21 脱出
エヴァンスは、アデル王の呼び出しを受け、意気揚々と玉座の間に入室した。ようやくあの憎き灰色の人狼──ヴェルフを討てる、と。しかし、アデル王の口から発せられた言葉は予想外のものだった。
「本当ですかッ!? 本当に『異世界の門のカギ』を魔王に奪われたのですか!?」
エヴァンスの言葉に、アデル王の頬がピクッと動いた。しかし、アデル王は穏やかに言った。
「…ああ。つまり、お前に託した『アレ』が最後の武器だ。例の作戦の成否がこの国の未来を決めるといっても過言ではない。失敗は許されんぞ」
エヴァンスは、玉座の前に深々と頭を下げた。
「承知しております。万全を期すためにも二つ、お願いがございます」
「……なんだ?」
「まずは──」
……十数分後、エヴァンスは、来たときより軽やかな足取りで王城の廊下を歩いていた。そして廊下の角を曲がったとき、意外な人物に声をかけられた。
「あら、エヴァンス司令官、何をそんなにお急ぎで? もしかして、もうズートア要塞にお帰りですか?」
声の主は、柔らかな微笑をたたえ軽く首を傾げていた。エヴァンスは、目を見張った。
「姫……様!?」
まさか、こんな所でこんなヒトに会うとは……。王城なのだから姫がいても何らおかしくはないのだが、エヴァンスにとってはまだ人狼と会う方がましだった。
「え、ええ。……私みたいな成り上がり者は、休む暇すらないんです」
エヴァンスは、たどたどしくそう答えた。自分で言っておきながら、言葉の端々に宿る自虐の香りが鼻につく。こういうとき彼は、彼の副官──アンドレイ・ディクソンのことを羨ましく思う。アンドレイならもっと気の利いたセリフを言えるのだろう、と。
エヴァンスは、 士官学校で礼節については学んでいたが、こういう上流階級的な会話には慣れていなかった。何しろ生まれも育ちも孤児院だし、軍に入ってからも貴族の軍人とは縁のない最前線にいることが多かった。出世してからは華麗な式典に呼ばれることもあったが、華やかなパーティー会場は居心地が悪かった。しかも周りには貴族や上流国民しかいない。エヴァンスは、いくつかの形式的な挨拶を済ませると、会場の隅の方で、帰るタイミングを見計らいながら食欲を満たすのが常だった。それに引き換えディクソンは、こういう席も如才なくこなした。飲食よりも歓談に口を使い、上流階級とも交流を図っていた。それを見るたびにエヴァンスは、同じ孤児院で育ったのに生まれが違うだけでこうも違うのか……、と複雑な気持ちになり、そしてパーティーがより嫌いになった。
一方、エルは、この国の高級士官にもこんな謙虚なヒトがいるんだ、と、要塞司令官に好感をいだいていた。
「それはちょうどよかったですわ」
姫は、ぽんっと一つ手を叩いて、嬉しそうに言った。
「……何が、です?」
エヴァンスは、眉をひそめた。
「先ほど、侵入者のためにロクセットは全面封鎖されましたの。お父様の命令で、封鎖は明日まで解かれませんから、今日一日ゆっくりできますわよ」
「なっ!? ……急用ができたのでこれで失礼します」
エヴァンスは、形式的な敬礼を姫にすると、身を翻し、慌てて引き返していった。
エルは、エヴァンスの背中が見えなくなってから、シアたちはちゃんと逃げれたかしら、と南の方へ視線を向けた。
その頃、シアたちはまだロクセットをさまよっていた。何のヒントも無しに馬車を探すには、ロクセットは広すぎたのだ。
「ねぇ、ヴェルフ。召喚の間を見つけたみたいに馬車を探せないんですか?」
シアは昨夜から動きっぱなしで、もうヘトヘトだった。必死にヴェルフの横を歩こうとするが、少しずつ遅れはじめていた。
「ああん? それができんなら今ここでさまよってなんかねぇ~よ」
ヴェルフはぞんざいに答えた。シアは、それもそうか、と納得する。だが、あのときと何が違うんだろ? と首を傾げた。
「魔力が足んねぇ」
それが見えていたのか、ヴェルフはそう短く答えた。
「え?」
「俺は一昨日の要塞戦からほとんど休んでねぇんだ。あの戦いのあと、すぐに王都まで走って、着いたと思ったらあの嬢ちゃんに捕まった。牢屋で少し眠ったが、そのあとはシアも知っての通りだ。嬢ちゃんにこき使われて魔力はすっからかん。今の俺は『ヒトモード』を維持するので精一杯、ほとんどヒトと変わんねぇよ」
「そうなんですか。でも、そこまでしてカレルセに来たのに、オレなんかを助けるために帰っていいんですか?」
突然、ヴェルフが足を止め、シアの顔を見た。シアは、ドキッとしたが、ヴェルフは何も言わずに歩き出し、背中ごしに手をヒラヒラさせて言った。
「あぁ、捕虜になった仲間を探しに来たんだが、ここにはいねぇみたいだがらな。もうこの国にゃあ用はねぇよ」
「それって姫が──」
シアがそう言いかけたとき、ヴェルフは道の先を指差し、大声を出した。
「オイ! あれじゃないか?」
ヴェルフの指差す先、下町の一角に人だかりができていた。そしてその中心には、一台の馬車があった。四頭立てに大きな荷台、荷台にはほろが付いていた。
「ホントだ。きっとそうですよ」
二人は手を振り、馬車に駆け寄った。
「おーい! その馬車、ズートア要塞行きか? オレたちも乗せてくれ~~~!」
責任者らしき憲兵は、二人に訝しげな視線を送った。
「ああ、そうだが……、アンタらも作業員に志願しに来たのか?」
二人ともマントを羽織り、大きな荷物に武器まで持っている。しかも小さい方の服は穴が空いている。良く見積もっても旅人、悪くすれば犯罪者……。まぁ、どっちにしても、
「この馬車はもう満員なんだ。悪いが、向こうで受け付けして次のを待ちな」
憲兵はそう言って、向かいの建物を指した。人だかりの一人が口を挟んだ。
「ちょい待ちな、次のは俺たちのンだ。その次もその次も……、先に待ってる奴らで埋まってる」
すると、人だかりから口々に声が上がった。
「アンタらも大人しく並んで待ってんだな」
「そうだ! こっちも朝っぱらから並んでンだ、割り込みは勘弁だぜ」
馬車待ちの彼らは、行列というより群衆といった感じだが、きっちりと順番が決まっているようだった。そして、その数は優に百は越えているように見える。
「げっ、こんなにも……」
シアは思わず声を漏らした。一刻も早く王都から逃げなくちゃいけないのに、こんなに待っていたら日が暮れてしまう。いや、それだけなら喜んで待つが、十中八九捕まってしまう。
「なんせダイン様の要請だかんな、みんな張り切ってンのさ」
嬉しそうに言う男に一瞥くれてから、シアはヴェルフを見た。どうしよう? と不安に満ちた顔で。馬車の御者席を見ていたヴェルフが、心配すんな、と言わんばかりにニッとシアに笑いかけた。
「イ~ヤ、それはムリだ。オレたちには急ぎの任務があるんでな。悪いな」
ヴェルフは、姫から貰った命令書を懐から出し、憲兵に渡した。
「うん? ……し、失礼しました!? オイ! 最後の二人、いや、三人! 早く降りろ!」
命令書を見た憲兵は、血相を変えて、荷台に乗っていた三人を引きずり降ろした。
「何すんだ!」
「こっちが先に乗ってたんだぞ!」
「二人で十分だろ!!」
引きずり降ろされた三人の若者は、口々に文句を言った。周りの人たちもざわめき始める。しかし憲兵は、怯まず声高に叫んだ。
「お二方に荷物と武器、これで三人分だ!」
「後から来て待ちもせずに三人分!? こんな横暴が許されていいのかッ!!」
一人の若者が大声で周りを煽った。それに釣られて周りも声を上げる。
「あんたらの任務がなんであれ、俺たちには関係ないことだ!」
「そうだ! これはマギアの馬車だ、アデル王から与えられた特権なんて通用しないぞ!!」
シアは、肩身の狭い思いできょろきょろとしていたが、ヴェルフは、堂々と成り行きを見守っていた。
「ええい、うるさい! これを見ろ!」
憲兵は、ぶーたれている三人に命令書を見せた。すると、三人の態度が一変した。
「……なんだぁ~。ダイン様の命令ならそうと先に言ってくださいよ」
「ほんと! そうと知ってたら喜んで降りたのに~」
「もう一人くらい降ろした方が良いじゃないですか??」
三人とも嬉しそうに言った。それは打算や畏れからではなく、自ら望んでいるように見えた。それどころか「ダイン様」と聞くと、周りの雰囲気も一気に歓迎ムードになった。白い目で見ていた群衆から歓声が上がる。彼ら──カレルセの民にとって、ダインの部下──マギアの民は侵略者のはずなのに。
「あんたらマギアのヒトたちか!」
「ダイン様! 万歳ーー!! 姫様! 万歳ーー!!」
シアは、今度は真逆の意味で肩身の狭い思いを感じていた。ダイン様の部下でもなければ、ましてやマギアのヒトでもない。流石のヴェルフも苦笑いを浮かべている。
「悪いな」
ヴェルフは、群衆に向かって軽く右手を挙げてから、シアに小声で言った。
「オイ、先に乗れ」
シアは、逃げるように馬車に乗り込んだ。中は思ったより広かった。手前は、両側に簡易的な座席があり、青年からおじさんまで五人の男性が座っている。皆、声は上げていないが、その瞳は子供のようにキラキラと輝いていた。奥には樽やら木材やらが大量に積まれていた。
ヴェルフが乗り込むと、馬車はすぐに動き出した。それでも歓声は止まなかった。
馬車は、徐々に速度を上げ、順調に進んだ。しばらくすると、歓声も聞こえなくなり、シアとヴェルフはホッと一息ついた。が、それも束の間、馬車は徐々に速度を落とし、ロクセットの正門前で完全に停車してしまった。
どうした? 何かあったのか? と馬車内が色めき立つ。すると、外から権高な声と先程の憲兵の言い合う声が聞こえてきた。
「王都は両王の命令で全面封鎖中だ! それと人狼が隠れてないか荷台を確認するぞ! 探せッ!!」
「ちょっと待ってください。人狼なんていやしませんよ。俺たちはダイン様の命令でズートア要塞の補修に向かってんで、荷台には補修用の資材と補給物資と作業員に志願した平民だけでさ。身分証明もちゃんと確認してますし──」
「黙れッ!! 我々はアデル王直属の精鋭部隊、王の盾だぞ! これ以上口答えするならば斬るぞ!」
外から聞こえてきた声に、内は騒然となった。
「王の盾!?」
「この感じ……、よりによって『外」の奴らか!?」
外の会話と乗客の反応に、シアは真っ青な顔で震え上がっていた。それを見て、ヴェルフはため息をついた。
「しゃねぇな」
と、面倒くさそうに立ち上がろうとしたとき、隣のおじさんがヴェルフの腕を掴んだ。
「止めときな。奴らはあれでも兵士だ。ダイン様の命令よりアデル王の命令を優先するだろう。それに『外』の奴らは、何をしでかすかわかったもんじゃねぇ」
「外?」
おじさんは、外に聞こえないように声をひそめた。
「ああ、王の盾のくせに王城にも入れてもらえない奴らのことさ。奴らはアデルに大金を払って、特例で王の盾になった無能者どもの集まりだ。そのことをよく知っているアデルは、自分で入隊させたくせに奴らを絶対城内に入れない。で、奴らは王城の『外』で、アデル王から与えられた特権で好き勝手暴れまわってんだ」
馬車内の雰囲気が、重く、暗くなった。皆、何かしらの被害を被ったことがあるのだろう。
「つまり権力を持ったバカか……。なんだってヒトの国はこうも……」
ヴェルフは、心底呆れ返ったように首を振った。
「だから、あんちゃんもここは大人しくした方が身のためだぜ」
「忠告ドーモ」
ヴェルフは素っ気なく言うと、荷台から降りた。シアも続く。
「オ、オイ、アンタら何してンだ!? ここはいいから早く中に戻ってくれ」
降りてきた二人を見て、憲兵は青ざめた。その後ろには、金と赤に彩られた豪奢な鎧に身を包んだ兵士が八人、がんくびを揃えていた。
『外』の連中は、半分が見るからにカタギではない厳つい顔つきで、もう半分は鎧に着られているようなひょろっとした貴族の坊っちゃんといった様子だった。とにかく、いずれも鎧が似合っていないことこの上ない。それにもかかわらず、臆面もなく居丈高に振る舞っている。
「なんだ、貴様ら! 我ら王の盾に逆らうつもりか!!」
坊っちゃんが怒鳴った。ヴェルフは何も言わず、ギロリとその坊っちゃんを睨む。
「ひっ!?」
情けない声を上げて、坊っちゃんはその場にへなへなと倒れた。それを見て強面が吠える。
「キサマ、我ら王の盾に反逆するつもりかッ!!」
ヴェルフはそれには一瞥もくれず、憲兵に手招きをした。無視された強面のこめかみに青筋が立つ。憲兵は、ほとんど白い顔をしてヴェルフに駆け寄った。
「何考えてんだよ、アンタ!?」
「まぁ、いいから。シアと憲兵さんはここを動くなよ」
ヴェルフはそう言うと、ゆっくり前に出た。そして、何気ない口調で言う。
「隊長はどいつだ?」
「キサマ! 言葉に気をつけろ! 我々は──」
「はいはい、王の盾だろ。んなことより隊長は?」
ヴェルフは、辟易した様子で男の言葉を遮った。
次の瞬間、王の盾たちの顔が真っ赤に燃え上がった。権力のメッキが剥がれ、本性が露になる。
「調子に乗ンじゃねぇ!! やっちまえッ!!」
強面たちは一斉に剣を抜き、猛然とヴェルフに襲いかかった。坊っちゃんたちは剣も抜かず、遠巻きにニヤニヤと見ていた。生意気な男が半殺しにされ、泣いて詫びるのを心待ちにしているようだった。しかし、そうはならなかった。ヴェルフが実に華麗な動きで、全ての攻撃を避けていたのだ。四対一だというのにかすりもしない。シアは、その動きに目を丸くした。これのどこが人なんだ、と。しかも、ヴェルフには軽口を叩く余裕まであった。
「オイオイ、いきなりかよ。ったく俺たちはダイン王の使いだってぇのに」
「それがどうした! 俺たちはカレルセの兵士だ。くそったれのマギアの命令なんて知るもンかッ!!」
男たちはさらに怒り狂った。普段、笠に着ている権力を他人に着られ、癇に障ったである。しかし、いくら怒ったところで当たらないものは当たらない。彼らは、不様なダンスを踊っただけでは飽き足らず、お互いにぶつかり合い勝手に倒れてしまった。
「スゲー……!」
憲兵と乗客は、感嘆の声を上げた。
「で、隊長はどいつだ?」
ヴェルフは、何事もなかったかのように後ろで震えている坊っちゃんたちに聞いた。
「そ、そそそれです」
坊っちゃんは震える声でそう言い、倒れている強面を指差した。その指も震えているのでどれを指しているのかわからない。が、どれでも同じだった。皆一様に気を失っているのだから。
「マジかよ!? ……なら、お前でいいや」
ヴェルフは、坊っちゃんの一人に目を付けると、ゆっくりと歩み寄り、一枚の紙を突き付けた。
「はいこれ、ダイン王の命令書。門、開けろ」
ヴェルフは、簡潔に要点を述べるとにっこりと笑った。ヴェルフにとっては、穏便に事を運ぶための笑顔だったのだが、やられた方には恐怖でしかなかった。坊っちゃんたちは、命令もプライドも特権もすぐさま投げ捨てて、目の前の命を拾った。
「は、ハイ! ただちに!!」
大急ぎで門まで駆け寄ると、坊っちゃんたちは生まれて初めて、自らの力で門を押し開けた。それから悠々と門をくぐる馬車に、精一杯の笑顔で深々とお辞儀をした。いつも彼らの使用人たちがしているように。




