表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

1-②:マージナルマン

ちょっと長くなったうえに間が空いてしまいましたが、1-②話目です。

少しだけ重いかもしれませんが、お付き合いいただければ。

 三日の間集落に滞在することを認められた彼――ちょこは、集落の長の娘、リリと共にいました。特別彼がそう願ったわけではありませんが、リリが目をキラキラさせながらそばを離れなかったためです。

 ただ、嬉しそうに手をぱたぱたさせながら自分の目の前で上半身を左右にゆらゆら揺れつつ「何をしましょう」と悩んでいるのを見ると、「放っといて」とも言う気になれませんでした。

 様子を見ていたちょこの頭に、リリが手を伸ばして触れます。

「わあ、あったかい……!でもちょっと毛並みが乱れちゃってますね。ここに来るまで、ちゃんとお食事は取っていたのですか?」

「えっと……木の実とか、草とか……」

「それはだめです!ちゃんと食べないと」

 街から少しでも離れたいと走り続けた彼にとって、食事なんて気にかけている余裕はありません。追うものはありませんでした。ですが、背を向け、走る必要がありました。逃げないと。手を伸ばす人はもういないのですから。

「そうだ!ちょっと待っててくださいね」

 ポンと手を叩くと、栗色の髪の毛を揺らしてリリは走っていきます。その髪を見ながら、「どっちがチョコみたいなんだろう」と思いつつ言われた通りちょっと待つと、手にバスケットを持って戻ってきました。中身が崩れてしまう、と少しだけ気に掛けた様子です。

「お待たせしました!今朝焼いたパンが残っていたので、これ、食べましょう?」

 流石にもう温かくはなくなっていましたが、それでもちょこの元々の毛並みのようにふわっとした手触りが肉球に伝わります。その触り心地が少し面白く、ぽふぽふと触っているとリリがニコニコしながら見ていることに気が付きました。食べないと。

「……いただきます」

 もふっ。

「……やわらかい」

 もぐもぐ。もぐもぐもぐ。もぐもぐもぐもぐ。

 器用に両手で掴んで食べるちょこは多くを語りませんでしたが、パンの魅力に夢中になっていたようでした。その様子を見てリリも一切れパンをかじるのでした。

「ふふ、やわらかいですね」


                 ☆


 走って、走って、走って。

 石畳の上。黄色い砂の上。川の近くの砂利。枝が散らばる枯れ木の森。

 足の裏が痛い。一生懸命動かした手足が痛い。いっぱい息を吸って、吐いた胸が痛い。でも、一番痛かったのは。本当に一番痛かったのは。

 大好きだった『ともだち』が認められなかったこと。そして、その事実を受け止めるのに、この身体が小さすぎたこと。

 なんにもできない。なんにもできなかった。

 今、なんにもなかった手には食べかけのパンがある。隣に歌う少女がいる。

 まるで失くしたものを取り戻したように。もしかしたら――失くしたことなんて、何一つなかったのかもしれない。


                 ☆


 東の国、火の町。

 大きな火山の近くに位置するこの町は一年を通して暖かい気候で過ごしやすい町です。火山が近くにありますが、休火山であり今は噴火の危険もありません。昔から火の精霊が住む土地とされ、火山に噴火の危険がないのも、暑くなりすぎることもなく過ごしやすい気候であることも精霊のお陰であると住人は言います。

 そんな町に一人の青年と猫が住んでいました。青年は歌うことが好きで、新しい曲を作っては日がな一日ギターを持って歌っています。猫はそんな彼が好きでした。

 町の一角で歌う彼と二本足で立つ猫の存在を知らない住人はいません。どの人に存在を聞いても、「ああ」と短く答えます。

 さて、ある日のことです。

「いい加減仕事に就かないか」

 青年の兄は歌う彼らの前に仁王立ちし、低い声でそう言いました。猫はその表情にびくっと尻尾を太く毛羽立たせましたが、青年は気にすることもなく「そうだねえ」と答えました。猫はおろおろしています。

「俺たちを育ててくれた父さんや母さんに申し訳ないと思わないのか?」

「もちろん感謝してるよ。だからこそこうして歌ってるんだ」

「それがどう繋がると言うんだ。お前が歌を好きなのはわかっている。だが、伝わらない歌を続けることに意味があるのか」

「意味?さあ」

「意味も考えず、ただ毎日を無為に過ごして、人生を無駄にするんじゃない!俺はお前のためを思って言ってるんだ!」

「うん。ありがとう。でも、俺のことを思ってくれるなら、俺を信じて見守っていてくれ。父さんも母さんも、心配しなくていい。これが俺の人生だ」

「――そうか。もう、そう言うのなら仕方ない。父さんにも母さんにもそう伝えるからな」

「構わないよ。心配してくれてありがとう」

 青年の兄はふんと鼻を鳴らし、ドタドタと音を立ててはいませんでしたが、重々しい足取りで背中を向け去っていきました。猫がその瞬間に見た兄の横顔は失望と呆れ、悲しみが混ざったようなものでした。その顔に思わず問います。

「……ねえ。いいの?あれで」

「うん?……ああ、うん。大丈夫だよ」

 そう笑った彼はまた楽しそうに歌いだしました。猫は少しの不安を覚えつつも、彼の歌にもう一度耳を傾けます。しかし、頭の中に先ほどの「伝わらない歌に意味はあるのか」という言葉が残り続けてしまい、いつもほど楽しむことができませんでした。



                 ☆


 青年と猫はその町の夜に出会いました。いつものように彼が歌っていると、その様子を家の陰から覗いている猫に気が付きます。この町の人にとって青年は生活の一部のようなもので、彼がギターを片手に歌っていてもただ眉間に皺を寄せて前を通り過ぎていくだけでしたが、猫は立ち止まって遠くから見ていました。

 猫は何も言いません。いえ、猫ですから、「にゃー」としか言えないのでしょう。

 そんな青い目の猫に向けてちょいちょいと手招きすると、懐からパンを取り出して一切れ目の前に置いてみます。すると、トットットと音がするような足取りで焦げ茶色の猫は寄ってきて、「食べていいの?」と言わんばかりに青年を見ました。彼が何も言わず「どうぞ」と微笑みかけると、かじかじとパンをかじり始めました。

 お腹が空いていたのでしょう、すぐに一切れはなくなってしまいました。青年はもう一切れ差し出します。すると猫はまたかじり始めました。そんなやりとりを四回くらい繰り返して、猫は満足そうにして食べなくなってしまいました。青年も満足して、頭をひと撫でして、それからギターに手を伸ばしました。ジャラララーンと鳴らすと、大きい音にびっくりして猫は逃げていきました。しかし、少しするとひょこっと同じ家の陰から顔を出して覗いています。初めての観客が嬉しく、青年は再び一曲歌いだしました。猫は、それをじーっと、少し尻尾を振りながら見ていました。

 歌い終えた青年は暗くなった星空を見て、片づけを始めました。そして一言。

「一緒に来る?」

「にゃっ」

――――と返事はしませんでしたが、猫はついていきました。初めての『ともだち』の家へ。


                 ☆


 青年は『ともだち』を「ふく」と名付けました。猫はどうして「ふく」なんだろう?と考えていると、彼が昔遠くの国のお土産に貰ったチョコが練り込まれた大福に似ている。けれども「だいふく」ではいまいち締まらない。「ちょこ」では自分がつけるには可愛らしすぎる。じゃあ、とのこと。

 猫は食べ物の名前を付けられたことでいつか食べられてしまうのかと毛を逆立たせましたが、どうやらそんな気はさらさらない様子で、人間はよくわからないことをするなあと思ったのでした。とはいえ、今まで生きてきた中で名前というものを持ったことはなく、いえ、必要もありませんでしたので、青年が自分を見てくれている証のような気がしてとても嬉しく思えたのです。

 『ともだち』になってからというもの、二人はいつも一緒でした。青年は「ふく」にたくさん話しかけました。そしてたくさん歌いました。

 「ふく」はそれを黙って聞いていましたが、いつしか一つの思いを抱きます。「もっと『ともだち』のことを知りたい。同じになりたい」と。元々賢い猫であったため、多少の言葉は理解できていましたがその言葉の意味全てを把握することはできませんでした。

 そんな思いから、澄んだ青の目で青年を見続け、ぴんと耳を高く伸ばし、彼の言葉をよりしっかり聞きました。猫はその願いを叶え、ついには二足で歩き、人間の言葉を操ることができるようになります。青年はそれをとても喜びました。より「ふく」に話しかけるようになり、いつも笑いかけました。 「ふく」も喜び、一生懸命青年とお話をし、二人はどんどん仲良くなりました。

 町には新しい日常が刻まれます。歌う青年と、踊る猫の風景。


                 ☆

 

 火の町には歌う青年と踊る猫がいました。誰に聞いてもその存在を知っています。しかし、評判がいいものではありませんでした。

 特に仕事もせず毎日毎日同じ場所で歌を歌う青年を町の人は見下していましたし、近頃は人間の言葉を喋り、二足で歩き回る猫も増えました。

 額に汗して一生懸命働き、町や家族のために生きる――それを幸せだと思っていて、それが正しいと思う町の人たちからは彼らは異端のものと映りました。また、世界には娯楽がたくさんありました。増えた娯楽を選ぶことができるようになりました。わざわざ気に入らない彼らの歌を娯楽として捉える必要もなく、好きになる理由もなかったのです。

 ふくはそれを寂しく思いましたが、青年は気にすることもなく歌い続けました。

「これは俺の好きなことで、やるべきことだと思ってるんだ」

「伝わらなくてもいいの?」とふくは思っていましたが、口にすることはできません。彼は彼の強い意思でそれをしていることを理解していたので、水を差すようなことを言いたくなかったのです。

 そうして町の人々は理解のできない存在の彼らを遠ざけ、日常の外にその存在を置き、目をそらし続けたのです。

 それでも青年は歌いました。ふくはそれを見てニコニコ踊っていました。青年にとっての目的はただ楽しく、在るように在ることが大事であったのでした。


                 ☆


 ある日、青年は病を患いました。胸が苦しく、歌を歌うことも難しくなってしまいました。

 ふくは毎日ベッドの中で喉が擦り切れてしまうのではないかと思うくらい咳をする青年を見て、とても悲しみました。ですが、青年は笑って「さ、今日も歌いに行こうか」とよろよろとした動きでギターを手に持つのです。

 当然「だめだよ!」「治ってから行こうよ」とふくも止めましたが、「大丈夫大丈夫」と嗄れた声で返し、青年はいつもの場所へ向かうのでした。

 自分の身体のことは自分がよくわかっている、などと言うこともありますが、彼も恐らく少し前より異変を感じていたのでしょう。もしかしたらふくの見えないところで苦しんでいたのかもしれません。自らの『その日』を察し、考えた上でそれでも歌い続けることを選びました。

 世間からは外れていて、後ろ指をさされていることも理解している。けれども、彼はもっと世界に『自由』であってほしいと思っていました。自分の生き方が誰かのために、などと大きなことを言うつもりもないけれど、こんな生き方があることも、していいことも、こんな楽しみ方もあったこと。それを最後まで成して終わりたかった。

 いつものように青年は歌いました。いつものようには歌えませんでした。でも、せめて、目の前の――――『ともだち』にだけは届くように。

 その何日か後、この町の日常に流れた歌は止んでしまいました。

 

                 ☆


 自由な歌が好きでした。行くあてもなく、ただ、寂しさだけを胸いっぱいに吸い込んで、吐き出すことも叶わない息苦しい世界の中を歩いていた時に出会った、その在り方が。

 初めて出会った『ともだち』は本当に自由で、見ている方が「それで本当に大丈夫なの」と思ってしまうようなことをすることもあったけれど、それは彼なりの信念があったんだと思います。とても不器用にも思えました。

 ――――ああ。思い返すと本当に楽しい毎日だったなぁ。どうして。どうして、急に。

 彼のいない部屋を見渡します。人が一人いないだけでとても広く感じます。窓から朝日が差し込んで、彼が曲を作るのに使っていた机を照らしています。よく見るとその机の上に一切れのメモと何やら置いてあるものがありました。「なんだろう?」と読んでみると、

 「どうか、自由で楽しく生きてほしい。これ、俺の宝物なんだ。家ごと引きはらわれてしまうかもしれないから持っていてほしい。今までありがとう。――――大切な『ともだち』へ」

 置いてあったのは短い手紙と、光る石のペンダント。

 彼と仲良くなりたくて、彼をもっと知りたくて覚えた人間の言葉が、『ともだち』がもういなくなってしまったことを実感させてしまいます。

 滲んだ視界のままペンダントを手に持って頭からかけてみると、ふくの身体の長さ、頭のサイズに調節してありました。いえ、頭には少し余裕があったかもしれません。伏せた耳の分。

 

                 ☆


 少しして、ふくは外に出てみました。そして町を歩きます。――――何も変わらない。

 ふくは賢い子でしたから、人一人いなくなったところで世界に変化が訪れるわけでもないことは理解していました。ですが、そのあまりの変わらない風景に頭を掻きむしります。まるで世界から音が失われたことに自分だけが気が付いているようで。

 ややあって、ふくは、猫は耐えられなくなりました。

 走って、走って、彼のいない、何も変わらない、何も届かなかったこの町から逃げたいと思いました。

 どうして、どうして、どうして――――あんなに、あんなに。

 目的なんかありません。どこに行けばいいかもわからない。その先に自分の納得のいく答えがあるかどうかなんてわからない。

 でも、自分の大好きだった歌、人が、何も残さずに、無為であったと世界から告げられたように感じられて、猫は走りました。

 人間はどうしようもなく厄介で、面倒でした。でも同時に、人間はどうしようもなく優しくて、大好きでした。

 混乱と悲しみの中猫は走ります。

 ――――辿り着いたのは、枯れ木の森。耳にしたのは穏やかな少女の歌声でした。



                 ☆



 ふかふかしたパンの感触が手に伝わります。

 耳をぺたんと伏せて、涙を流しながらぷるぷるしていた『ちょこ』の頭を、リリは優しく撫でるのでした。


「……やわらかい」

「……ふふ、やわらかいですね」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ