9 初めての 中編
明け方、ブラウンは森の中を一人で歩いていた。アデル王から与えられた使命を果たすために、隣街に武器の部品を取りに向かっていたのだ。例の武器はロクセットでは造れなかった。
「やっと見つけたよ、ブラウン。こんなとこにいたんだ」
突然、どこからともなく声をかけられた。ブラウンは、辺りをキョロキョロと見回したが、あるのは木だけで人や動物の気配すらなかった。だがブラウンの目には、中空に浮かぶキラキラと光るモノが見えた。
「はっ? これは──」
ブラウンは、声の主を悟って膝を折ろうとした。が、声は遮る。
「今は時間がないから、さっさと報告してくれないかい」
ブラウンは立ったまま姿勢を正し、報告した。
「はっ、救世主はすぐ近くのアッテンベル村に泊まっています。これからエヴァンス孤児院に向かい、そこで私を待つ手はずです」
「孤児院……? 奴らの因縁の場所か! ハハッ! イイじゃんイイじゃんおあつらえ向きじゃん」
姿は見えないが、その声は子供のように無邪気に笑っているように思えた。
「ですが、奴らは一度エヴァンス様に……」
「知ってるよ。だから、ボクが来……だよ。それに、人…の弟……問……ら、兄…本…を………たんだ」
声は突然、ノイズがかかったように途切れ途切れになった。ブラウンの怪訝な顔に、声の主もそれに気がついた。
「あり……、……時間……か。ほんと、………は魔……い…‥。じゃ……、貴……………ガン………ネ」
途切れ途切れにそれだけ言うと、声は聞こえなくなった。
ブラウンは、アッテンベル村の方向を見ながら唇を噛み締めた。やがて何かを断ち切るように振り返り、隣街へと一人歩き出した。
翌朝、シアが目覚めたときにはブラウンはもういなかった。シアは、とりあえず外に出た。
外ではまだ朝だというのに、村人たちが甲斐甲斐しく動き回っていた。その中からシアは、エヴァンスとブラウンの姿を探した。そしてすぐに、村の隅っこにて上半身裸で刀を振っているエヴァンスを見つけた。村人たちの邪魔にならないように、そそくさと移動する。
「おはようございます」
「うん? ああ」
エヴァンスはシアに気づくと、刀を納めてシアの方を向いた。
「おはよう。どうだ、昨日はよく眠れたか?」
エヴァンスは、まだ気のいいあんちゃんのままだった。だが、その身体は軍人だった。ドミニクとは違う、戦うために鍛え上げられた一切無駄のない筋肉。そこに汗が流れ、より一層輝いて見えた。シアはカッコいいと思い、素直に憧れた。
「おかげさまでぐっすり眠れました」
「それはよかった。……うん? どうかしたのか?」
辺りをキョロキョロしているシアに、エヴァンスは不思議そうに聞いた。
「あの~、ブラウンさんがいなかったんですけど……」
「ああ、ブラウンは先に出発して、隣街に…、荷物を取りに行ったんだ。俺たちはこれから孤児院に向かう。そこでブラウンと合流する予定だ。それと……」
そこでエヴァンスは視線を逸らし、ばつが悪そうに頭をかいた。
「……ブラウンにも言ったんだが、この旅のことは誰にも話さないでくれ」
「?」
シアは首を傾げた。察しの悪いシアに、エヴァンスは思わずため息をついた。
「いやな、俺は孤児だからな。部下たち……、特に貴族の奴らに、ナメられないように厳格な態度を心掛けているんだがな。ここに来てからは昔に戻ってしまっていてな……」
あの高圧的なエヴァンスは演技だったと知って、シアはすこし微笑ましく思った。
「わかりました」
「ありがとう。じゃあ、そろそろ行くか」
シアたちが出発の準備をしていると、村人たちが仕事を中断し、集まってきた。
「食糧ありがとうな、ヴァンス」
「ヴァンスもシア君もまた来るんじゃぞ!」
「次は天馬なんかで来るなよ!」
シアたちは、村人に見送られながら出発した。
立派な馬車には不相応の、森の中のでこぼこくねくねした山道を、天馬はゆっくりと進んだ。それでも太陽が一番上に来る前にエヴァンス孤児院に到着した。
鬱蒼とした森に突如として現れた、ぽっかりと開けた広い土地。手前は短く刈られた草地と畑があり、その奥に石造りの建物が二棟建っていた。正面に小ぶりの二階建ての建物、その右隣にもっと小さな建物があり、どちらも半ば森に呑み込まれるように、緑の侵食を受けていた。
正面の建物にいた女の子が窓の外を見て叫んだ。
「いんちょーせんせい!! ヴァンスおじちゃんがでっかいお馬さんに乗って来たー!!」
「ルルにとっちゃあ、俺はおじさんか……」
エヴァンスは苦々しく呟いた。その呟きは、はつらつとした声にかき消された。
「ホントだ! ヴァンス兄ちゃんだ!!」
一人の少年が窓から飛び出した。それに続くように次々と子供たちが飛び出し、エヴァンスに駆け寄ってくる。エヴァンスは馬車を停め、御者席から飛び降りた。
「おう、みんな、元気だったか? それにしても、みんな大きくなったなぁ~」
十人の子供たちがエヴァンスにたかっていた。シアも馬車を降り、微笑ましい光景に目を向ける。ほとんどが小学生くらいの子供で、一番大きい子供はシアより少し小さいくらいだった。
「コラ! まだ授業中だよ!」
子供たちが飛び出した部屋の窓から、おばあさんが顔を覗かせ怒鳴った。その姿にエヴァンスは笑いかける。
「ばあさんも元気そうで何よりだ」
しかし、ばあさんは素っ気なく返す。
「アンタはまだ軍人なんかやってんだね」
「ああ、軍人だからこれが貰えた。国からの支援物資だ」
エヴァンスは馬車の扉を開け、中の木箱を見せた。子供たちは、大はしゃぎで馬車に取り付き、木箱の中を覗こうとする。しかしおばあさんは、突っぱねるようにぞんざいに吐き捨てた。
「ふん! あんな王から支援してもらう謂れはないよ」
エヴァンスはため息まじりに静かに頭を振る。
「……これは姫から頂いた物だ」
すると、ぱあっとおばあさんの顔が明るくなった。そしておばあさんは、ひょいと軽く窓を乗り越えた。
「本当かい!? それならありがたく頂くよ。姫様にはキチンとお礼を言っといてくれ」
おばあさんは、おばあさんには見えないしっかりとした足取りで馬車に近づくと、手を叩いた。
「さぁ、みんな。授業は中止にして、これを片付けるよ!」
「はーい!!」
子供たちは元気いっぱい返事して、木箱を馬車から降ろそうとした。
「ああ、待て、待て! 木箱は重たいから俺たちが運ぶ。シアも手伝ってくれ! あっ、コイツはシア、俺の部下だ」
おざなりな紹介を済ませ、荷卸しの作業がはじまった。シアとエヴァンスが木箱を、馬車から孤児院か隣の倉庫まで運び──どっちに運べば良いかわからないシアは、いちいち院長にお伺いを立てた──、それぞれの現場監督に任命された、年長者のトニー(十四)とダニエル(十三)が、テキパキと他の子供たちに指示を出し、木箱の中身を片付けていった。
三十分後、シアとエヴァンスと院長の三人は孤児院の食堂で休憩していた。その周りを孤児院担当の子供たちがせかせかと動き回っている。三人は、馬車から全ての木箱を降ろした段階で、現場監督から早々に休憩を命ぜられたのだった。
「手伝ってくれて、助かったよ、二人とも」
院長は、二人にお茶を出しながら言った。
「ありがとうな、シア」
「いえ、オレは運んだだけですから……」
シアは、まだ働いている周りの子供たちに申し訳ない気分だった。
「アンタは客人なんだから、そんなこと気にする必要はないよ」
院長は、シアに優しく言った。長年の経験で、シアの考えなどお見通しだった。
「そうそう、ここにはここのルールがあるからな。シアが手伝おうとしても邪魔にしかならない」
エヴァンスは、お茶を飲みながら軽く言った。シアは、それもそうだな、と思い直して、お茶に手を伸ばした。院長の出してくれたお茶はアイスティーだった。冷たくて爽やかで甘いお茶は、疲れた身体に染み渡るようだった。
食堂には年季の入った大きなテーブルがあり、それを囲うように十二の椅子があった。椅子はそれぞれ大きさも形もバラバラだった。壁には、子供たちが描いたであろう下手っぴな作品が大事そうに飾られ、壁際の棚には、ピカピカの泥団子やおもちゃなどが雑多に置かれていた。
「なぁ、ヴァンス。軍を辞めて、ここを継ぐ気はないかい?」
突然、院長がそう切り出した。
「はあ!? いきなり何言ってんだ!?」
あまりに突然のことに、エヴァンスは目を真ん丸にしていた。
シアは、二人の会話を聞かないように、お茶を片手に壁に貼られた子供たちの絵を目をやった。ふと、その中の一枚に目が止まった。
「…………」
その絵に引き寄せられるように、シアはふらふらと近づいていった。
「ウルサイねぇ。アタシももう歳だからね、倉庫の屋根も修理できなくなっちまったンだよ。それに早くここの後継者を決めとかないと、安心して死ねないからねぇ」
院長は、笑いながら言った。しかし最後の言葉に、エヴァンスは狼狽えた。
(ばあさんが……死ぬ!?)
考えるまでもなく当たり前のことだった。ばあさんは老人なのだ。そうでなくとも生きている限り絶対に『死』は訪れる。軍人として、常日頃から戦場で命のやり取りをしてきたエヴァンスは、そのことを痛いほど理解していた。そのはずなのだが、物心ついたときからいつも元気にばあさんをやっていた院長だけは、例外だった。これからもずっと元気にばあさんをやっているものだ、とあり得ないことを信じていたのだ。
「……アンドレイにも聞いたのか?」
エヴァンスは、神妙な面持ちで聞いた。
「もちろんさ。あの子はアンタより頻繁に顔を出すからねぇ。だけど、取り付く島もなかったよ」
院長は、エヴァンスに話した。数週間前、アンドレイ・ディクソンに断られたときのことを。
そのときも、院長は今回同様に突然、「軍を辞めて、ここを継がないか?」と、切り出した。しかし、ディクソンは驚きもせず、少し悲しい目をしてきっぱりと断ったのだった。
『私の道は……、愚かな父を手にかけたときに大きく変わってしまった……。ですが、これが私たちの選んだ道……。院長には感謝しています。こんな僕を引き取って、家族にしてくれた。でも、ここは継げません』
ディクソンの黄色い瞳を見たとき、院長はそれ以上その話はしなかった。その瞳には、悲しみ以上に揺るぎない覚悟があるように見えたからだ。
院長から聞かされたその話に、エヴァンスはハッとした。
「……そうだ。この作戦が成功すれば、俺たちは貴族だ……。ばあちゃん、もう少し待ってくれ。俺がもっと立派になって、孤児院を建てるからさ」
エヴァンスはそう言うと、逃げ出すように立ち上がった。
「貴族って、何言ってんだい!? ちょっと、ヴァンス! まだ話は終わってないよ! どこ行くんだい!?」
「部下が戻ればすぐに出発する。だから、その前に倉庫の屋根を直してくる」
院長の制止も無視して、エヴァンスは食堂から出ていってしまった。
「……逃げやがった、そんな子に育てた覚えはないってのに、あのバカは……」
院長は、深いため息をついた。軍に入ってどんどん出世していくヴァンスを誇らしく思う一方で、少しずつ変わっていくヴァンスが心配だった。
「すまないねぇ、辛気臭い話を……って、おや?」
院長はシアの方を見て、初めてシアが席を立っていたことに気がついた。院長も立ち上がって、シアに近づく。
シアは、壁際で食い入るように一枚の絵を見つめていた。二人の話し合いが終わったことにも気がつかないほどに。
上手くもないおばあちゃんの絵。おそらく小さい子供が院長を描いたのだろうが、シアは目を離せなかった。どこにでもあるような絵が、それゆえにシアの心を大きく揺さぶっていたのだ。
シアはその理由を探そうとして、大きな穴を見つけた。底も見えないほど深く大きな穴。乗り越えようともせずに覆い隠したそれは、今も変わらずそこにあった。
「子供たちの絵が気に入ったのかい?」
突然声をかけられて、シアは飛び上がりそうになった。いつの間にか、院長が隣に立っていた。
「!? あっ、いや、ちょっと、あの家族のことを、思い出して……」
シアの心臓は早鐘のようで、言葉をうまく紡げなかった。
「……あんたも、ご両親を亡くしたのかい?」
院長は静かに聞いた。その質問で、シアは今いる場所を思いだし、勝手に責められているような気分になった。
「……二人とも、元気です」
幸せなことを申し訳なさそうに言う。
「だったら、何で軍人なんかになったんだい? ご両親が心配しているだろうに」
「(心配なんてしてないよ。向こうの時間は止まっているんだから、オレが別世界に行っていることも気づかない。それに──)うちの両親は仕事人間なんで、オレのことなんて気にもしてないと思います」
シアは笑って答えた。
シアの両親は二人とも仕事第一で、あまり家にも帰ってこなかった。それはシアが生まれる前からで、そして藍と紫苑が生まれてからもそうだった。そんな両親に代わり、シアたちは母方の祖母に育てられた。おばあちゃんはとても優しく、できうる限りの愛情をシアたちに注いでくれた。そのおかげで両親の愛情をあまり受けられなくても、シアたちは淋しくなかった。七年前、おばあちゃんが亡くなるまでは……。
「そんなことはない。って言い切りたいけど、ムリだね……。シアはご両親のこと、嫌いなのかい?」
院長は、微妙な表情で聞いた。
「そんなことはないです」
シアは、はっきりとそう言った。それは本心だった。なにしろ、嫌いになれるほどの接点もありはしなかったのだ。ほとんど顔を合わせることもなかったが、家のことは家政婦を雇ってくれていたし、必要な物があるときはメールをすればお金をくれた──レシートを撮って送る必要があったが──。
「だったら、何で軍人なんかに?」
院長は、今度は意外そうに聞いた。
「おばあちゃんと約束したんです。藍と紫苑を、弟妹を守るって」
シアは、これまで誰にも話せなかった『約束』を、初対面の人に話している自分に驚いていた。
それは、シアと死にゆく祖母との最期の会話、最期の約束だった。大好きなおばあちゃんがいなくなってポッカリと空いた心の穴を、シアはその約束で覆い隠し、その約束を果たすためだけに前を向いてきたのだった。
院長が何か言おうとした、そのとき。
「いんちょーせんせーー!!」
ルルが駆け込んできた。
「どうしたんだい?」
院長はシアに言おうとした言葉を呑み込み、ルルに優しく微笑んだ。
「けんを持ったへんな人たちが!」
ルルは外を指差して叫んだ。
「何だってッ!?」
院長は、物干し竿のような棒を持って飛び出した。シアもあとに続いた。




