が眩しかった。

「ハハハ、何のこれしき。次は……」

 ドミニクは何かを探すように、パラパラパラっと本をめくった。

(そうだよ、こんなスゴい回復魔法があるんだ。筋力増強のバフ魔法くらいあるはずだ!!)

 暗い絶望(途方もない筋肉)に支配されていたシアの心を、希望の光が照らした。シアは、どんな魔法だろう、自分でも使えるかな、元の世界でも使えるかな、など様々な希望で心をいっぱいにした。

「おっ、あった、あった。これだ」 

 『魔』は本を構え、何やら呪文を唱えはじめた。シアがワクワクしながら見ていると、闘技場にトレーニング器具が現れた。しかも、それは一つではなかった。シアの知っている物から見たことも無い物まで、多種多様なトレーニング器具が次から次へと現れたのだ。闘技場は、さながらトレーニングジムに早変わりした。

「さあ、楽しい楽しいトレーニングの時間だ」

「……あのぉ~、魔法は……?」

 シアは自分の言葉に虚しさを感じた。再びシアの心を筋肉が蹂躙する。



「疲れたぁ~~~」

 シアはベッドに倒れこんだ。回復魔法のおかげで、肉体的には筋肉痛はおろか疲れすらなかった。だが、精神的にはどっと疲れていた。

 シアはあれから日が落ちるまで、ドミニクにトレーニング(主に筋トレ)をさせられ続けていたのだった。体力が底を尽き地面に倒れても、魔法で回復させられトレーニングを続けさせられる。休憩すらほとんど許されなかった。そして最後に、『魔印の特製プロテイン』などという変な、緑色に光る不味い飲み物を飲まされ、「また明日」と、にこやかに言われたのだ。なるほどたしかに、これを毎日するのなら普通の何倍もの速度で鍛えられるだろう。しかし、それは想像するだけで地獄だった。

 シアは寝転がったまま、部屋を見渡した。森を形成していた大量のハンガーラックは、その大半が撤去され、数台だけが部屋の隅に残っている。テーブルの上に置きっぱなしだった朝食はきれいに片付けられ、代わりに夕食が置いてあった。そして、その横に置いた救済の武具に目をやった。ふつふつと怒りが込み上げてくる。

「何が、救済の武具だ! チートだ! 魔王を倒せるだ! じいさんにすら勝てないじゃん。あいつらが魔王倒せよ。オレいらないじゃん。あ~、絶対騙されたよぉ~。もういっそ、帰るか?」

 最後の一言でシアは、バッと立ち上がった。一瞬、本当にそうしようかと思った。しかしすぐに、別の考えが浮かぶ。

 王様はああ言っていたけど、今帰りたいと言えば帰してくれるのかな……。それ以前に、本当に……──。

 シアはそこで考えるのを止めた。もし、そうだとしてもどうしようもない。聞いたところで本当のことを教えるわけがない。ならば──、

「忘れろ! 迷うな! 紫苑の病気を治すんだろ!!」

 シアは自分に言い聞かせるように叫んだ。そして、もう一度ベッドに倒れこんだ。あの回復魔法を体験した今、病気を治せるアイテムがある。そのことだけは信じられた。

「……でも──」

 魔王は四天王より強いのだろうか。でも、救済の武具で魔王を倒せるとも言っていた。オレが救済の武具を使いこなせていないのが問題なのか。あと何レベル上げたら使いこなせるようになるのだろうか。強い魔法やスキルは使えるようになるのだろうか。シアの頭の中に様々な疑問がぐるぐると渦巻いた。 

「がぁ~~~、わからん! 明日、絶対聞いてやる! 明日、疑問を全部ぶつけてやるっ!! 明日、……明日、かぁ~。また筋トレなんだろうなぁ。四天王の『魔』のくせに筋トレって、なんでだよ。魔法を教えろよ! せめて休憩させろ!!」

 シアはベッドに倒れながら、手足をバタつかせて不平不満をぶちまけた。トレーニングが必要なことはわかってる。なにしろ自ら訓練を所望したくらいだ。ただ、人間離れした動きに耐えられる筋力という、高過ぎる目標に辟易としていたのだ。

 ふと、バタつかせている自分の腕が目に入った。昨日より太くなっているような気がする。

「……流石に、一日では変わらんよなぁ? うん? 待てよ、救済の武具を使えるまで鍛えて、元の世界の、元の時間に帰ったら……」

 シアはドミニクのように筋骨隆々になった自分を想像して、一人慌てふためいた。

「おかしいじゃん! 学校に行って帰ってきたらムキムキって! でも今のままじゃ魔王なんて倒せないし……」

 シアは部屋の中をぐるぐる回り、ひとつの解決策を見出した。

「そうだ! 日記だ! この世界のことを記録しておけば、弁明もできるし、藍と紫苑のお土産にもなる。一石二鳥じゃん!」 

 シアは、ベッドの横まで飛んで行きカバンを開けた。そして、小首を傾げた。

(あれ? 中身がぐちゃぐちゃ)

 普段からきちんと整理整頓を心がけていたのに、……まぁ、いいか。とシアは深く考えずにノートとペンを取り出し、弟妹への言い訳……、ではなく、日記を書き始めた。

「藍、紫苑、いいか。目の前にいるであろうマッチョは、間違いなく兄ちゃんだ! 今から一日でムキムキになった理由を説明する。まずは──」

 この世界に来てからのことを、可能な限り楽しそうに、愚痴を少なく、一日目、二日目と。


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