12 絶望、そして…… 前編
ヴィルヘルム街道は、スパーダストラーダ峡谷の中を通り、ナディエ・ディエの向こう側まで続いている。高い岩壁に挟まれたスパーダストラーダ峡谷の中を照らすには、傾いた太陽では力不足である。そのためこの道は、まさに世界の終わりへと続いているかのように真っ暗だった。それでも超高層ビル群に挟まれた大都会の車道のように、道幅も広く延々と真っ直ぐのびていたため、馬車に備え付けられた頼りない魔法の灯りでも問題はなかった。
天馬にひかれた馬車は猛スピードで爆走し続け、日が完全に沈んだ頃、ようやく終点に辿り着いた。
「着いた! ブラウン、馬車を頼んだ」
エヴァンスはすぐに馬車から飛び降り、走り出した。シアも遅れないように、馬車を飛び降りた。そして、巨大な建造物が目に飛び込んできた。
それは、スパーダストラーダ峡谷の出口に建っていた。外敵の侵入を拒むために建てられた国境の要塞、ズートア要塞。スパーダストラーダ峡谷を仕切るように建てられた石造りの重厚な巨大な門と、その上に造られた軍事基地からなる、カレルセ王国の誇る難攻不落の要塞である。
「これが、ズートア要塞!?」
シアはあまりの存在感に、巨大な門を見上げてポカンとした。シアの世界では高さにしても横幅にしても、これくらいの高層建築は別段珍しくなかった。だが、要塞は異様な存在感を放っていた。シアには、これが地獄の門に思えてならなかった。
「エヴァンス様、お待ちしておりました」
要塞に駆け寄るエヴァンスに冷たい声で兵士が言った。その兵士は、黒い軍服に、黒い軍帽、黒い手袋、その上から襟を立てた黒いロングコートを羽織り、目元以外全身を黒で覆い隠していた。黒から覗くその瞳は、闇夜に浮かぶ満月のように金色に輝いていた。
「アンドレイ、何故お前が下に? まあいい。まずは戦況を教えてくれ」
彼こそが、エヴァンス要塞司令官の有能な副官にして幼なじみのアンドレイ・ディクソンだった。
「突如奴らが大軍を率いて攻勢を仕掛けてきました。現在、副司令官の指揮で応戦中……──」
二人は話しながら、門の右端にある入り口から要塞内部へと入っていた。シアは慌てて二人の後に続いた。しかしシアの耳には、二人の会話は届かなかった。門の向こうから響いてくる初めて聞く戦場の轟音に、全神経を奪われていたのだ。
雷鳴の如く轟く戦闘音、人のモノとは思えない唸り声、怒号まじりで不明瞭な号令、場違いな程に楽しいそうな笑い声。音しか届かないため、シアは最悪の想像をし身震いした。地獄で鬼と亡者の大群が大暴れしているのを、悪魔が嘲笑っている様子を。
そんなことなど知らないディクソンは、エヴァンスにだけ聞こえるよう声を潜めた。
「副司令官と貴族連中が好き勝手やっているので、来ていただいて助かりました」
「そうか、屋上へ急ぐぞ!」
二人は、飛ぶように螺旋階段を駆け上がった。シアは置いていかれないように、震える足で必死に後を追った。階段を上るにつれ、悪魔のような笑い声だけがどんどん大きくなる。シアは、この螺旋階段が永遠に続くように祈った。しかし、当然のように終わりはきた。
延々と続くような螺旋階段を上りきると、ズートア要塞の屋上に着いた。屋上からは眼下に広がる広大な荒野が一望できた。要塞の投光器と月明かりに照らされ、真昼のように……、とまではいかないが、荒野での戦況を確認するには十分な明るさがあった。
戦いは荒野の南側だけで繰り広げられ、敵はさらにその南に広がる森林から現れていた。
カレルセ軍は地上に、荒野を埋め尽くすほどのゴーレムを召喚していた。最前線に大型ゴーレムの大群を並べ、その後ろに大小さまざまなゴーレムたちが隊列を組んでいた。そして最奥、要塞の目の前には、この要塞と比べても遜色ない超巨大なゴーレムがいた。もしこのゴーレムがつま先立ち──可能かは知らないが──をすれば、要塞を上から覗き込めるくらい、距離が近く、そして大きかった。
屋上には、左右にズラッと魔法使い、弓兵、その後ろに重装備の守備兵に守られた召喚士が整然と並び、戦況を見守っている。そして中央前面部の一段高い場所には司令部があり、そこにはきらびやかで偉そうな集団が鎮座していた。悪魔のような笑い声はそこから聞こえていた。
屋上に着いた二人は、兵士たちをかき分け、一目散に司令部を目指した。
シアは、向こう側の景色に釘付けになった。二人の後を追うことも忘れて、フラフラと向こう側に近づき、屋上の石柵にぶつかって止まった。もし石柵がなければ、そのまま下に落ちていただろう。
そのまま戦場に目を凝らす。屋上の端まで来たが、肉眼で敵の姿を確認するには距離があった。敵が『何』なのかわからない。だが、言葉が聞こえた。人のいるはずのない下から。そのとき、
「オイ! 何している──」
と、一人の兵士が、フラフラしているシアを見咎めて駆け寄った。シアは、油の切れたブリキ人形のようにぎこちない動きで振り向き、瞳孔の開いた目で兵士を見た。
「持ち場に、戻ら、んか……」
兵士は、シアの醸し出す狂気的な雰囲気にたじろいだ。が、シアには兵士の持っていた望遠鏡しか目に入らなかった。シアはついさっきの人形と同一人物とは思えないほど俊敏な動きで望遠鏡を奪い取ると、捨て台詞を吐いて持ち場に戻る兵士を無視して戦場を眺めた。そして、目に映ったものに絶望した。
「ウソ、だろ……」
一人では立っていられなかったシアは、石柵のすがりついた。敵は、シアの想像していたものとはまるで違ったのだ。
敵は、モンスター軍団は獣人の軍団だったのだ。ケンタウロス、人狼に、ミノタウロス……、獣人しかいない軍団。たしかにモンスターの軍団には違いないが……。
「何が、モンスター軍団だ……。全員、人じゃねぇか……!?」
シアは、自分の想像力の乏しさを呪った。モンスター軍団と聞いて、想像していたのはゲームに出てくるようなモンスター──スライム、巨大な動植物、巨大な昆虫に、アンデッドなど──だった。獣人がいるとは夢にも思っていなかったのだ。モンスター軍団なのだ、獣人型のモンスターがいても何ら不思議はない。少しでも想像力の翼を羽ばたかせれば、分かることだった。
しかしシアにとって、獣人も『人』だった。むろん、シアの世界に獣人はいない。それでも人のような見た目で人語を解す者は、シアにとって全て『人』だった。もし、アンデッドが流暢に話したとしたら、シアに殺すことはできないだろう。それがたとえ上半身だけだったとしても。
それでもシアは立ち上がろうとした。奴らは悪だと、世界の破滅を目論む悪のモンスター軍団なのだと、それを信じて、それを自分に言い聞かせて、立ち上がろうとしていた。しかし、どこからともなく聞こえていた、正義であるはずの兵士の嘲罵がそれすらも粉砕した。
「ハハハ、奴隷の分際で人間様に歯向かうからだ。ケモノはケモノらしく人間様に飼われていれば良いものを」
シアは、戦場の片隅で人知れず膝から崩れ落ちた。
「奴隷……? こっちが……悪?」
獣人は奴隷。それがこの国の文化だ、と、言ってしまえばそれまでなのかもしらない。しかし、外から来たシアには、救世主には到底受け入れれるモノではなかった。シアは茫然自失としたまま、ただただ戦場を眺めた。
屋上の真ん中、一段高い場所、偉そうな者たちの集団、その中でも一際偉そうに着飾った男が、声を大にして冷笑した。取り巻きたちが一緒になって嘲笑う。
「何が獣人軍だ、最前の防御陣すら突破できないではないか。こんなケモノどもに手こずっていたとは、薄汚い平民などを指揮官にするからだ」
その男の言う通りだった。獣人軍は、最前の大型ゴーレムたちの隊列すら突破できず、苦戦しているようだった。壊されたゴーレムの数よりも、倒れている獣人の数の方が圧倒的に多かった。
「ヴェスパトーレ伯爵!」
エヴァンスが中央の集団に駆け寄りながら叫んだ。先程の男が冷たい笑いを止めて、露骨なまでに蔑んだ目でエヴァンスを見た。それからヴェスパトーレ伯爵は華麗に立ち上がり、仰々しく挨拶をした。
「おや、これはこれはエヴァンス司令官殿。ケモノどもに恐れをなして逃げ出したのかと」
その動作は嫌みなまでに洗練されており、腐っても貴族だった。エヴァンスは、伯爵の言葉よりむしろ華麗な動作に腹が立った。冷静な副官が興奮する上官を止めようとしたが、遅かった。エヴァンスは感情に従い、しかし可能な限り冷然と、毒を吐いていた。
「逃げたのは貴公の方ではないのか、ヴェスパトーレ元司令官殿」
その冷たい毒は本人よりも、その取り巻きたちに強烈に作用した。
「黙れ! 王に取り入るしか能のない平民が!」
「逃げただと! 呼ばれもしなかった平民の分際で!!」
戦いから逃げた。それこそがヴェスパトーレ伯爵の降格理由だった。ヴェスパトーレ伯爵は先の戦い──カレルセ軍の大半が召集された、類を見ない大規模な作戦──において、アデル王の命令を無視して参加しなかったのだ。そして、伯爵に取り入るしか能のないこの取り巻きの下級貴族たちは、右に倣えで戦いから逃げたのだった。しかし、当の伯爵本人はどこふく風だった。
「あぁ、マギア侵略戦のことですか。王の命令だからといって、何でも盲信するような愚かな真似は私にはできなかったのです。私には考える頭がありますから」
伯爵は芝居がかったように、両手を広げて大げさに肩をすくめ、ため息をついた。蒙昧なる愚民め、結果を御覧なさい、と言っているかのように。マギア侵略戦の結果はカレルセ王国の惨敗だったのだ。
悔しいが、エヴァンスは敗けを認めざるを得なかった。それでも、階級は俺の方が上だ、と虚しい優越感で激情を抑え、話を戻した。
「本国に呼び出された帰りに、賊、『ハイズ兄弟』に襲われたんだ」
エヴァンスは、ヴェスパトーレ伯爵の反応を見るためにハイズ兄弟の名前を出したのだが、伯爵の尊大な表情に変化はなかった。
「ほぅ、ではそちらから逃げ出したのですか?」
伯爵の冷淡な返答に、エヴァンスは勝ち誇ったように言った。
「いや、返り討ちにして遅くなったんだ!」
ヴェスパトーレ伯爵の尊大な表情に一瞬翳りが差し、横に控えている老齢の副官に耳打ちした。
「おい、ハイズ兄弟とは誰だ?」
「あのゲームで最初から最後まで生き抜いた例の兄弟ですよ」
「誰にも殺せなかったあの金ヅルか!」
伯爵は少し考えてから、そういうことか、と納得した。このままそう思わせておいても何ら不都合はないが……、
「何やら思い違いをしているようですが、私は貴方のような平民の後釜など一切興味はない!」
ヴェスパトーレ伯爵は、語気を強めて否定した。大貴族で伯爵の自分が平民の地位を狙っている、そんな下衆の勘繰りはどうしても許せなかったのだ。
「何をおっしゃる、貴方のような者が副司令官で満足していると?」
エヴァンスはここぞとばかりに強気に出た。
「もちろん、満足などしていません。ですが、私の狙いはこの国の玉座です」
エヴァンスと取り巻きたちは息を呑んだ。いくら大貴族といえ、玉座を狙っているなどと大それたことを公言するとは。反逆罪で処刑されてもおかしくなかった。
「何を驚いているのですか?」
ヴェスパトーレ伯爵は、得意気に笑った。
「今のアデルを恐れる理由がどこにあると? マギア侵略戦で全てを失ったアデルには、何の力もありません。今やアデルに従うのは、王家を神格化している愚かな下級貴族だけです。ですからヤツは、爵位をエサに貴方のような平民を重用しているのです。司令官殿もお気をつけにならなければ、使い捨てにされますよ」
「…………」
エヴァンスは、何も言えなかった。王城での権力闘争など、平民の要塞司令官の知るところではなかったのだ。
「このようなことも知らぬとは、無知とは恐ろしいですな」
老齢の副官がひややかに言い放った。これはどちらかといえば、取り巻きたちに向けたものだった。だが、彼らは気づかなかった。
「……なぜ、それを私に言う?」
ややあって、エヴァンスはそう聞いた。ヴェスパトーレ伯爵は、にこやかに毒を吐く。
「貴方が貧しいからです」
「なん、だと!?」
エヴァンスの両目に炎が燃え上がった。大貴族から発せられたそれは、孤児院生まれの平民のコンプレックスを深く深く傷つけたのだ。だが伯爵のそれは、生まれのことより心のことを揶揄したものだった。
ヴェスパトーレ伯爵は知っていたのだ。情報において大事なのは、真なのか偽なのかであって、誰から聞いたなど取るに足らない事である。しかしこの平民には、いかんともし難い生まれの貧しさに拘泥する心の貧しさがあり、そしてそれがある限り、真実と分かったとしても大貴族の忠告など聞くはずがないことを。
(さぁ、貴方はどうするのです? ヴィルヘルム元侯爵殿)
ヴェスパトーレ伯爵は、傍らの男を見やった。だがしかし、男の表情は一切読めなかった。それから相手に視線が悟られないように、スッと戦場に目を移した。
「もういいですか。そろそろ獣人軍にもどちらが上か、知らしめなくては」
最初から答えを聞く気のなかったヴェスパトーレ伯爵は、続けざまに号令する。
「全軍、突撃ッ!!」
ヴェスパトーレ副司令官の号令で、ゴーレムたちは一斉に進軍をはじめた。その声でエヴァンスも我に返る。
「ヴェスパトーレ伯爵、油断するな! ヤツらは、何か企んでいるぞ」
「流石は平民。下賤な者同士、気心が通じますか?」
伯爵は、冷笑した。取り巻きたちから下卑た笑いが起こった。なら勝手にしろッ!! とエヴァンスは叫びたかった。しかし、司令官としての責任感が踏みとどまらせた。
「動かすのならその無駄にデカイゴーレムを動かせ! 要塞に近すぎる!」
「私のタイタンに嫉妬ですか? 司令官殿の魔力では、小石程度のゴーレムでも召喚できるか怪しいですからね」
そのとき、獣人軍から耳をつんざくような咆哮があがった。
地上に目をやると、森林と荒野の境目で獅子の頭をした獣人が吠えていた。頭上には、燦然と輝く王冠があった。その姿を見たエヴァンスが唸る。
「獣人王か!?」
合図を待っていたかのように、倒れていたはずの獣人たちが立ち上がり、隊列を組み直した。先頭にミノタウロス部隊が、後ろにはケンタウロスと人狼の混成部隊が並んだ。それを見たヴェスパトーレ伯爵は驚いた。
「何!? 奴ら、死んだふりをしていたのか!?」
それに引き換えゴーレムの隊列は無秩序を極めていた。戦場のあちこちでゴーレム同士がぶつかり転倒し、混乱が生じている。移動速度の異なる大小さまざまなゴーレムを一斉に進軍させた結果だった。
ズートア要塞のゴーレムたちには粗製乱造の節があった。そのためきっちりと隊列を組んで、多数で少数の敵を迎え撃つ。それが基本戦術だった。しかしヴェスパトーレ伯爵は、油断と、平民に格の違いを見せつけたい、その思いから数の暴力で一挙に勝利を求めたのだった。
「(バカな命令のせいでゴーレムの隊列が崩れている。これを待っていたのか!? )総員、戦闘準備! 第一、第二防衛ラインは放棄する。召喚士隊は第三防衛ラインから隊列を組み直せ! 魔法隊、弓隊、構え!」
エヴァンスは、咆哮に負けじと叫んだ。兵士たちの緊張が、グッと高まる。召喚士隊はゴーレムたちに個別に指示を送り、隊列を再編しはじめた。魔法隊と弓隊は武器を構え、次の命令を待った。
「突撃ーッ!!」
獅子王の咆哮で、ミノタウロス部隊が地鳴りとともに走り出した。それは今までのモノとは明らかに異なる迫力だった。ミノタウロスの突進は、大型ゴーレムの防御陣を呆気なく蹴散らした。
宙を舞う瓦礫に、兵士たちは震え上がった。これが獣人の本気なのか、と恐れおののき、射程に入ってもいないのに攻撃しようとした。すかさずエヴァンスが毅然と命令する。
「まだだ、もっと引き付けろー!」
崩れた隊列の間を、ケンタウロスと人狼の混成部隊が猛スピードで突き進んだ。ゴーレムたちが、侵入した獣人たちに立ち向かおうとするが、ムダだった。そのスピードに対応できず、できたとしても単体では無残に破壊されるだけだった。一騎討ちでは獣人の方に分があったのだ。混成部隊は、猛スピードのままゴーレムたちの間を駆け抜け、邪魔な物は破壊し、猛然と攻め込む。
「まだだ、もう少しッ!」
混成部隊は、我が物顔で荒野を突き進んだ。そして荒野の中程まで迫ったとき、何とか組み直したゴーレムの隊列に阻まれ、一瞬速度が緩んだ。待っていたその一瞬に、エヴァンスは声の限り叫んだ。
「今だッ! 射てッ! 全て射ち尽くせッ!」
エヴァンスの号令で、大量の魔法と弓矢が空を覆った。灰色の人狼がゴーレムの隊列の一画を打ち砕き、叫ぶ。
「構うな! 突き進めッ!」
地上に魔法と弓矢の雨が降った。雨は、敵味方関係なく降り注ぐ。固い岩から成るゴーレムは雨など気にせず動き続けた。しかし、生身の獣人はそうもいかない。雨とゴーレム、その両方を同時に相手せざるを得なくなった。それでも混成部隊は、灰色の人狼を先頭に一切速度を緩めなかった。雨を払いながらゴーレムの隊列を打ち砕き、突き進んだ。雨に、ゴーレムにやられ、遅れた仲間を置き去りにして。




