14 真実
黒いドレスで着飾った女性が、部屋の中で落ち着なくうろうろとしていると、ノックの音が響き、一人の男が現れた。
「お嬢様、お呼びでしょうか?」
彼女は男を見ると、少々強い口調で聞いた。
「遅かったわね、スパティフィラム。昨日、姿を見かけなかったけど、どこ行っていたの?」
「不審な男を追っていました。お嬢様の役に立つかと」
スパティフィラムはそう言って、捕縛した不審者を突き出した。灰色のマントを羽織り、腰には剣を差していた。男は後ろ手に拘束されているのに、強気に減らず口を叩いた。
「オイ、もっと丁重に扱えよ! 俺はまだ何もしてねぇんだぞ」
お嬢様は、どう見てもカタギではない不審者を一瞥くれてから、スパティフィラムに聞いた。
「この虜囚が、何の役に立つの?」
「彼を助けるのに、お父上の威を借りるおつもりはないのでしょう」
「…………」
「であれば、強硬な手段を用いる必要があり、そうなればこの者が役に立つかと」
彼女は口を尖らせて話を聞いていたが、やがてフンと息を吐いた。
「うん、そうね。その辺はあなたに任せるわ」
「オイ、ちょっと待て! なんで俺が手伝わなきゃなんねぇんだ?」
勝手に進んでいく話に、男は思わず口を挟んだ。しかし、彼女は冷たく言い放つ。
「牢屋に入りたくなかったら協力なさい」
それから意味深に、にやりと笑った。
「この国の牢屋は、身元がはっきりしない限り出られないわよ」
男は、目に見えて狼狽えた。
「うっ!?」
「それにちゃんと報酬も用意するわ」
「……わかったよ。やるよ、やればいいんだろ」
男は観念したように吐き捨てた。
「アデル様、役立たずの救世主を連れて参りました」
四人の男たちが重苦しい雰囲気を携え、ロクセット城の玉座の間に入室した。エヴァンスを先頭に、役立たずの救世主とその両脇に屈強な兵士。兵士たちは、縄で拘束している救世主を床にそっと寝かせた。シアは気を失っていた。
エヴァンスは一人、玉座の前にひざまずき、昨夜のことを陳謝した。
「アデル様により、ズートア要塞の司令官に任命していただいたにもかかわらず、副司令官であるヴェスパトーレ伯爵に貴族、多くの兵を失い、さらに難攻不落の要塞に損傷をあたえてしまい、誠に申し訳ありません。……ですが、損傷は門部分だけで要塞自体は無傷です。例の作戦にも支障はありません。今もブラウンが準備を進めています」
アデル王は長い脚を組み片ひじを付いたまま、彫刻のように微動だにせず、深々と頭を下げる平民を凝視していた。そして、王以外にとっては永遠にも感じる数瞬ののち、意外な言葉を発した。
「そうか、災難だったな」
「は……!?」
エヴァンスはあまりのことに一瞬、理解できなかった。降格処分はもちろん、極刑も覚悟していたが、まさか労われるとは……、想像だにしていなかった。
アデルは、前代未聞の大失態を簡単に片付けると、驚愕している男たちを無視してすぐに話題を転じた。
「ときにエヴァンス、要塞までの道中でハイズ兄弟に襲われた、と聞いたが、首謀者に繋がるような物証はなかったのか?」
エヴァンスはハッと我に返り、ポケットからラズルのネックレスを取り出した。すると、透明だったはずのネックレスが少し青みがかっているように見えた。
「はい、これがその……、あっ──」
確認しようとしたが、ネックレスはひとりでにエヴァンスの手を離れ、アデルの元へとふわりと飛んでいった。アデルは、ネックレスを受けとると満足そうに言った。
「では、首謀者はこちらで探す。ご苦労、もういいぞ、下がれ」
しかし、エヴァンスはひざまずいたまま動こうとしなかった。アデル王は、形の良い眉をひそめた。
「……どうしたのだ?」
「おそれながら、一つお訊きしたいことがありまして……」
アデル王の寛容に感謝しつつも、エヴァンスには確認しなければならないことがあったのだ。
「なんだ?」
「なぜ、平民の私を重用してくださるのですか?」
平民は顔を上げ、王に視線を向けた。ヴェスパトーレの言葉が頭から離れなかったのだ。彼奴の言葉など信用するに足らん、と思いつつも毒のようにじわじわとエヴァンスの心を蝕んでいた。
「……突然どうしたのだ?」
穏やかな笑顔でそう聞く王から逃げるように、エヴァンスは頭を垂れた。
「は、アデル様が、その、求心力を失い、従う貴族が少なくなったから、私のような平民を登用してくださった、と、うそぶく者が……」
アデル王の穏やかな笑顔が一瞬で険しくなった。そのまま何かを考えるように黙っていたが、
「……いや、すまない」
と、エヴァンスの存在を思い出したかのように言った。そして再び穏やかな笑顔を浮かべた。
「ああ、そうだ。今の余がパーティーを開いたとしても、マギアの名を使わなければ貴族は集まらない。だが、それでいい。ようやく王家のしがらみから解放されたのだからな」
平民は、思わず王の顔に疑問の視線を投げかけた。最高権力者である王にしがらみがあるとは知らなかった。
「王といえど好き勝手はできなかったのだ。余の目指した国は、生まれではなく能力を重視する国だったのだが、特に平民を要職に就けるなど、貴族たちの猛反発を買うことになってな」
王は苦笑いを浮かべた。
「先の発言も大方ヴェスパトーレ伯爵辺りのモノだろう。貴族というだけで平民より優れている、と信じる大貴族らしい尊大な物言いだ」
アデルは玉座から立ち上がり、スラッと伸びる両腕を大きく広げた。
「だが、奴が何をした? 伯爵号に相応しい功績を挙げたのか? 他の貴族たちもそうだ! 奴らは何もしていない。奴らの地位も財産も魔力も全て大昔の先祖のおかげだ。それなのに奴らは自身が優れていると信じている。ただの有象無象に過ぎぬような奴らが……」
エヴァンスは、大きく目を見張っていた。王が、カレルセ王家の藩屏である貴族のことを酷評することが、平民には信じられなかったのだ。その顔を見て、アデルは自嘲気味に笑う。
「フッ、王家に生まれた男が何を言っている、と言いたそうな顔だな?」
突然の言葉に、エヴァンスは驚懼して頭を下げた。
「いえ、そんな滅相もございません」
アデルはまた笑い、軽やかな足取りでエヴァンスに歩み寄った。
「いや、別にいいんだ。お前も知っているだろうが、余は第六王子だった。王家に生まれながら王にはなれない存在だ。だが、それでいいと思っていた。優れた兄王の下で、余の能力を国民のために使えればそれいいと。しかしそうはならなかった。公表されていないことだが、兄弟たちが醜い権力闘争の末、父王を巻き込んで死んでいったからだ。王家に生まれながら、流言、謀略、暗殺に手を染め堕ちていった兄弟を見て、余は知ったのだ。王家だろうが貴族だろうが平民だろうが、同じ人間だということを。ならば、生まれなど大した問題ではない。それゆえに余は、平民であろうがお前のように真に優れている者を重用するのだ」
アデル王は、エヴァンスの前まで来ると、ポンっとエヴァンスの肩を叩いた。
「アデル様……」
エヴァンスから吐息が漏れた。
「お前の力を当てにしている。これからも余のために励んでくれ」
エヴァンスは、王からの甘美な言葉で、生来の乏しい猜疑心をどこかにやってしまった。
「ハハッ! もったいなきお言葉。我が身命を賭してアデル様のお役に立つことを誓います」
エヴァンスは深々と頭を下げた。
エヴァンスが玉座の間を出ていくと、アデルの顔が醜く歪んだ。
「ククク、やはり平民は簡単でいい」
アデルは笑いながら、エヴァンスから奪ったネックレスを着けると、ドカッと玉座に座った。それから二人の兵士に命じる。
「次はそっちだ。叩き起こせ」
「で、ですが、この方は──」
アデルは、スッと右手を挙げた。怒りを示すように、その手がバチバチと明滅する。
「王の盾の分際で余に逆らうのか?」
「い、いえ……」
兵士は、少し考えてから魔法でバケツ一杯分くらいの水を出した。そして、
「起きろ! 救世主!」
怒号とともに、水を飛ばした。
水をかけられたシアは、目を覚ました。ぼんやりとした頭で、どこかの床に寝ているらしいことを確認する。
「えっ……!? ココは……ドコ?」
目に入った仕立ての良い絨毯が、戦場ではないことをシアに知らせた。頭がズキズキと痛む。何があったか思い出せないが、頭を打って気を失ったのだろう。誰かが安全な場所に運んでくれてのだろうか、と思いつつ起き上がろうとして、シアは濡れていることと縛られていることに気がついた。
「え!? なんで? なんで!?」
「うるさい、黙れ!」
パニックに陥り、慌てふためいているシアに雷が落ちた、魔法の雷が。
「ぐわぁあああ!!」
シアは雷に打たれて叫んだ。しかし、四天王の訓練で痛みには強くなっていたおかげか、その痛みで少し冷静さを取り戻すことができた。
「えっ、なんで……アデル王!?」
クリアになった視界に飛び込んできたアデル王の姿に、シアは驚いた。この世界に召喚されたとき以来だったので、顔はうろ覚えだったがその赤いマントと豪勢な王冠には覚えがあった。
アデル王は豪華な玉座に座ったまま、シアを見下していた。そこにあのときのような温和な表情はなく、どす暗い憎悪だけがあった。
「なんで、だと!」
アデル王の声が雷のように轟いた。
「余がどれだけお膳立てしてやった。貴様のような腰抜けがいきなり魔王を殺す度胸はないと、わざわざ分かりやすい悪党を練習台に用意してやった! それなのに貴様は誰一人殺さなかった! あまつさえ余の半身を殺しかけたのだ!!」
シアには何を言っているのか、一切わからなかった。ただわかることもあった。アデルが激怒していることと、アデルの右手が光っていることだ。どちらも良い兆候には思えなかった。シアは恐怖に駆られ、どうにか逃げ出そうと足掻いたが、すぐに両脇の兵士に押さえつけられた。
「放して!!」
シアは叫んだ。ムダだと悟りながら、そうすることしかできなかった。今やアデルの右手は直視し難いほどに強く輝いていた。
「もう、いいぞ」
アデルが冷たく言うと、兵士はシアから離れた。アデルは右手を振り上げ、そして、特大の雷を落とそうした、まさにそのとき、
「ちょっと、待ったァーー!」
と、ネックレスから蒼い光が飛び出した。
「シルフ!?」
「トドメならボクにヤらせてよ、アデル!」
蒼い光がぐるぐると飛び回るのを見て、アデルは嬉しそうに笑っていた。怒りも右手の光も消えていた。
「良かった、もう大丈夫なんだね」
「うん! なんだかエヴァンスの魔法と相性が良いみたいなんだ。あれで魔力さえあったら、ボクの器にしてあげるのになぁ~」
蒼い光は、無邪気な子供のような声を響かせながら玉座の間を飛び回った。シアは、その声に聞き覚えがあった。
忘れられるはずもないその声。魔王の使いを自称し、ラズルの身体を乗っ取り、皆殺しだと襲ってきた恐るべき精霊の声。
「その声は……シズル!?」
シアは、自分でそう言っておきながら信じられなかった。
(なんで、魔王の使いがここにいるんだ!?)
驚いているシアの鼻っ面に蒼い光が降りてきた。そして、驚きと喜びの入り交じったような声で言った。
「覚えてくれたんだ! けどね、シズルはウソなんだ。ボクの本当の名前はシルフ、偉大なるアデル王の精霊サ。……それにしても、いい姿だねぇ、救世主! アハハハハ!!」
それから、びしょ濡れで芋虫のように転がっているシアを嘲笑った。無邪気な邪悪とも呼ぶべき笑い声に晒されながら、シアはアデルの言葉を理解した。
「ラズルが……練習台? アデル王が、オレに殺させるために用意した……」
「ピンポンピンポン大正解!!」
その瞬間、シアの頭の中が真っ白になった。
「それなのにキミは、アイツじゃなくてボクを殺しかけたんだ。魔力でできているボクたち精霊から魔力を奪うなんてホンット信じらんない。ネックレスに核を移せたから助かったけど、ホンットアブなかったんだから!! でもま、生きているから許してあげる」
シアは聞いていなかった。漂白された頭の中で、これまで会った人たちとこれまでのことを思い返していた。
(エヴァンスさんは知っていたのか? ブラウンさんは? 実戦を手配したドミニクさんだ。ならマイさんも……。真夜中の君は……──。……誰を、信じればいい!?)
「……誰が、敵なんだ!?」
シアの口から溢れた想いに、アデルが冷たく答える。
「敵は魔王だ。シルフも無事だったことだし、もう一度だけチャンスをやる。救世主よ、魔王を殺せ」
魔、王……?
その一言で、シアの記憶が一気によみがえった。
ズートア要塞、戦場、戦争、魔王軍、獣人……!?
「そうだ! 魔王軍は獣人だったんだ……」
シアは、ハッとしてアデルを見た。
「魔王軍は、『厄災』は全員獣人なの?」
「厄災? …………ああ、マギアの妄言か」
「えっ……妄言……!?」
アデルが顎をクイとすると、両脇の兵士が呆然としているシアを起こし、座らせた。シルフはアデルの元へと飛び、ネックレスに入った。アデルは脚を投げ出して、冷たく笑った。
「獣人などどうでもいい。救世主の敵は魔王だ」
「は……!?」
「心配せずとも魔王はヒトだ。魔法王国マギアの王、ダイン・マギア。奴は、武力で余の国を奪った。そして今度は、このカレルセ王国の兵力を使って、獣人連合国を侵略しようとしている悪の魔王だ。ゆえに奴を殺すことはこの国を、この世界を救うことになる。それにちゃんと殺せば、元の世界に帰してやる。だから魔王を殺せ、救世主!」
アデル王は、玉座にふんぞり返り命令した。
シアは、ちゃんと聞かなかったことを心底後悔した。初めに魔王が人だと聞いていれば絶対に「やる」など言わなかった。そしてちゃんと言わなかったアデルを心底呪った。だが、魔王をヤれば帰れる。カバンさえ持って帰れば紫苑を治せる。けど……、
「……ごめんなさい。オレには無理です」
やっぱり人殺しはできなかった。
「そうか。ならば仕方ない」
アデルはあっさりと諦めた。そして、驚くべきことを言った。
「では貴様を殺して、次の救世主を連れてくるか」
「でも、異世界召喚は何度もできないんじゃ!?」
「そうだ、いや、そうだった。しかし余は召喚魔法の天才だ。何ヵ月もの間、異世界の門を召喚し続けていたおかげで魔法が進化した。今では何度でも往来が可能だ」
アデルは自慢気に説明し、それから夕飯の献立でも思いついたかのように軽々と残酷なことを言ってのけた。
「そうだ、貴様の双子を喚ぼう。両方喚んで貴様の死体を見せ、片方を人質に脅せば、簡単に言うことを聞くだろう」
一瞬でシアの頭が真っ黒になった。
は!? 何……? 藍と紫苑を、この世界に喚んで……、オレの代わりに……
「そんなの絶対ダメだ!!」
気づいたときには、シアは叫んでいた。
「余に、指図したのか?」
アデルはギロリと睨み、バチバチと右手を光らせた。
「だ、だって、救済の武具は選ばれた人間にしか使えないんでしょ?」
シアの必死な言い訳に、雷を放とうとしていたアデルが吹き出した。
「ク、ハハハハ!! 貴様はいい年して本当に自分が選ばれた人間だと思っていたのか!?」
「えっ!?」
シアのキョトンとした顔を見て、アデルは心底愉快そうに笑った。
「ハハハハ!! 王家でもない貴様が救世主!? 思い上がりもここまでいけば清々しいな! 救済の武具を使えない理由は、持っただけで魔力を奪われて死ぬからだ。だから魔力のない貴様が使えた。だから魔力の存在しない世界の人間なら誰でも救世主だ! ハハハハ!!」
シアは、顔を真っ赤にして叫んだ。
「だったら、何でオレを選んだんだよ!?」
アデルは急に真顔になり、冷たく言った。
「知らん。喚んだのは余だが、選んだのは魔王だ」
「何!?」
「言っただろ、魔王が余からこの国を奪ったと。今、この国を支配しているのは魔王だ。余は魔王から「異世界から貴様を喚んで救世主にしろ」と命令されたにすぎん。なんなら救済の武具もマギアの物だ」
「……なら魔王は自分を殺させるために、オレを喚んだのか?」
シアは呆然として聞いた。アデルは、鼻で笑う。
「そうではない。魔王は、「異世界からの厄災に対抗するために異世界からの救世主を喚ぶ」などと荒唐無稽な妄言を吐いていた。だが、救世主をその気にさせる方法は余に一任した。だから余は魔王の命令に従ったフリをして、救世主に魔王を殺させる計画を立てたのだ」
「(やっぱり魔王は厄災を信じているのか……)でもなんで、侵略した敵国の王にそんなこと頼むんだ?」
侵略したとはいえ、敵国だった王に一任すれば反逆の危険がある、そんなことはシアでもわかることだった。そして実際そうなっている。
アデルは高らかに笑った。
「簡単なことだ、余が天才だからだ。召喚の国といわれるこのカレルセでも異世界からの召喚をできるのは余だけだ。それに召喚する相手を選べるのも余だけだ」
アデルの召喚魔法は特別だった。普通の召喚魔法の場合、魔力を使い呼びかけ、それに応じてくれたモノを召喚する。それから契約をし、自在に喚べるようになる。初めて呼び出すときは、どんなモノが召喚されるかわからない、召喚される側優位の魔法である。
しかしアデルの場合は、契約などせずとも強制的に召喚することができるのである。しかも相手の魔力量、魔法、性格など、様々な条件で相手を検索することも可能である。召喚したモノが言うことを聞くとは限らないが。
そのとき、シアの脳裏に一条の光明がさした。今まで聞いたことが真実なら、オレは魔王の命令に従った方がいいのではないか。元々厄災と戦う覚悟はしていたし、何より人を殺すより何百倍もマシだ。
しかし、アデル王の瞳が、貴様の考えなどお見通しとばかりに、冷たく光った。
「余が召喚者だということを忘れるな。魔王の命令に従ったとしても、余は貴様を元の世界には帰さない。そうなれば魔王は怒って余を殺すだろう。だが、余が死ねば異世界の門は消える。貴様は一生元の世界に帰れず、病気の妹は死ぬ」
「そんな…………」
シアは絶句した。ようやく思い付いた光明がこんなにもあっさりと否定されるとは……。
アデルは両手を広げて、冷たく笑った。
「さぁ、どうする? 魔王を殺して元の世界に帰るのか、それともここで死んで兄弟を巻き込むのか、どっちだ?」
シアは答えられなかった。人殺しはイヤだし、藍と紫苑を巻き込むのはもっとイヤだった。何か、何かいい考えを、とショート寸前の脳ミソをフル回転させた。だが、
「……どっちも、イヤだ」
絞り出したそれが、シアの解答だった。最低最悪な解答だが、それがシアの正直な答えなのだから仕方がない。むろん、それをアデルが認めるわけはなかった。アデルの表情は夏の空のように急速に変化し、積乱雲の如くシアに雷を落とし散らした。
「アァ、何フザけたことを! そんなワガママ! 許されると! 思っているのかァ!!」
「ワァアアーーー!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
「泣いたところで何になる!! 早くどちらか選べッ!!」
アデルは玉座から立ち上がり、泣いて謝るシアに、執拗に雷を落とし続けた。まだ大人になりきれていないような少年が泣きわめいているのに、大の大人が怒り狂ったように暴力を振るっている。その凄惨な光景に耐えられなかった兵士の一人が、アデルの前に立ちはだかった。
「アデル様、落ち着いてください。このままでは救世主様が死んでしまいます」
アデルは、ギロリとその兵士を睨んだ。
「余に意見するのか? ただの兵士如きが!」
言うが早いか、アデルは、素早い動きで兵士の腰から剣を引き抜き、ズバっと一閃、兵士の首を刎ね飛ばした。兵士は糸の切れた操り人形の様に力なく倒れ、辺りは血の海になった。
「ひっ──────!?」
初めて人が死ぬのを目の当たりにしたシアは、恐怖で声も涙も出なくなった。
兵士を殺したことで少し落ち着いたのかアデルは、大きく息を吐いた。それから、血で濡れた剣をシアに突きつけ、静かに問いかけた。
「フゥー。まあいい、どちらも嫌と言うのならば、貴様の本名を教えろ」
アデルは、魔力のないガキなど本名さえわかれば簡単に操れる、と考えていた。
シアを喚んだあの日も、救世主のカバンを預かったときに本名を探らせていた。中にあった多種多様な物の大半に、同じ文字列が書いてあり、それが本名だろうと推測できた。だがしかし、シアの世界の文字を解読できず、断念せざるを得なかったのである。
そして、本名を教える、これは先に出した二つの選択肢に比べれば簡単なことだ、とも考えていた。この世界での本名の重要性を知らないのであれば……。
「…………………」
しかし、シアは答えなかった。いや、恐怖が全てを凌駕し、答えられなかったのである。もし、正常な状態でこの質問をされたのなら、シアは喜んで本名を教えていただろう。操られることなど、あの二つの選択肢に比べれば易いものだった。
「やはり、知っていたか」
あれほど無造作に本名を書いていた救世主が、本名を名乗らなかった時点で、アデルは薄々勘づいていた。誰かが教えた、と。そして、あのときあの場にいてそれを教えるような人物は一人しかいなかった。
「あのクソ女め!!」
と、アデルが怒鳴った。そのとき、
「あら、呼んだかしら?」
凛とした声が響き、バン! と大きな音を立てて、玉座の間の大扉が開かれた。
部屋に居た全員が扉の方を見た。
シアもその音に反応してぎこちなく扉の方を向いた。そして、シアはそこにいた人物を見て、声が漏れた。
「真夜中の君……」
ドレスを着た闖入者は、警備の兵士が止めるのも意に介さず、優雅に歩いてきた。そして、シアとアデルと、ちょうど正三角形を形作るような位置まで来ると、
「アデル王、そんなに重い決断、すぐには答えられませんわ。一晩猶予を与えては?」
凛とした声でそう言い、ニコっと笑った。柔らかな言い方と微笑みだったが、どこか断れない凄みがあった。アデルもそれ感じ取ったのか、苦虫を噛み潰したような顔で、言い放った。
「くっ、良いだろう、明日の朝まで待ってやる。牢屋にぶちこんでおけ!」
シアは、兵士に腕を掴まれ、無理やり連れて行かれた。真夜中の君に助けを求めようと振り返ったが、彼女はニコっと笑っただけだった。
女性はシアが連れていかれるのを見届けてから、
「では、私もこれで失礼しますわ」
と、玉座の間をあとにした。
「誰か死体を片付けろォ!!」
玉座の間に孤独な王の怒りが響いた。




