星の里
昔々あるところに"ホシフラセ"と呼ばれる一人の人間がおりました。ホシフラセは山の奥深くに住んでおり滅多に姿を見ることはありません。ただ夜になると山の背に煌々とした星を降らせることからその名で呼ばれ近くに住む人々から親しまれていました。
まだ電気の概念がない時代、夜に暖かく煌く星々の明かりは人々に安心感を与え、また帰ってくる者たちの目印となり優しく出迎えてくれました。
ホシフラセはいつの日からか突然として夜に星を降らせ始めました。一体誰なのかどんな理由があるのか、知る者はひと握りでした。そのためそれを初めて見る者は皆驚き警戒を顕にしました。けれども事情を知る者が「大丈夫、あれは危険なものではない。」と伝えれば、ただその美しさに一様に目を奪われるだけでした。
星の里
人々にホシフラセと呼ばれるその少女は気がついた時には山の中で暮らしていました。この時代では珍しくない捨て子の一人だったのでしょう。本来なら山の獣に食われてしまうところを、何故か少女は生きておりました。それは山の獣がどんな風の吹き回しか少女を育て始めたからです。少女は獣に人の真似をして大切に育てられ、山の中で一番物知りの獣から教養を得て、山中を駆け回り日々を過ごし、そうしてすくすくと成長していきました。少女は頭がとても良く、草花や果物、はては地中の物質から様々な効能を見い出し山や獣のために役立てました。
この時にはまだ山の背に星が降ることはなく、代わり映えのない何処にでもある平々凡々な山でした。
そうしてその山で獣と共に少女は元気に暮らしていました。
人の数えで十歳を越えた頃、少女は少しずつ弱っていきました。
大切に育てられたとはいえ元は人間です。獣の生活に人の体はついていけません。十年もの月日を過ごせただけでも奇跡のような事例で、それだけ獣たちがこの少女を大切にしてきたことが窺い知れるようでした。
獣の中で医療に詳しい者でも少女の回復は見込めませんでした。そして少しずつ少しずつ、少女は心配ないと笑いながらも死に近づいていきました。
獣たちは少女を山の麓にある人里に連れて行こうと考えました。餅は餅屋に。人の身のことはやはり同じ人の子に診てもらうのが一番です。幸いにもその人里とは上手く共存できており、憐れな少女をきっと受け入れてくれることでしょう。そうして涙を忍び連れて行こうとしましたが、ここで滅多に反抗しない少女が高らかに声を上げました。
「私の家はここよ!此処で生き、此処で過ごし、此処で死んでいく!人間だけど皆と何も変わらない!育ててもらったその時から私は此処の者!人の里では生きていけないのよ!」
少女の瞳には人里への拒絶ではなく、獣たちへの深い信頼と愛情、そして決意の色が見て取れました。
死にたいわけではなく、人が嫌いなわけでもない。ただ、この山で生きる獣たちと同じく此処で生き死んでいく。人里で過ごすことはその理りから外れてしまう、とそう物語っているようでした。
獣たちとて少女に死んでほしくないとはいえ離れたいわけでもありません。今までずっと大切に育ててきた彼らの愛しい子です。その愛しい子が自分の生きる世界は此処だと高らかに宣言し、その思いを受け取れない者などいませんでした。
結局、少女と獣たちは今までと何ひとつ変わらない日々を過ごしていくことにしました。身体が弱っていっているとは思えないほど明るく笑う少女を獣たちはただひたすらに愛おしく見守っていました。
ある日のこと。
少女は川辺に魚を獲りに向かいました。其処は人が滅多に立ち入ることがないため獣たちにとっての穴場スポットです。素早く泳ぐ魚を馴れた手つきでポイポイと捕まえ、木の枝で編んだ籠が満杯になるとあちらこちらの草花を見ながら帰路につきました。今日はこの後 医療に詳しい獣に会う約束をしています。効果のほどは分かりませんが何もしないよりは、と獣たちの提案してくれたことなので遅れるわけにはいきません。なので診てくれたお礼の花だけ摘もうと良い花を探しながら歩いていました。
「わあ、このお花素敵。きっと喜ぶわ!」
半分ほど歩いたところで少女は納得のいく素敵な花を見つけました。「少し分けてね。」と声を掛けながら一輪手折った時、近くの茂みから物音が聞こえました。
「・・・?」
少女は獣の誰かがいるのかとその茂みを覗き込み目を見開きました。其処には野盗と思われる集団が一人の男の子を取り囲んでいたのです。こんなところに人が入り込んでいることに驚きつつも、助けるべきかどうしようと頭を抱えました。
けれど頭を抱えたのは一瞬で、少女は直様男の子の前に躍り出ました。
「何をしている。此処は獣たちの山だ!気軽に立ち入った挙句 争いごとを起こしていい場所ではない!」
「なんだぁ?ガキが偉そうにどっから出て来た。俺たちは其奴に用があるんだ、どいてろ!」
野盗たちはそう言って少女を蹴飛ばしました。軽い体は呆気なく吹っ飛び、抱えていた籠から魚が飛び出しました。
「お!此奴 魚を大量に持ってるぜ!俺たちの昼餉に頂いちまおうか!!」
「さあ小僧、次はテメェだ。さっさと金を出しな!このガキみたいになりたくなかったらなぁ?」
野盗の一人が少女の髪を掴み持ち上げます。常なら獣と共に行動している彼女はこのような事に巻き込まれることはなく、そのため蹴られた腹と髪を掴まれる痛みに呻きました。
「おい、その嬢ちゃんを離しな。」
それまで恐怖のためか黙っていた男の子が突然声を上げました。
「お、やっと喋ったな。いいぜ、ほーらよっと!」
野盗は掴み持ち上げていた少女を勢いよく木々に向かって放り投げました。少女は強かに体を打ち付け根元にうずくまりました。それを見た周りの仲間が笑い声をあげます。
男の子はその一連の動作を見ると野盗たちを見据えて言い放ちました。
「穏便に済ませたかったんだがな。医者に歯向かおうたぁ威勢がいいじゃねぇか。滾るねぇ、良いぜかかって来いよ。」
そう言い怪しげに目を光らせた彼は野党に向かって不敵に笑いました。
・・・・–––––––
「嬢ちゃん無事か?巻き込んじまって悪ぃな。今手当てするからじっとしてろよ。」
彼は随分と腕に自信があったようであっという間に野党を伸してしまいました。そして木の陰に身を潜めていた彼女のもとへ駆け寄り、先程の怪しげな雰囲気はなりを潜めた穏やかな口調で話しかけました。
「貴方とても強いのね。」
「まぁ医者だからな。人の体の弱点はよぉーく知ってるぜ?」
そう言ってけらけらと楽しそうに笑いながら手際良く手当を終えると「よっこらせ。」と顔に似合わない掛け声と共に立ち上がりました。
「嬢ちゃん家何処だ?俺のせいで怪我させちまったし送るぜ。」
「ありがとう。でも大丈夫よ、木がクッションになってくれたから見た目ほど痛くないのよ。」
「ん〜そうか。––––だがまぁ、心配はさせてくれや。若い娘さんを傷物にしたとあっちゃあ医者の名折れだからな。」
口調は荒っぽいものの穏やかな雰囲気の彼はよくよく観察するととても整った顔立ちをしていました。美しい黒髪は長さこそ短いもののさらさらと指通りが良さそうで、腕っ節の割にあまり筋肉がつきにくいのか全体的にほっそりとしていました。そして何より温かさを灯すその瞳はあまり見かけない綺麗な舛花色をしていました。
結局、彼の勧めで家まで送ってもらうことになり、帰ってこない彼女を心配していた獣達に両者共盛大に出迎えられることとなるまであと少し。
獣達の愛しい少女が知り合った彼は、山の獣達から大いに歓迎されました。それというのも彼が少女と友好な関係を築きつつあり、また医者であるからでした。人里へ降りずとも少女の治療ができるのではと考えた獣達は彼に一切の事情を打ち明けました。
「––––––––というわけなんだが、どうだろう?我らの愛し子を診てやってはもらえないだろうか。」
「成る程なぁ。・・・良いぜ、俺も少なからず嬢ちゃんを好ましく思ってるからな。請け合おう。」
柔和な顔で快く了承してくれた彼に、獣達は知らず知らずの内に緊張の糸が解れるのを感じました。
しかし、
「だが、」
と重々しく続いた彼の言葉に、その真剣な表情を見た獣達の間に再び張り詰めた空気が流れました。
「俺にはどうしても助けたいお人がいる。だからあまり長居はできん。此処へ来たのもその治療に使う薬草があると聞いたからだ。交換条件っつーと聞こえは悪いかもしれんが俺が嬢ちゃんを診てる間、アンタ達にはその薬草を探してもらいたい。」
「どうだい?」と続けた彼に獣達は今度こそホッとその胸を撫で下ろし、皆揃って力強く首を縦に振りました。自らの住む山など獣達にとっては庭も同然です。どの薬草でも群生する場所は誰でも把握していました。彼のいう薬草もまた、獣達の知るものでありました。
彼の求める薬草はその薬効の高さ故にその時代では大変重宝されていました。険しい山々にしか群生しないため滅多にお目にかかれないものではありますが、獣達の住む山には群生する場所がありました。
この薬草は一年中生えているので獣達は直様彼に渡すことができましたがそれはしませんでした。何故なら採取する季節によって薬効の高さが変わってくるからです。勿論彼にもこの事は説明し、薬効が高まる時期までのあとひと月の間は少女の治療に専念すると約束を交わしてくれました。
・・・–––––––
「あぁこりゃ悪疾だな。」
約束通り早速少女の治療を始めた彼は、少女の眼を見ながら水やら太めの針やらでテキパキと何かを調べていたかと思うと、そう淡々と告げました。
「嬢ちゃんが初めて俺と会った時かなり強かに木にぶつかっただろう?あん時あんたは平気そうにしてたが普通なら相当な痛みが伴うはずの打撲痕だったんだぜ?恐らくこの病気のせいで痛覚が鈍くなってんだろう。」
それを聞いた獣達も気になっていたことを彼に話しました。
「そうか、昔から傷が出来やすい上に中々治らなくてなぁ。なのに本人は全く痛がらないものだから心配であったのだ。」
診察を受けている少女はそう話す獣達が悲しい顔を見せたため、そっと近くに居た獣に寄り添いました。
「嬢ちゃん、質問するが普段汗はかくか?」
少しだけ難しい顔をしながら医者の彼が問いかけました。
「?・・・いいえ。そういえばかかないわね。」
「やっぱり発汗障害も出てんな。」
何かをぼそりと呟いた彼は続けてもう一つ質問を投げかけました。
「そんなら食べ物が飲み込みにくかったりする事はあるか?」
「いいえ、そんなことはないわ。」
そう答えた少女に心なしホッとした顔をした彼は、居住まいを正して獣達と少女に向き直りこう告げました。
「先も言ったが嬢ちゃんは悪疾って言う病気に罹ってる。此奴は身体の内側っつーより表面の皮膚に症状が現れるもんでな、痛覚やら温冷覚やら色々試したが今んとこ一次症状ってとこだ。嚥下障害もなさそうだしな。
まぁつまりは早い段階で治療出来るから心配いらん。大丈夫だ。」
「って事だから先ずは外用薬で様子見だな。あー、確か煎じる植物は種子だからそれを探しに・・・」
そう言葉を続ける彼を横目に、獣達と少女は溢れんばかりの喜びの声を上げました。
大勢が一通り治る見込みがある事に喜びの声を上げた後、少女はふと心配になり彼に尋ねました。
「・・貴方は私の近くに居て大丈夫なの?」
「俺に移らないかって?心配ねぇよ、発症するやつの方が珍しいんだ。同じ飛沫感染の赤疱瘡と違って自然免疫での防御力がかなり高いから大丈夫だろう。」
「そう。・・でも無理はしないでね、違和感があればすぐに離れてちょうだい。」
そんな少女の言葉に、彼は和やかに微笑みました。
「鴇ー。最後の診察するからこっち来い。」
「えっ、治療今日で最後なの!?それは本当、鳩羽!!」
その愛らしい鴇色の頬から"鴇"と呼ばれている少女と"鳩羽"と名乗った医者の彼はお互いに名前で呼び合うほど親しくなっていました。
そうしてそれだけの月日が流れ、彼の求める薬草を摘みに行った丁度その日、長いようで短かった鴇の治療が終わりを告げたのでした。
「腕の皮膚の経過順調。その他検査も問題なし、っと。–––––よっしゃ。鴇、よく頑張ったな。あんたの病は完治したぜ。」
舛花色の瞳を緩やかに細めた彼は、とても満足げに最後の診断を告げました。彼と出会ってから実際の治療期間はひと月ではあるものの、それより前からずっと気に掛かっていた思いが昇華されたことに、鴇を含めた獣達は大いに喜びそして彼に感謝の言葉をかけ続けました。
––––そして別れはすぐ側に。
「本当にもう行っちゃうのね、鳩羽。」
あっという間の展開に、少し顔を曇らせた鴇が言いました。
「あぁ、最初っからの約束だしな。治さなきゃならんお人が居るんだ。ある高貴なお方からの依頼だし、薬草の薬効が高くなるのを待つとはいえちょっくら長居し過ぎちまったからなぁ。早々に戻らなきゃならん。」
「鳩羽、我ら山の獣達一同其方に大変感謝する。愛し子を治してくれてありがとう。」
本来の目的へと意識を向ける鳩羽に、見送りに集まった獣達は連なって頭を下げました。
「おいおい、よしてくれや。言っただろう。俺も鴇の事を好ましく思っていると。あんたらと気持ちは同じだったんだ、医者の俺が治さんでどうする。それに目的の薬草も見繕ってもらったしな。こっちこそ感謝する、ありがとう。」
そう言って去り始めた彼の背に鴇が声を掛けました。
「鳩羽ー!!またこの山に来てね、待ってるから!!貴方が迷わないよう光を灯して待ってるから!!どうかお元気で!!」
それを聞いた鳩羽はこのひと月で自らの胸に小さく灯った温かな想いにそっと蓋をし、振り返った先、美しい笑顔を向ける少女に手を挙げることで応えました。
彼が去った後、鴇は約束通り山に光を灯し始めました。それは蓄光作用のある燐を撒くことでしたが、そういったことに詳しくない麓の人里では鴇が夜になると灯す光がとても不思議で星のようだと言い合いました。
そうしていつの日からかホシフラセと親しまれるようになったのです。
さて、此処で甘酸っぱい恋のお話に変われたら良かったのですがそうも言っていられません。いずれ来るもしもの未来で、叶うならばお話したかったものですがね。
自らの患者が住む国に戻った鳩羽は一刻の猶予も許されないと直走り、鴇達の山で手に入れた薬草で奥方の治療を試みました。
この奥方とはこの国の殿様の正妻にあたる大変高貴なお方であり、鳩羽の患者でもありました。ある時から不治の病に罹ってしまった奥方を治すため多くの医者が名乗りを挙げましたが一向に回復の兆しは見えません。とうとうお殿様自らお呼びになったのが、当時腕が良いとの評判を遠く聞き及んでいた旅医者をしていた鳩羽でした。
しかしやっと手に入れた薬草での治療も時既に遅く、奥方は間もなく息を引き取ってしまいました。ただその最期は、鳩羽の処方した薬草のおかげで苦痛のない柔らかな面持ちで旅立ったのでした。
ですが其処でお話は終わりません。運の悪い事にお殿様は大層お怒りになりました。それというのも、「鳩羽の処方した薬のせいで死んだのではないか。」とお疑いになられたのです。
実のところ、当初鳩羽がお殿様に声を掛けられた頃にはもう奥方は生きているのが不思議なほどぎりぎりの状況でした。それを鳩羽の医術を持って生き長らえさせてきたのですが、状況の悪い事に鳩羽が国を出てからも生きていた奥方が、鳩羽が戻りその薬を飲んだ途端死んでしまったという出来事がお殿様に疑心を抱かせてしまいました。
薬の効果が出なかったのではなく、単にもう鳩羽の力で延ばせる程生きる力が残っていなかったのだとしてもその時代では「治せ。」との勅命に背く結果を出した事こそが真実とされ、そして彼は奥方を殺した重罪人として処刑されてしまいました。
(––––––処刑日当日。)
どさりと力無く地面に倒れ込んだ彼は、霞む視界の中で幻のように鴇達が灯す光を見た気がしました。
「––––––ははっ、こりゃあ良い。綺麗に光って鴇の場所がよぉく分かる。さぁて、–––直ぐに戻って、やんねぇ、と、な–––––––。」
彼を看取った者は、お殿様の酷い思い違いの処刑だったのにも関わらず、確かに彼の死顔が心安らかだったのを見ました。
そうしてその一報は鴇達の住まう山の麓の人里にまで届きました。山の獣達と上手く共存してきた彼等は彼女達の事情を知っており、勿論医者である彼の事も聞き及んでいました。人里に住む者達は相談し合い、この事実は鴇達の耳に決して入らないようにすることを誓いました。
––––何故って、こんな最後はあんまりじゃないですか。こんな事実を知るぐらいならば光を灯し彼を導き待ち続ける方が幾分マシに思えてしまったのは仕様のない事だったと思います。
歴史とは真実が綴られるものではありません。些末事ならば、過程を除いた結果のみが残されることも多くあります。"罪人"と一言歴史に名を残した鳩羽の事を本当に知る者はもう誰も居ないのです。
同じく歴史の片隅に綴られた鴇が灯し続けた光と"ホシフラセ"についてそれらと関連させる者などそれこそもう誰も。
本当の歴史とは、今を生きる者は誰も知る由もないのである。
おしまい
※読了ありがとうございました。