1 男は救世主とよばれた
男は騎士のような甲冑姿で剣と盾を持って、広いグラウンドのような場所に立っていた。地面は乾燥した固い土できれいに整地されており、石ころ一個も、草一本もない。周りは高い石壁に囲まれている。肩で息をしながら、とりあえず王様を探す。
「ハァ……ハァ……、王様は──」
王様はすぐに見つかった。探すまでもなくグラウンドの中央に立っていた。しかし、男は深いため息をついた。
「遠い……」
男は慣れない格好での移動に、これ以上動けないほど疲労困憊だったのだ。幸い、王様の方が男に気が付き、声をかけてくれた。
「やっと来ましたか、救世主様。それが伝説の『救済の武具』です。さあ、盾を構えてください。いきますよ! 『ファイヤーボール』」
王様は、言い終わるや否や火の玉を放った。ソフトボールくらいの大きさの火の玉が、猛スピードで男めがけて飛んでくる。
(あっ、死んだ)
男は呆気にとられながら、なぜこうなったのかを考えた。
「転生ではなく、召喚です」
王様らしき人が、朗らかに間違いを訂正した。どうやら、異世界の部分はあっていたらしい。
「あっ、そうですか……。そんなのはどっちでもいいんです! ここはどこなんですか? 弟たちは? それより帰らせてください」
男は、ここが自分の家の玄関ではないことはもちろん、自分の知っている世界でも無い事も分かったが、ドアも一緒に召喚されていることで、家族の安否が心配になった。
「ここは、カレルセのロクセット城の地下。召喚されたのは貴方だけで、ご家族には何もしていません。安心してください」
(よかった。けどカレルセなんて名前、ゲームでも聞いたことがない。やっぱり、異世界……って、そんな訳ない。夢だよ、夢。ドア開けたとき、あいつらのいたずらで気絶したんだ。よし、じゃあ、一発!)
パーンっと地下室に乾いた音が響いた。男は自分の両頬を力いっぱい叩いていた。
「痛い! 夢じゃない……、ⅤRゴーグルも着けてないし……、現実!? 助けて、神様」
男は、頬を真っ赤にしながら膝から崩れ落ちた。
「そうです。これは現実です。だから、どうかこの世界を救ってください。救世主様」
王様は男の手を取り、立ち上がらせた。そして、改めて懇願した。
「……救世主!?」
その言葉が男の心に突き刺さった。
(異世界に救世主として召喚された!!)
一瞬、男の心は高揚感でいっぱいになった。だが、もうそんなこと信じる歳じゃない。そんな思いが男をすぐに冷静にさせた。ふと気が付くと、周りの人々が期待を込めた目で男を見ていた。
「ちょっと待ってください。救世主なんてムリです! オレはただの高校生ですよ。中肉中背で、スポーツもやってない。それなのに世界を救えって、そんなの無理ですよ」
男は慌てて一気にまくしたてる。が、王様はニコやかに
「大丈夫です」
と一言。
「いやいやいや、オレには取柄すらないんですよ」
「うーん。そこまでおっしゃるのなら、証しを見せてあげます」
「証し?」
「まあいいから、こちらへいらしてください」
王様はそう言うと地下室を出た。男は訳も分からないまま、王様の後ろを付いて行くしかなかった。薄暗い廊下を少し歩き、別の部屋に案内された。最初の部屋と同じように、石造りで薄暗かった。しかし、この部屋には無数の武器や防具が置かれていた。
「ここは戦士たちの控室です。さあ、この装備に着替えて、上の闘技場に来てください。私は先に行っています」
王様は部屋にある無数の武具の中で、ひときわ厳重に保管されている武具を指した。そして男の返事も待たずに、部屋の奥にある階段をあがっていった。
「あのー、こんな甲冑、着方すら分からないんですけどー」
男の嘆きは、王様には届かなかった。しかし、後ろに控えていたメイドには届いた。
「では、お手伝いいたしますわ。カバンはこちらでお預かります」
「あっ、はい」
メイドは愛想のいい微笑みで、戸惑う男からカバンを奪うと、テキパキと男に鎧を装着していった。そして最後に兜を被せると、どこにでもあるような何の変哲もない剣と盾を指した。
「武器はこちらを。では、ご武運を」
メイドは一礼すると、カバンを持ってどこかへ去っていった。
「え? ちょっと──」
男の情けない声が、兜の中で響いた。初めて着た甲冑では、振り向いてメイドを止めることもできなかった。知らない世界、誰も居ない部屋、まともに動くことすらできない格好で放置、おまけにカバンも持っていかれた。泣きたくなった。しかし、甲冑を脱ぐことすら出来ない男は、進むしかなかった。
男は仕方なくメイドに指定された武器を取った。初めて持った本物の剣と盾は思ったより軽かった。
(こんな状況じゃなかったら、喜べたのにな……)
男は嘆きながら、ガッシャン、ガッシャン、と大きな音を立てて、慣れない甲冑姿で一歩一歩階段をあがる。そして、男が死に物狂いで暗い地下から抜け出し、明るい陽射しを浴びてホッと一息ついた。その直後、火の玉が飛んできた。
初めての走馬灯の結果、そこには理不尽しかなかった。
(こんな理不尽な死に方、絶対にイヤだ!!)
男は心の中で叫んだ。そのとき、火の玉が男に直撃し、爆発した。
「あれ、生きて、る? なんだ、これは、疲れが……、てか、今のは魔法!?」
男は驚いた。火の玉に殺されたと思ったのに、何の衝撃もなかった。それどころか、疲労困憊だった体に力がみなぎる。だがなによりも、最初に見た魔法が最後に見る魔法になるところだったことに驚いた。
おおーっ! と、周りから歓声と拍手が起こった。闘技場を囲む高い壁の上には大勢の観客がいた。
「流石です、救世主様。魔法を防いだそれが、伝説の『救済の盾』です」
「伝説!?」
男は知らぬ間に、左手を体の前に出していた。その手にある盾はぼんやりと光っているように見える。
「どんな攻撃でも自動で防御し、さらに、防いだ魔力は救世主様の力へと還元します」
「絶対防御!? それに、魔力の吸収!?」
目の前の人間に殺されかけた直後だというのに、男は目をまん丸にして喜んだ。ゲーム好きなことと、盾から流れてくる力のせいである。
「次は伝説の剣を試してください」
「よっしゃ! 何でも来い!」
男は吠えた。盾から流れてくる力が男に万能感を与えていたのだ。今なら何でもできる。その思いが、理解不能なこの状況に対する恐怖を吹き飛ばしていた。
「開け、召喚の門! 来い! ゴーレム」
「え? ゴーレム!?」
王の言葉で、闘技場に巨大な魔方陣が浮かび上がった。そして、中心から岩がせり上がりはじめた。それはすぐに男の腰ほどの高さになった。
(なんだ。ゴーレムって聞いて岩の巨人かと思ったけど、ただの岩じゃん。驚いて損した)
「ただの岩」と称するには大きすぎる岩を前にして、男は心の中でほくそ笑んだ。普通なら、剣を持ったこともないこの男が、「ただの岩」でも斬れるわけはないのだが、『伝説』の響きと万能感が男を強気にさせていた。しかし、
(あ、れ……)
岩は止まったわけではなかった。形を変えて、どんどん、どんどん伸びていく。それに合わせて、男の視線も、どんどん、どんどん上がっていく。そして、男の首が限界をむかえたとき、ようやく岩も止まった。
そこには、見上げるような石像があった。やはりゴーレムは驚きに値する岩の巨人だったのだ。男はゴーレムの頭部だけを見て、余裕とほくそ笑んでいたのである。それを悟ったとき、男の視線が急降下した。
「……ゴーレムじゃん!? これで試し切り!?」
男の万能感は、見上げるような巨大な石像によって一瞬で打ち砕かれた。粉々になった万能感のかわりに、再び恐怖が舞い戻る。
「さあ、救世主様」
(さあ、じゃねーよ。くっそぉぉ!!)
男は気持ちの乱高下に付いていけず、頭がパンクしそうだった。もう知るか、とやけくそで剣を振り上げ、ゴーレムに向かって走った。ゴーレムは男に気付き、動き出す。岩のくせに俊敏な動作で、石柱のように巨大な腕を突き出した。
「コイツ、攻撃すんのかよッ!?」
男は戦慄した。まさか、試し切り用のゴーレムに攻撃されるとは思っていなかったのだ。しかし、短時間での走馬灯のアンコールに、男の心には恐怖を上回る怒りが沸き上がった。
(勝手に喚んだくせに、この仕打ちかァ!!)
すると、男の右手が、伝説の剣が勝手に動き出した。目の前に迫る石柱に向かって、目にも止まらぬ速さで振り下ろされた。男を避けるようにゴーレムの腕が真っ二つに裂ける。そして、伝説の剣は返す刀でゴーレムの首を飛ばした、触れることもなく。
「……スゲー!! オレがこれを!?」
男は嬉々として叫んだ。たった二振りで巨大な石の化け物が粗大ゴミになる様子は、男の怒りも一緒に処分したのだった。男は立っていただけなのだが……。
「その『救済の剣』は、救世主様が『敵』と判断したモノを自動で攻撃します。見ての通り切れ味はバツグンで、近くても遠くても、材質が何であれ全て斬り裂きます」
王様はいつの間にか、男の背後に立っていた。
「どんなモノでも斬り裂く剣と、絶対防御の盾……(チートじゃん! これさえあれば、オレでも……)」
異世界の伝説の装備に、男は黒い瞳をキラキラと輝かせた。
「そして、その『救済の武具』を扱えることこそが、救世主の最大の証しなのです!!」
「オレが、救世主──」
王様の言葉に、男の心が踊った。しかし、
「うわっ!」
『救済の武具』の力を体感し、自分が救世主になれる。と思ったとたん、全身の力が抜けて甲冑の重みで派手にひっくり返った。
(やっぱり、オレには無理だな。深入りする前に、カバン返してもらって帰ろう)
男は無様に倒れながら、断ることを決意した。
「大丈夫ですか。救世主様」
「やっぱり、オレには──」
「誰か、救世主様を起こして、甲冑を外して差し上げなさい」
男が断ろうとするのを遮るように、王様は命令を出した。数人のメイドたちが走ってきて、男を起こし、ガチャガチャと甲冑を外していく。男はされるがまま立っているしかなかった。
男がどうにか穏便に断る方法を思案してると、凛とした声が響いた。
「終わりましわ。救世主様」
気が付くと、目の前に闇を纏ったような漆黒のドレスを着た女性が立っていた。黄金色に輝く長い髪に、真っ白で端整な顔立ちは、まるでセルロイドの人形のようだった。彼女のガラス玉のように綺麗な緑色の瞳が、余計にそう感じさせる。
(うわぁ……、キレイな女性……)
男が見惚れていると、女性は両手を差し出した。思わず、男は手を取ってしまった。
「いえ、『救済の武具』を預かりますわ」
「あっ、ごめんなさい。そうですよね」
男は赤面しながら大慌てで、救済の武具を女性に渡した。
受け取った女性は、フフッと軽く笑った。人形ではありえないその柔和な表情に、男の時は止まった。すると、女性の方が男に顔を近付けてきた。
男は動けなかった。どうにかなりそうなドキドキの中、息をすることすらままならない。女性はそのまま男の顔の横まで伸び、耳元でささやいた。
「絶対に本名を教えてはいけませんわよ」
「え?」
「では、確かにお預かりしましたわ」
キョトンとしている男を無視して、女性は救済の武具を持って立ち去ってしまった。女性が闘技場を出ていくのを見届けると、男は、よし、帰るぞ! と決心した。
「あの、やっぱりオレに救世主なんて無理です。ごめんなさい。帰るのでカバンを返してください!」
男は遮られないように、大声で一気にまくしたてた。しかし、王様は微笑んでいる。
「まあまあ、先程の様子から察するに、魔法は初めてでしょう。なら、カバンを待っている間、こういうのはいかがでしょう。『シルフ』!!」
王様が叫ぶと、男の体が徐々に浮かび上がった。
「うわあ、オレ……、浮いてる。空飛んでるーー! ヒャッホーーー!!」
男は初めての命を狙っていない魔法に感激し、文字通り狂喜乱舞、縦横無尽、人目も気にせず叫びながらグルグルと飛び回った。
心ゆくまで飛び回り、少し落ち着きを取り戻した男は、下で王様がカバンを持って、待っていることに気付いた。
「あの、オレ、魔法とか初めてで、空飛ぶの憧れてて……」
男は頭をかきながら、恥ずかしそうに降りてきた。
「そうですか。楽しんでもらえたのならよかった」
「ハイ、滅茶苦茶楽しかったです。ありがとうございます」
男は子供の様にはしゃぎながらお礼を言い、カバンを取ろうと左手を伸ばした。しかし、
「自己紹介が遅くなりました。私はアデル・カレルセ。この国の王です」
王様はカバンを渡さずに、男の手を握った。
(握手じゃない、カバン!)
男は心の中で突っ込んだ。
「救世主様のお名前は?」
「え? あっ、オレは、く──」
男は突然の質問に、一瞬戸惑った。そして、慌てて名乗ろうとしたが、言葉が詰まった。
「本名を教えてはいけない」
さっきの女性の言葉を思い出したのだ。
自分の名前に詰まっている男を、アデルは訝しげに見ていた。それに気付いた男はとっさに咳払いで誤魔化した。
「……ゴホン、いや、私の名前はシア。では、これで失礼します。アデル王」
シアは背筋を伸ばし、できるだけ丁寧に挨拶すると、もう一度カバンに手を伸ばした。
「シア」
アデルは、スッとさりげなくカバンを引くと、男の名前を復唱した。それから、少し間を置いて眉をひそめた。
「……救世主様の世界の名前は、えらく短いのですな」
「えっと、その、私の世界でも変わっていまして、いつもからかわれていました」
シアはギクッとして、思わず嘘をついてしまった。
「そう、ですか。それは失礼なことを、申し訳ございません。シア様」
「気にしないでください。そんなことより、何故、私を喚んだのですか?」
シアは誤魔化せたことにホッとした。が、嘘をついたことに罪悪感を抱き、話題を逸らそうと、聞きたくもない事を聞いてしまった。
「我が国は今、悪の魔王に侵略されています。我が国の精鋭たちをもってしても、魔王を倒せなかった。今は国境を固めて何とか耐え忍んでいますが、それもいつまで耐えられるか……。悪の魔王を完全に倒せるのは、伝説の救済の武具だけなのですが、我が国には、この世界には、救済の武具を使える者は存在しなかった。そこで我々は、一縷の望みをかけ、異世界に救世主を求めたのです。そして、貴方が現れた。どうか、魔王を倒し、我が国を、世界を救ってください。シア様!」
アデルはひれ伏して懇願した。いつの間にか集まっていた人々も一斉にひれ伏した。
シアは聞いたことを心底後悔した。こんな状況で「救世主」が、自分には関係ない世界だからって逃げていいのか? けど……、
「ごめんなさい。魔王と戦うなんて……、戦闘どころかケンカもしたことないオレには無理です……。他の救世主を喚んでください」
やっぱり怖かった。シアはうつむきながら、振り絞るように言った。
「それは無理なのです。異世界から召喚はそう何度も使える代物ではないのです。それに、戦闘経験が無くとも、救済の武具を使えるのであれば心配ありません。魔王を絶対に倒せます」
救済の武具の力を体感したシアは、否定することができなかった。
「でも、元の世界に帰らないと家族が心配するし……」
「安心してください、シア様。魔王を倒した暁には、召喚したときと同じ『時間』に送ってさしあげます。ご家族は異世界に召喚されていたことにも気付きません」
それなら家族には心配かけないか、とシアは納得しそうになり、いやいや、と頭を振った。
「けど、やっぱり……」
「やる」とは言えなかった。強い武器をもらえる。元の時間に帰してくれる。言い訳を一つずつ消されても、シアはまだ言い訳を探していた。そのとき、
「おねがい……、きゅうせいしゅさま!」
子供たちの泣きそうな声が聞こえた。シアは思わず、声の方に目を向けてしまった。弟妹と同じくらいの子供たちの祈るような視線が、シアに容赦なく突き刺さった。必死に探した言い訳たちが貫かれ、罪悪感と本音だけが残る。
「……オレ、怖いんです。死ぬこともだけど、ここまでおぜん立てされて、皆さんに期待かけられて、それなのに、失敗して、また失望されるのが……」
シアは耐えきれなかったのだ。期待と重圧、それの後に待っているであろう失望に。
「シア様、もし失敗したとしても、我々は失望なんてしません。この国は何もしなくても滅びるのです」
アデルは、静かに優しく語りかけた。
「魔王と戦い、もし勝てないと思えば逃げてください。約束通り元の世界にお送りします。ですが、そう思うまでは、この国のために戦っていただけないでしょうか?」
(逃げてもいい!? オレが逃げたらこの世界は……?)
だが、しょせん知らない世界だ。オレには関係ない。それより自分の世界にもっと大事なことがあるだろう。シアは自分にそう言い聞かせるように、震える声で話しはじめた。
「……でもボクには、まだ小さい双子の弟と妹がいて、妹は昔から体が弱くて、それでちょっと前からまた体調が悪くて、最近まで入院してて、双子だからか弟も自分の事のように苦しんでいて……。約束も守れなかったボクなんかには何もできないけど、せめて二人のそばに居なきゃいけないんです!! ……だから、だから命がけで戦うなんて……無理です」
シアは「戦う」と言えない自分が情けなく、言い訳ばかりではっきりと「帰る」とも言えない自分が心底嫌いになった。だけどやっぱり、見ず知らずの子供たちより弟妹の方が大事だった。
「病身の妹君……ですか。それならこの国の『国宝』に、どんな病でも治す魔法のアイテムがあります。魔王を戦っていただけるのなら、それを差し上げ──」
「本当ですか? 本当にそのアイテムで紫苑は、妹は元気になるのですか?」
シアはバッと顔をあげて、アデルの言葉に食いついた。
シアの妹は原因不明の病気だった。突然、高熱を出したとか思うと、三日もするとケロッと元気になる。そして一ヶ月も経たないうちにまた発熱する。これを繰り返していた。色々な病院を回り、母の知り合いの名医にも診て貰ったが、何も分からなかった。原因も対処法も、これからどうなるのかも……。それでも、妹は気丈に振る舞っていた。
しかし魔法なら、治せるかもしれない。
おばあちゃんとの約束も守れるかもしれない。
「もちろんです」
アデルはにっこりと笑い、力強く頷いた。
「…………」
救世主になって妹を救う。それはシアにとって理想のはずだった。しかし、シアは即答できなかった。もし、失敗すれば弟を一人残すことになる。それだけは絶対に避けなければならない。
「……もし、オレが魔王に、殺されたとしても、そのアイテムで妹を治してくれますか?」
「はい。有り得べからざることですが、もしそのようなことになればもちろん。亡き父王の墓に誓って」
「……わ、かりました。魔王を倒せるかわかりませんが、やってみます」
シアは全身の勇気を総動員して、迫り来る恐怖と言い訳を打ち倒した。だが、声の震えはどうしようもなかった。
「ありがとうございます。皆の者、救世主様が引き受けて下さったぞ」
「うおおおーーーー!!」
人々は喜び、割れんばかりの歓声が鳴り響いた。そこかしこから、「ありがとうございます」「救世主様―!」と、感謝の雨が降り注いだ。
しかし、シアにとっては真冬の雨のように冷たかった。妹のために引き受けただけなのに、感謝する必要なんてない。こんな情けないヤツを救世主なんて呼ばないでくれ。と罪悪感が募る一方だった。
「あの~救済の武具が強いのはチュートリアルの間だけで、本編が始まると弱いってことは……?」
シアはどうにか空気を変えようと、ゲーム内でのあるある──くだらない質問をした。
「は? チュートリアル???」
雨は一瞬止んだ。代わりに、何言ってんの? と言いたげな視線がシアに降り注いだ。それはシアの思惑通りだったが、想定より辛辣な視線で、痛かった。アデルは仕切り直すように、パンと一つ手を打つと、質問に答えた。
「……よく分かりませんが、救済の武具の強さは変わりません」
「そうですよね……、ははは」
「さあ、そうと決まれば、行きましょう!」
アデルが指をパチンっと鳴らすと、二人の体は浮かび上がった。
「どこに? まさか、もう魔王討伐!? 小遣い程度のお金だけ渡されて──」
シアは大慌てだった。さっきまでの思いもどこかに投げ捨てて、手足をバタつかせ必死に抵抗した。だが、浮いているので何の意味もなかった。その様子を冷めた目で見ながら、アデルは苦笑いを浮かべた。
「ははは、大広間ですよ。歓迎の宴を用意しています。それに、この国にいる間の衣食住も、私が面倒みてあげます」
シアはホッとして無駄な抵抗をやめた。
「では、行きますよ」
シアはアデルの魔法で運ばれた。闘技場を抜け、百花繚乱の庭園を抜け、石造りの壮麗なロクセット城に入り、大きな扉の前まで、まさに飛ぶように移動した。
「さあ、着きました。この先がロクセット城の大広間です」
アデルは魔法を解き、二人は地面に降り立った。シアだけは初めて見るお城に、まだ地に足がつかない様子だった。興味深そうにキョロキョロと辺りを見回している。
「カバンをお預かりします」
大きな扉の前にメイドが立っていた。メイドは、アデルからカバンを預かると、事務的な口調で言った。
「救世主様、お疲れの際はいつでも私に声をおかけください。お部屋まで案内いたします」
「では」
アデルが大広間の扉を押すと、大きな扉がゆっくりと開いた。
部屋の中は眩しかった。部屋のそこここにあるテーブルに、見たことあるものから無いものまで、様々な豪勢な料理があった。参加者たちも、赤、青、金と、色とりどりの服に、これまた色とりどりの宝石、と豪奢な恰好だった。
シアはきらびやかな空間に目をみはった。
(貴族のパーティー……。まさに住む世界が違う。……それにしても、これが滅びそうな国なのか?)
シアが不思議に思っていると、アデルが叫んだ。
「皆の者! この方が、異世界より来てくださった、救世主のシア様だ。喜べ! 魔王退治を引き受けてくださった。これが、最後の晩餐にならずに済むぞ!」
アデルが右手を突き上げると、大広間が万雷の拍手で溢れかえった。それはシアにとって、とてつもないプレッシャーだった。
その後、シアはアデルに連れ回され、色々な人に紹介された。○○侯爵に、××伯爵、□□令嬢など、数えきれないほど。シアも最初は名前を覚えようと努力したが、無駄だった。単純に人数が多いだけではなく、異世界での慣れない場所に、馴染みのない響きの名前、さらに大勢の人からのプレッシャー、シアの精神は限界に近かった。渡された豪勢な食事の味も分からない。
「ハァ~~~」
シアは大広間の端っこで小さくなり、大きなため息をついた。アデルが??大臣と談笑している隙に逃げ出したのだった。
「疲れたぁ……あっ!」
シアは自分の言葉で思い出した。弾かれたように立ち上がると、カバンを預けたメイドを探した。
「もうよいのですか?」
無機質的な声がすぐ横からかけられた。探すまでもなく、メイドはいつの間にかシアの隣に居たのだ。シアはギョッとした。いつの間に、と疑問に思ったが、疲れ果てたシアにはどうでもよかった。
「……はい」
「では、案内いたします」
「あの、王―」
「お気になさらず、王にはこちらから、報告いたします」
メイドは淡々と答えると、シアを連れて大広間を後にした。
日が傾き薄暗くなった廊下を、メイドはつかつか颯爽と進んでいく。シアは遅れないように必死だった。
突然、メイドはピタッと止まった。そして、シアが追い付くのを待って、扉を開けた。
「こちらです」
「おおぉーー!」
部屋を見たシアは、思わず声を漏らした。
広い室内に、天蓋付きのベッド、ソファ、テーブル、化粧机、天井には、シャンデリア、壁には、宝飾品や、絵画の数々があった。どれも高そうだ。大きな窓からは城下町が一望できた。ぼんやりとした街灯の灯りが、レンガ造りの美しい街並みを照らしている。それは元の世界にはない幻想的な風景だった。シアは、高級ホテルのロイヤルスイートルーム(実際に見たことはないけど)みたいだ、と興奮気味だった。
「この国にいる間は、この部屋をお好きにお使いください。ご要望があれば、何なりとお申し付けくださいませ」
「あ、ありがとうございます。今日はもういいです。おやすみなさい」
「承知しました。では、何かあればこのベルを鳴らしてください。すぐに駆け付けます。おやすみなさいませ。失礼します」
メイドはテーブルの上にカバンとベルを置いて、立ち去った。
シアはだだっ広い部屋に、ポツンとひとりぼっちになった。しかし、この世界に来て初めて落ち着けた。う~んと伸びをすると、全身バキバキ鳴り痛かった。重い甲冑を着せられたせいだろうか。改めて部屋を見渡す。灯りに、ベッドに、奥の部屋にはお風呂とトイレ。テレビはないが、元の世界とあまり変わらないな──。
「こんな豪華な部屋、あいつら喜んだだろうなぁ~……」
シアは、ポロッと自分の口からこぼれた言葉に寂しさを感じた。それを紛らわすように、ベッドに飛び込んだ。
「うわ、ふっかふか~。ああ、疲れたぁ~。救世主と呼ばれ、チートの武器に、魔法、広い部屋、無愛想なメイドさん、極めつけに魔王を倒せって……。藍、紫苑、お兄ちゃんとんでもないとこに来ちゃったよ。はあ~、心配してないかな~。あぁ、そうか、向こうの時間は止まってんのか。オレなんかに魔王倒せるのかな、『ファイナルドラゴン』でなら戦ってたけど、リアルではケンカすらしたことないのになぁ~。ああ、まず戦闘の訓練してもらおう。魔法使えるようになるかな。帰りたいなぁ。いや、病気、治さなくちゃ……」
シアはとりとめもなくぶつぶつ呟きながら、まどろみに落ちていった。