13 絶望、そして…… 後編
やがて、混成部隊は雨とゴーレムを辛くも突破し、要塞前の超巨大ゴーレムまで辿り着いた。しかし、無事に辿り着けたのは半数にも満たなかった。それでも、
「何て事だ、獣人がゴーレムたちを突破するなんて……」
「まさか、このままここが落とされるなんてことは!?」
「バカなことを言うな! ズートア要塞は難攻不落なんだ、ここは安全なんだ……」
敵にズートア要塞の足元まで攻め込まれた、という前代未聞の出来事に、兵士たちは混乱していた。
「ヴェスパトーレ伯爵! 奴らがそこまで来ましたぞ!?」
見ればわかる、無能な上に度し難い臆病者め! と怯える取り巻きを睨んでから、ヴェスパトーレはギリリと歯を鳴らした。
「たった十数体のケモノ如きに私のタイタンを破壊できるものかッ! タイタン! ケモノどもを踏み潰せ!!」
タイタンは命令に従い、足元をウロチョロする敵を踏み潰そうと足踏みをはじめた。
ヴェスパトーレには絶対的な自信があった。私のタイタンは最強のゴーレムだと。そしてそれを証明するかのようにタイタンは圧倒的な戦闘力を誇った。
タイタンが足踏みするだけで大地が揺らぐ。踏まれればいかに獣人といえども死は免れない。それに引き換え、獣人の攻撃を何発受けようがタイタンは無傷だった。混成部隊は、踏み潰されないように逃げ惑うしかなかった。
その光景に、取り巻きたちは態度を一変させた。恐怖にひきつっていた顔が醜く歪む。
「わざわざタイタンの足元まで来て逃げ回ってやがる。ヤツらはバカか!」
「上まで来れば相手してやるぞ! アハハハ!!」
しかしヴェスパトーレ伯爵は、彼らほどお気楽にはなれなかった。平民はおろか、獣人にまでしてやられたのだ。この上は、確実に始末しなければ大貴族の沽券に関わる。いや、すでに……。行き場のない激情が奔騰しそうになったとき、老齢な副官が要塞司令官に言った。
「エヴァンス殿、足元の敵は我々にお任せください」
エヴァンスは、灰色の人狼を指差して叫んだ。
「何だと? アイツは私の宿敵だぞ!?」
エヴァンスは要塞司令官に任命される前、部隊を率いて獣人連合国に攻め入っていた。そしてその度に、あの灰色の人狼が率いる部隊に邪魔をされていたのだった。何度も戦ううちに彼は、灰色の人狼を宿敵と認めていた。そしてそれは向こうもそうだと、勝手に信じていたのだった。
「ですが、司令官の職務は要塞を守ること。今は兵士らの混乱を収めるのが先決かと」
老齢な副官は平然と若造に道理を説いた。長年、伯爵家に仕えてきたこの男にとって、平民の怒号など子守唄に等しかったのである。エヴァンスは地上と屋上を見比べてから、悔しそうにうめいた。
「チッ、わかった。お前は左側を頼む」
エヴァンスは自身の副官に指示を出すと、右側に駆け出した。邪魔者が去るのを見届けてから、老人はにこやかに言った。
「さぁ皆様、獣人狩りの時間ですよ」
伯爵も取り巻きたちも皆、目を白黒させた。しかしすぐに、取り巻きの一人が、
「……いいですなぁ。久方ぶりにケモノ狩りと洒落込もうではないか!」
と、言った。すると、単純で流されやすい彼らはすぐにその気になる。
「このようなときに、獣人狩りとは……。いやはやアルバ翁はなんとも豪胆なお方だ」
「ですが、ケンタウロスと人狼ですよ。あの頃でも滅多ないお目にかかれなかった豪華な獲物だ」
「私は一度、伯爵の庭園でケンタウロスを仕留めましたよ」
取り巻きたちは、ぞろぞろと屋上の縁へと向かっていく。そんな彼らに冷ややかな視線を送ってから、伯爵は副官を問い質した。
「ジイ、何を考えている!?」
「落ち着いてください。坊っちゃまは敵に攻め込まれたのではなく、敵を誘い込んだのです」
「…………」
「ご覧なさい、あの灰色の人狼を。あれは獣人連合国の幹部です。あの者を倒せば──」
伯爵の両目がカッと開かれた。
「そうか! 失態ではなく功績になる。でかしたぞ、ジイ! そうとなれば……」
ヴェスパトーレ伯爵は、取り巻きたちに向かって高らかに宣言する。
「久々の狩りだ。みごとケモノを狩った者には私から金貨百枚を贈ろう!」
「おぉ! 流石はヴェスパトーレ伯爵」
単純な彼らは、俄然やる気になった。魔力を高め、下で逃げ惑う獣人たちに狙いを定める。
「焼け焦げろ! メガ・ファイアボール!!」
「これを避けられるか、家畜! メガ・アイスアロー!!」
「馬刺になるがいい! メガ・ウインドカッター!!」
取り巻きたちは、罵詈雑言と共にご自慢の魔法を一斉に放った。しかし、それらの大半はタイタンに当たり霧散し、運よくタイタンを外れた魔法も獣人にはかすりもしなかった。
「おや、皆外してしまったか。やはり獲物がケモノでは、あのゲームのようにはいきませんな」
「ですが、魔力はまだまだありますから」
取り巻きたちは下卑た笑い声を上げながら、もう一度狙いを定めた。そのとき突然、取り巻きの一人が音もなく倒れた。見れば額に一本の矢が刺さっていた。そして、下には弓を持ったケンタウロスがいた。
「なに!?」
「家畜の分際で、よくもカレルセ貴族を!!」
仲間を殺された取り巻きたちは怒り狂い、躍起になってそのケンタウロスを狙った。しかし、ケンタウロスはカレルセ貴族を嘲笑うかのように、足踏みしているタイタンを巧みに盾として使い、全ての魔法をかわした。
「……フランジスピーラムテネブラムメティ……」
ヴェスパトーレ伯爵は呪文を唱えながら、そのケンタウロスに狙いを定めた。殺された取り巻きにそれほど思い入れなどなかったが、彼の取り巻きに手を出すということは、大貴族である彼の顔に泥を塗ったことになる。伯爵の呪文に呼応するように、彼の前に光の魔方陣が描かれていく。
「……ルーメンオールルクス! 光よ、敵を穿て! ギガ・レーザー!!」
魔方陣から閃光が迸り、光の柱が放たれた。そのケンタウロスは同じようにタイタンの影に隠れた。しかし、別のケンタウロスが突き飛ばした。
「ダメだ!! ユーミ!」
次の瞬間、光の槍はタイタンの手のひらを穿ち、さらに突き飛ばしたケンタウロスの右上半身も貫いた。ケンタウロスはそのまま二、三歩進み、倒れた。それを見て、上では拍手喝采が起こり、下では悲鳴が起こった。
「流石はヴェスパトーレ伯爵!! 魔法の威力はもちろん、タイタンを召喚しながらギガを使えるその魔力量、感服いたします」
ごまをする取り巻きたちを無視して、ヴェスパトーレはもう一度呪文を唱えはじめた。
「兄さん!!」
ユーミが倒れたケンタウロスに駆け寄った。その間、他の獣人たちが効かないとわかっている攻撃でタイタンの注意を引きつける。兄さんは起き上がったが、その右半身は抉られていた。幸い、レーザーの熱で傷口が焼かれ、出血は少なかった。だが、致命傷には変わりない。この状態で動けるのは、獣人の生命力の為せる業だった。
「ユーミ! ヤーリを連れて一旦下がれッ!!」
心配の音色を響かせる灰色の人狼の声に対して、瀕死のケンタウロスは、むしろ悪態をついた。
「オイ! オオカミ野郎、作戦をはじめるぞ!」
その声は微かなモノだった。しかし、人狼を驚愕させるには十分過ぎた。灰色の人狼は、顔をしかめた。
「何、言ってやがる……ヤーリ!?」
「わかってんだろ? このキズではもう助からねぇ。それに奴らの魔力がいつ切れるのかもわからねぇ。だから俺が一番槍をやる!」
ヤーリは不敵に笑った。その顔は、言葉以上に彼の覚悟を雄弁に語っていた。
「……わかった」
灰色の人狼は低く呟いた。それから二人から離れた。
「ごめんなさい、兄さん。私のせいで……」
涙ながらに謝るユーミの頬を、兄さんは残った左手で優しく拭った。
「泣くな、ユーミ。お前にはまだ役目が残っているだろう」
「ワオォォオオオン!!」
灰色の人狼が空に向かって、吠えた。まさに狼の遠吠え。オオカミ野郎の遠吠えは戦場中に轟いた。すると、ケンタウロスと人狼がタイタンの周りをグルグルと回りはじめた。
「ハハハ、これは傑作。奴ら、タイタンの目を回すつもりなのか」
「ケモノごときが何をしようと、伯爵のタイタンを倒せるものかッ!」
一通り伯爵にごまをすってから、取り巻きたちは獣人狩りを再開した。しかし、一向に彼らの魔法は獣人には当たらなかった。その様子に、エヴァンスが苦言を呈する。
「やはりタイタンが近すぎるんだ。下手をすればタイタンの攻撃にこちらも巻き込まれるぞ。それにしてもヤツらは何を企んでいる!?」
下では土煙がもうもうと立ち込め、屋上からでは見えなくなっていた。そこから、ヒュン! と一本の矢が飛んできた。矢はヴェスパトーレの頬をかすめた。頬を真っ赤な血が伝う。ヴェスパトーレ伯爵はそれを手で拭い、激昂した。
「ケモノの分際で私に傷をッ!? 正義の鉄槌だ、タイタン! 辺り一面吹き飛ばせッ!!」
「坊っちゃま、いけません!!」
タイタンは、大岩のような拳を振りあげる。当たるはずもないのに、屋上の兵士たちは身を屈めた。それも無理はなかった、その拳は彼らの真上にあったのだ。
「まさかヤツらの狙いは!? 待て、ヴェスパトーレ──」
その瞬間、エヴァンスは敵の意図を悟った。すぐに止めようと叫んだが、振り下ろされたタイタンの拳が巻き起こす暴風にかき消された。
ズドン! タイタンの一撃が大地を砕いた。凄まじい衝撃が大地を、そして要塞をも揺るがせた。土煙が屋上に届かんとするほどに舞い上がる。
圧倒的な破壊力に、戦場が静寂に包まれた。土煙で地上がどうなったかわからないが、近くにこれが落ちて無事だとは誰も思わなかった。しかし、
コツコツ、と小さな足音が静寂を破った。それは下から、土煙の中から響いてくる。だんだんと大きくなり、数も増えていく。
「来るぞ!!」
と、エヴァンスが叫んだ、まさにそのとき、
「よお、来たぜ!」
突然、土煙を切り裂き、半身を失ったケンタウロスが現れた。左手には槍が握られていた。
「ひぃ~、ケンタウロス!? なぜ生きている!?」
答えは単純だった。彼らは土煙で視界を奪ったあと、タイタンから距離をとり、そこから矢を放っていたのである。
「バカどもが! 迎撃しろ!!」
狼狽える取り巻きたちに、ヴェスパトーレ伯爵が叫んだ。詠唱中の彼は動けなかったのだ。バカどもは空中のケンタウロスに向け、一斉に魔法を放った。ほぼ同時にヤーリは槍を投げる。
槍は、ヴェスパトーレに向かって一直線に飛んだ。ヴェスパトーレは、一瞬死を覚悟した。しかし、隣にいた取り巻きが伯爵を身を呈して庇った。
「!? ……何故、私なん、だ……?」
槍が刺さった男は、驚きと怨みと怒りの順に表情を変え、その場に倒れた。動けない伯爵に代わり、アルバ翁が取り巻きの一人を盾にしたのである。伯爵は、倒れた男に傲然と言い放った。
「ゴミ貴族が大貴族の盾になれたのだ。ありがたく思え」
遅れて、魔法がヤーリに直撃した。数種類の小さな爆発が、キズ付いた身体から血を噴き出させる。
「チッ、外したか。後は……任せた、ぞ」
魔法が直撃したヤーリは勢いを失い、そのまま奈落へと落ちていった。
「アハハハハ! 不様に落ちていったぞ!」
「兄さんを笑うな!」
「ヤーリの犠牲を無駄にするな!!」
土煙の中から、次々とケンタウロスと人狼が飛び出した。
「ああっ、ヤツらタイタンの上を!?」
「ヤツらも撃ち落とせ!!」
伯爵がもう一度叫んだ。しかしバカどもは、撃ち落とす代わりに伯爵から一歩離れた。安全な場所で一方的にいたぶることしかしてこなかった彼らは、魔法を連発することができなかったのだ。そして、大貴族の盾になるなどまっぴらだった。
「キッサマら──」
大貴族の盾になれることをありがたく思うべきゴミ貴族どもが、それすら放棄したのである。伯爵は怒り狂い、詠唱の途中だが魔法を放とうとした。しかし、それより速くユーミが矢を放つ。
「遅いッ!!」
正確無比なユーミの矢は、確実にヴェスパトーレ伯爵を地獄に叩き落とすはずであった。しかし、伯爵は後ろによろめき、したたかに尻を打っただけだった。
無能な盾どもが職務を放棄した中で、一つだけ有能な盾が残っていた。主人と矢の間に躍り出て、自らの意思で主人の盾となったのは、アルバ翁であった。
獣人たちは、次々と要塞屋上に着地した。ヴェスパトーレを見下すように。ヒトと獣人には歴然とした身長さがあったのである。獣人の中でも小さい種族である人狼と比べても、まるで大人と子供。むろん、ヒトが子供だった。
「召喚士を倒せ! 門を開けろ! 行けッ!!」
灰色の人狼の命令で、他の獣人たちは一斉に散らばった。ようやく収まりかけていた兵士たちの混乱は、大恐慌へと進化する。安全な場所で、ここが戦場だ、とも思わずに高みの見物をしていた兵士たちは、慌てふためいた。
「兵士たちよ! 祖国を、愛する者たちを守るために戦うぞッ!!」
エヴァンスは、刀を掲げ、全軍に喝を入れた。
「オオォーーー!」
大恐慌に陥っていた兵士たちは、司令官の言葉で、一気に士気をあげた。
ズートア要塞建設以来、初めてとなる要塞での戦闘がはじまった。
守備隊は召喚士隊の前に鉄壁を築き、弓隊も魔法隊も近接武器に持ち変え、隊列を組み替え応戦する。ディクソンは左側の要塞入り口を守りながら、ナイフを投げて獣人を牽制した。
圧倒的に少数である獣人たちは、ヒトを超越するその身体能力で対抗した。スピードと柔軟性に富んだ動きで、敵の間を縦横無尽に跳び回り、少しずつ敵を減らしていく。
「私を見下すな! コイツを殺せ!!」
ヴェスパトーレ伯爵は怒りに震えていた、見下している獣人に見下されて。ヴェスパトーレの怒りは周りの状況など関係なく、目の前の一体、灰色の人狼に注がれていた。
取り巻きたちとその従者が武器を構え、灰色の人狼を取り囲んだ。このままでは伯爵に殺される。ここで周りの奴らより少しでも活躍し、伯爵の心証を良くなければ、と、彼らはまさに決死の覚悟だった。
「おや、伯爵、また今日も雑魚に囲まれ小山の大将ごっこですか。残念ながら子供と遊んでいる暇はないので、失礼する」
灰色の人狼は、包囲されているにもかかわらず、ことさら馬鹿にするように挨拶した。そして、包囲の上をゆうゆうと飛び越えた。伯爵の顔が赤を超えて青くなる。
「逃がすな! 追え!」
音もなく石柵の上に着地すると、灰色の人狼は振り返り、朗らかに言った。
「伯爵、身の程をわきまえない遊びは身を滅ぼしますよ」
「何ィ!?」
突然、ヴェスパトーレの周りは闇に包まれた。何事か、と空を見ると、そこには天をも覆う大岩があった。タイタンの手のひらだ。
「や、やめろ。敵はむこ────」
伯爵の叫びも虚しく、タイタンは手のひらを振り下ろした。指令部は一撃で粉砕され、召喚者を失ったタイタンは、要塞の屋上に手をかけたまま動かなくなった。
絶望と手を取り合って、虚ろな目で一部始終を眺めていたシアの瞳が、突然光を取り戻した。ヴェスパトーレ伯爵たちに相応の報いを与えた人狼が上から降ってきたのだった。
シアは恐怖した。見上げるような大きさも、肉を切り裂けそうな鋭い爪も、骨を噛み砕けしうな白い牙も、冷たく光る灰色の瞳も、人狼の全てが恐怖の対象でしかなかった。
(こ、殺される!? に、逃げなきゃ、足が、盾を、せめて救済の盾を……)
しかしシアは、思うように動けなかった。背負っている救済の盾を持ちさえすれば、殺されることはなくなる。そう分かっているのに、そんな簡単なことができなかった。殺気に満ちた捕食者の目に、シアの体は完全に麻痺していたのである。
「チッ、強者のニオイを辿って来たのにこんな腰抜けだとはな。キサマ、それほどの強さを持ちながら何故戦わない?」
「──────」
シアは、恐怖で声すら出なかった。
「シア! 何をしている、ソイツは敵だ! 殺せッ!!」
右側の要塞入り口を守っているエヴァンスが怒鳴った。
「上官がああ言っているが、どうする?」
灰色の人狼の問いかけに、シアは行動で示した。真っ青な顔でガタガタと震えていたのだ。
「チッ、腰抜けが。覚悟のないヤツが戦場に来るな! とっととお家に帰ってパパとママに甘えてな」
人狼は、怖気づき武器も構えないシアを敵とは見なさなかった。シアの横を素通りし、要塞入口へと向かった。
「助かったぁ~」
シアは、ホッとした。それと同時に失望した。あれだけ訓練をしてもらい、チート武器を持ちながら、戦うことも逃げることもできなかった自分に。だが、人狼の後を追うことも、その場から動くこともできなかった。
「ここは通さぬぞ、ケモノ!」
要塞の入口で、エヴァンスが人狼の前に立ちはだかった。エヴァンスはすでに臨戦態勢だった。マントを外し、魔法で脚を強化し、刀を構えている。
「ケモノか……。前はその蔑称使わなかったのに、出世と共に自分の言葉も失ったのか」
人狼は冷たく笑い、剣を抜いた。エヴァンスの刀より少し長い両刃の剣。
「黙れッ!!」
エヴァンスの怒声と共に、両者の間に火花が散った。エヴァンスが一気に間合いを詰め斬りかかっていた。そのままエヴァンスは、猛然と攻めかかる。しかし、打ち合うこと十数合、次第にエヴァンスが押されていった。
「フッ、言葉ばかり貴族をマネて、強さは変わンねぇのな」
その言葉にエヴァンスの表情が一変した。血走った両目に怒気の炎を燃やし、鬼気迫る表情で叫んだ。
「クッソがぁああ!!」
そして全身の力を、魔力を両腕に込め、怒りのままに刀を振り下ろした。
エヴァンスの放った一撃は、屋上に切れ込みを入れながら走り、離れた石柵を斬り落とした。しかし、人狼は難なく避けていた。暴走後のエヴァンスの背後に死神のように立ち、死神の鎌を振り下ろした。
「叫んだところで平民には誰もひれ伏さねぇよ」
刃より鋭い言葉が、刃より速くエヴァンスに炸裂した。その言葉が理性の鎖を断ち切った。
「ダッマレェエエエ!!」
血を吐くような叫びと共に、エヴァンスの全身から炎のように怒気が立ち上った。怒気それ自体が力を持っているかのように、死神の鎌を弾いた。
「な、覚醒!?」
人狼は目を見張り、飛び退いた。そのとき──、
「何をやっている?」
どこからともなく聞こえてきた声に、要塞にいる全員が凍り付いた。その声の冷たさもさることながら、上から押さえつけるような圧倒的な魔力に動けなかったのだ。エヴァンスの怒気もまるでロウソクのように簡単に消えた。しかし、一人だけ動ける者がいた。敵も味方も生ける氷像と化した屋上で、灰色の人狼はエヴァンスなどに目もくれず声の主を探した。
「ウソだろ!? 何故、ヤツがこんなとこに?」
そして愕然とした。
一人の人間がスパーダストラーダ峡谷に立っていた。真っ暗な峡谷内にもかかわらず、その男の周りだけがスポットライトがあるかのように明るい。純白のマントを纏い、燃えるように赤い頭には冠が光り輝いていた。決して声の届くような距離ではなかった。
声の主は、右手を前に出した。
灰色の人狼は、それを見るや否や吠えた。
「撤退だ、今すぐ撤退しろッ!!」
その声が獣人たちを解かした。獣人たちはすぐさまタイタンを目指した。しかし命令を無視して、一人のケンタウロスが逆方向に走り出した。素晴らしい脚力で石柵を飛び越えると、ほぼ垂直の岩壁に着地する。
「待てッ! ユーミ!!」
人狼の制止も聞かずユーミは、男めがけて岩壁を駆け降りていく。
「貴様のせいで、兄さんはッ!! アァァァアアア!!」
ユーミは、言葉にならない叫びを発しながら、矢を放った。放ち続けた。
狙いは全て正確だった。そして男は、右手を前にしてただ突っ立っているだけだった。しかし矢は、男の前で見えない何かに弾かれ、砕け散ったのである。瞬く間に、男の足元に残骸の山ができた。
「コイツも頼んだぞ」
男は、横を向いて影に呟いた。
矢を撃ち尽くしたユーミは、貴族の死体から取った兄の槍に持ち替えた。そしてダッと岩壁を蹴って、男に飛びかかる。
「覚悟しろ! ダイン王!!」
そのとき、カッと、ダインの右手が閃光を放った。まるで地獄に天使が舞い降りたかのようなその眩しさに、ユーミはもちろん要塞にいる者まで目を細めた。そして、ダインは低く呟いた。
「メガ・レーザー」
次の瞬間、周囲に発散されていた光が凝縮され、ヴェスパトーレの「ギガ・レーザー」を数十本束にしたような巨大な光の円柱が放たれた。そしてそれは見た目通り、衝撃的な威力だった。
光の柱は、槍もユーミも、跡形もなく消し去った。ついでに、要塞の巨大な門の中央部に大穴を空け、タイタンの胴体を消し去っていた。
それは、荒野にいる獣人たちにもはっきりと見えた。まるで夜空を切り裂く巨大彗星の如く、真っ直ぐ駆けていった。
「!? なんだ、あれッ!?」
「魔法……なのか!?」
ざわめく獣人たちに、獣人王が吠えた。
「撤退の準備だ!」
ズートア要塞の屋上では、人間も獣人も等しく青ざめていた。魔法の王を名乗る男の魔法は、想像を絶する威力だった。
「……これが、魔法王の魔法!?」
魔法の威力は術者の魔力量によって変化する。圧倒的な魔力量を持つ者の魔法は、そうでない者の魔法とは次元が違うのである。
「クソ、バケモノめ!」
獣人たちは捨て台詞を吐き、崩れるタイタンの上を逃げていった。
戦いは、終わった。ズートア要塞を守りきった、カレルセ軍の勝利で。しかし誰も喜べなかった。要塞の惨状は、勝者のそれではなかったのである。要塞には風穴が空き、屋上にはカレルセ兵士の怪我人と死体が散乱していたのだ。
衛生兵が忙しく動き回っているその光景に、エヴァンスの中で憤怒の炎が再び燃え上がった。正直、貴族連中が殺されたのは自業自得だ、どうでもよかった。しかし、部下たちが血を流し、倒れているのが我慢ならなかった。あれだけの力を持つ救世主が呆けているのが許せなかった。
なぜ戦わない! なぜ貴様なんだ! なぜ俺にはこんなにも力が、ない……。
戦わないならその力を俺に寄越せ! 俺にもっと力があれば! せめて、貴族くらい魔力があれば……。
「クソォ、お前のせいだ!」
エヴァンスは渦巻く感情のままに、シアを殴り飛ばした。そして、気を失った役立たずの救世主を指差して叫んだ。
「ソイツを拘束して、ロクセットへ送り返せ!」
エヴァンスのポケットが妖しい光を放った。




