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魔術師学校異聞録  作者:
第1話 モグラと歌姫
2/18

 店で初めて踊り子として舞台に立った日、客席に黒髪の幼馴染の姿を見つけて、ニーナはギクリとした。


(どうして、よりによってこんな日に)


 テオは、3年前に彼女の前から姿を消していた。何かの職人の学校に行くことになったらしいと、ニーナは母親伝手に聞いていた。幼馴染ではあったけれど、読み書きを習いに町の学校に行く齢になるころには、二人は遊ぶこともなくなっていた。

 酒場の客席で、一人だけ幼さを残した姿の彼は、ひどく浮いていた。まだ17歳。酒を飲むのもぎりぎりの年齢だ。

 ニーナの脳裏に、どうしても、歌をけなされたあの日のことが浮かぶ。何とか忘れて踊り子としてやっていきたいと、決心して臨んだ初舞台なのに。

 テオは、ほとんど身じろぎもせずひたすらニーナの姿を眺めている。その目はわずかに眇められ、感動や興奮とは程遠い。自分の踊りに没頭しようとすればするほど、その目が気になりニーナの動きは固くなる。


(ひどい出来だった)


 新人には甘い白煉瓦亭では、姐さんも店主もニーナに何かを言うことはなかったけれど、舞台をはけた後、自分の不甲斐なさにニーナの目には涙がにじんだ。


「どうして来たの。踊りなんて、興味ないでしょう」


 舞台終わりの挨拶回り、最後に回ったテーブルで、思わず冷たい声音でニーナは幼馴染に声をかけた。

 テオはほとんど表情を動かさず、ニーナを見上げる。


「……歌わないか心配で来た」


 その言葉に、ニーナは思わずカッとする。


「あんたが、あたしに歌うなって言ったんでしょう。あたしは今でも、震えて人前じゃ歌えない。そんな目で見ないでよ。今度は踊りまで、ダメにしようっていうの。……二度と来ないで」


 周りに聞こえないように、小声で素早くささやくと、さすがにテオの瞳には傷ついた色が走る。

 せっかく来てくれたのに、言い過ぎたかな。ちらりとニーナの胸には後悔がよぎる。でも、あの検分するようなまなざしの前で、また踊ることは耐えられない。黙ってニーナは踵を返し、控室へと駆け戻る。

 それから彼は、店には二度と姿を見せなかった。



 ニーナが踊り子として初舞台を踏んで半年、流しの弾き手のアスカが店にやってきて3か月が経った頃、ニーナは、歌い手として舞台に立つことが決まった。


「初舞台を踏む前に、ゲン担ぎで行く場所があるんだ。君も、来ないかい」


 はしばみ色の瞳を細めて、アスカはニーナを誘い出した。


「この場所は、不思議に音が響くんだよ。ここでのイメージを舞台に持っていければ、うまくいくことは間違いない」


 連れていかれたのは、西の森、と呼ばれる、王都の西に広がる広大な森林の入り口近くだった。森の中にぽっかりと開いた広場のような場所に、不規則に円を描いて、大きな石が並んでいる。


「真ん中に立ってみて」


 いわれるがままに中央に立つと、そよそよと風が吹き抜け、森の良い香りがした。


「落ち着くだろう。そこで歌うと、声の響きがとてもいい。精霊に祝福された場所だと言われているんだ」


 静かにアスカの弦が鳴り始める。今夜初めに歌う予定の曲。深く息を吐いてから吸い込み、ニーナは歌い始める。初めてアスカの伴奏で歌った日と同じ、ぞくぞくとした快感が背筋を突き抜ける。レモン色の光が、閉じた視界いっぱいに広がり出す。

 数曲、今日歌う予定の曲が続いた後、ふいに始まったその曲に、ニーナはぎくりと身を強張らせた。それは、昔、幼馴染のテオに歌うなと言われた曲だった。

 振り向くと、アスカは柔らかく微笑んでニーナを促す。幼いころの祖母の声がよみがえり、ニーナの唇は知らずにメロディーを追い始めていた。


 

 その時。

 ふいに、視界の端に黒いものが映った。

 並んだ巨石の一つの影が、徐々に這い上がるように広がっていく。目を移すと、いつの間にか巨石に囲まれた円上に、黒い影がゆらゆらと立ち昇っている。

 ニーナは目を見開いた。逃げなければ、と本能が告げるが、しびれたように体は動かず、自分の口から、勝手に歌は紡がれ続ける。

 黒い影は、這い上り徐々にニーナの頭上までを覆いつくし、ニーナの視界は薄暗くなる。ふいにその影のドームの天井が、竜巻のようにうねりニーナの口元に襲い掛かった。


「ぐっ」


 突然喉元に灼熱を感じ、ニーナはのけぞる。



 次の瞬間。

 ニーナを覆っていた黒い帳が切り裂かれた。


「左の方向に、まっすぐ逃げろ」


 聞き覚えのある声。

 振り返ると、そこには右手に漆黒の刃の短剣を持ったテオの姿があった。


「テオ」

「早く行け。振り返るな。全力で走るんだ」


 そのまま影の帳に躍りかかるテオの言葉に、弾かれたようにニーナは走り出す。

 帳を出て振り返ると、帳の中で片膝をついたテオの姿が見えた。

 駆け戻ろうとする彼女の腕を、何かが絡めとる。アスカの右手だった。


「行こう。逃げるんだ」


 そのままアスカに抱え上げられ遠ざかりながら、ニーナは影の帳が再び閉じるのを、ただ見つめていた。




 黒い影は、追ってはこないようだった。

 王都の門の内側まで駆け戻り、アスカとニーナは荒い息をつく。


「助けを呼ばないと。テオが、友達が」


 腕を捕えたままのアスカに向かい、ニーナは苦しい息の下で必死に言葉を紡ぐ。

 アスカの顔を見上げて、ニーナは恐怖にすくんだ。

 そこには、憎悪に歪みぎらぎらとした光を放つ、はしばみ色の瞳があった。


「あと一息だったのに」


 忌々しげにつぶやく。アスカの右手が、ぎりぎりとニーナの腕を締め上げる。


「アス、カ……?」


 ニーナの声に、アスカはふいに瞳をやわらげ、優しげな声で告げた。


「いいや、まだ終わりじゃないね。君の喉は生きている。あの小僧はもう、消されただろう。もう一度、彼の方にお前を捧げれば良い。……私と一緒においで」


 次の瞬間、ニーナの視界は暗転した。



 目覚めると、ニーナは白煉瓦亭の稽古場にいた。どこを拘束されているわけでもないが、手足は全く動かない。椅子に腰かけた姿勢のまま、目だけで部屋を見回すと、長身の影が目に入る。


「目が覚めたかい。声を出してごらん」


 アスカのはしばみ色の瞳は、物を検分するようにニーナを見ている。その手が彼の楽器の弦をかき鳴らすと、ニーナの喉が勝手に音を紡ぎ出す。

 必死に抵抗しようとするが、頭を振ることさえできない。


「力を入れては声帯を傷める。馬鹿な子だ」


 ふいに興味を失ったように楽器から手を放し、アスカはつぶやく。


「もう一度慣らすのも面倒だ。喉をつぶしても良いから、今晩中に片をつけよう」


 アスカのぎらぎらした瞳がニーナに向けられる。


「今晩もう一度、西の森に行く。お前は、地の精霊のにえになるんだ。彼の方は、私に力を授けてくださった。お前を捧げれば、さらなる力を約束してくださっている。……怯えなくても、取って食われたりはしない。お前の声に、彼の方は魅入られているんだよ。喉さえ無事なら、お前はずっと、生き続けられるだろう。今晩私が歌わせるときには、喉の力を抜いておくことだ」



 その時ふいに、稽古場の扉が開いた。

 アスカが驚いたように振り向く。そこには、動物と小柄な人影があった。


「なん、だ。どうして。結界はどうなった」


 黒い犬と一緒に立っている小柄な人影は、年若い女性だった。彼女の背後には、ごうごうと炎を燃やす、トカゲのような生き物が浮いている。


「女の子になんてことを」


 とび色の瞳に茶色の髪、小柄な女性が厳しい声で叫んだ。

 瞬間、アスカの身体を灼熱の炎が襲う。あまりの熱量にニーナは思わず目を閉じる。ほんの一刻で熱は完全に消え去り、目を開けるとそこには、横たわるアスカの姿がある。

 ばらばらと足音がし、数人の黒ずくめの男たちが姿を現した。アスカを拘束し、素早く運び去っていく。

 小柄な女性が、ニーナの顔を覗き込んだ。


「少しじっとしていて。痛くはないから」


 優しく手が添えられると、まず喉、そして四肢のこわばりが溶けるように消えていく。


「怖かったでしょう。もう大丈夫よ」


 その言葉に、ニーナはもう一度目を閉じる。



 誰かが左手を握った。

 目を開けると、見慣れない景色にテオは目を瞬く。ゆっくりと左を見ると、そこに予想外の顔を発見し、ぎょっとして飛びのこうとする。瞬間、全身を貫く激痛に呻いた。


「動いちゃだめだよ」


 ベッドの隣に座りテオの手を握るニーナの背中越しに、ケイン教官の声がする。


「やっとヤマを越えたところだ。傷はこれから、数日がかりで治す。君の中和の力が強すぎるんだよ、すまないね」

「……ここは」

「王宮の医務所さ。無意識だったろうが、学校に帰ってきたのは本当にいい判断だったね。あと数刻遅れていたら、助からなかった」


 ケイン教官の言葉をぼんやりと聞きながら、テオはニーナの顔を眺める。これは、夢だろうか。


「……ニーナ」


 つぶやくと、彼女の薄紫の双眸から、大粒の涙があふれた。


「テオ」


 拭ってやりたいのに、手を動かすこともできない。


「無事で、良かった」


 彼女の顔を眺め続けていたいのに、抗いがたい眠気にテオの瞼が下がる。そのまま、テオは再び深い眠りについた。



 まどろみの中、いつもの夢を見ていた。

 彼女があの歌を歌った日の夢だ。ぞわぞわと、足元に何かがうごめく感触がする。彼女に歌い続けさせてはいけない。テオは必死に手を伸ばす。彼女の、傷ついた顔。

 何かが二人の周りを這いまわっている。でも、自分には見ることができない。彼女が走り去った後、歯を食いしばりテオは地面に手を付ける。何かが、彼の腕にかみついた。その傷から入り込んでくる冷たい気配を、テオは力を込めてひねりつける。バタバタと、這いまわっていたそれが暴れている。そのまま、力いっぱいにそれを地面に縫い留めた。

 そこで、目が覚めた。




「気が付いたかい。傷は、ほぼ治したよ」


 ケイン教官の穏やかな声。600人からの生徒が在籍する魔術師学校で、教師たちの実務を束ねる役職のこの人は、毎日自分の病室に通ってきてくれているらしい。


「……先生。ご迷惑を、すいません」

「そんなことはいいんだ。あの時、君の話、もう少しきちんと聞くべきだった。……俺は失敗ばかりだよ」


 ケイン教官の声は苦い。


「西の森の地の精霊は、地底深く潜って俺達でも討伐は難しい。とりあえず、ヤツの巣の出口に恒久結界を張って封じる方針になった。王宮魔術師全員の名に誓って、今後ニーナさんには近寄らせないから、安心していい」


 きっぱりとした教官の声に、テオの胸に安堵が広がる。


「それにしても、無茶したな。何年、あいつと一人で戦ってきたんだ」


 低い声でケイン教官は言う。俺でも怖いぞ、あんなやつ。つぶやきにテオは複雑な顔をする。



「テオに会ってやってくれるかな」


 ニーナが地の精霊に襲われてから1か月。かき入れ時に白煉瓦亭に現れた、赤毛のケイン教官は真剣な目でニーナを見つめた。

 ニーナはどきりとする。テオをひどい言葉でなじって店を追い出したのは、半年ほど前のことだ。ひと月前も、彼は自分をかばって命に関わる傷を負った。どんな顔をして彼と会えばよいのだろう。


「あいつは、なにやら君のことで気に病んでいるみたいなんだよ。傷の治りも遅い。余計なお世話かもしれないけど、君が嫌じゃなかったら、直接話をしてくれないか」


 俺たちじゃ、あいつの気持ちは楽にできなくてさ。ケイン教官の苦いつぶやき。

 ニーナは決心して頷いた。


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