プロローグ
黄昏に沈む住宅街を、黒髪と茶髪の二人が他愛ない話をしながら歩いていた。二人は幼馴染みで、中学までは登下校を共にしていたが、別々の高校に進学し、直接会うのは久しぶりだった。
「なあ、明日は休みだし、『ファイナルドラゴン』やれるのか?」
茶髪が聞いた。『ファイナルドラゴン』は、大人から子供までこぞって遊んでいる大流行中のVRオンラインゲームである。
「ごめん。明日は約束があるんだ」
「最近全然やってないが、なんだ、彼女でもできたのか? 親友のオレに黙って──」
親友はニヤニヤと笑った。
「ちげぇよ! いねぇよ! 明日は、弟たちの誕生日なんだ」
黒髪は全力で否定している自分が情けなくなった。本当のことだからなおさら情けなく、でも、仕方がない。
「そうか。お前はホント、良い兄貴だな」
親友はすっと真顔に戻り、真面目に言った。
「そうか?」
「妹ちゃんにスマホ貸してんだろ?うちの兄貴たちじゃ考えられん」
「まあな、病院で暇だって言うから」
「それでも、うちの兄貴たちじゃ……」
親友はため息を付きながら静かに首を振った。男はフォローしようとしたが、親友の兄たちを思い出して、苦笑いを浮かべた。
「…………」
二人の間に微妙な空気が流れた。
「じゃあな、『救世主』」
親友は笑いながら、からかうように言った。
「ちょっと待て、それは小学生のときの──」
男の制止を無視して、親友は昔のアダ名を掘り起こして小走りで帰っていった。
「……救世主、か」
男は、走り去る親友の背中を見ながら、呟いた。
子供の頃──今も大人ではないが、もっと子供の頃──大好きだった二人の救世主の絵本。魔王を倒し世界を救った救世主と、自分を犠牲に世界を救った救世主。あの頃は、魔王を倒した救世主に憧れていたが、今はどちらでもいい。妹を救えるのならどちらでも……。まぁ、魔法もないし、魔王もいないこの世界では、救世主なんて夢物語なんだけど……。そんなことより、今日は二人とも帰ってるはずだから、急がないと。
男はそんな、意味はないが深刻なことを考えながら、家路を急いだ。玄関の前で、辛気臭い顔を吹き飛ばすために一度深呼吸し、そして元気よく──。
「ただい──」
と、ドアを開けた。すると突然、激しい光が炸裂した。男は目がくらみ、遠くなる意識の片隅で、またあいつらのイタズラだな……。にしても、これはやりすぎだろ!! と思った。
「おかえり!! ……あれ、お兄ちゃん?」
大好きな兄の帰りを待っていた二人組が同時に飛び出したが、玄関には誰もいなかった。
「──ま……?」
視力が回復したとき、次は男の頭が機能を停止した。目の前に広がっているのは、薄暗い地下室のような場所だった。
「ココは……ドコ?」
もちろん男の家が地下にあったわけではないし、幼い弟妹がたった二人で玄関を地下室風に模様替えできるわけがない。男は一瞬、家を間違えたか、とも思ったが、そもそも開けたドアは地上にあった。
「救世主様……」
「救世主様が降臨された……」
闇の中から人の声が聞こえた。男は突然の見知らぬ声にぎょっとした。そして、おずおずと目を凝らした。
暗くて気が付かなかったが、男は大勢の人に囲まれていた。しかも、その全員が見慣れぬ格好……いや、画面の中では見慣れた格好をしていた。全身を鎧に包み、剣と盾を持った騎士みたいな人や、真っ黒のローブを頭まで覆い、手には木の杖を持った魔法使いみたいな人に……。
男はゲームの登場人物のような人々に、ポカーンと開いた口が塞がらなかった。すると、一人の男性が暗闇から現れた。地面を引きずりそうな長い真っ赤なマント、仕立ての良さそうな服に、そして、その頭上には燦然と輝く豪勢な王冠があった。
「よくぞ、来てくださいました、救世主様。どうか、わが国を、この世界を、救ってください」
いかにも王様という格好の人が、男にひれ伏した。それにあわせて周りの人々も一斉にひれ伏した。
「……え??」
そのとき、男が持っていた玄関のドアが、重さを取り戻した。男の手を離れ、石畳の床に落下する。地下室に激しい音が鳴り響いた。男はハッと我を取り戻し、慌てて振り返ると、今さっき深呼吸した玄関の前はなく、一面の石壁だった。
「異世界転生してるーーーーーーーーー!!」