前
魔術師学校の生徒が、重傷を負い王宮の医務所に運ばれた、という報せに、王宮勤務日だった魔術師学校主任教官のケインはすぐさま医務所に駆け付けた。
数人の医務所付きの魔術師に囲まれたベッドの上には、小柄な青年が横たわっている。状態が良くないことは一目でわかった。
魔術師学校4年生のテオだ。
「……ひどいな。何にやられたんだ」
「分からない。かなり毒の入った傷で、相手は人間ではないだろう。ほぼ意識のない状態で、魔術師学校の運動場に現れたところを発見された。結界内に逃げ込んできたところを見ると、追われている可能性もある」
魔術師学校は、基本的には生徒と関係者以外は入り込めない特殊結界が張り巡らされている。
「この生徒は、テオ。属性は土。探索と攻撃中和の特殊技能生だ。……多分、解毒が効きにくい」
ケインの説明に、テオの胸に手をかざしていたやや年かさのひょろりとした魔術師が軽くうなずく。
「道理で。解毒魔術と治癒魔術をかなり入れているが、麻痺が進んでいる」
彼の額には、汗がにじんでいる。
「一時的には、呼吸が止まるかもな。……頑張れよ、テオ!!」
その時うっすらとテオの目が開いた。何かを必死につぶやいている。
「何だ、どうしたテオ」
「……ニーナが、……西の、森」
西の森。いやな予感がケインの胸をよぎる。
「連れがいたのか。西の森にいるんだな」
テオはかすかに頷くと、糸が切れるように目を閉じる。
(西の森。広すぎる)
ケイン教官は、医務所を飛び出しながら唇をかむ。テオの傷からは、どす黒い怨念がにじみ出していた。
(悪霊か、あるいは地底の精霊。かなりの強さだ)
*
王都の東の通りの目覚めは遅い。気取りのない酒場が多いこの辺りでは、店はたいてい夕方に開く。
ニーナの踊る店「白煉瓦亭」は、その通りの真ん中にある。麦酒に合う肉料理と、踊り子が評判の店だ。 踊り子が酔客に身体を触らせたりして、小銭を稼ぐような店も多いけれど、「白煉瓦亭」は違う。踊り子たちはみな美しく、もちろん踊り上手、そして簡単には客になびかない気位の高さで売っている。
その男が店にやってきたのは、3か月前のことだった。踊りも音楽もこだわり抜く店長が、いつもは絶対に入れない流しの弾き手を稽古場に連れてきた。彼の瞳を見たとき、その昏い光にニーナはぞくりとした。
はしばみ色の瞳に、暗い茶色の髪。長身の、黒い服に身を包んだ男だった。
「今日からしばらく、バックで入ってもらう。まずは相性を見るために、弾いてもらうから全員即興で踊れ」
不思議な形の楽器の弦の上を彼の指が滑ると、踊り子たちの間には陶酔にも似た興奮が広がる。自然と彼女らの身体がうねり、たちまち稽古場は興奮のるつぼと化す。
旋律は、ほとんどがスタンダードの使いまわしだ。それを巧みにつなぎ重ね、独特のリズムで人を引き回す。考えるより先に身体が動く。経験したことのない興奮に、ニーナも我を忘れて身体をくねらせる。
ふいに音がやんだ。
踊り子たちは息を弾ませ、興奮冷めやらぬまま立ち尽くしている。
「……あの子が良い」
男が指し示したのは、ニーナだった。
「どうしてあたしを。姐さんたちに比べて、まだまだひよっこなのに」
初めて稽古場で二人になった時、ニーナは思わず尋ねた。自分は、給仕をしながら1年踊り子見習いをし、舞台に立つようになってから、まだ二月しかたっていない。店には、何年も花形を張る評判の踊り子がたくさんいる。
「……君には埋もれた才能がある。自分でも気づいていない、才能だ。それをこれから、開かせるんだよ」
はしばみ色の瞳を妖しくきらめかせて、男はニーナを見据える。裸にされそうなその視線に、ニーナの身の内が震える。その時、漆黒の瞳が頭をよぎった。
負けるもんか。唇をかみ腹に力を入れる。あたしは、これで生きていくって決めたんだ。
「お願いします」
ニーナの表情に、男の眼差しが緩んだ。静かに音が流れ出し、ニーナは無我夢中で踊り出す。
「声を出せ」
稽古を始めてから1週間が過ぎたころ、男は突然ニーナに言った。
ニーナはうつむく。本来この店では、踊り子という呼称でも歌い手を兼ねるものなのだが、ニーナにはそれができない。
ニーナは人前で歌えない。幼いころ、自分の歌声を幼馴染に手ひどくこき下ろされてからだ。
テオは、母親同士が親友で、3月違いで生まれた、ニーナの幼馴染だった。小さなころから小柄で、線が細く色白な男の子だった。この国では珍しい、漆黒の髪と目をしていた。
無口で物静かで、わがままを言うこともないテオは、ニーナのおままごとの格好の相手だった。他の男の子のように、荒っぽくぐいぐいと優しくしてくれることはなかったけれど、いつも穏やかなテオの言葉に、ニーナは温かい気持ちになった。
ニーナの歌を退屈せずに聞いてくれて、初めてほめてくれたのもテオだった。テオは異様に耳が良い。幼いころから、大人から気味悪がられるほどだった。そんなテオに歌声を褒められ、ニーナは有頂天になった。
でも、その関係は突然崩れた。
ある日、いつものようにニーナが広場でテオに歌を披露していた時だった。
「その歌は歌うな」
突然、口をふさがれニーナは目を見張る。右手でニーナの口をふさいだテオの顔はいつもの静かな表情ではなく、怒っているように見える。
「お前には、……向いてない」
冷たい声音に、ニーナの浮き立った心は冷やされる。
すぐに右手は外され、テオはくるりと背を向ける。
「どうしてよ。私の歌、好きって言ってくれたじゃない」
その後姿に涙声で問いかけるが、返事はない。
「その歌は、お前が歌っていい歌じゃない」
確かに、いつもの童謡とはレベルの違う歌だった。恋に破れた女の、切ない歌だ。歌詞の半分も意味が分からず、今のニーナでは、歌いこなせているとはとても言えない。それでも、聞くに堪えないとでもいうようなテオの口調に、ニーナはひどく傷ついた。
「どうしてそんなひどいこと言うの。私の、大切な歌よ」
おばあちゃんがよく口ずさんでいた歌だった。
「お前はもう、歌は歌うな」
テオは振り向かずに吐き捨てる。ニーナは泣きながら走り去った。
それからも、二人は時々一緒に遊んだけれど、ニーナは二度と彼の前で歌えなかった。いや、人前で歌うことはできなくなった。
それでもニーナは音楽が大好きで、どうしても離れられなかった。踊り手になったのは、そのためだ。
「……歌は、向いていないと言われて」
「君の声は美しいよ。普段の声からもわかる。特別な喉を持っている」
常にない柔らかい声で、流しの弾き手、アスカは言う。
「初めに客としてこの店に来て、給仕に来た君のその声に惚れたんだ。踊り子の選抜は、口実だよ」
見つめられ、ニーナはどぎまぎと視線を落とす。
「まずは自由に、歌ってごらん。どんな曲でも合わせてあげるから」
アスカの声は甘い。ニーナは息を吸い込んだ。
ああ。気持ちがいい。
懐かしい童謡を歌い出すと、少し遅れてアスカの弦が歌い出す。自分の声と弦の調べが絡んだ時、背筋をぞくぞくと快感が走る。自分の声がどこまでも伸びていくのを感じる。閉じたニーナの目の奥に、レモン色の光が見える。
気が付くと、音はやんでいた。
「……素晴らしいな」
アスカのつぶやき。はしばみ色の瞳がニーナの瞳をのぞき込む。
「その声、特別なものだよ。潰さないように、俺が育てる。明日からは歌い手の特訓だ」
アスカの言葉に、ニーナの胸は歓喜に満ちた。幼いころからずっと自分を縛ってきた、漆黒の瞳の呪縛を振り切ることが、できる気がした。
*
西の森は広い。風の精霊の使い魔に上から探させたが、悪霊どころか悪い気の溜り場も見つけられず、ケイン教官は唇をかむ。
「奥の手を、出すしかないか」
嘆息し、伝書の使い魔を呼び寄せる。
「あの人の店に、行っておくれ」
追跡を得意とする魔術師の元に、使い魔は一散に飛び去った。
もう一度、地上を動物の姿の精霊に探索させながら、傷を負った生徒について思い返す。
テオ。……ここ1年あまり、素行不良で魔術師学校内でも問題になっていた生徒だ。探索・攻撃中和の特殊技能の才はずば抜けているが、もともとあまり人付き合いの良い方ではなかった。
入学してから初めの「基礎」の2年間、彼も他の生徒と同様、すべての系統の魔術を学んでいたが、「応用」に進む3年目、特殊な魔術の習熟に目的を絞った「特殊技能生」に認定された。それ自体は珍しいことではなく、探索や治癒など、特別に優れた能力があるものは、そこを伸ばしていく教育方針がとられることはままある。
3年生になってから、彼の学習の進捗は遅れがちになった。東の通りで夜によく目撃されている、と、ケイン教官に報告が入ったのもそのころだ。
「……学外で何しようと、基本的には勝手なんだけどさ。東の通りは、ちょっと君には早いんじゃないの」
テオを実習室に呼び出し、赤毛の頭をかきながらケイン教官は切り出す。
自身に身に覚えがなくもないケイン教官としては、こういった話を生徒にするのは好きではないのだが、テオの学習の遅れが目に余るようになり、主任教官としてお説教を任されたのだ。
「勉強に支障がなければある程度は目をつぶるけど、今のままだと君、落第だよ」
テオは黙って下を向いている。その頑なな肩に、事情があるな、とケインは踏んだ。
「まあ正直、遊ぶことは構わないんだ。でも君、特にここひと月くらい、授業の出席率も極端に悪いし、毎日、魔力を相当使って帰ってくるだろ」
ピクリとテオの肩が震える。彼が深夜に実習室で自主練習をしていることを、ケイン教官は把握していた。時間をかけて努力しても魔術の上達がないのは、練習に足る十分な魔力が彼に残っていないことが原因だ。
「東の通りでそんなに魔力を使うって、下種な勘繰りもしたくなるけど、君には事情がありそうだ。話せないかい」
しばらくテオは黙って下を向いていたが、意を決したように顔を上げる。
「先生。俺は、モグラなんです」
ケイン教官は眉を顰める。
「……モグラ?」
「俺は、地に潜って音を聞かないと、悪霊も精霊も存在がわからない。……見ることが、できないんです」
「……それは、別に悪いことじゃないさ。特殊技能が突き抜けていて、他にできないことがある魔術師は、たくさんいるよ」
「知ってます。でも、俺は、見えなきゃならないんです」
テオの瞳には切迫した光がある。
「それと、東の通りの店と、どんな関係があるの」
ケイン教官の問いかけに、テオは黙り込む。
「毎日、東の通りで地に潜って、……何かを、探してるのかい」
テオは答えない。そこからかたくなに口を引き結び黙り込む彼に、ケイン教官は嘆息する。
「……分かったよ。今は聞かないでおく。でも、これだけ耳が良い君は、見えないことなんてやり方次第でどうにでもなるんだよ。事情が説明できるようになったら、相談においで。……それから、今のままだと落第させる方針は、変わりないよ」
そんな話をしたのが、確か二月ほど前のことだ。
もう少し、突っ込んで話をしておくべきだった。ケイン教官は唇をかむ。