99 不器用な子供たち 後編
「この先がマギアか……。うん、真っ暗で何にも見えないな」
目の前に広がる無限の暗闇を見つめながら、シアはボソッと呟いた。森の中にぽつんと建っているオストア要塞は、四方八方、見渡す限り闇と樹だけだった。鉄柵のフェンスがあるからこっちがマギア側だとわかるが。
バカ騒ぎの食堂で、豪華なディナーに舌鼓を打っていたシアだったが、エルたちより一足先にお腹いっぱいになり、
「こういう雰囲気苦手なんで、ちょっと夜風に当たってきます」
と、一人食堂から抜け出した。最初は普通に外に出ようと思っていたのだが、ふと階段を見つけ、どうせなら、と屋上に上ってみたのだった。
ひっそりとした屋上で、冷たい夜風に吹かれて、シアは一人黄昏ていた。美味しい料理をお腹いっぱい食べて、エルたちと楽しい会話を心ゆくまで楽しんで、幸せなはずなのに、浮かない表情で闇夜をじっと見つめている。
突然屋上の扉が開く音がして、声がした。
「ここにいましたか」
シアはハッと振り返った。扉は開いているが、そこには誰もいない。……ように見えただけで、良く見ると人影があった。
「……あっ! スパティフィラム、さん……」
昼間は気にならなかったが、やはりスパティフィラムの影はすこぶる薄かった。辺りが暗くなっているせいかもしれない。
「お嬢様ではなくて残念ですか?」
スパティフィラムはからかうように言いながら、こちらに歩いてきた。
「あっいや、そうじゃなくて……」
シアは返答に困った。スパティフィラムがイヤな訳ではないが、エルじゃなくて残念なことに間違いはなかったから。困った挙げ句、話を逸らすことにした。
「……エルの側に居なくていいんですか?」
「ええ。お嬢様はもうお休みになられました。明日は大事な日ですから」
何気ない言葉が、シアの心に突き刺さった。
(大事な日……、親を、殺すかもしれない日……)
シアの心が、辺りの闇よりも暗く淀む。
「大丈夫ですか、シア様?」
顔に出ていたのか、スパティフィラムが心配するように聞いてきた。
「……あっ、オレは大丈夫です、まだ眠たくないんで。ホラ、馬車で熟睡してたでしょ」
何を心配されているのか分かったが、シアはあえてずれた答えを返した。
「……そう、ですか」
スパティフィラムは呟くと、突然シアの前に膝を折って頭を下げた。
「今さらですが、我々の世界の問題に、何も関係もないシア様を巻き込んでしまって、本当に申し訳ありません。ダイン王に代わって謝罪させていただきます。許してほしいなどと言うつもりはございません。ですが、もうしばらくお付き合いください」
「そんな、謝らないでいいですよ! 顔上げてくださいっ!」
シアは驚いて、慌ててしゃがみこんだ。
「オレ、この世界に来れて良かったって、今は本気で思っていますから」
シアの言葉に、スパティフィラムは驚いたように顔を上げた。
「……正直言って、最初の頃は、いきなり訳のわかんない世界に召喚されて、救世主なんて呼ばれて、だけどそのわりにチヤホヤされるわけもでもなく、逆に地獄の筋トレに剣の訓練に……、ほんとに大変な訓練漬けの日々で、しかも魔法が使えるようになるわけでもなくって、なんでオレがこんな目に? って思ってました。だけどそのあとに、ヴェルフたち獣人連合のみんなやエルに出会えた……──」
シアは立ち上がって、闇に目を向けた。
彼らとの出会いは紛れもなく最高の出来事だった。獣人連合国での日々は、相変わらず訓練漬けの日々だったが、それでも彼らといるだけで楽しかった。誰とも親しくならないよう、人と距離を置いて一人で生きてきたのに、彼らは心の大穴を軽々と飛び越えて、ずかずか近くに来てくれた。離れたくないと思ってしまうほどに……。そしてその思いが、最悪な別れを、最悪なあの日を生んでしまった。
フィラが死に、ディクソンを殺したあの日。一生おろすことのできない十字架を、二つも背負うはめになった最悪なあの日。だけど今のシアは、彼らとの出会いまで否定することはなかった。エルの言葉──「思い出せば、いつでもいつまでも変わらない笑顔でここに居てくれる。変わらないってのはすごく悲しいし寂しいけど……。それでも忘れちゃうよりかはずっといいわ」のおかげだった。
今はまだ、言の葉に乗せることもできないけれど、フィラとの日々を忘れたくはない。だから、心の奥底にそっと仕舞っておこう。いつかきっと、悲しみも罪も全てを受け止めて、笑って話せるようになる。その日まで。
シアは、膝を折ったままのスパティフィラムに視線を戻すと、冗談っぽく言う。
「──あっもちろん、スパティフィラムさんとも出会えて良かったと思ってますよ」
「ありがとうございます」
「それに何より、この世界に召喚されたおかげで紫苑の病気を治せるんですから!」
シアは力強く言い切った。シアにしてみればこれが全てだった。この事実があれば他のことなどどうでも良い。自分の感情でさえも。
しかし、スパティフィラムは立ち上がらない。むしろさらに深々と頭を下げた。
「シア様にそう仰って戴けるのはとても有り難いのですが、元の世界に残されたご両親やご家族のこともあります。突然シア様が消えて、今もとても心配なさっていることでしょう。本来であれば直接謝罪すべきなのですが、異世界のことなのでそれも難しく……──」
頭を下げて謝罪しているスパティフィラムは気づかなかったが、シアは途中から話を聞いていなかった。シアの頭の中は両親のことで一杯だったのだ。
これまでなら、両親のことを言われても、
「両親は仕事人間だから、オレが消えても心配なんかしてないですよ」
と、笑って言えたのに。孤児院の院長に聞かれたときも、ヴェルフたちに聞かれたときも、そうできたのに……。
両親は仕事人間だから自分には興味がない。これまでのシアにとってはそれが真実だった。だが、それは大きな間違いだった。いや、仕事人間なのは間違いではないが、シアに興味がないわけではなかった。むしろその逆、シアの方から両親を遠ざけていたのだ。
全ての原因は、大切な者との死別だった。おばあちゃんが亡くなったあの日、いつも気丈な母が泣き崩れているのを見てしまったのだ。まだ幼かったシアにとって、両親は神のように完璧な存在だった。その母があれほど悲しんでいる。もし大好きな両親が居なくなってしまったら……。そう思うと心底恐ろしくなった。大好きだったおばあちゃんを失ったばかりの幼いシアにはとても耐えきれなかった。
だから遠ざけた。もし死んでしまっても悲しまないように、大好きな両親をただの両親まで遠ざけようと。いつか訪れる絶望を覚悟するのではなく、逃げることを選んだのだった。そして『あの悲しみ』と一緒に心の大穴に封印して、いつの間にか忘れていた。いつの間にか逃げていることからも逃げて、仕事人間の両親のせいにしていたのだ。
しかし、忘れてもその想いが消えることはなかった。逆に大穴の中でどんどんと肥大化していき、シアはいつの間にか『死』や別れ自体に恐怖するようになっていった。そして、両親だけでなく全ての者を遠ざけるようになった。但し、弟妹は例外だった。
自分よりも若い弟妹は、自分より先に死なないと信じられるし、なによりおばあちゃんとの約束──藍と紫苑を守る──があったから。
今思うと、それはただの方便のように思えた。自分よりも若いから先には死なないなんて、何とも頼りない薄弱な根拠。しかしそれを信じない限り、シアは一人っきりになってしまう。弱いシアにはそれも耐えられなかったのだ。
オレは……、なんて自分勝手なんだ……。
「シア様!」
自分を呼ぶ大声に、シアは現実に引き戻された。スパティフィラムが立ち上がって、心配そうにシアの顔を覗き込んでいる。
「……大丈夫ですか?」
「…………」
大丈夫ではなかった。シアが浮かない顔で黄昏ていた理由が、まさにそのことだった。だが、一人で悩んでも答えは出なかった。おそらく、自分の中にはないのだろう。
「……ご家族とのことで、何か悩んでいるのですか? 私でよければ相談に乗りますよ」
シアは、スパティフィラムを見た。自分の中に答えがないのなら、外に求めるしかない。そして、近くいる大人の中では、スパティフィラムが相談するのに一番ふさわしい相手に思えた。
シアはもう一度闇に視線を向けて、静かに悩みを話しはじめた。
「……オレ、エルの言葉と覚悟を聞いてから、ずっと元の世界でのこと──特に両親のことを思い出そうとしてたんです……。だけど、ゼンゼン思い出せなかった……。小さい頃はあんなに大好きだったのに、今はもう顔もおぼろ気にしか思い出せないし、最後にちゃんと話したのが何時なのかもわからなかった……。いえ、この世界に召喚されていたからじゃないんです! ……オレが弱いから、元の世界にいたときからずっと両親を遠ざけていたんです。……死別するのが、怖くて……」
シアは闇よりも暗い瞳で、後悔を見つめていた。
おばあちゃんが亡くなってから、両親が家に帰ってくる頻度は増加した。父と母、どちらか一方は必ず家に帰るようにしてくれていた。しかしシアは、親が帰ってくると勉強を理由に自室に閉じ籠った。外食だったりお出掛けだったりも、全て勉強を理由に断った。別に勉強が好きだった訳ではない。ただ都合が良かったのだ。勉強だと一人でできるし、親にも邪魔をされない。それに弟妹の手本になれる。そうしている間に、いつの間にか両親はあまり家に帰らなくなった。勉強に励む子供に気を使ったのか、逆に弟妹たちが旧家の呉服屋に泊まりに行くようになった。
「……だけど今は! 思い出せないのが、思い出がないのが悲しくて……、それに両親にも申し訳なくて……。だから、元の世界に帰ったら、両親とちゃんと話して、向き合いたいと思ってるんですけど、……今さらどの面下げて会えばいいのか分からなくて……。それに、もし拒絶されたら……」
そう思うと怖かった。両親と向き合うには、それを乗り越えるしかないのは理解している。だが七年間、それも子供の時代の七年間、両親から逃げ続けていたシアにとって、それは大変な勇気を必要としたのだ。全身の勇気を総動員してもまだ足りなかった。
「そんなこと、心配しなくても大丈夫でしょう」
スパティフィラムは簡単に言った。
「何を根拠に!? 気休めなんていりません!!」
シアが大声を上げた。大人にとっては軽い悩みでも、子供には深刻な場合も往々にしてある。それを知っているスパティフィラムは頭を下げる。
「申し訳ございません」
「……いえ、オレの方こそごめんなさい。せっかく励ましてくれたのに、怒ってしまって……」
シアも素直に謝った。スパティフィラムは軽く笑った。
「いえいえ、ご両親と会ったこともない私が簡単に言うことではありませんでした。ちゃんと根拠を説明すべきでしたね」
「あるんですか、根拠?」
シアは身を乗り出した。スパティフィラムはちょっと引いた。
「いえ、根拠と言う程の物ではありませんが……」
ごほん、と一つ咳をして、スパティフィラムは説明をはじめた。
「子供は両親に似るものです。容姿も性格も。ですから子供を見ていると、両親の性格を、ある程度ですが推測できます。シア様を見ている限り、シア様のご両親であれば大丈夫だと思うのです」
シアはピンとこなかった。自分が両親に似ているとは思っていなかったからだ。それもそのはず、シアの中の両親像は十歳のときで止まっているのだから。
スパティフィラムもそれに気付いたのか、小さく吐息を漏らした。
「そうですねぇ……。あいにく私には子供がいませんので、親の気持ちは分かりません。ですが、私にも子供だった頃があり、親もいます。少し、私の昔話をしましょうか?」
「……お願いします」
「その前に、シア様は今おいくつですか?」
この質問が、未成年かどうかを調べるためのものだと、シアはすぐに分かった。マギアには未成年が知っちゃいけない情報があることを聞いていたから。
「まだ十七です」
分かった上で、シアは正直に答えた。知っちゃいけない情報には興味はあったが、スパティフィラムさんの親切に嘘で報いることなどできなかった。
「分かりました。では簡単に。……スパティフィラム家は、さっきのワトキンズとの会話で分かっていると思いますが、マギアの貴族です。それも王家に次ぐ大貴族です」
「ええっ!?」
シアは驚いた。貴族というのは聞いていたが、まさかナンバーツーだとは……。
「そんなに偉いヒトだったんだ……」
スパティフィラムは軽く首を振る。
「ただマギアで二番目に強かっただけです。マギアの地位は基本的に強さによって決まりますから。それも私ではなく、スパティフィラムを名乗った先祖が、です」
「そう…なんですね」
シアは曖昧な返事をした。シアとはしては肯定も否定もしにくかったのだ。ずっとナンバーツーの座を守り続けていたのなら十分凄いと思うのだが。
「そうです。マギア建国時に一番強かった者が王となり、二番目から十三番目までが貴族になったのです。……それなのに、王族と違って、貴族は戦場に出ることを禁止されています」
「なんで!? 他の貴族たちも、スパティフィラムさんみたいにみんな強いんでしょ?」
さっきのヴェルフ対王の盾の戦いもそうだったが、当たれば終わりの重火器がないこの世界では、数よりも個人の強さの方が重要なことを、シアでも実感していた。
「ええ、どの貴族も四天王並みの力を持っています。ですが、国を守るのは王と騎士団の役割で、貴族の役割は民の生活を守ることなのです」
「民の生活……?」
「水に火に灯り……、日々の生活に欠かせないモノを、誰でも不自由なく使えるようにすること。それが貴族の最大の役割なのです。そのために、貴族たちは自らの魔力を国中に張り巡らせて、民にエネルギーを提供しているのです。厄災が襲ってきたからといって、それをないがしろにすることはできないのです」
どんな状況でも、日々の生活がなくなることはない。理解はできたが、納得はできなかった。世界が滅びるかもしれない一大事なら、日々の生活が不自由になっても戦ってほしい。シアはそう思った。が、口にはしなかった。子供の思い付きなど、とうの昔に議論を尽くし終えているはずだから。
「私も、この制度には納得がいきませんでした。ちょうど今のシア様と同じ年頃のときです。貴族として国民に魔力を提供するのはとても大事なことだが、厄災を倒すのはもっと大事なことではないのか。大量の魔力を持つ貴族たちが戦場に出れば、戦死者をもっと減らせるのではないか。そう思って悩んでいました。誰にも相談できず、一人で……」
スパティフィラムの目は、過去を思い出すかのように遠くを見ていた。シアは、黙って続きを待った。
「……そんなとき、父が背中を押してくれたのです。『家は縛られる場所でなく帰る場所だ。お前たちは自分の信じる道を行けばいい。そして帰りたくなったらいつでも帰ってこい。私はいつでも待っている』そう言ってくれた。その言葉で、私は迷いを断ち切り、家を飛び出して戦場に出ることを選べました」
その言葉に、シアはハッとした。一度だけ両親から同じようなことを言われたことがあったのだ。
『私たちの仕事は関係ない。自分のなりたいモノを目指しなさい、シア』
なりたいモノといわれて、理想の兄を思い浮かべていたあのときは何も思わなかったけど、今思うと、両親は自分が祖母を嫌っていることに気付いていたのかもしれない。
「良いお父さんですね」
「ええ。何かにつけて、いつも心配してくれていました」
スパティフィラムは、シアを見て微笑んだ。
「親というモノは、子供が思っているよりも大きい存在なのです。きっと、シア様のご両親も、貴方の気持ちを理解してくれているでしょう」
……一口に親と言っても色々な親がいるでしょうが、と、スパティフィラムは心の中で付け加えた。励ますのには必要のない言葉だと思ったし、シアの両親なら大丈夫だと確信があったから、口には出さなかった。
「相談に乗ってくれてありがとうございます。おかげでだいぶ気持ちが楽になりました」
シアはスッキリとした顔で、頭を下げた。
「私でよろしければ、いつでも相談に乗ります。では、我々もそろそろ休みましょうか。明日は早いですから」
二人は、要塞へと戻っていった。




