10 初めての 後編
外にはすでにエヴァンスがいた。初めて会ったときのように鋭い目付きのエヴァンスが。そしてその視線の先、孤児院の入り口には十数人の男たちがいた。皆、武器を片手にニヤニヤと笑っていた。
「貴様ら! ここは孤児院。金目のモノなどないぞッ!!」
エヴァンスが凄んだ。あまりの迫力に男たちは一瞬たじろぐ。しかし、すぐに男たちの後ろから大きな声が響いた。
「ンなこと知っているさ」
口調は軽いが、その声にはエヴァンスにも負けない迫力があった。エヴァンスの瞳には、微かな困惑が浮かんでいた。その声に聞き覚えがあったのだ。だが、奴がこんな所にいるはずがない……。
「……ならば、何の用だ?」
「オイオイ、俺たちを忘れちまったのか? 俺たちはテメェのせいで地獄を見る破目になったンだがなぁ」
男たちの後ろからキズだらけの大男が姿を現した。一目でこの大男がボスなのだ、とわかった。図体も武器も手下より一回り大きく、迫力は段違いだった。ボスの登場で手下たちに殺気がみなぎった。
「やはり……、貴様か、ラズル・ハイズ!!」
エヴァンスは、苦虫を噛み潰したような顔で叫んだ。
「えっ、ハイズ!?」
シアは、隣の院長を見た。
「でも、だってハイズ兄弟は捕まったんじゃ!?」
「ああ、そうさね。けどね、どういうわけかあそこに兄のラズル・ハイズいるのさ。それに、周りの手下どもにもチラホラ見覚えがある奴がいるねぇ」
院長は、苦々しく呟いた。
「弟はどこだ? どこかに隠れて奇襲するつもりか?」
エヴァンスは、目の前のラズルたちを警戒しながら素早く視線を動かし、辺りに気を配る。
「……ダズルは、ここにはいない。そっちもあの時の一人がいないんだ。これで対等だろ?」
「まぁ、いい。どうやって脱獄したのか知らないが、もう一度捕まえるまでだ」
エヴァンスは刀を抜いた。ラズルの言葉を信じた訳ではないが、近くに敵の気配を見つけられなかったのだ。
「脱獄じゃない。俺たちは正式に釈放されたのさ」
ラズルは、両手を広げて答えた。
「バカな!? あれだけ人を殺めた貴様らが釈放されるはずが……」
目を剥いて驚くエヴァンスに、ラズルはヘラヘラと笑いながら大仰にお辞儀する。
「お前が司令官になれた理由と同じさ、エヴァンス要塞司令官殿」
エヴァンスは、眉間に深い皺を刻んだ。
「貴様らが真に自由の身なら、一体何しに来た?」
「お前を殺しに来たんだ」
ラズルは薄ら笑いを止め、大剣を抜いた。それはエヴァンスの刀より倍ほども大きかった。それを合図に手下たちも武器を抜き、じりじりとエヴァンスとの間合いを詰めはじめた。
「復讐か……。十何年も捕まっていた貴様らが、私に勝てるはずがないだろッ!」
エヴァンスは言うが早いか、一番近くにいた手下に斬りかかった。一気に距離を詰め、刀を振り下ろす。その手下は反応できなかった。この距離ならまだ大丈夫だ、と高をくくっていたのだ。しかし、目の前に突然現れた冷たい煌めきを見たときに、自己の命数が尽きたこと共に敵の力量を見謝ったことを悟った。
「まずは一人ッ!!」
ガキンッ!! けたたましい金属音を残し、エヴァンスの刃は手下に到達する前に止まった。
ラズルによって止められていたのだ。離れた場所に立っていたはずのラズルが、今は手下の横にいた。
「ナニッ!?」
エヴァンスは顔を曇らせ、後ろに飛び退いた。エヴァンスの疑問に答えるように、ラズルは冷たく笑う。
「言っただろ? 地獄を見る破目になったって。俺たちはテメェに捕まってズートア要塞に送られた。そこでゴーレムとケダモノどもが殺し合う地獄の戦場で戦わされていたンだ。だが、おかげで強くなった!!」
今度はラズルが攻めた。一気に間合いを詰め、目にも止まらぬ連撃でエヴァンスを攻め立てる。両者の間に無数の火花が散った。
シアと手下たちは、エヴァンスとラズルの激しい戦いに一歩も動けなかった。手下たちは、ボスの邪魔になることを恐れて動かなかった。しかし、シアは恐怖で体が動かなかったのだ。いくら両者の戦いが激しかろうが、シアなら、救済の武具なら圧倒できたのに……。
並の剣士なら命が幾つあっても足りない激闘を繰り広げながら、二人は同時に舌戦も繰り広げた。
「難攻不落のズートア要塞のどこか地獄だ? 前の司令官はよっぽど無能だったのか?」
カレルセの国境を守るズートア要塞は、常に敵の攻撃に晒されていた。それでも一度も落とされることはなかった。ゆえに難攻不落。カレルセ王国有数の激戦地にもかかわらず、戦死者の少ない戦場だった。
要塞に蓄えられた大量の魔力を使い、召喚士たちが夥しい数のゴーレムを要塞の下に召喚する。そして地上での白兵戦はゴーレムに任せ、兵士は安全な要塞の上から攻撃する。エヴァンスがズートア要塞に赴任してから約一年。エヴァンスはこの作戦で安全に敵を撃退してきた。そしてこの作戦はエヴァンスが考えたのではなく、建設当時から使われてきた作戦だった。
「ああ~、王が代わるまで攻めていたお前は知らないんだな。俺たちは要塞の下で戦ってたんだ」
「ナニ!? 下の戦力はゴーレムだけで十分なはず!?」
驚きのあまり、一瞬エヴァンスの動きが鈍った。その一瞬を見逃さず、ラズルが渾身の一撃を繰り出す。
エヴァンスはなんとか受け止めたが、身体ごと吹き飛ばされてしまった。すかさず体勢を整え、追撃に備えた。しかし、ラズルはその場で自嘲気味に笑っていた。
「そうさ。俺たちは戦力じゃねぇ、だたのオモチャさ。血に餓えた貴族サマの、お楽しみのためだけに集められた生きたオモチャ。仲間も次々に殺されていった。なんせ、上は俺たちを狙ってくるんだ」
前の司令官──ヴェスパトーレ伯爵──は無能な男ではなかった。むしろ有能と言えた。ただ彼はその才覚を、己の欲望──金と血と権力──を満たすためにしか使わなかった。名門貴族である伯爵は、金と権力で要塞司令官になり、そこで悪魔のような賭け事を思い付いた。それがラズルのいた『地獄』だった。
仕組みは単純だった。国中の犯罪者たちをズートア要塞に集め、戦いがはじまると下に放り出す。貴族連中は誰が生き残るかを賭ける。そして、自分がベットした犯罪者だけが生き残るように、上から攻撃する。どれだけ死人が出ようが、全て戦死扱いにすれば問題にはならなかった。問題に思う者はいたが、問題にできる者はいなかったのだ。
「……所詮、貴様らは犯罪者、因果応報だ」
エヴァンスは、できるだけ冷然と言い放った。自身にそう言い聞かせるように。ラズルはすっと表情を消し、つかつかとエヴァンスに歩み寄る。
「因果応報か……。孤児院に拾われた幸運な貴様らは知らないだろうが、あの時代は俺たちみたいな、見捨てられた孤児がまともに生きられる時代じゃなかった。とはいえ、俺たちから全てを奪ったこの国から、俺たちは好き勝手に奪ってきた。だから、俺は死刑にされても文句は言わん。だがな、俺みたいな重犯罪者がそうごろごろいると思うのか?」
「…………」
エヴァンスは答えられなかった。答えは分かっていたが、答えられなかったのだ。
無論、いなかった。平民目線では特に……。
『地獄』に送られた犯罪者のうち、死罪判決を受けた者は一割にも満たなかった。服役している者であれば、罪状など関係なく全員が『地獄』に送られたのだった。それでも賭けの対象は、常に不足していた。何せ、敵だけではなく味方からも攻撃されるのだ。当たり前だった。
そこで伯爵は、殺しを引き受けはじめたのだった。依頼を受けると、ターゲットを権力でむりやり徴兵、もしくは貴族の特権で犯罪者に仕立て上げ、『地獄』送りにする。金させ払えば、気に入らない者を合法的に殺せるそれは、貴族の間で瞬く間に大好評になった。
エヴァンスの目の前まで歩み寄ると、カッとラズルの瞳が怒りに燃えた。同時にラズルの胸元が淡く光った。そしてラズルは、一層激しい連撃と憎悪に満ちた言葉を、エヴァンスに浴びせかける。
「だけどな、上の奴らに何の因果があるッ!? 死んでいった大半は上の奴らに逆らっただけだ!! それを弄んで殺すことのどこが応報だッ!!」
ラズルの重い攻撃を、エヴァンスは全て受け流していた。それでも両手と心がびりびりと痺れる。もしまともに受ければ今度こそやられる、エヴァンスにはそれが分かっていた。
敵の話なんて信じる意味がない。俺を動揺させるための嘘に決まっている。と頭で思っても、心がそれを拒否する。それを信じるには、エヴァンスは特権階級の歪んだ思想を知りすぎていた。
(やはり、本当の敵は……。クソ、迷うな!)
と、エヴァンスが思ったとき、突然ラズルの猛攻が止んだ。攻めていたはずのラズルが顔を歪め、右腕を押さえている。胸元の光も消えていた。何が起きているかわからないが、エヴァンスはすかさず距離を取った。
ラズルの不可思議な行動に、束の間の硬直が生まれた。しかし、その硬直を解いたのもラズルだった。
「お前ら、ガキどもを逃がすなよ!」
ボスの声に、弾かれたように手下たちは孤児院に向かった。
「行かせるものかッ!」
エヴァンスは止めようとするが、その前にラズルが立ちはだかった。
「おっと、お前の相手は俺だ!」
ラズルは何事もなかったかのように、右腕で大剣を振った。胸元は再び淡く光っている。
「ばあちゃんは子供たちを孤児院に! シアは子供たちを守ってくれ!!」
「みんな、中に入って窓を閉めな!!」
エヴァンスと院長は、ほぼ同時に叫んだ。子供たちが大慌てで動き出す。しかし、シアは動けなかった。
シアはただ呆然と立ち尽くしていた。二人の言葉はシアの耳に届いていたが、それでも動けなかった。他人から昨日見た夢の話を聞かされているかのように、まるで頭に入っていなかったのだ。
(あり得ない。オレは魔王を倒せって言われたんだ。だったら、敵は魔物のはずだろ!! それなのに……、あり得ない、なんで……、なんで人なんだ!? )
シアは悪い夢を見ている気分だった。まさか初めての実戦相手が、スライムや巨大な動植物ではなく人間……、それも復讐の狂気に目を血走らせた人間とは!
(嘘だ、あり得ないあり得ないあり得ないあり──)
シアの現実逃避は突然中断させられた。院長がシアを引っ張ったのだ。
「ホラ、アンタも来な!」
ムリヤリ体を動かされて、ようやくシアの脳は再起動した。一歩も二歩も遅れてエヴァンスの命令を理解する。
(そうだ、子供たちを守らないと……)
シアは救済の剣を構え、手下たちに向き直った。手下たちも足を止め、武器を構える。しかし、シアの身体は恐怖でガタガタと震えていた。
手下たちは下卑た笑い声を上げながら、じりじりと間合いを詰めてきた。
「オイ、ボウズ。そんなに震えて自分を斬らないように気を付けろよ!」
シアは、言い返す余裕もなく後退する。コイツらが雑魚だと、わかっていた。救済の武具ならば、殺さず倒すことも容易な敵だと。それでも、もし殺してしまったら、そう思うと、シアは攻撃できなかった。
(エヴァンスさんの命令は、子供たちを守れだ。だから、これで……)
そのとき、背後から院長の声がした。
「シア、みんな避難したよ!! アンタも下がりな」
振り返ると、窓も玄関も閉じられた孤児院の前に棒を持った院長が立っていた。シアは思わず、敵に背を向けて駆け寄った。
「おばあちゃんも早く中に!」
「ハン! アタシがこんな小僧どもに負けるわけないさね。さぁ、かかってきな!!」
院長は、棒を振り回してからビシッと構えた。それは引退を考えている老婆のモノとは思えないキレがあった。シアは震えながらも、院長の横で剣を構えた。
「ンだとババァ! チョーシに乗ってンじゃねェ!!」
チンピラ風の手下が語気を荒げ、剣をきらめかす。が、すかさず他の手下が止めた。
「待てッ! 我らの標的はエヴァンスだけだ。お前たちがラズル様の邪魔をしなければ、我らは手を出さない。子供たちを巻き込みたくなければ、そこで大人しくしているんだ」
手下たちはその言葉通り、孤児院を囲んで遠巻きに、シアたちを監視していた。
「俺の家族に手を出してみろ、誰一人生きては帰さんぞ」
エヴァンスは、剣を交えながらラズルを睨み付ける。
「ガキどもはお前を逃がさないための保険だ」
「そうかい。もういい、ウダウダ考えるのはヤメだ。お前らは俺の家族に手ェ出した。それだけで十分だ」
「は? 何言ってンだ?」
ラズルがそう言った瞬間、エヴァンスの刀のキレが増した。思わず、ラズルは距離を取った。
「貴様を全力で倒すって言ったんだ」
エヴァンスは真っ直ぐとラズルを見据えた。ラズルは笑いながら、視線を逸らした。
「これまでも全力だったくせに、何を強がっている?」
その嘲弄こそが強がりだった。ラズルは気づいていた、エヴァンスの太刀筋に迷いがあったことに。その上で全力、いやそれ以上で戦っていた。それなのに互角だったのだ。
「肉体強化魔法・脚」
エヴァンスの脚が淡く光った。エヴァンスの魔法はその名の通り、自身の肉体を強化する魔法である。
「ハッ! 孤児のテメェが魔法だと!」
ラズルは内心を隠すように嘲弄を続けた。
「そんな染みッ垂れた魔力で何が魔法だ! 使える魔法なら、初ッから使っているハズだろォ!?」
エヴァンスはニヤリと笑った。
「ウルセーな。マントを脱ぐのがメンドーだったんだよ」
そう言うと、エヴァンスはマントを掴み、上に放り投げた。
一瞬、ラズルの意識が上に向いた。エヴァンスはその一瞬を見逃さなかった。
「エヴァンス流剣術・快刃快炬」
次の瞬間、エヴァンスはラズルに斬りかかっていた。ラズルはゾクリとした嫌な予感に、反射的に大剣で身体を守った。ラズルの目の前で二人の武器が、ギリリっと耳障りな擦過音を鳴らす。ラズルがバカにした通り、エヴァンスの魔力量は少ない。だからこそエヴァンスは、全身ではなく身体の一部に絞ることで、使える魔法に昇華させていたのだ。
(!? は、速ェ)
ラズルには、エヴァンスの動きが一切見えていなかった。皮肉なことに『地獄』で何度も経験した死の予感が、ラズルを守ったのだった。目を見張るラズルに、エヴァンスは素直に感心する。
「ほぉ、今のをよく防いだな。だが、このまま決めさせてもらうッ!!」
宣言通り、エヴァンスは間髪入れず、火を吹くような追撃を繰り出した。まさに目にも止まらぬ連撃! ラズルは、致命傷を受けないようにすることで精一杯だった。キズだらけの身体に新たなキズがどんどん刻まれていく。勝負が決するのも時間の問題のように思われた。が、そのとき、
「もっと俺に力を寄越せーーッ!!」
ラズルが叫んだ。それに呼応するように激しい閃光が炸裂した。
「くぅ!?」
凄まじい光と魔力に、その場に居た全員が思わず目を背けた。
それは破壊をともなう魔力の奔流だった。渦を巻くように見えない力が広がる。エヴァンスはそれに巻き込まれないように、とっさに飛び退いた。一回では足りず、二回、三回と。
「一体何が──」
「ラズル様いけません! それ以上の力は!」
突然の閃光のあとの、シアの疑問は手下の悲鳴にも似た叫びにかき消された。
「ダズルを救えれば……、それでいい」
ラズルは苦しそうに答えた。力場の中心にいたラズルの服は破れ、胸元が露になっている。そこにはネックレスがあった。夏の終わりの空のように何処までも青く輝くネックレスが。どうやらそれが魔力の源のようだった。その証拠に、ネックレスは未だに直視し難いほどの光を放っている。
「ハァハァ、俺たちは地獄を、生き抜いたんだ。ようやく変わったこの国で、ダズルは穏やかに暮らすんだ。そのために、悪いがお前には、死んでもらう!」
その強気な言葉と裏腹にラズルは、立っているのもやっとのようだった。
「どうやら、降参する気はないようだな」
エヴァンスは、刀を構え直した。ラズルの目的も、あのネックレスの正体もわからないが、別にどうでもいい。どうせ、これで──。
「──終わりだッ!!」
エヴァンスはダッと地面を蹴った。今度はより速く、より鋭く、魔力の源であるネックレスを狙う。今のラズルでは防ぎようのない一撃。ラズルはネックレスごと二つに分かれる……はずだった。
「エヴァンス流剣術・快人快炬!!」
しかし、エヴァンスの刀には何の手応えもなかった。エヴァンスは慌ててラズルを探す。
「どこだ!?」
「ヴァンス! 上だよ!!」
院長の鋭い声で、全員が上を見上げた。そこにはラズルが浮かんでいた。ラズルの周りには風が渦巻いていた。そして浮かんでいるラズルから、子供のような声が聞こえた。
「アッブネ~、もう少しで死ぬとこだよ」
「!?」
正体不明の声に全員が驚いた。しかし、一番驚いているのはラズル本人だった。
「だ、誰だ!? 離せ!!」
ネックレスがふわりと浮き上がり、ラズルを見下ろした。そして、また子供の声が響いた。無邪気な笑い声。だが、その言葉は悪意に満ちていた。
「アハハハ! ボクが離したら、落ちるけどいいの? この高さから落ちたら、今のお前は死ぬだろうねぇ~。アハハハ!」
「うっ──」
流石のラズルも鼻白んだ。それでも声は意にも介さず話し続ける。
「それにしても、お前はホンット弱いネ。せっかく、ボクが力を貸してあげてるのに、こんなのにヤられたら意味ないじゃん。仕方ないからボクが代わってあげる。だから身体、もらうネ、『ラズガルド・ハイメ・ハイズ』」
ラズルは大きく目を見開いた。顔からはサァーと血の気が引き、ほとんど真っ白になっていた。
「なぜ……弟しか知らぬ、俺の本名を!?」
「ハハハ、何言ってンだい、それが答えだろ?」
「バカな、ダズルが言うわけが……」
「ボクの言うことが信じられないなら、あの世で聞いてみればいいサ。アハハハ!!」
笑い声を上げながらネックレスから光が飛び出し、ラズルの身体に入っていく。ラズルはネックレスを睨み、怨みに満ちた呪詛のような叫び声を上げた。
「キ、サマッーーーー!!」
手下たちは、その光景に愕然としていた。
「ラ、ラズル様……」
そしてネックレスから聞こえていた笑い声が、徐々にラズルの口から聞こえるようになっていく。そのとき、
「取り込み中のところ悪いが、隙だらけだ」
エヴァンスがジャンプ一番、刀をひらめかせた。しかし、ラズル? はエヴァンスの方も見ずに、左手を軽く振った。すると、周りで渦を巻いていた風が意思を持っているかのように、エヴァンスに襲いかかった。エヴァンスは風に吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。
ラズル? は左手から血を流しながら、すぅーっと降りていた。
「ありりゃ、ちょっと力を入れただけで壊れちった。魔力も少ないし、この器ホンットゴミだね」
ラズル? は左手を見ながら、一人ごねた。それから、エヴァンスの方を見て嗤う。
「まぁ、あっちも似たようなモノだし、ボクが直接ヤらなくてもいいか」
エヴァンスはボロボロだった。何とか受け身を取ったが、それでもダメージは大きかった。
「貴様は誰だ!? 一体何者だ!?」
エヴァンスにとっては、ラズルがラズルでなくなったことよりも、その強さが問題だった。
「ボク~? そ~だなぁ~」
ラズル? は、鼻の頭を人差し指で指しながら、考え込むように首を右へ左へ傾けた。ラズル本人なら死んでもやらなそうな、可愛らしい動作と可愛らしい声がいちいち不気味さを引き立てた。ラズルをよく知っている手下たちは、世界の終わりのような表情で呆然と立ち尽くしていた。
ラズル? は、首を二往復くらいさせたところで、ピコンっと頭の上に電球が浮かんだような顔をした。
「そうだ! ボクは魔王サマから君たちを殺すように言われたんだ。でね、名前は~、うんとねぇ~、シズル!! よろしくネ」
シズルと名乗ったソイツは、今思い付いたことを隠そうとしなかった。
「ふざけるなッ!!」
エヴァンスの叱咤に、シズルは口を尖らせた。
「ちぇ、いい名前だと思ったのに……。気に入らないんだったら、ちゃちゃっと終わらせようか。出番だよ~! 眷属ぅ~」
シズルはそう叫ぶと、ふぅーと息を吐いた。すると地面がせり上がり、五体のゴーレムが生まれた。それはドミニクが召喚していた不完全な泥人形ではなく、完全な岩の人形だった。色こそ違うが、顔つきも体つきもラズルにそっくりだった。
「コイツらはふざけてないよ~。なんせ、魔力たっぷりボクお手製の器だからネ。今のボクより強いゾ! さぁ、行け~、ラズルゴーレム~~!!」
シズルの号令に、ゴーレムたちが吼えた。
「ゴォォオオオオ!!」
五体のゴーレムたちの咆哮は、それだけで大地を揺るがした。シズルの声よりもラズル本人の声に近かったそれに、手下たちが我を取り戻した。何はともあれ、シズルに駆け寄ろうとする。
「ラ、ラズル様──」
だが、三歩も行かないうちにシズルが左腕を振るった。迸る血がウォーターカッターのように、手下たちの足元に切れ込みを入れる。シズルは、凍りつくような視線で手下を睨んだ。
「止まれ」
その冷たい命令に、手下だけでなくゴーレムも止まった。
「今ッ!!」
エヴァンスは、ダッとゴーレムに向かって突進した。
「肉体強化魔法・腕」
光が脚から腕へと移動する。エヴァンスは飛び上がり、突っ立っているゴーレムの頭部に必殺の一撃を叩き込んだ。
「エヴァンス流剣術・天真一撃!!」
シズルが絶叫する。
「あーーー! ホラ、お前たちが邪魔するから~~」
しかし、ゴーレムは全くの無傷だった。エヴァンスの刀が頭に直撃しているのに、刀はそこで止まっていた。エヴァンスの両手は、ジーンと痺れているというのに、ゴーレムは何事もなかったかのように突っ立っている。
「まいったな。まさか俺の最強技が効かないとは……、なら」
エヴァンスは着地するや否や、すぐに目標を変えた。ゴーレムたちの間を駆け抜け、シズルを狙う。
「本体を直接叩くだけだッ!!」
「もう! お前たちはそっちを見てればいいから!」
シズルは手下たちの方を見たまま、フワリと浮き上がり、エヴァンスの攻撃をかわした。そのままエヴァンスとゴーレムの上を通り越え、入り口の塀の上に降り立った。
「行け、ラズル人形! 今度こそソイツをヤっちゃえ!!」
ゴーレムたちが一斉に動き出した。見事な連携でエヴァンスを攻め立てる。エヴァンスは逃げることしかできなかった。幸い、ゴーレムたちの動きはそれほど速くなく、集中していれば避けるのはそれほど難しくはなかった。だが、最強の技が通用しなかった今、エヴァンスにゴーレムを倒す術はなかった。
「ありゃあ、不味いね。シア、悪いけど、子供たちを頼んだよ」
院長は言うが早いか、エヴァンスに助太刀しようと走り出した。
「行かないで、おばあちゃん!」
シアの声がむなしく響いた。
「ホラ、ばあちゃんを止めなよ!」
シズルにそう命令されて、手下たちが院長の前に立ちはだかる。
「すまないが、行かせるわけにはいかない。止まらないのであれば、死んでもらう」
武器を構えてはいるが、その顔は曇っていた。
「ばあちゃん、来るなーー! 俺一人で大丈夫だ!」
エヴァンスは、ゴーレムから逃げ惑いながら叫んだ。それでも、
「邪魔するならケガじゃ済まないよ、退きな!」
院長は、速度を緩めずそのまま突っ込んだ。待ってました、と言わんばかりにチンピラ風の手下が躍りかかる。
「死ねー! ババア!!」
「エヴァンス流棒術・回転闢地!!」
院長は、棒をグルンと身体ごと一回転させ、チンピラを吹き飛ばした。
「何!?」
シアも手下たちも驚いた。吹き飛ばされたチンピラは完全に伸びていた。老人とは思えないその動きに、残りの手下たちの顔つきが変わった。
「この婆さん、強いぞ!?」
「チッ、相手は一人だ。全員でやるぞ!」
院長は足を止め、棒を構え叫んだ。
「アタシは急いでんだ! サァ、一気にかかってきな!!」
安い挑発に、手下たちは殺気立った。武器を構え直し、一斉に飛びかかろうとする。が、手下の一人が叫んだ。
「待てッ!! 我らの目的は殺すことではない、行かせないことだ!!」
「あ、ああ、すまねぇ」
仲間の声ですぐに冷静さを取り戻した。棺桶に片足突っ込んだような老婆に仲間がやられ、頭に血が上っただけで、彼らもラズルと同じ『地獄』を生き抜いた猛者たちだった。
「チッ、厄介だね」
シアは、二人の死闘を黙って見つめていた。
(おばあちゃんもエヴァンスさんも戦っているんだ! オレも、戦わなくちゃ……)
それは分かっていた。シアはそのために、この世界に呼ばれ、ずっと苦しい訓練に耐えてきたのだ。しかし、動けなかった。恐怖が理性を上回る。手も足も震え、冷や汗が止まらなかった。
(……いや、オレは子供たちを頼まれたんだ。だから、これで……)
二人ともピンチだと分かっているのに、孤児院を狙う敵などすでにいないのに、それでもシアは自分に言い訳し、目を瞑ろうとした。目に映る悪夢を見ないように。
院長は次々と手下たちを倒していった。しかし多勢に無勢、それに老いも重なり、急速に限界へと向かっていた。
「はぁはぁ、こんな小僧ども相手に息切れしちまうとはねぇ~。歳は取りたくないね」
院長は棒を杖代わりにしながらそうぼやいた、その瞬間だった。手下の一人が叫びながら院長に突っ込んできた。焦った若者による大振りな攻撃、院長には見えていた。しかし、身体が言うことを聞かなかった。紙一重で直撃を避けたが、棒を弾かれた。
「しまった──」
院長のうめきもむなしく、棒は院長の手を離れ、地面を転がった。それを見たとたん、手下たちが勝負を決めにかかった。
数人の手下たちが同時に動き、丸腰の老婆を呵責なく攻め立てた。院長は、一か八か棒に飛び付こうとしたが、またもや身体が言うことを聞かなかった。棒にも届かず、地面に倒れてしまった。
「チッ、あと五歳若ければ」
院長は、立ち上がろうとはしなかった。その代わりに、武器を振り上げ駆け寄る若造たちを怨めしげに睨んだ。
「まずは一人。さぁて、何人まで堪えられるかなぁ~」
エヴァンスは思わず足を止め、叫んだ。
「やめろッ!! ばあちゃんには手を出すなッ!!」
瞑れなかったシアの目に、諦めにも似た顔で死神を見つめるおばあちゃんが映った。
「あっ──」
地面に座っている院長が、病床の祖母の姿と重なった。そして、その隣には幼少のシアが見えた。徐々に弱っていくおばあちゃんを前に、泣くことしか、泣きながら神様に助けを求めるしかできなかった弱虫の幻影が。
(だけど、今は違うだろッ!?)
幻影がそう叫んだ気がした。
(そうだ……)
あの頃より体も大きくなったし、救世主になるために鍛えた。それに救済の武具もある。憧れていただけのあの頃とは、違う。シアはしっかりと悪夢を見据えた。心の奥に決意の炎が灯る。
(そうだ──)
複数の白刃が院長めがけて振り下ろされる。エヴァンスの悲痛な叫びが響き渡った。
「ヤメロォォォォオ!!」
ガキンッ!! 振り下ろされた死神たちの鎌をシアが受け止めていた。院長の前に割り込み、救済の盾と救済の剣で全ての白刃を受け止めていたのだ。
手下たちも院長もエヴァンスも驚きのあまり固まった。さっきまで孤児院の前で震えていたはずのガキが、俺たちの剣を一人で受け止めてる……?
「何をしたッ!?」
事実を受け止めきれなかった一人が、目を剥いて怒鳴った。しかし、シアには届かなかった。
「──絶対に死なせない! 俺が救世主になるんだ!!」
シアは力の限り叫んだ。それは宣言だった。
そのあまっちょろい宣言に手下たちはキレた。剣を振り上げ、怒鳴る。
「痛みも知らんガキがーーー!!」
そしてそのまま、全員同時に音もなく倒れた。
「シ、シア、何をしたんだい……!?」
院長は唖然としていた。シアが手下どもを斬り倒した……と思うのだが、その太刀筋は全く見えなかったのだ。
「思ったより早かったネ。けど……」
次の瞬間、院長に気を取られ、動きを止めていたエヴァンスめがけて、ゴーレムが拳を振り下ろしていた。エヴァンスもそれに気づいて、飛び退こうとしているが、遅かった。
「そっからじゃ間に合わないデショ。まずは一人ッ!! アハハハ!!」
シズルは勝ち誇ったように笑った。しかし、シアはその場から救済の剣を振るった。ゴーレムの振り下ろしている腕に亀裂が入り、ズドンと落ちる。その隙にエヴァンスはゴーレムたちから距離を取った。
シアは立て続けに剣を振るった。一振りごとにゴーレムに亀裂が入り、瞬く間にゴーレムたちはバラバラになった。
(俺では傷一つ付けれなかったゴーレムをこんなに簡単に……!?)
エヴァンスは唇を噛んだ。
「へぇ~、なかなかヤるねぇ~」
ニヤニヤと笑いながらシズルが塀から降りた。シアは、戦闘体勢を取りつつ、シズルに聞いた。
「ゴーレムも手下も全員倒した。お前に勝ち目はない。もういいだろ?」
「うん、そうだね。ゴーレムをあっさりとバラバラにする剣相手に、この『器』じゃあ、ヤるまでもなくボクの敗けだね……」
シズルは清々しい笑みを浮かべながら、あっさりと敗けを認めた。しかし、
「……だけど、ボクは勝ちに来たわけじゃないから!!」
シズルは、凶悪な顔で突っ込んできた。一瞬遅れてシアも走り出す。
ドン!! 二人の剣が激突した。その衝撃で、空気が波のように振動し、孤児院を揺らした。
「!? お、おい、その腕……」
シアは、シズルを見て顔を歪めた。シズルの腕は衝撃に耐えられず、ひしゃげていた。何ヵ所か骨が肉を突き破っている。
「ありゃ、ホント」
それでも怯まず、シズルは大剣を振った。ただ振り回しているだけのデタラメな剣術だが、その速度だけは凄まじく速かった。一振りごとに魔力と血が迸り、辺りを斬り刻んだ。シアは全ての攻撃をかわしていた。攻撃はもちろん、防御の衝撃だけでもシズルを殺してしまいそうで、かわすしかできなかったのだ。
「もうやめろ! このまま戦えば、アンタ死ぬぞ!?」
「器が壊れたってボクは死なないよ」
「器……!? お前は精霊なのか!?」
「そーだよ。気づいてなかったの? 人間が同時に五体の召喚なんてできるわけないじゃん」
精霊の召喚は、召喚する精霊の数が増えると、消費する魔力が指数関数的に増大する。さらに、召喚した精霊に見合った器を創る必要もある。そうでなければ精霊は十分に力を発揮することができない。そればかりか、器自体を破壊してしまう可能性がある。なので一流の召喚士であっても、二体が限界とされていた。
しかし、精霊が精霊を召喚する場合は別だった。精霊は人間のように肉体は持たないが、その代わりに魔力の扱いに非常に長けていた。それゆえ、召喚する精霊の数が増えても、消費する魔力を等倍のままに抑えることができた。
「ボクを止めたけりゃ器を殺しなよ! 救世主ッ!!」
シズルはケラケラと笑いながら大剣を振り続けた。腕が壊れても、脚が壊れても、ムリヤリ動き続けていた。シアはかわしながら、殺さずに倒す方法を考え続けていた。
今度はエヴァンスが、二人の戦いを呆然と見つめていた。シアに加勢したかったが、できなかった。二人の戦いはまるっきり別次元だったのだ。
(救世主に選ばれただけのシアがこんなに強いのか……。俺は、何十年も努力し続けてきたのに……。俺みたいな何も持ってない孤児がいくら努力しても、最初から全て持ってる選ばれた奴には勝てないのかッ!?)
目に映る悪夢に、エヴァンスは生まれを言い訳に、目を瞑った。心の奥に嫉妬の黒い炎が灯りかけたとき、院長が嬉々として駆け寄ってきた。
「ヴァンス! あの子は何者だい? 本当にヒトなのかい!?」
「ああ、アイツは正真正銘ヒトだ。……救世主サマだとよ」
エヴァンスは吐き捨てるように言った。院長は眉をひそめた。
突然、シズルが入り口の塀まで後退した。シズルはそこで浮かんでいた。いや、浮かばざるを得なかった。脚が地面に着ける状態ではなかったのだ。
「あ~あ、こんなになっても殺してもらえないなんて、ホンット可哀想だね、『ラズル』。ケド、安心して、ボクが盛大に終わらせてあげるから。ハハハ」
シズルは冷たく笑うと、ボロボロの両手を目一杯広げ、空気を吸い込みはじめた。シアは動けなかった。シズルが何をしているのかわからないし、今にも死にそうなシズルを攻撃できなかった。すると、エヴァンスが必死の形相で叫んだ。
「何をしているッ!! ヤツは大気中の魔力を吸収して自爆する気だ、さっさと殺せッ!!」
「ハハ、バレちゃったか。こんな器でもボクの魔力があれば、この辺一帯を吹き飛ばすくらいの威力にはなるはずさ。さぁ、どうする? 救世主」
口は空気を吸い込み続けているのに、シズルの声がした。心なしか身体が膨らんでいるように見えた。
(魔力を吸収して、自爆!?)
シアはすぐに腹をくくって、全速力で突進した。
「やっと、殺す気になったのかなぁ? アハハ、残念だけどもう遅いよ。さっきの戦いでキミの身体能力は──。ウソッ!?」
シズルが言い終わる前に、シアは目の前にいた。マイに叩き込まれた方法で救済の武具の力を引き出し、身体能力以上の速度でシズルに近づいたのだった。
「──だけど、爆発を止めるにはコイツを殺すしかないよ!」
シズルの身体が急激に膨み、破裂寸前の風船のようにパンパンになった。それは、もはや人間とは思えない姿だった。
それでも、シアは殺せなかった。救済の盾を、魔力を吸収する盾を、破裂しないようそっとシズルに押し当てた。
次の瞬間、風船の口が開いたように、ラズルの身体から空気と魔力と、そしてシズルが急激に抜けていった。
「ウソだ!! こんな奴に、このボクがーーーッ!!」
耳障りな凄まじい叫び声を残して、シズルは消え去った。あとには、脱け殻のようなラズルが残された。
シアは、力を引き出した反動に襲われ、へたり込んだ。エヴァンスと院長が駆け寄ってくる。院長は、シアに声をかける前にラズルを見て、声を上げた。
「驚いたね!? コイツ、まだ息があるよ」
ラズルは辛うじて生きていた。生きているのが不思議なくらい全身がボロボロだった。それでも、意識があった。
「シア、トドメを刺してやれ」
エヴァンスは静かに言った。
初めての実戦が無事に終わってホッとしていたシアは、言葉の意味を理解できなかった。
「……え?」
シアは顔を上げて、エヴァンスを見た。犠牲を出さずに戦いを終わられたというのに、エヴァンスは顔を曇らせて一点を見つめていた。自然と視線の先に、目を向ける。
そこには血溜まりに横たわるラズルがいた。手も脚もただの肉の塊と成り果て、苦しそうに呻き声を上げていた。この状態で意識があるのは、神の悪戯、否、悪魔の嫌がらせとしか思えなかった。シアは思わず目を背ける。
「い、いやです!」
シアは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。たった今、恐るべき強さで敵を倒した『救世主』と同一人物には思えなかった。エヴァンスは、短く息を吐く。
「……そうか。なら私がやる」
エヴァンスは刀を抜き、虫の息のラズルに歩み寄る。
「……すま、ねぇ」
ラズルは力を振り絞り、微かにそう言った。口からは言葉以上に血が溢れていた。
「気にするな、元々私とお前の因縁だ」
エヴァンスは、ラズルの左胸に上に刀を置いた。
「待って!!」
シアが叫んだ。
「何だ?」
「でも、だって……。詳しい話は分かんなかったけど、この人たちも被害者なんでしょ? あの精霊がワルモノだったんでしょ?」
シアは、これが自分のワガママだとわかっていた。憎い敵だから殺す、のではなく、瀕死の重症で苦しんでいる人を楽にするための行為だと。そしてそれが最善の行為だということも。それをできない弱虫に代わり、エヴァンスさんが引き受けてくれたことも。殺される方も殺す方もお互い納得していることも。全て分かっていた。それでも、受け入れられなかった。『殺す』こともそうだが、それよりも、『死』そのものを受け入れられなかったのだ。
「ああ、そうだ。だからこそ」
シアはすがりつくように聞いた。
「回復魔法は?」
シアは、後ろからポンっと優しく肩を叩かれた。振り返ると、院長が哀しく微笑んでいた。子供を諭す母親のように。その顔に喉の奥がひきつる。
「この辺りに使えるような術師はいないんだよ。それに、あの状態を治せるような術師なんて、この国には……」
院長は、静かに首を振った。シアは放心状態でうなだれた。
「そんな……」
「さぁ、掴まりな、シア。脚を痛めたんだろ? 回復魔法は使えないが、軽い治療ならしてやれるからさ」
シアは言われるがまま、院長に掴まり起き上がる。そのまま院長に棒と肩を借り、ふらふらと孤児院まで連れていかれた。脚のダメージは歩けないほどでなかった。それよりも心のダメージの方が深刻だったのだ。
院長は少し行ったところで、後ろをちらっと見て、無言で頷いた。
エヴァンスはそれを見てから、ラズルに向き直った。
「悪いな、遅くなった」
ラズルは、最後の力を振り絞った。痛みに耐えながら、最後に笑おうとした。
「……あの、小僧にも、礼を、言っと──」
あとは言葉にはならなかった。口を動かしているが、言葉ではないものが溢れただけだった。
「……ああ、じゃあな」
エヴァンスは静かに、だが力強く刀を下ろした。




