20 エル
姫が地上に出たとき、城の庭には兵士の一団がいた。
マント付きの兵士が一団の前に立ち、何やら命令している。姫は、それがシアたちを追っている兵士の一団だとすぐに悟った。彼らが動き出す前に、と、足早に近づき、マント付きに声をかける。
「騒がしいですが、何かあったのですか?」
「何って寝ぼけて──ひ、姫様っ!? 何故ここに!?」
声をかけてきた人物の顔を見て、マント付きは驚愕した。驚きのあまり心の声が漏れてしまっていた。
「あら、私がここにいてはいけませんの?」
姫は、好奇心旺盛で勝ち気なお姫様を演じた。騒ぎを起こした張本人とバレないように、微笑をたたえて軽く首を傾げた。兵士の一団は、人狼を探しに行くのも忘れて、上官と姫様のやりとりを固唾を呑んで見守っている。
「あっ、いえ、そんなことは……」
マント付きは、目に見えて困っていた。それもそのはず。一刻も早く人狼を捕まえなければならないのに、姫に邪魔をされているのだ。そして、姫を無下に扱えば、不敬罪になりかねない、と恐れているのだろう。姫は、この男のことを少し気の毒に思った。だけどシアのためだ、困るくらいは我慢してもらおう、と姫が自分を納得させたとき、彼は何か閃いたように気色を良くした。
「いえ、いけません! 城内に人狼が侵入しているのです。ここも危険ですから姫様はお部屋にお戻りください」
マント付きは、心配している振りをしながら邪魔物を体よく追い払おうとしていた。姫は、内心舌を巻いた。へぇ~、なかなかやるわね、だけど……。
「まぁ! 人狼ですって!?」
姫は、大袈裟に驚いて見せた。それから、少し怯えている様子でマント付きに懇願する。
「恐ろしいですわ。よろしければ、皆さんが私を部屋まで護衛してくださいませんか?」
その返しは考えてもいなかったのだろう、マント付きはまごついた。
「は!? いや、ですが、あの我々にはその、任務が……」
そのとき、何処からともなく男の声が聞こえてきた。いたずらっ子を諭すような穏やかな声が。
「あまり兵士たちを困らせるな、エル」
今度は姫が驚愕する番だった。目を見開き、固まる。突然、名前を呼ばれたこともそうだが、それよりもその声。わたしが聞き間違えるはずはない、だけど──
(なんでここにいるのッ!?)
それは姫モードの彼女にとって、あるまじき表情だった。が、幸い誰も見ていなかった。マント付きを含めカレルセの兵士たちは、城の正門の方から颯爽と歩いて来る一人の男に目を奪われていたのだ。
背の高い男性が、自信に満ち満ちた歩調で光の中から歩いてくる。男の純白のマントが朝陽に照らされ、痛いほどに眩しい。そして、燃えるように赤い頭には燦然と輝く王冠。
「ダイン王!?」
初めて見る魔王に、兵士たちは身構えた。しかし、魔王は穏やかに微笑んで言った。
「私の娘が悪いな。君たちは気にせず任務に戻ってくれ」
「ハッ! ……行くぞ!!」
兵士たちは、思わず敬礼していた。しかしすぐに我に返り、人狼探しに散っていく。エルは、その間に驚き以外の感情を消し、表情を整えた。そして、そこにひとつまみの喜びを加え、ダインを見た。
「お父様、どうしてロクセットに!?」
ダインは、娘の前で足を止めて答える。
「ズートア要塞に大穴が空いてな。それを修復するための人手を集めにきたんだ」
「わざわざお父様が自ら?」
「ああ、ついでにこれを救世主に渡そうと思ってな」
と、ダインはマントを翻し、その下にある剣と盾を見せた。
(救済の武具!?)
エルは、驚いた。が、顔には出さなかった。娘の反応を見て、ダインは続けた。
「だが、人狼と共に救世主が逃げた、と聞いてな。今からアデル王に確認に行くところだ」
それを聞いて、エルの緑色の瞳が煌めいた。シアが逃げたこともすでにバレているのは想定外だったが、これは逆に好都合かもしれない。
「それなら救済の武具、私にくださいませんか? 私ももう少しで成人なんですもの、いいでしょう?」
エルは、誕生日プレゼントが待ちきれない無邪気な子供のように、父親にねだった。
元々救済の武具は、マギア王家の成人の儀で王から子供へと継承されるマギアの国宝であった。そのため、使いこなせるかは別として、王家の人間なら誰でも救済の武具を持つことができる。そしてエルは、次の誕生日で十八歳──成人を迎える。
「それに救世主様がいなくなったのなら、また宝物庫に保管するだけなのでしょう?」
王家の子供は幼少期に一度、救済の武具に選ばれているかを確かめるための儀式を受けることになっている。選ばれていたのならば修練のために貸し与えられ、修練が終わると王に返す。その後、子供が成人するまでは王の所有物となる。ダイン王は救済の剣と救済の盾、どちらにも選ばれなかったため、エルが修練を終えてからシアが召喚されるまで、救済の武具は宝物庫で長い間眠っていたのである。
「ダメだ。お前の誕生日はまだ半年も先だろう。いや、違うな……。例え明日が誕生日だったとしても、成人を迎えるまでは渡すわけにはいかない」
ダイン王は、愛する娘の頼みをけんもほろろに断った。エルは、あっさりと引き下がった。
「残念ですわ。代わりといっては何ですが、アデル王との謁見に同席させてもらっても良いですか?」
「ああ、それならいいぞ」
ダインは、そう言うと再び颯爽と歩き出した。エルは、ダインに続いて城内に入った
「そういえばお父様、どうしてスパティフィラムは……」
エルの言葉は、そこで止まった。ダインが少し心配そうに娘を見る。
「どうした?」
エルはニコッと笑い、首を振った。
「いえ、何でもありません」
「そうか」
明け方の、薄暗い玉座の間に二人の男がいた。空の玉座に向かってひざまずく老齢の兵士と、その後ろを威厳と怒りをたっぷり携え闊歩する若い王。
重苦しい静寂の中で、コツコツと足音だけが響く。気の弱い者なら数分と持たない緊張感が玉座の間を包んでいた。だが、兵士は平然とひざまずいていた。暫く何も言わずに闊歩していた王が、突然怒鳴った。
「何故、侵入者一人捕まえられんッ!!」
雷鳴のような怒号が室内に響き渡った。ひざまずいていた男は、微動だにせず答える。
「申し訳ございません、アデル様。ですが相手は人狼。狭い屋内で素早い人狼を捕まえるのは……」
アデルの足が止まった。そして、静かに聞いた。
「いつからだ? ドレスラー隊長」
ドレスラーは、王城守護隊──通称『王の盾』の隊長にして、カレルセの宿将だった。名門貴族の生まれで、当然のように士官学校を首席で卒業した、まさに軍人の見本とも言える人物である。彼は眉をひそめた。
「は?」
ここぞとばかりにアデルは怒りを爆発させた。
「いつから王の盾が言い訳するようになった! 貴様らは貴族の中でも選ばれた者しか入れんエリート集団なのだろう! それがなんだこの体たらくはッ!! 気位ばかり高く使えん奴らめ!!」
「………………」
ドレスラーは表情を殺し、王の叱責に耐えていた。たっぷり五秒ほど待って、それが終わったことを確認し、お言葉ですが、と反論しようとしたとき、突然玉座の間の扉がバンッと勢いよく開かれた。
「この世に使えないモノなどない。大抵は使う側の問題だ」
言葉の内容はもちろん、勝手に入ってきたこと、扉の開け方、声色……、とにかくこの闖入者の全てがアデルの逆鱗に触れた。アデル王は顔を真っ赤にし、身体を怒りに震わせ、振り返った。
「それは、余のことかッ!!」
ドレスラーは、誰かはわからなかったが、心の中でその人物に忠告した。バカに正論を言ったところで無意味だ。特に権力を持ったバカには……。悪いことは言わないから、殺される前にひざまずいて謝りなさい、と。
しかし闖入者は、ドレスラーの忠告を無視──口に出していないから当然なのだが──して、極めて冷然と言い返した。
「ああ、そうだ。民の力を引き出すことこそが王の仕事と知れ」
ドレスラーは、前に来たときにはなかった絨毯の痕に目をやり、うなだれた。誰か知らないがまた一人、王に殺されるのか、と。
しかし、ドレスラーの想像に反することが起きた。アデル王が来訪者の前にひざまずき謝罪したのだ。
「うっ、申し訳ございません。貴方様だとは露知らず、ご無礼をお許しください」
予想外のことに、ドレスラーは思わず振り返った。そこにいたのはダイン王だった。ドレスラーは、面を喰らいながらも主君の横に馳せ参じ、侵略者の前に膝を折る。そのとき、ダイン王の後ろからひょこっと姫が現れた。
「ごきげんよう、アデル王。そこの隊長さんはもう帰っていいわよ。ね、お父様?」
「ああ、いいだろう」
流石のドレスラーも当惑を隠せなかった。
「し、しかし……」
と、うかがうようにアデル王の顔を見た。アデルは、鬼のような形相をしていた。そして、その視線の先にはニッコリと微笑む少女がいた。
「……アデル、様」
そのドレスラーの呼び掛けで正気に戻ったのか、アデルはチラリとドレスラーを見ると、無言で頷いた。
「ハッ、では失礼します」
アデルは、ドレスラーが退出するのを見届けると、ひざまづいたまま頭を下げた。
「先日はズートア要塞を救っていただき、恐悦至極に存じます」
「ああ、気にするな。救世主を見に行ったついでだ。ところでその救世主が脱走したと聞いたが?」
アデルは、さらに頭を下げる。
「ハッ、申し訳ございません。昨夜、城内に人狼が侵入し、その者と共に逃亡したようです。どうやら、城内に賊を手引きした不届き者がいるようで……」
アデルはそこまで言うと、全部わかっているんだぞ、と言わんばかりにギロリと姫を睨んだ。エルは、だったら言えば? とニッコリ笑い返す。
エルは、アデルが絶対に言わないことを理解していたのだ。わたしがやった証拠を見つけていたとしても、姫が犯人だと言えば魔王の怒りを買い、逆に殺される、とアデルは恐れている。なぜなら、彼が逆の立場なら間違いなくそうするからだ。
人間……、特にアデルのような驕り高ぶった者は、自分の『考え』が全て正しいと信じている。それゆえに自分と『考え』の違う他者など認めないし、他者が違う『考え』を持っているかもしれない、など思いもしないのである。
(パパだったらちゃんとした証拠さえ見せれば、迷わずわたしを捕まえるのに……)
エルはそう思う。そして、それは当然のことだと思うが、それでも少し悲しかった。
「そうか。ならば取り決めに従い、『異世界の門のカギ』を渡してもらおう」
アデルは、ハッと顔を上げた。
「なっ、それはお待ちください!」
『異世界の門のカギ』に反応したのは、エルも同じだった。しかし、彼女はそれを悟られないように、表情筋を笑顔で固定し、興味ないふりをしながら二人の王の話に耳を傾けた。
「なぜだ?」
「奴はすぐに戻って来るのです!!」
「ほう?」
ダインは、気のない返事をした。それにも負けずアデルは熱っぽく語る。
「奴には不治の病におかされた妹がいるのです。そして奴の口振りから察するに余命はそれほど長くないようで、奴は一刻も早く元の世界に帰る必要があるのです!!」
(えっ……?)
エルの頭は一瞬にして真っ白になった。不治の病? 余命? シオンちゃんが……!? エルは、シアの双子の弟妹──アイとシオン──を知っていた。シアがどれだけ二人を大事に思っているのか、も。シアがよく、真夜中の訓練のあとでとても嬉しそうに二人の話をしていたからだ。だが、病気のことは一言も聞いたことがなかった。そのとき、エルの頭の中で火花が散った。
(そうか……、だからシアはあんなにも早く帰りたがってたのね……)
エルはハッとした。その驚きは、姫の仮面を突き破っていた。
「未来の話などどうでもいい。今、お前の管理下にいないのであれば、渡せ」
ダインは冷たく言い、手を差し出した。アデルは頭を下げ、懇願する。
「どうか、どうかこれだけはご容赦ください」
「ならん。取り決めを破るつもりか!」
ダイン王が初めて声を荒げた。それと共に魔力が迸り、玉座の間が揺れる。それは王城全体が揺れているようだった。
その有無を言わせないその迫力にアデルは震え上がり、懐から持ち手が六芒星になっている金色のカギを取りだし、おずおずと魔王に差し出した。
「め、滅相もございません。ですがお気をつけください。このカギで確かに異世界の門は開きます。しかし余……、いえ、私以外が使うと、門は開いた瞬間に閉じはじめ、閉じたら最後、完全に消滅してしまいます。そうなれば私の力をもってしても、二度と同じ異世界への門は開けないとお考えください」
エルは、心の中でガッツポーズをしていた。『異世界の門のカギ』の存在は知っていた。だだどんな形でどこにあるのかは見当もつかなかった。そんなカギが目の前に現れたのだ、エルの喜びは計り知れなかった。だが、そのことを見せるわけにはいかない。エルは、今にも叫び出しそうな心を箱の中に仕舞うと、そのことを微塵も見せずにただただカギのデザインが、あくまでアクセサリーとして気に入った演技をした。
「まぁ、なんて素敵なカギなの。チェーンを通せば素敵なアクセサリーになりそうだわ。ねぇお父様、それ、私に預けてくださいませんか?」
それは完璧な演技だった。アデルが、何が素敵だ、これの真の価値も分からん小娘が! と睨み付けるほどには。しかし、
「すまんな。評議会の決定で私が持ち帰ることになっている」
ダインは、にべもなく断ると、マントの中にカギを仕舞った。エルも、こればっかりはあっさりと諦めるワケにはいかない。
「え~、お父様は王様なのですから、評議会の命令なんて従わなくても良いのでは?」
と、口を尖らせる。ところがダイン王は、突然真剣な眼差しでエルを見つめた。
「いいか、エル。王の権力とは、自己の利益を追求するためにあるわけではないし、ましてや王本人の力でもないんだ。民全体の利益を求め、それを円滑に行うために民から与えられている力なんだ。王は一人では無力なんだ、お前も私の跡を継ぐつもりならそれを忘れるな」
「……はい」
エルは複雑な顔で短く答えた。別に怒られたことがショックだったわけでも、説教されたことに落ち込んでいるわけでもなかった。ただ、今の父にそれを言われることが納得いかなかったのだ。
エルは、言われるまでもなくそのことを重々承知していたし、姫として実践しようと心掛けてきた。母と母が生きていたときの父の背中を見て育ったエルにとっては、それが当たり前だったから。だが、今の父はどうだ? 自国民を守るためとはいえ、他国民の犠牲を厭わず、あまつさえ異世界の人間まで巻き込んでいるではないか! 自分たちが幸せなら他がどうなってもいい、それではただのアデル王の延長線上ではないか! エルは、そんな父が王として正しいとは思えなかった。許せなかった。例え、それが母の復讐のためでも……。
「……用は済んだ。では、行こうか」
二人は来たときと同様、勝手に去っていった。
アデルはしばらくの間、閉ざされた扉を睨みつけ、ギリギリと奥歯を鳴らしていた。やがて無意識的に首に下げた青いネックレスを触る。
「違う……、余は、貴様らとは違う」
吐き捨てるようにそう言うと、アデルはドカッと玉座に座った。
「エヴァンスを呼べッ!!」
孤独な玉座の間にアデルの叫びが響き渡る。




