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魔術師学校異聞録  作者:
第2話 埋火
4/18

 「退学勧奨。……穏やかじゃないな」


 ケイン教官は顔をしかめた。


「君がそんなこと言いだすの、初めてだよね」


 彼の前には、硬い表情をした、1・2年生の実技指導担当のメイ教官がいる。

 はちみつ色の髪、温厚な性格のこの教官は、毎年、レベルの揃わない新入生たちに、辛抱強く基礎実技を教えている。丁寧で的確な指導には定評があり、3・4年生の実技指導担当のケイン教官としては、頼もしい相棒だ。

 彼女が生徒の指導を投げ出すところを、これまでケイン教官は見たことがなかった。


「……これ以上は危険ではないかと判断しました。最終判断は、ケイン様と校長にお任せします」


 問題の生徒の入学前の身上書、これまでの指導記録を手渡され、簡単に経緯を説明される。ケイン教官の眉間のしわが深くなる。




 問題の生徒、ルーカスの名はケイン教官にも聞き覚えがあった。

 入学可能年齢は12歳以上、という比較的年齢規制の緩い魔術師学校であるが、基本的に入学できるのは生来魔力の備わった者のみで、学生の年齢は低い傾向にある。その中で、ルーカスの入学年齢は23歳と、かなり高齢の部類だった。一度一般の高等学府で学位を修めており、博物館の研究員としての仕事も決まっていた。それを蹴って、魔術師学校に入学したという、異例な経歴の持ち主だった。

 ケイン教官が休憩時間などで見たところでは、彼の振る舞いは非常に穏やかで、かなり年下の同級生たちにも、慕われているように見える。素行の問題の報告もなかった。



 「ルーカス・イワニカ君だね」


 問題の生徒を実習室に呼び出し、ケイン教官は口を開いた。目の前には、理知的な灰色の瞳が穏やかに輝く、整った容貌の青年がいる。バランスの取れた彫像のような体つきは、何かしらの鍛錬を行ってきたことをうかがわせた。

 彼の瞳には、覚悟を決めた色がある。


「君の、属性は」

「私の属性は、『火』です」

「基本実技を見せてもらおう」


 ルーカスが右手を開く。その掌の上に浮かんだのは、水球だった。


「……ルーカス。火球を見せてもらおうか」


 ケイン教官の言葉に、一度右手を握って水球を潰し、ルーカスは深く息を吸った。

 もう一度右手を開くと、その上にはこぶし大の火球が浮かぶ。

 ケイン教官はルーカスの顔をじっと見る。その額に、じんわりと汗が浮かんでくるのが見て取れた。呼吸が浅く速くなる。


(まずい)


「ルーカス、中止だ」


 声をかけたが一瞬遅かった。

 ルーカスは片膝をつき、胸に手を当てひゅうひゅうと呼吸を繰り返す。その顔色は蒼白だ。ケイン教官は急いで駆け寄り、術で出した膜の袋の中で呼吸をさせる。

 しばらくして呼吸が落ち着くと、ルーカスはがくりと肩を落とした。

 ケイン教官も事実を告げざるを得ない。


「ルーカス・イワニカ。君は、属性が火であるにもかかわらず、火の魔術を扱うことができない。……間違いないね」

 

ルーカスは黙ってうなずいた。



 ルーカスの生家、イワニカ家は、魔術の名家の一つである。魔術師筆頭2家には及ばないものの、これまで幾多の王宮魔術師を輩出してきた。

 ルーカス自身も、ふんだんに魔術の才を持って生を受けた。イワニカ家を継ぐはずであった彼の人生が変わったのは、9歳の時のことだった。

 その日、両親は留守だった。ルーカスは、一人で庭で遊んでいた。秋の終わり、庭にはうずたかく枯葉が積まれていた。出来心で、彼はその枯葉の山へ、自分の掌で作った火球を投げた。自分の魔法の火が、どのくらいの物を燃やせるのか試してみたかったのだ。枯葉の山は爆発するように燃え上がり、瞬時に竜巻のように炎が巻き上がった。ルーカスは、呆然と火柱を見上げていた。

 突然、塀を隔てた通りから悲鳴が上がった。


「アンナ!!」


 女性の叫び声。

 屋敷から使用人が駆け付け、枯葉の炎が消し止められるまで、ルーカスは一歩も動くことができなかった。

 ルーカスに怪我はなかったが、塀の向こうの通りを歩いていた少女が、軽い火傷を負ったと聞いた。ルーカスは、それ以来火の魔術を行うことはできなくなった。イワニカ家の後継者は弟となり、ルーカスは学業の道を選んだ。

 


「もちろん、自分の属性とは違う魔術も、行うことはできる」


 ケイン教官の掌の上に、水球が浮かぶ。


「術の威力、正確性、多様性。簡単に言えば、魔術としての質が落ちるだけで、できなくはない」


 教官の掌から放たれた水球がわずかも進まないうちに、かまいたちがその水球をすっぱりと切断する。


「僕の属性は、風だ。僕がどれほどの力を込めて水球を放っても、指先ひとつで放った風の刃には及びもしない。君がやろうとしていることは、どれほどの困難な道か、分かるかい」


 ルーカスは黙ってうなずく。


「メイ教官の報告書を読ませてもらった。君は、火の魔術の実技授業中に、これまで3度倒れている。自分の手技だけでなく、同級生の展開した炎の防御壁を見ただけで、さっきのようにパニックになった。……間違いないかな」


 ルーカスの顔が歪む。


「少しでも魔術を学んだ者として、君が進むべき道は何か、自分でわかるだろう」

 ケイン教官の胸は痛む。詳しい事情は分からないが、彼がどれほどの覚悟をして、一度離れた魔術を修めるためにこの学校へやって来たかは想像できる。しかし、魔術師学校の教官としては、非情な決断を下さざるを得ない。


「3日後までに、結論を出してほしい」


 背を向けて立ち去ろうとする教官の背中に、決然とした声がかかった。


「それでも、私は辞めません。この不甲斐なさを、……克服して見せます」


 ケイン教官の足が止まる。


「根性あるな。だが、多分このまま続けると、事態はもっと悪くなる」


 振り向いて告げるが、ルーカスの表情は変わらない。彼の引き結んだ唇が微かに震えているのを、ケイン教官はじっと見やる。


(これだけ怜悧そうな青年だ。このまま続ければ自分が壊れることを、分かっていて続けようとしている)


 ケイン教官はため息をつく。


「そこまで言うのは、事情があるんだろ。話せるかい」


 ルーカスはかすかに頷く。ケイン教官は、防音結界のある個室へルーカスをいざなった。



「先生。お客様です」


 客?アンナは顔を上げる。手早く手を洗うと部屋を出た。


「お待たせしました。……どちら様?」


 待合室に佇んでいる人影は、アンナには見覚えのないものだった。

 長身で均整の取れた体。きっちりと撫でつけられた髪に、仕立ての良い上着。どう見てもこの界隈には似つかわしくない、上流階級の匂いがプンプンとしている。

 灰色の瞳の整った顔立ちの男は、アンナを見て意表を突かれたような顔をした。


「……アンナ・ハンターさんは貴方でよろしいか」

「ええ、そうですけど。……何がご所望ですか」


 男の顔色は悪くない。ここに用事があるようには見えなかった。


「あ、もしかして……強壮剤? 今はストックがないんだけれど」


 口走ってから、失礼だったかもと顔をしかめる。

 男はかすかに首を傾げた。意味が分からなかったようだ。


「先生……」


 笑いをこらえた看護婦の声。

 でも、そうでないのなら、この健康そのものに見える男が、自分の診療所にやってくる意味が分からない。

 男はしばらく逡巡していたが、意を決したように口を開いた。


「私は、ルーカス・イワニカ。アンナ・ハンターさん。……私と、結婚していただきたい」


 その場の全員の口がポカンと開いた。



 それから半月。アンナは、男の生家、イワニカ家の避暑地の別荘にいた。

 避暑地の湿原はきれいに晴れあがり、心地よい風が吹いている。

 湿原には板張りの遊歩道が延々と続いている。遠くに雪を抱いた山々が見え、その手前、見渡す限りの色とりどりの平らな大地の美しさに、アンナは思わず息をつく。


「疲れたかい」


 柔らかい声で、先を歩いていたルーカスが振り向いた。灰色の瞳に優しくのぞき込まれ、アンナはどぎまぎと答える。


「いえ。……なんてきれいなんだろうと思って」

「本当だな。風が心地いいね」


 ルーカスが目を細める。彼女より頭一つ高いその端正な横顔に、アンナはつい見とれる。

 くるりと向き直られ、アンナは目をそらした。


「……あの先の、木陰のベンチまで行って、昼食にしようか」


 ルーカスの左手にはバスケットがある。歩き出す長身の背中を眺めながら、アンナはため息をつく。どうして、自分がここに、この人の隣にいるのだろう。

 木陰のベンチで広げられたサンドイッチは、目を疑う豪華なものだった。

 ふと目を上げると、ルーカスの肩に小さなクモが止まっている。

 ひょいとつまみ上げると、ルーカスの目が見開いた。


「それは、な、な……」


 ずざざざ、と音がしそうなほど身を引いて、顔を強張らせる様子に思わず頬が緩む。

 虫も触れないとか。この人は、本当に生粋のお坊ちゃんなのだ。



 下町の診療所で医師として働くアンナの元に、頓珍漢な申し出を引っ提げてこの人、ルーカス・イワニカが突然やって来た時には、詰めの甘すぎる詐欺かと思ったものだ。自分の実家から連絡があり、相手が10年来の許嫁いいなずけだと言われた時には、冗談ではなく顎が外れそうになった。

 13年前、ルーカスとアンナが9歳の時、アンナは道を歩いていて、飛んできた火の粉で火傷を負った。運悪く着ていた服が燃えやすい素材だったのか、火の回りが早く、火傷は背中から左腕にかけて、かなり広い範囲に及び、一時は命が危ぶまれた。町中まちなかの病院では手に負えず、アンナは王宮の医務所に運ばれた。火元が魔術の名家、イワニカ家であったこともあったのか、破格の対応だった。

 そして、傷の残った彼女に、イワニカ家から、将来傷が結婚の障害となる場合、イワニカ家の男児と結婚させるとの申し出があったという。貴族の口約束。アンナの家族は誰もその申し出を本気にはしていなかったし、アンナには伝えられもしなかった。



 13年後、22歳で独身であったアンナの元に、突然ルーカスが現れた。女独りで生きていくために、死ぬ気で勉強して医師となったアンナには、彼の申し出を受けるいわれはなかったが、何度断っても彼は診療所に通ってきた。美しい大の男が何度もしょんぼりと帰っていく姿に、アンナはだんだん気の毒になって来た。

 とりあえず、彼の気が済むまで少し付き合ってあげようか。そう思ったのは、手袋をはずした自分の左手を見た彼の苦しそうな瞳に気づいた時だった。あまり詳しい話を聞いてはいなかったが、彼があの事件の原因だったのだろう。そして、今でもそれを気に病んでいる。

 夏休みの気晴らしもかねて、アンナはルーカスの避暑地の別荘への誘いを受けた。

 避暑地の日々は意外なくらい楽しかった。

 下町育ちで、娘時代をほとんど勉強に捧げたアンナにとって、避暑地の手入れの行き届いた自然は新鮮だった。幹も枝ぶりも美しいミズナラ、カラマツの林。湿原の花々。

 そして、満天の星。

 読書以外にすることがないから、という言い訳付きで案内された恐ろしい数の蔵書の図書室。ルーカスと二人で朝から夕方まで読書に没頭し、執事に呆れられた日も数知れなかった。

 休みが明けたら博物館の研究員に就職するというルーカスとの会話は知的で楽しいものだった。

 気の休まる暇のない日常から離れ、アンナは休暇を満喫していた。



 ひと月の休暇の終わり、明日で都に帰るという日、二人でミズナラの林を歩いているときに、足を止めたルーカスは真剣なまなざしでアンナに告げた。


「アンナ。私と、結婚してほしい」


 アンナは、木漏れ日に彩られた、彼の整った顔を眺める。

 彼が優しく誠実で、良い人であることは良く分かった。博識で頭の回転も速く、会話はとても楽しい。彼と結婚する人は、きっと幸せになれるだろう。アンナは微笑んで答える。


「ルーカス。あなたは、素晴らしい人です」


 彼の輝く瞳をのぞき込み、言葉をつなぐ。


「13年前の出来事で、あなたは自分の過ちを許せずにいるのかもしれないけれど、私の中では済んだことよ。私の人生は、私が作って行くもの。あなたが背負い込む必要はないのよ」


 彼の表情が強張っていくのを眺めながら、静かに言葉をつなぐ。


「負い目から結婚を決めるのは、お互いにとって不幸なことよ。……ルーカス、もう、自由になってください。私のためにも」


 言葉を失う彼を残して、アンナは日が降り注ぐ林の外へ歩み出した。


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