表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔術師学校異聞録  作者:
第1話 モグラと歌姫
3/18

 内から切り裂かれた傷は、思ったよりも治りが遅い。怪我から1か月、見た目にはほぼ傷跡は無くなったが、身の内の重怠さは呪いのように残っている。

 医務所の病室のベッドの上で、テオは薬湯を飲み干し息をついた。

 病室の扉が開く。

 目を向けると、そこにはニーナが立っていた。驚きでテオの顔はこわばる。


「テオ。傷は、もういいの」


 心なしか硬い表情で、ニーナはテオのベッドの傍らの椅子に腰かける。顔を合わせるのは、ひと月前、自分が戦いの後ここで初めに目を覚ました時以来だ。あの時、彼女は泣いていた。


「……ほとんど治ったよ。もう何ともない」


 掛け布団に目を落とし、ぼそぼそとテオはつぶやいた。ニーナの膝の上の、かわいらしい手が握りしめられるのが見える。


「テオ、ごめんね。ひどいことを言って」


 涙交じりの声に、驚いてニーナの顔を見る。


「私のこと、助けに来てくれて、ありがとう」


 テオは目を閉じる。


「……ニーナ。もうここには来なくていいよ」


 テオの言葉に、ニーナの動きが止まる。


「俺たちは、もう会う必要はない」


 テオが目を開くと、凍り付いていたニーナの顔に、苦しそうな笑顔が浮かんだ。


「……分かった。押しかけて、ごめんね」


 ニーナが立ち上がろうとしたとき、呆れた声がかかった。




「いやちょっと待て、青少年。コミュニケーション不足が極まってるぞ」


 赤毛のケイン教官が、開いた扉にもたれて佇んでいる。


「立ち聞きなんて趣味が悪いが、たまたまだから許してくれ。テオ、さすがに言葉が足りないぞ」


 その言葉に、テオはこっそりと唇をかむ。


「ニーナさんに、後ろめたいことがあるんだろ」


 教官の言葉に、テオはしばらく逡巡してから顔を上げ、意を決して話し出す。


「俺は、ニーナが白煉瓦亭に勤め出してから、ずっと近くで、様子をうかがっていた。俺の魔術の能力は、地面を通してどんな物音も聞き分けられるものだ。君の知らないところで、俺は君の生活を、覗いていた」


 予想もしない告白に、ニーナの表情が固まる。


「どうしてそんなことしたか、説明しないとただの変態だろ」


 再び、ケイン教官の呆れた声。


「……あいつ、地の精霊から、君を守るためだった」


 ニーナの目がもっと大きく見開かれる。



 テオが初めて地の精霊と接触したのは、幼いニーナがあの歌を歌った、7つの時だった。その時、()()()と戦い退けて、テオは自分には特別な力があると分かった。それから、自分なりにその力を研究した。生来のものと言われていた耳の良さも、特別な力と関係があるらしかった。右手で地に触れると、どこまでも遠くの声や音、物の振動が聞き取れた。

 自分の中の特別な力が、魔力と言われるものであると知ったのは11の時だ。異様に耳がいい子供の話に興味を持った占い婆が、魔術師とのつなぎを取ってくれた。テオにとって、力をつけられるならばこれほどありがたい話はなかった。魔術師に弟子入りし、半年の勉強で入学試験を突破して、テオは魔術師学校の生徒になった。

 7歳の出来事以降、ニーナの周りに()()()の気配を感じることはなかったが、テオには、いつか現れると分かっていた。


 ニーナが踊り子を目指している。その話を母から聞いて、テオの胸はざわついた。()()()が、ニーナの声に引き付けられているのは分かっていた。彼女の声には、特別な力がある。もしも、歌い手として、彼女が歌い始めてしまったら。 

 ニーナが白煉瓦亭に入ってから、テオは東の通りに通い詰めた。通りの端の、立ち飲みの安い店で軽く壁に触れながら、彼女が白煉瓦亭で働いている時間を過ごす。

 彼女に知られたら、疎まれるであろうことは明白だった。自分でも、自分の行動は気味が悪いと思う。でも、()()()は必ず現れる。音楽と近い場所にニーナがいる今、できるだけ近くで見守るしかなかった。

 その頃から、ニーナの周りにたちの良くない精霊が時々現れるようになった。()()()の手下なのは明らかだった。

 テオは、精霊を目で見ることができない。新入生のころから、散々修業したが、無理だった。精霊や悪霊の姿を捉えるには、地に手を付けて、耳を澄ませる。常に魔力を必要とし、彼女の周りを見守るだけで、彼の魔力はすり減った。学校の成績は落ちて行った。魔力が足りなくて練習不足。当然だった。



「それで、あの時、私を西の森に助けにきてくれたのね」


 ニーナがつぶやく。


「……間に合わなかった。一番大事な時に」


 3か月前、とうとうニーナを歌い手にしようという人間が現れた。何とかして邪魔をしなければならなかったが、ニーナのあまりに幸せそうな様子に、テオは二の足を踏んだ。自分が全力で守ってやれば、彼女は歌い続けられるかもしれない。テオは、学校を落第したら魔術師になるのはあきらめて、見えないように彼女の近くに居続けようと決心した。

 だがその人間は()()()の手先だった。テオの限られた魔術では、それを読み取ることはできなかった。あの日、西の森の手前でテオはニーナの音を見失った。必死に痕跡を追い、たどり着いたときには、彼女は地底に取り込まれる寸前だった。


「……助けきれなかった。怖い思いも、痛い思いも、たくさんしたろう。結局、君を助けたのは、リアさんだ」


 あの日、追跡に長けた黒犬の姿の雷獣と、浄化の炎を操る火トカゲの姿の炎獣を従えて、ニーナを救ってくれたのは、リア・ユシュツカという王宮の高位魔術師だった。魔術師学校でも伝説と化している、王国でも五指に入る凄腕の魔術師だ。


「俺は結局、役立たずのモグラのままなんだ。君に付きまとって嫌な思いをさせて、肝心なところでは守り切ることもできない。君のそばにいる、資格はないんだ」


 テオの告白は、血を吐くような声で彼の胸から吐き出された。




 突然、ニーナの両手が、テオの傷の残る左手を取った。テオの全身が固まる。


「テオ。あなたの魔術、痛いんでしょう」


 戸惑いながら目をやると、ニーナの薄紫の瞳には、涙がたまっている。


「ケイン先生から聞いたわ。あなたの魔術は、自分が傷つけられないと、使えないものだと」


 攻撃中和の魔術のことか。テオは一拍遅れて理解する。

 テオの二つ目の特殊能力、攻撃中和とは、相手の魔術攻撃を身の内に取り込み、中和する拮抗魔術を即時に作成し、無効化するという能力だった。魔術攻撃には無数のパターンがあるが、テオはその全てに拮抗する魔術を身の内で作り出すことができる。魔術医療、防御魔術の分野では、その発展にこの能力を持つ魔術師の貢献が不可欠だ。彼の血液は、一滴で千金に値する。

 ただし、取り込むと言っても攻撃を受ければ、通常と同等の痛みを伴う。また、拮抗魔術を作成するには、相応の魔力が必要となる。自分の魔力に比較し強大過ぎる攻撃を取り込んだ場合、中和しきれずにダメージを負う。

 あの日のテオは、地の精霊の帳に捕らわれた後、その攻撃を身の内に取り込み、中和しきれずに身の内から裂けた。心の臓や、中心の大血管が裂けなかったのは、偶然の僥倖であったと思う。ほとんど意識を失いながら、彼は最後の力で、魔術師学校への転移魔術を発動させた。


「ずっと、私を守ってくれている間、痛い思いをしていたんでしょう」


 それは。

 テオは戸惑いながら考える。自分の限られた能力で戦うには、避けて通れない痛みだ。その程度で精霊や悪霊たちが葬れるのであれば、わけもない。確かに、何度かニーナの周りに現れた地の精霊の使い魔と戦っては来たが、テオの中でそれは当然の痛みだった。


「ずっとずっと、痛い思いをして私を守ってくれて、ありがとう」


 予想外のニーナの言葉に、テオは身動きもできない。

 テオの傷だらけの左手に、ニーナの唇が押し当てられる。彼女の双眸からこぼれる涙が、彼の左手を濡らす。知らずに、テオの顔にも涙が伝っていた。

 あの、痛み。

 それを、分かってくれる人がいる。


「テオ。これからも、私のそばにいてくれる?」


 のぞき込まれた薄紫の瞳に、テオは呆然と見惚れている。

 ケイン教官は、静かに病室の扉から歩み去る。


 秋の重たい午後の日差しが、初めて重なる二人の唇を、柔らかく照らしている。




「落ち着いたかな。俺から少し、話をさせてもらうよ」


 しばらくして病室に戻って来たケイン教官は、ニーナの隣に座り話し始めた。


「まず、ニーナさん」


 彼女の前に、不思議な色を放つ石のついたネックレスが差し出される。


「これは、魔力から身を守る魔石だ。これを、身に着けていてほしい。君の声には、良いものも悪いものも、引き付ける力がある。特に、呪歌を歌う時には、強烈な引力が生まれるようだ。この石は、その引力を吸い取ってくれる」

「呪歌」


 ニーナは首をかしげる。


「君の能力は、魔術学的には、『魔声』という。魔声は、それぞれの声に、その特性を最大限に引き出す旋律、『呪歌』が存在する。君の場合は、西の森で最後に歌った、あの歌だ」


 あの、おばあちゃんの歌。

 ニーナは思い当たりテオを見つめる。


「そう、だからテオは、君にあの歌を歌わないように言ったんだ」


 テオは目を伏せている。


「それから、西の森のあの場所には、近づかないでほしい。あそこが地の精霊の巣の出口なんだ。あの広場には、魔力を増幅する作用が働いている。あそこで君が声を出すと、いつもの何倍もの引力が働く。精霊の魔力も増幅される。恒久結界を張ってはあるが、万一の事故は避けたい」


 ニーナはうなずいた。



「テオ。君は、お説教だ」


 赤毛のケイン教官の声は柔らかい。


「君は、とにかく言葉が足りなすぎる。ニーナさんに呪歌を歌わないように頼んだ時も、誤解を生んだ。今回の地の精霊との因縁も、もっと早く相談してくれていれば、俺たち教官や王宮魔術師が、手を貸すことができたんだぞ」


 ケイン教官の手が、テオの頭をポンと叩く。


「もっと他人を信じるんだ」


 テオの目が上がる。


「でも、俺の師匠には、地の精霊の話を最初にしたけど相手にしてもらえなかったです」

「うーん……?」


 ケインの目が虚空を見る。


「……言いたかないけど、そのお師匠さん、ポンコツだな」


 自分の技量で見えないものを、無いものとする人間は一定数存在する。テオの不幸は、初めにそのタイプの魔術師と当たってしまったことだろう。


「それは、大人を代表して、謝るよ。地の精霊の動きを追うのは、腕の良い魔術師でも難しいんだ。そいつを捕まえて戦うなんてのは、尚更さ。7つの子供がそんなことをした、という話は、信じない魔術師がいても、おかしくない」


 ケインはがりがりと頭をかいた。




「さて、テオ。少し、練習だ」


 ニーナとテオを見比べながら、ケイン教官はニヤリとする。


「テオ。お前、ニーナさんの踊り子デビューの日、見に行ったんだろ。どうだった」


 テオの目がまたたく。

 あの日のテオの視線を思い出し、ニーナは胸が苦しくなる。


「ケイン先生、そのことはもう」

「……とても綺麗でした」


 ニーナの言葉をさえぎって、テオはぽつぽつと言葉を紡ぐ。


「俺、どうしてもニーナの周りに、悪い精霊がいないか見極めなくちゃって、初めはそればっかりでニーナの踊りを見ていたけど、途中から、ニーナがまぶしすぎて、見とれていました」


 ニーナの顔が真っ赤になる。


「ニーナの歌声も、とても綺麗です。世界一だと思う。危ないから、あまり歌っては欲しくないけど、本当は毎日、聞いていたい」


 テオは表情を変えずにニーナを見つめている。

 ニーナはさらに顔を真っ赤にして、目には涙をためている。



(テオ。……こいつ、天性の女たらしの素質があるな)


 ケイン教官は目を細めて、無口で物静かな教え子の横顔を眺めた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ