その目は一生忘れられない
本作品には虐待の描写が含まれます。苦手な方はご遠慮ください。
「あの子、いつも一人でうろうろしてるけど、なにしてるのかな?」
サッカーボールをけりあげて、リフティングをしながら、雄二は亮也に聞きました。雄二からパスを受けて、亮也は「おっと」と声をあげてから、なんとかボールをトラップします。
「あぁ、なんていったっけな、あいつ。柳とかそんな名前じゃなかったっけ。第二小学校のやつだろ」
ボールをこするようにけって、亮也が雄二にパスします。雄二も胸でボールを受けて、それから足元に落としました。
「なんでいっつもうろうろしてるんだ?」
雄二たちが遊んでいる『桜公園』は、その名の通り桜の木に囲まれた広い公園で、お花見シーズンになるとにぎわうのですが、夏も終わりかけの今では、もっぱら子供たちの遊び場となっていたのです。今どきの公園にしてはめずらしく、ボール遊びも許可されているので、雄二たちのようなサッカー少年にはもってこいの遊び場でした。
「あぁ、それはな」
桜の木のまわりを、探しものをするかのようにきょろきょろしている男の子をチラッと見て、亮也が雄二を手招きしました。
「なんだよ?」
「ナイショだぞ。おれ、前に他のやつらとサッカーしてたときさ、あいつに声かけたことあるんだ」
まるで秘密のいたずらを打ち明けるかのような顔の亮也に、雄二も自然と声をひそめます。
「それで、なんていったんだ?」
「お前が今いったのと同じことだよ。なんでそんなとこでうろうろしてるんだ、そんなことしてないで、いっしょにサッカーしようぜってさ」
「お前よく見知らぬやつを誘えるなぁ。おれなら声なんてかけないぜ」
「しかたないだろ。ちょうどそんとき、キーパーするやつがいなかったから、あいつに押しつけようと思ったのさ」
「なんだ、そんなことだったのか。ったく、お前もひでぇやつだな」
「ま、それはいいだろ。とにかくそうやって声かけたら、あいつ、なんて答えたと思う?」
にやにやする亮也を見て、雄二は首をひねって考えこみます。
「さぁ……。サッカーするとはいわなかったんだろ? もしいってたら、きっと今日もおれたちに声かけてくるだろうし。サッカーきらいだっていったのか?」
「いいや、そいつさ……」
亮也の話だと、その男の子、柳君は、「かくれんぼしてるからぼくはいい」といったというのです。雄二はぽかんと口を開けたまま、思わずうろうろしている柳に目をやりました。
「かくれんぼったって……。別にこの公園、誰かが隠れてる様子はないぞ」
「おれもそう思ってさ。でも、とにかくあいつ暗くてぼそぼそしゃべるやつでさ。おれもちょっと気味が悪くなっちまって、それ以上は誘わなかったんだよ。そしたらあいつ、おれたちが帰ったあともずっと一人でうろうろしててさ。他のやつにも聞いたけど、とにかくあいつはずーっと公園でうろうろしてて、一番最後まで帰らないらしいんだよ」
とにかく変なやつなんだとつぶやいてから、亮也はサッカーボールを投げ上げ、頭でポンポンッとリフティングしていきます。その様子を見ながら、雄二はしばらく考えこんでいましたが、やがてにやっと笑ったのです。
「おい、いいこと思いついたぜ」
雄二の言葉に、ヘディングしていた亮也がボールを落として、足でうまく踏みつけます。ボールをひろいあげてけげんそうな顔をします。
「なんだよ、いいことって?」
「新しい遊びだよ。探偵ごっこさ」
「探偵ごっこ?」
ボールを抱えたまま目をぱちくりさせる亮也に、雄二は興奮気味に続けます。
「そう、探偵ごっこさ。容疑者はあの柳ってやつだ。あいつを尾行するんだよ」
「はぁ?」
あまり乗り気でない様子で聞き返す亮也でしたが、雄二はもうノリノリです。チラッと柳を横目で見てから、声をひそめて探偵になりきります。
「亮也刑事。我々はうまいことはりこみを続けたが、ホシはなかなかしっぽを見せない。だからいったんホシを油断させる必要がある」
「なんだよそのしゃべりかたは……。でも、油断させるって、どうするつもりだよ?」
雄二のいいかたに吹き出しながらも、亮也もどうやら興味がわいてきた様子で、やはり盗み見るように柳を見てから聞き返します。
「簡単だ。亮也刑事の話じゃ、やつは一番最後に帰るわけだろう? 今この公園には、おれたちとホシしかいない。つまり、おれたちが帰るふりをすれば……」
「ホシもあきらめて帰る、そういいたいんだな?」
にやっと笑う亮也に、雄二もうなずきました。二人はほくそ笑むと、わざと大きな声を出したのです。
「あーあ、遊んだ遊んだ。それじゃそろそろ帰るか」
「あぁ。おれ、母ちゃんにいわれてんだ。あんまり遅くまで遊んでないで早く帰って来いってさ」
柳がバッと二人のほうを見たので、二人もビクッと身を硬くしました。柳はしばらく二人をにらむように、顔を向けて固まっています。西日で顔はよく見えませんでしたが、なんだか不気味な感じがします。ですが、ようやく顔をそむけて、再びうろうろし始めたのです。二人はホッと胸をなでおろすと、柳をチラチラ見ながら公園を出て、そのまま物陰に隠れたのです。
柳がうろうろするのをやめて公園から出てきたのは、夕日が真っ赤に燃えるころでした。亮也が首をかしげます。
「あれ、あいつにしてはめずらしいな。いつもはこのくらいの時間でも、ずっとうろうろしてるんだけど」
「きっとホシは、誰もいなくなったことを確認して帰ろうとしたんだろう。我々の作戦が成功したのだ、亮也刑事」
「いや、そのしゃべりかた……まぁいいか。おっ、あいつ、向こうがわへ行くぜ」
亮也の言葉を聞いて、雄二もあわてて柳のあとを追います。二人の家とは反対側の通りを、柳はとぼとぼと重い足取りで歩いていきます。雄二と亮也も、電信柱のかげなどに隠れながら、柳に見つからないようにあとをつけます。とはいえ、柳はもちろん尾行されていることなど気づいていない様子で、ふりかえることもせず、ただただ肩を落として家路についているだけでした。
「なんかあいつ、ホントに根暗なやつって感じだな」
雄二がぼそっとつぶやきます。まだ日は沈んではいませんが、知らない道を歩いているからでしょうか、なんだか心の奥がざわめき、二人の足取りも重くなっていきます。「そろそろ尾行を切り上げるか」と、どちらかがいいだそうとしたあたりで、ようやく柳が、さびれたボロアパートの階段をのぼりはじめたのです。
「てことは、ここがあいつの家か。……ここ、誰か住んでんのか?」
亮也の質問はもっともでした。なんというか、うす暗く湿った感じのアパートで、どの部屋の窓からも明かりはもれておらず、なんだか気味が悪く感じます。
「あのさぁ……、おれ、いやな予感がするんだけど、まさかさ、あいつ……」
亮也がぼそぼそと、雄二が考えていることと同じことをいい始めますが、雄二がシッと亮也を制しました。その先を聞きたくなかったというのももちろんありますが、それ以上に、柳が一番奥のドアの前で止まったのです。きっとあそこが柳の家なのでしょう。二人は「帰ろうぜ」というタイミングを逃してしまい、じりじりとした気持ちのまま、柳のうしろすがたをながめています。と、突然ドアがガチャッと乱暴に開けられたのです。
「いたっ!」
ドアの前でじっとしていた柳が、思い切りドアにぶつかります。中から出てきたこわもての男は、柳に気づくとその首根っこをぐいっとつかんで引き起こしたのです。
「なんだこいつは? てめぇっ、まさかガキがいやがったのか! くそっ、道理でしまりが悪かったんだぜ! だましやがって、おい、金返せ!」
男がドスの効いた声でどなりながら、部屋の中へとかけこんでいきます。そのあまりの迫力に、雄二も亮也もなにもいえずに棒立ちになっていました。バンバンッと、なにかをたたく音と、「だましたわけじゃない!」だの、「あんただって楽しんでたじゃないか!」などの、女の人の悲鳴が聞こえてきました。ショックを受けた二人は、まったく動けずその場に硬直してしましたが、それは柳も同じでした。ふるえながらドアの外で待つ柳でしたが、ようやく先ほどのガラの悪い男が部屋から出てきたのです。
「チッ! このクソガキが!」
ちぢこまっていた柳に、男が思い切りけりをいれます。「ぐぅっ!」とうめき声をあげる柳をふりかえりもせず、男は大股にアパートから去っていきました。柳は何度かせきこみながらも、ようやく立ち上がり、それから部屋のドアを開けて、消え入りそうに声をかけます。
「ママ……ごめんなさい……」
「このバカガキ! なんでこんな早くに帰ってきたんだよ! 客に知られたらまずいって、いつもいってんだろ! ほら、出ていきな! あんたさえいなけりゃ、こんなことにはならなかったのに、この疫病神!」
先ほどの女の人の金切り声がひびきわたり、ドアがバンッと乱暴に閉められたのです。雄二も亮也も、その恐ろしさに完全にショックを受けて、柳をじっと見つめていました。柳はこちらをふりかえりもせずに、ただぼうぜんと閉められたドアを見ています。と、そこに……。
「あら、亮也。それに雄二君も。こんなとこでなにやってんのよ? あんまり遅くなると危ないでしょ。ほら、帰るわよ」
うしろから、亮也のお母さんが元気な声とともに背中をバンッとたたいたのです。ビクッとふるえる二人でしたが、その声は当然柳にも聞こえていました。バッとすごい勢いでふりかえり、二人のすがたをとらえます。
「ヒッ……」
雄二も亮也も、目を見開いて悲鳴を上げることしかできませんでした。柳のそのときの顔は、忘れようとしてももう一生忘れることはできないでしょう。人はこれほど、他の人の幸せを憎むことができるのかと、そう絶望せずにはいられない、あらゆる怒りと呪いに満ち満ちた、まがまがしい目がそこにあったのですから……。
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