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魔術師学校異聞録  作者:
第2話 埋火
6/18

 医務所の治療室には、ただならぬ緊張感が漂っている。

 施術者である、王宮最高位魔術師のナギ、助手を務めるエリザベス以外に、めったに見られないナギの治療魔術を見学しようと、魔術医療専門の魔術師たち、学生の姿も見える。医師であるアンナは、同じく医療の発展を志す者として、これらの見学者の治療室入室に同意した。


 それにしても、大変なことになった。ただ街角のお菓子屋さんに行っただけのはずだったのに。壁を埋め尽くす人の群れを眺めながら、アンナはため息をつく。



「君の傷の責任の一端は、私にもある」


 あの日、あれよあれよという間にアンナの火傷の傷痕きずあとの治療が決まった後、ナギは沈痛な面持ちで切り出した。


 14年前、王宮魔術師達は混乱の只中にあった。強大な敵の策にはまり、王宮の奥深くまで敵の手下の侵入を許し、さらには当時の王宮最高位魔術師であったナギの父と、次期最高位魔術師候補の2人の内1人は殺され、もう1人は戦闘不能となった。戦闘不能となった魔術師こそ、ナギだった。

 敵に再度攻撃を受ければ、王宮魔術師は全滅、王国自体が滅亡の危機にあった。ナギは、王宮の奥に、敵の入り込めない不可侵結界を恒久的に張ることを決断した。その作業のため、高位の王宮魔術師は全員が王宮に緊急招集され、2か月間その他のすべての魔術は中断した。


 当時9歳であったルーカスは、屋敷に一人残された。通常、魔術を行い始めたが学校に通う年齢に達していない子供たちは、魔術のコントロールが不十分であるため、修行時以外は魔力を抑制される。ルーカスの魔力の抑制は両親が担っていたが、不可侵結界の作業で招集され不在となり、彼の魔力は野放し状態になった。そして、あの事故は起こった。


 当時の王宮の医務所は、初期治療を修めた程度の低位魔術師しか残されていない、完全に人手不足の状態だった。通常であればアンナの火傷の傷は、痕にならない程度までの治療が可能であるはずであったが、当時の魔術師の技量では、生命維持が手一杯だった。そして、一度生命の危機を脱し家に戻されてから、再度王宮で治療を受けることは、アンナには許されなかった。


「……恒久不可侵結界の設置は、致し方ない決断ではあったが、市井の方たちの生活、そして人生も、狂わせる結果になってしまった。心苦しい」


 王宮最高位魔術師は苦くつぶやく。


「罪滅ぼしというわけではないが、君の傷は、私が責任を持って整復する。安心して、任せてほしい」


 彼の瑠璃色の瞳には決然とした光があった。



(なんか、むちゃくちゃ気合が入ってるな)


 施術台にうつ伏せになろうとしているアンナの傍らで、椅子に座ったナギの姿を眺めてケインは思う。彼は、半眼になった瑠璃色の瞳をきらめかせ、右手には軽く魔石を握り息を整えている。普段、どんな高等魔術を行うにも準備動作がほとんどないナギにしては、珍しい姿だった。


(あの人の、本格的な治療魔術を見るの、初めてだ)


 自分が10歳の時からかれこれ20年以上、弟子としてナギの魔術を見てきたが、目の前で治療魔術を行うところを見たことはない。


(それにしても、瘢痕はんこんの治療か。厄介だな。あの人、凝り性だから、今日は何時間かけるのか、これから1年くらいは継続治療が続くのか……)


 固まってしまった火傷の瘢痕はんこんを、きれいに治すのは至難の業だ。少しずつ、がちがちに固まった組織を緩め、除去しながら再生させていく。多忙なナギがどこまで関わる気なのか、ケインははじめから疑問だった。



 静かにナギが立ち上がる。

 握っていた魔石をベスに手渡すと、軽く息を吸い右手をアンナの背中にかざす。彼の瞳が妖しく燃え上がり、手のひらからは瑠璃色の魔力の波動がほとばしる。白銀の髪が風に吹かれたかのように巻き上がった。

 3秒ほどそうした後、静かに横に移動したナギの手元を見て、室内の一同は仰天した。


(秒殺かよ)


 ナギの手が外された背中には、完全に滑らかで、自然な色の皮膚があった。


『どうして、何をどうやって』


 施術者が治療継続中であるにもかかわらず、思わずというようにあちこちから魔術師たちのささやきが漏れる。


(やっぱり、この人、化け物だ)


 次々と右手を移動させていくナギの真剣な横顔を眺めながら、ケインは目を眇める。

 ナギの右手がアンナの背中から左肩、左腕と移動し、左手にかかったところで、ふと瑠璃色の目が上がった。

 壁際に居並ぶ人の群れをぐるりと見まわすと、ケインに目を止め、次にゆっくりと隣のルーカスに目を向ける。ルーカスは、ナギから治療を見学させるようにと指示を出され、ケインが付き添って連れてきていた。



 つかつかと歩み寄って来る銀髪碧眼の最高位魔術師に、ルーカスはぎょっとして後ずさる。


「ルーカス・イワニカ。君に、最後の指の部分の治療は任せよう」


 ナギの言葉に、治療室にはざわめきが広がる。


「指関節部分は繊細な治療魔法が必要だ。弱い魔力で、1年程度かけて、ゆっくり行う必要がある」


 瑠璃色の瞳が、ルーカスの灰色の瞳をじっとのぞき込む。


「今の君になら、できるだろう」


 ルーカスの右手を開かせ、ナギは自分の右手をかざす。ルーカスの右掌の奥に、暖かみが生まれる。それは急激に熱を上げ、やがて灼熱に近くなる。ルーカスが顔をゆがめると、ふいに熱は消えていた。


「頼んだよ」


 ルーカスの手を離し、そのまま、ナギはざわめく治療室を後にした。



 午後の診察室には、カーテン越しの日の光が斜めに差し込んでいる。

 休診日の水曜日の午後、ルーカスが診療所を訪れアンナの火傷痕に治療をする習慣ができて、かれこれ1年が経とうとしていた。


 ルーカスの右掌が、慎重にアンナの左手指にかざされる。アンナは自分の左手をじっくりと眺める。ルーカスの掌から、白熱灯のような橙色の温かい光が溢れ出し、それが、アンナの指をじんわりと温めていく。

 いつ見ても、不思議だ。自然の摂理で説明できないからこそ魔法なのだと言われればそれまでだが、医者の自分からしてみれば、この光で自分の瘢痕が少しずつ柔らかくなり小さくなっていく様は、この目で見ても信じられないものだった。


 30分ほどで施術を終えると、二人は薬草茶で一息つく。無言の間も心地よい。治療のはじめの頃に二人の間にあった妙なぎこちなさは、1年近くでさすがに消えていた。


 初めの三月ほどは、治療はなかなかに大変だった。施術は随分と体力を使うものと見え、治療中にルーカスの額に脂汗が浮かび、顔色が真っ青になりアンナは心配になったものだ。手のひらからの光も、不安定だった。徐々に光が安定してきて、はっきりと治療効果が表れ出したのは、半年ほど経ってからのことだ。


 経過を確認してもらいにひと月ごとに訪れるあの菓子店で、アンナの指をためすがめつしてから、ナギは初めて微笑んだ。


「怖くなくなったか」


 笑いを含んだ問いに、なぜかルーカスはぐっと詰まる。


「君は、いい魔術師になりそうだがな」

 

 ルーカスは黙って微笑み返す。

 やり取りの詳細な背景は分からなかったが、これはもしかしたら、ルーカスの治療でもあるのかもしれない、アンナはうっすらと理解する。



「あとひと月で、治療は終了でいいだろう」


 ナギからその言葉をもらったのは、ナギの最初の治療からちょうど1年後のことだった。


 最後の治療の日。ルーカスは、いつもより遅い時間に診療所に現れた。

 アンナが診察室に入ると、ルーカスは自分の右の掌に火の玉を浮かべ、それをぼんやりと眺めていた。

 火の玉などになじみのないアンナは心底ぎょっとする。魔術を扱う人たちと過ごす日常は、時々唐突に心臓に悪い。

 ルーカスは我に返ったように振り向くと、右手を握り火球を潰す。しばらくしてもう一度開いた掌には、穏やかな橙色の光がある。

 アンナはその掌の上に左手をかざす。もう、指の傷痕きずあとはほとんど分からなくなっていた。

 しばらく同じ姿勢で施術が続く。ふいに、ルーカスの右手が丸められ、彼の指がアンナの指に触れた。初めての感触に、アンナはびくりとする。ルーカスははっとしたように掌を開き、顔をゆがめた。


「すまない、……考え事をしていた」


 弱まっていた掌の光が強くなる。そのまま10分ほどで、二人は無言で治療を終えた。




 いつものように薬草茶を飲み、二人は同時に息を吐く。微笑んでから、ルーカスが静かな声で切り出した。


「アンナ。今日で、傷の治療は終わりだね」


 なぜかアンナの胸の奥が泡立つ。


「ここしばらく、考えていたんだ。……自由について」


 またそれだ。アンナの胸の奥のざわつきがひどくなる。


「君の傷がなくなることで、私も君も、自由になる。自由になって、私と君は、まっすぐ向き合える。少し前まで、私はそう信じていた」


 ルーカスの瞳の奥には、くらい光がある。アンナの見たことのない光だ。


「しかし、君の自由は、多分私のものとは少し違う」


 彼の口調は淡々としていたが、その瞳は苦し気にゆがんでいた。彼はそのことに気づいていない。


「君は美しい。傷があったときから、それは変わらない。でも、傷がなくなって、君の可能性は飛躍的に開いた。私の存在は、君の自由を妨げている。……私は、君を真に自由にするよ。仕事場に押しかけたりも、もうしない」


 ルーカスが正面からアンナを見る。すべてを押し殺したような、無表情だった。


「これまで、ありがとう」

 



 アンナの胸がきしむ。きりきりきり。これは、何の病気の症状なのだろう。

 ルーカスが静かに立ち上がる。机に置かれた彼の右手の袖を、とっさにアンナの左手がつかんだ。

 ルーカスの目が見開かれる。


「アンナ?」

「……行かないで」


 か細いつぶやき。

 伏せられて顔の見えない彼女の、真っ赤な耳から首筋までを目にして、ルーカスの顔には信じがたいという色が浮かぶ。その後、その口元にゆっくりと微笑が浮き上がる。


「アンナ。……こっちを向いて」


 ささやくような甘い声に、アンナはますます下を向く。

 腰を下ろしたルーカスの右手の指が、アンナの左手の指に絡む。ルーカスの左手が、優しくアンナの頬に触れる。

 暮れかけた秋の日が、診察室を薄赤く染めている。


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