25 国境越え 中編
寄り道はあったが、マイヤーの案内でシアたちは目的の部屋へと辿り着いた。
「要塞にいる間は、こちらの部屋をお好きにお使いください」
シアたちにあてがわれた部屋は、要塞の一室とは思えないほどに豪華だった。なんでも戦死した貴族たちが使っていた部屋らしく、広さはディクソンの執務室の倍以上で、絨毯もベッドも家具類も全て贅の限りを尽くした最高級品だった。窓には厚手のカーテンが何重にも敷かれ、外を完全にシャットアウトしていた。さらにはトイレとバスルームまで完備されていた。流石に、シアが王城で使っていた部屋には負けるが、それでも十分すぎるほどだった。
「何か入り用な物はありますか? 食べ物でも飲み物でも、要塞にある物なら何でもお持ちしますよ」
部屋の入り口で、マイヤーがにこやかに言った。
「いや、結構だ。馬車の中で親方たちと宴会してたんでな。シアは何か要るか?」
ヴェルフは、部屋の中を見回りながら答えた。
マイヤーの視線がこっちに向くのを感じて、シアは咄嗟に顔を伏せた。すると、自分の服に空いている穴と目が合った。
「あっ! 裁縫道具ってありますか?」
シアは、顔を伏せたまま聞いた。
「えっ? 裁縫、道具……? おそらくあるとは思いますが……」
口には出していないが、マイヤーは、どうしてそんな物が必要なんですか? と聞いていた。シアがたどたどしく答える。
「ええっと、あの……服が、ボロボロだったんで、ちょっと縫おうかなぁ~って……」
それを聞いて、マイヤーはさらに怪訝な表情になった。すかさずヴェルフが助け船を出す。
「いやな、コイツ、突然の命令に文句を言って、王に雷を落とされたんだ。その上着替えも忘れてさ、苦肉の策ってやつだ」
「ああ、なるほど。それでずっと黙っていらっしゃったのですね。その若さで他国への使者に選ばれるだけあって、寡黙で立派な方だなと思っていたのですが、その何と言いますか、年相応な所もあるのですね」
マイヤーは笑った。が、すぐに綻んだ表情を引き締めた。
「あっいえ、失礼しました。それであればこちらで着替えを用意しましょうか? 軍の支給品なのであまり良い物とは言えませんが……」
「おっ、悪いな。それならコイツの分だけでいいから、十セットくらい持ってきてくれ」
「承知しました。少々お待ちを」
マイヤーは敬礼をすると、扉も閉めずに走り去っていった。
シアは、マイヤーの姿が見えなくなるのを確認してから、ヴェルフに訊ねた。心なし小声で。
「十セットって、十日もここにいるんですか?」
「いや、すぐに帰る」
ヴェルフは、フカフカのベッドに倒れながら答えた。
「だったらなんで十着も??」
「獣人連合にゃあ服がねぇからな」
「えっ、裸!?」
「いや、そういう意味じゃなくて。お前に合うサイズがないんだ。基本的に獣人はヒトよりかなり大きいからな。俺の元の姿、覚えているだろ? あれでも獣人の中じゃ小さい方なんだぜ」
「ああ~、びっくりした、そういうことか。そうか、あれでも小さい方なんだ……」
今よりも明らかに大きかった人狼姿のヴェルフを思い出して、シアは納得した。
やがて、両手に一杯に衣服を抱えたマイヤーが戻ってきた。
「お待たせしました。ソファーの上に置かせてもらいますね」
マイヤーは大量の衣服をソファーの上に置くと、シアの方を向いた。シアは、ビクッと身構える。
「はいこれ、裁縫道具です。死んだ伯爵の物なので、おそらくこっちは良い物だと思います」
「あ、ありがとうございます」
「いえ。では、私はこれで失礼します」
マイヤーは敬礼をすると、今度は扉を閉めて下がっていった。
シアは、早速マイヤーの持ってきた服に目を通す。マイヤーの言った通り、軍の支給品だけあって、服に下着に肌着に……どれも無地で色気のひとつもなく、肌触りも良いとは言えなかった。
それでもシアは、特に残念がることもなく適当に一着選ぶと、麦わら帽子と穴の空いた服を脱ぎ、それに着替えた。それから最高級品の裁縫道具を手に取り、今脱いだ服をチクチクと縫いはじめた。
「へぇ~、お前裁縫できたのか」
ヴェルフは、シアの見事な手さばきに感心した。
「小さい頃に祖母に叩き込まれたんで、これくらいなら。それに、よく藍と紫苑の雑巾とか破れた服とか縫ってたので……」
「へぇ~良い兄貴だな」
「いや、違うんです。仕方なくなんです。おばあちゃんが、いた頃はよかったんですけど、うちの両親に裁縫頼むとすっごい時間かかるんで……。その、二人ともあまり家に帰ってこないのもあるんですけど……、それ以上に……何と言うか、二人で真逆の理由なんですけど……、母は普通に下手くそで、父は必要以上に凝って……、そのくせ家政婦さんに頼むのも既製品を買うのもなんかポリシーに反するみたいで……」
シアは、これ以上ないほどに言い淀んだ。言い淀みながらも手は淀みなく動いていく。
「いや、そんなことより! どうやってここから逃げるつもりなんですか?」
淀みに淀んだ結果、シアは無理やり話を変えた。しかし修復作業は着実に進んでいた。
「それは……今日は遅いから明日だ。シアのそれが終わったらもう寝るぞ」
ヴェルフは欠伸を噛み殺しながら言った。
「………………」
「心配すんな、ちゃんとシアでも逃げられる方法を考えてるからさ」
シアは、複雑な顔をしていた。ヴェルフのことは信頼していたが、先程の無責任な発言が尾を引いていたのだ。それでも一人で逃げる術を持たないシアは、ヴェルフに頼るしかなかった。
「…………終わりました」
「おっ、早いな」
ヴェルフは身体を起こして、シアが直した服を見た。
焦げ色はどうしようもなかったが、空いていた穴は完全に塞がり、しかも良く見ないと補修痕もわからないくらい完璧な仕上がりだった。
「ほぉ~、見事なモンだな。そんなけできんなら、サイズの違う俺たちの服でも直して着れるかもな。一応、裁縫道具も貰ってったらどうだ?」
「えっ、いいんですか?」
「まぁ死人のだし、いいんじゃねぇの」
ヴェルフはベッドから立ち上がり、適当に答えた。
「じゃあ、そうします」
そう言いながら、カバンを開けてシアは固まった。
カバンはパンパンだった。裁縫道具が入らないくらいに。『国宝』が壊れないようにと、ぎちぎちに中身を詰めていたことを忘れていたのだ。
「……入らん。この服、どうしよう?」
裁縫道具が入らないのだ、十セットの着替えなど到底入らない。
「そこに置いておけ。俺が全部持っていくからさ。じゃあ明かり消すぞ」
「あっ、ちょっと待ってください」
シアは裁縫道具と服をソファーに投げ捨てて、カバンを持って急いでベッドに座った。
「ありがとうございます。もういいです」
「んじゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
パチリと明かりが消え、部屋は真っ暗になった。ヴェルフが欠伸をしながら隣のベッドに入る。シアもフカフカなベッドに身体を横たえた。が、すぐにガバリと身体を起こした。まるで超高反発なベッドに弾き返されたかのように。
(いや! さっきまで馬車で爆睡してたのに寝れるわけないじゃん!!)
シアは、心の中で突っ込んだ。それから隣を見たが、ヴェルフはもう寝息を立てていた。
「早ッ! まぁ寝られないって言ったところでしょうがないし……」
シアは、いつでも逃げ出せるようにカバンを抱いて、もう一度横になった。ベッドに寝転んで見張りをしようと思ったのだ。フカフカなベッドに身体が沈み込む。そのまま眼を瞑って、部屋の外の音に警戒する。何か異変を感じたらすぐにヴェルフを起こそうと。
しかし五秒後、シアは深い眠りへと落ちていた。
「そろそろ起きろ、シア!」
シアは飛び起きた。今回は一回目だった。
「敵襲ッ!?」
シアはカバンを抱き締めて、キョロキョロと不鮮明な視界を左右に振った。ベッドの前でバスタオル一枚の男が呆れ返っていた。
「敵地で何寝っとぼけてンだ」
男はため息混じりに言った。
「……え? あっ、ヴェルフさ──」
シアの寝ぼけた頭では状況を呑み込めなかった。いつの間にか眠ってしまったらしいが、今が夜なのか朝なのかもわからない。そして何故ヴェルフが上裸なのかも……。とりあえず敵襲ではなかったことにホッと安心して、シアはベッドに倒れ込んだ。そのまま眼を瞑り、二度目の眠りに……。
「オイ、何でまた寝てンだ! さっさと起きろ!!」
つけなかった。シアは大きな欠伸をしながら、ベッドに半身を起こした。元の世界では常に起こす側だった彼は、藍と紫苑が何時も言ってた『あと五分』ってのはこれのことか、と弟妹たちの気持ちを初めて痛感していた。
「……………………」
「お前も水浴びしてこい! 目が覚めるぞ」
「……水、浴び?」
「ああ、そこの部屋だ」
ヴェルフが入り口手前の一室を指差した。シアは半目でそれを見て、ああ~、シャワーか、と合点がいった。それから「は~い」と、返事とも欠伸とも判断し難い声を上げて、動き出した。
「それにしてもヒトの身体は便利だな。水浴びもラクだし乾くのも速えし。これから水浴びするときは『ヒトモード』になろうかな……って、聞いてンのか? シア」
聞いていなかった。シアのぼんやりとした頭は、とぼとぼと身体を動かすので精一杯で、ヴェルフの話を聞く余裕などなかった。そのような状態でシャワー室まで辿り着き、無事にシャワーを浴びれてたのは称賛に値するかもしれない。
ヴェルフは、シャワー室へと消えていくシアの背中を見送ると、ソファーに座って何やら作業をしはじめた。
しばらくして、シアがシャワー室から出てきた。
「おはようございます」
「やっと目が覚めたみたいだな」
シアは完全に目覚めていた。ヴェルフみたいにバスタオル一枚ではなく、軍の支給品の服に身を包み、目もパッチリとしている。さらに外見だけでなく中身にも変化があった。自分でも驚くほどに身体が軽かったのだ。十二分の食事と睡眠がシアの身体を活性化させ、冷たいシャワーがシアを覚醒させたようだった。
「はい、おかげさまで。……ヴェルフは、何してるんです?」
ヴェルフはソファーに座って、どこからか持ってきた剣の柄に、これまたどこからか持ってきた長いロープを結んでいた。
「剣にロープを結んでる。流石工事中だけあって簡単に手に入ったぜ」
「いや、そうじゃなくて……。なんで、そんなことしてるんですか?」
シアは、質問しながら嫌な予感がしていた。ヴェルフは、まだ寝ぼけてンのか? と言いたげな顔で答える。
「ああん? これを屋上から垂らして逃げんだよ」
シアの予感は見事的中した。だが、シアは室内だと言うのに天を仰いだ。
「いやいやいやいや無理です!! この要塞めちゃくちゃ高いんですよ!? 屋上からロープで降りるなんて絶対に無理です!! どんなに長いロープでも絶対に地面まで届きませんよっ!!」
「そう言われても他に逃げる方法なんて思いつかないしな」
ヴェルフはあっさりと言った。それからシアに聞く。
「シアは何か思いついたのか?」
「あっ…………」
シアはあんぐりと口を開けて固まった。初めからヴェルフに任せっきりで、考えてもいなかったのである。ヴェルフはすかさず追い討ちをかける。
「なっ、シア! これが最善の方法なんだよ」
「…………はい」
シアは不服だった。だが、代案を持たない以上従うしかなかった。それに自信に満ちたヴェルフの声を聞いていると、こんな無謀な作戦でもなんだが成功するような気さえしてた。
「よし、良い子だ。じゃあこれでも喰って、逃げる準備をしな」
「ありがとうございます」
シアは、ヴェルフから朝食を受け取ってベッドに座った。パンを食べながら、ヴェルフに背を向け、こっそりとカバンの中身を確かめる。
『国宝』は、貰ったときと寸分も違わぬ輝きを放ってた。ありとあらゆる病気を治すと言われているカレルセの国宝、いや、今になって考えるとマギアの国宝なのかもしれない。だが、そんなことはどうでもいい。重要なのは、これで紫苑の病気を治せる、ということだった。
「よし」
と、小さく頷き、『国宝』を元に戻した。そのとき、日記がシアの目に留まった。この世界に来てから、弟妹たちに向けて毎日書いていた日記。
「最後に書いたのは、いつだったっけ?」
ふと感慨深い気持ちになって、シアはゆっくりと手を伸ばした。が、その手は日記ではなく、カバンのチャックを掴んだ。
「よし、獣人連合国に着いたら続きを書こう」
そう心に決めて、シアはカバンを閉じた。
「準備はいいか、シア?」
その声に、シアは最後の一欠片をポンと口に放り込んで振り向いた。
「はい、行きま──」
そして吹き出した。
「何してンだ、キッタネェな」
「だ、だってその姿……」
そこには人狼姿のヴェルフが立っていた。マントを羽織り、右には大きな袋、左にはロープを結んだ剣を持っている。
「ああ、『ヒトモード』はけっこう疲れるんだ。それに後は逃げるだけだからな、元に戻っても問題ないだろう。そんなことより準備はいいのか?」
ヴェルフは、首やら肩やらをバキバキ鳴らしながら言った。こっちが彼の本当の姿なのだろうが、シアは未だに慣れなかった。
シアは深呼吸して、心身ともに整えてから元気よく答えた。
「………………はい、行きましょう!」
ヴェルフがニヤリと笑った。口元から恐ろしいキバがちらりと覗く。
「よし! まずは屋上に出る。遠回りにはなるが西階段から上がる。昨日通った道だ。俺が先に行くからついてこい」
ヴェルフはそう言って、部屋を飛び出した。人狼に戻ったヴェルフの脚力は素晴らしかった。まさに飛ぶように薄暗い廊下を爆走した。シアは、小さくなっていく背中に向かって突っ込んだ。
「いや、ついていけるかッ!!」
しかし追うしかなかった。シアは気を取り直して、全速力でヴェルフの後を追った。すると、足に羽が生えたように身体が軽かった。シアは、まるで風になったかのような気分で廊下を疾走した。ヴェルフには離される一方だったが……。
シアが西階段を駆け上がっていると、頂上の大きな扉の前でヴェルフが止まっていた。ヴェルフは、息も切らさずに追い付いてきたシアを見て、
「ほぉ~、思ったより早かったな」
と、感心したように言った。それから簡単に作戦を説明しはじめた。
「この扉の先が屋上だ。この前の戦闘で、エヴァンスが出たとこの石柵を破壊した。そこが一番降りやすいだろう。俺が剣を突き刺してロープを垂らすから、シアが先に降りろ。いいか、何があっても絶対ロープを放すなよ!」
ヴェルフの作戦に、シアは無言で頷いた。この扉の前まで来ると、初めて見た戦争の光景が脳裏によみがえり、言葉が出なかったのだ。
ヴェルフがスラリと腰の剣を抜いた。薄暗い階段で冷たい光を放つ。
「まずは見張りの兵を倒す。シアも戦闘準備をしろ」
シアは覚悟を決め、背負っていた盾を左手に持った。だが、剣は抜かなかった。
「どうした?」
「オレは……殺したくありません」
シアはわかっていた。それがどれだけ甘えた考えなのかは。見張りの兵たちは迷わずシアを殺すつもりでかかってくるだろう。見張りの兵たちにしてみればそれが職務だ。職務で人殺し、とはいかがなものかと思うが、彼らには何の非もない。ヴェルフや真夜中の君のように強ければ、殺さずに倒すことも可能なのだろうが、今のシアは救済の武具を持っていないただの一般人。兵士より強いかどうかは置いておいて、真剣で殺さずに戦える自信がなかったのだ。
「牢屋で俺が言ったこと、覚えているか?」
ヴェルフは静かに聞いた。
「はい、覚えています」
「そうか、ならいい」
ヴェルフはフッと軽く笑った。それからロープを結んだ剣を抜き、鞘の方をシアに渡した。
「これを使え。これなら敵を殺すことはないだろう。それにこんなんでも無いよりはマシだろ」
シアは、受け取った鞘をくるんっと一回転させて構えてみた。中身のない鞘だけあって軽かった。それに長さも救済の剣と同じくらいに思えた。持ちにくいが、これならおもいっきり戦える。
「ありがとうございます」
シアは、深く頭を下げた。それは『鞘』に対するお礼だけではなかった。
「気にすんな。それよりその鞘は捨ててもいいが、腰の剣は捨てるなよ」
「わかりました」
「じゃあ、とっとと帰るか」
「はい!」
シアが元気よく返事するやいなや、ヴェルフがバーン!! と扉を蹴り開けた。薄暗い階段に眩しい陽光が差し込む。どうやら夜はとっくに明けていたらしい。ヴェルフは構わず、光の中を突き進んだ。シアは目を細め、後に続いた。




