1-③大きなせかいと、小さなふたり(前)
リアルで忙しく間が空いてしまいましたが続きです。
三日の間、ふたりはずっと一緒に遊んだり、ご飯を食べたり、寝たり、歌ったりしていました。また、村の中を案内されたり。
村の人たちは複雑な顔をしていました。この村の住人は人間社会に疲れた魔法使いたちが集まっていたので、『外』の存在を拒んでいました。しかし、リリのあまりにも楽しそうな様子を見ていると文句も言えず、ちょこ自体にも邪険にできず、何とも言えない思いでいっぱいでした。リリの笑顔を否定したくはなかったのです。
さて、そんな中二人のしていたことの比率で言えば「歌ったり」が一番多かったかもしれません。ちょこは歌いませんでしたが、ずっとリリの歌を聴いていました。ぱたぱたと尻尾を揺らしながら。
「ちょこちゃんも一緒に歌いませんか?」
そうリリが聞いたこともありました。しかし、
「歌はむずかしくて歌えない……」
と、ちょこ。
「難しい?」
「人間の言葉は勉強して喋れるようになったけれど、音に合わせていいタイミングで言葉を出すのは口が回らないんだよ」
「そうなんですか?」
違う国の言葉を『理解すること』ができるようになっても『喋ることはできない』こと。『喋ることができる』ようになっても『リズムに合わせて歌うことはできない』こと。ちょこにとってはその『リズムに合わせる』のが難しかったのです。
「へえ……でも、試しに歌ってみませんか?」
「……笑わない?」
「笑いません!楽しく歌えればそれでいいじゃないですか!」
「……しょうがないな……えっと」
♪
♪
ちょこは昔聴いた歌の中で簡単そうな童謡を選んで歌いました。
――――。ですが、口が回らないのです。特に『な』が『にゃ』になってしまうのは致命的なものでした。
歌い終わって、ちょこが一息つこうとするとリリが急にちょこの肩を掴んでぶんぶんしながら、
「かわいい~~~~!!」
「……へ?」
「うふふふふかわいい……!ちょこちゃんかわいい~~!!」
歌を聴いてからリリはずっとにへーと笑いながらちょこの両手を掴んでぶんぶんし、その合間に頭も撫でまわしています。
「笑わないって言ったのに……!」
「ふふふ、ごめんなさい……あまりにも可愛すぎて……うふふ……」
「むぅ……」
褒められているのか、いえ、褒められてはいるのでしょうが、ちょこにはとても不満が残りました。ぷいっと顔を背け、猫らしく丸くなってしまったのでした。
☆
リリが何かを喋りかけるとちょこの尻尾がぱたぱたと動きます。
それは上下に叩くようなこともあれば、鞭のようにしなってうねうねと動くときもあります。村にはいなかったため、リリにとっては初めての猫との対面でした。ちょこはあまり愛想良く話をしているわけではありませんでしたし、静かにしていましたが、尻尾は話しかけるたびに色々な動きをするので話をちゃんと聞いていることはわかりました。
じーっと尻尾を見るリリ。
「……なに?」
「いえ」
短く答えながらも尻尾を凝視します。その視線にも尻尾は若干の迷惑そうな動きをしました。もう少しの間同じように見つめた後、突然リリは「えいっ」と尻尾を掴んだのです。
「にゃっ!?」
思わぬ攻撃に驚いた声を漏らすちょこ。普段は人間の言葉を喋る賢い猫でしたが、驚いたり感情が高ぶったりするとつい「にゃ」と言ってしまうようでした。
「何するの!?」
当然の疑問を投げかけるとリリは、
「えへへ……つい……。なんだか不思議だなって思ってたら身体が動いちゃいました」
「もう……尻尾掴むのはやめてよ。びっくりするんだから」
「うう、ごめんなさい……」
照れながらも謝罪の言葉を口にしたので、ぷいっと顔を背けながらも許すことにしました。動いてるものに意識が向かう気持ちがよくわかったからです。リリは人間のはずなのになあ、とも思いましたが。
「……」
「……えいっ」
「にゃーっ!?」
動いてる尻尾も気になったのですが、それよりもちょこの反応が面白くてついついもう一度掴みに行ってしまったリリなのでした。
☆
「ごめんなさい~~」
「……」
「本当にごめんなさい……」
数回尻尾を掴むとちょこはとうとう何も言わなくなってしまいました。
初めての猫についついと自制ができず、相手のことを考えられなかったことに反省したリリはひたすら謝ることしかできませんでした。ちょこはそんなリリの様子を見て、それはそれでどうしていいかわからなくなってしまったのでした。
『ともだち』は尻尾を掴むなどはしない人間でしたし、あまり悲しんだり落ち込んだりするところを見せません。それ以外の人間も猫も、自分に対して謝罪の気持ちを向けてくることはありませんでしたから、素直に向けられた初めての気持ちというものをどう捉えていいのか、どうしたらこの息苦しいような状態を解消できるのかに苦しみました。
そう、お互いに初めてのこと。きっといつかはこんなことも簡単に、適当に乗りこなせるようになるのでしょうが、まだまだ経験がない彼女たちにとっては難しいことでした。
その息苦しさの中、リリは言いました。言うしかありませんでした。
「あの、本当にごめんなさい。もうしませんから……」
ちょこもそれに対して、
「……もうしない?」
と言うしかありません。やっと答えてくれたちょこに、リリは少し顔を明るくして、言葉と、そして手のひらに何かを乗せて言います。
「はい!もうしません!……あの、仲直りのしるしに……これ、どうぞ!」
「……これ、なに?」
リリの差し出された手のひらには四葉のクローバーが乗っていました。
「珍しいんですよ。昨日の朝見つけたんです!これは幸運の象徴って言われてるので、きっとちょこちゃんにも良いことがたくさん起こるかなって」
「そう、なんだ……うん。じゃあ、えっと、ありがとう」
プレゼントをおずおずと、でも受け取ってくれたことにリリはとても嬉しくなりました。
ちょこは、プレゼントと言うと悲しいものを想像してしまいましたが、今度のプレゼントはなんだか嬉しくて、胸の奥がぽかぽかするような気がしました。
受け取ったクローバーをなんとなく差し込んでくる陽の光へ掲げてみました。それだけで少し、良いことが起こるような気がします。横目でリリを見るとニコニコしていました。それを見ると良いことは既に起きているような気もしました。
ゆっくりした時間の中、じーっとクローバーを掲げているとふと、はらり……と一枚、葉っぱが落ちてきました。
「あれ?」
「ああーーっ!?ど、どうして……?さっきまでくっついてましたよね!?」
リリは大きな声で驚きを表現します。感情を隠せない人間だなぁ、とちょこを驚かせましたが、それだけ素直っていうことなのかな、と納得しつつ、今まで出会った人間とは少し違うなと改めて感じます。
ちょこの冷静な頭の中とは裏腹にリリはショックを隠せませんでした。
「せっかくの四葉なのに……」
「……だ、大丈夫じゃないかな……また見つければいいし」
「でも、せっかくのプレゼントなのに」
「いいよ。もらったことが嬉しかったから、それで」
「ちょこちゃん……」
その言葉を聞いてリリは少し落ち着きを取り戻しました。喜んでくれたことを言葉で聞けた嬉しさもあります。
「そうだ」と、ちょこは左の肉球の上に右手でぽふっと何かを思いついた仕草をしました。リリはその動きが可愛らしいなと思って見ていましたが、
「はい……えっと、おすそ分け」
ちょこは肉球の上にちぎれた葉っぱを乗せ、差し出してきました。
「おすそ分け?」
意図がわからずリリは首をかしげると、
「これ……幸せの象徴、なんだよね。その……貰ったことの、幸せの、おすそ分け……ってことじゃだめ、かな。ちぎれてちゃだめ、かな」
不器用ながらも一生懸命慰めてくれてるんだ、と感じたリリはとても嬉しくなりました。きっとこの気持ちが「おすそ分け」なのかもしれない。そう思ったリリは笑顔で受け取りました。
「はい!ありがとうございます♪……うふふ、プレゼントの交換、しちゃいましたね」
その言葉にハッとして、なんだか気恥ずかしくなったちょこはぷいっと顔を背けました。
そんな様子を見つつ、それが本心ではなさそうだと気付いたリリはニコニコしながら頭を撫でました。
☆
辛いこと、苦しかったことと言うのは身体の防衛本能からして頭に残りやすいもので、だからこそ私たちは繰り返さないように、もう一度味わうことのないようにとこびりつくもの。反対に楽しかったこと、楽しかった時間はあっという間に過ぎてしまいます。だからと言ってこれもすぐ忘れてしまうものではないし、人によっては一生覚えていられることもあるでしょう。
だと言うのに、どうして楽しかった時間がすぐ過ぎ去ることを惜しんでしまうのでしょう。もう一度、いえ、何度でも楽しい思い出を作ればいいだけなのに、どうして楽しさを遠ざけるような真似をしてしまうのでしょう。もしかしたらそれも、辛かった出来事の成せる身体の反応なのかもしれません。
旅立つ日の朝、ちょこは、また一人になることへの安心感が心に浮かんでいました。もう周りで騒がしくされないんだ。尻尾を握られることもないし、歌を歌って笑われることもない。そうだ、一人だ。
ガサガサと深い緑色の森を抜け、三十分から四十分ほどするとぶよぶよとした場所がありました。結界です。試しにつんつんと突いてみるとぐにょんと森が揺れました。
ごくりと唾をのんで、とぼとぼと足を踏み出すと、ぶよぶよは抜ける瞬間思っていた感触と違いふわっと浮くような感覚と共にちょこの形に歪み、そしてすぐ元に戻りました。振り返ってみるともう、緑色は無くなり、そこには枯れ木の森が広がっています。先ほどまで足元にあった葉たちは色を変え、茶色でところどころ穴の開いたものになっていました。
まっすぐまっすぐ歩きました。重いのは足でしょうか。いえ、身体の重さは変わっていません。確かに三日の間はたくさんパンを食べましたが、その程度では重くなるにしてもたかが知れています。重かったのは――――。
極力何も考えずに歩きました。足から伝わる乾いた葉のつぶれる音。細くて長い枝が折れる音。足が思うように上がらず、擦った土の音。
早足で歩いたその先に広がっていたのは、青空。左手には小高い丘があり、右手には遠くに街が見えます。まっすぐ見ると、広い広い平原がありました。
世界はとても広い。
何をしても自由だし、どう生きたっていいのです。どこに行ってもいいし、何を食べてもいい。笑っても泣いても。
それを視覚から感じると途端に不安になりました。これもきっと身体の反応。危険から遠ざかるための――――。
ちょこはぽつんと立ち尽くしました。本当は一人で生きられるほど強くはありません。しかし、だからと言って弱くもなかったのです。それは大いに戸惑いを覚えることでした。
そして、何でもあって何にもない世界の真ん中で思ったのです。寂しい、と。
強めの風が吹いてちょこの周りをくるんと回った気がしました。その勢い、感触に耳がぷるぷると揺れるのでした。
☆
そろーり、そろーり……リリはなるべく人目に付かないよう村の端から、音を立てないよう、葉っぱを踏まないように足を高めに上げて不審な歩き方をして抜け出そうとしていました。
当然ちょこに追いつくためです。
リリはちょこが朝早く旅立つことを知りませんでした。だから急いで抜け出さなければ追いつけないかもしれません。
森から出てしまえば世界は広い。『外』に出たことのないリリでしたが、漠然とそんなことを知っていて、ひとたび方角を間違えば出会えなくなってしまうかもしれない。そう思っていたのです。
両親に対しては申し訳ない気持ちがありつつも、ちょこを一人にしてはいけない、したくないという思いの方が強くありました。だからこその不審な歩き方なのですが……。
「どこにいくのかな?」
こっそりと抜け出ようとしたリリの背中にフランクな喋り方の女性の声が刺さりました。
「フィリアさん!?どうしてここに……!」
その問いにフィリアと呼ばれた女性は蝶のような羽で少し浮きながら笑います。
「だって私は風だもの。この辺の空気の流れに違うところがあれば流れに乗ってすぐ辿り着けるよ」
「……えーっと、フィリアさんがここにいるということは……」
「はい、お母さんはここにいますよ」
「お父さんもいますよ」
「やっぱりぃ……」
フィリアは風を統括する大精霊です。本来であれば一人の人間に精霊が付いて回ることなど、ましてや大精霊が共にとなるとありえないことでしたが、リリの母親は「友達として」共にいることを許された人間でした。
風は世界のどこにでも存在しています。つまり、リリが抜け出そうとしようが家で寝てようが、彼女の行動は全て筒抜けとなっていたのです。
「さて、リリ」
父親は口を開きました。
「お父さんたちの目を盗んでどこに行こうとしたのですか?」
その言葉は相変わらずのゆったりした喋りですが、どこかピリッとした空気をはらんでいました。
「……ちょこちゃんを追いかけます」
「ダメと言ったでしょう?『外』は危険なのですから」
「お父さんやお母さんの言う通り、外は危険なのかもしれません。でも――」
「何かあってからじゃ遅いんです。私も、お母さんもあなたを心配しているのですよ」
両親は静かに、まっすぐな目でリリを見つめました。フィリアはそれを興味深げな眼で見ていました。
その様子にリリも一歩後ずさりをしましたが、ひと呼吸の後に彼女は意を決して口を開きます。
「それはわかっています、けど」
「でも」
「それでもわたしは――」
☆
間のちょこが歌うシーンは♪の間に歌詞を入れたかったのですが、考えるとさらに投稿が遅れそうなのでそのうちに……ということで。