第八十五話 着想
前回までのあらすじ
義肢の接続施術に成功したものの、長期入院は避けられぬレオンを勇気づけるべく、シスター・カトリーヌは自身を奮い立たせ、診療所での対応は全てお任せ下さいと宣言する。そんなカトリーヌの心意気にレオンは、任せると応じるのだった。一方その頃、エキシビジョン・マッチで負傷したジゼルの許に、シスター・マグノリアが訪ねていた。今回のエキシビジョン・マッチでの事柄にある種の事件性を感じたマグノリアは、その旨をジゼルに伝え『マリー直轄部会』として調査する事を告げる。
薄緑色の病衣を纏ったレオンは、ベッドの縁に腰を下ろしていた。
病室の窓から外の景色を眺めつつ、黙々とリハビリを続けていた。
右の義肢でゴムボールを握り、緩やかに開閉を繰り返す。
時にボールを握り締めたまま手首を捻り、そのまま肘を曲げる。
指定されたリハビリの時間以外であっても、己の判断でリハビリを行う。
接続した義肢の神経網を可能な限り早く、身体に馴染ませたいと考えている。
退院したなら、すぐにでも取り掛かりたい作業がある為だ。
総合病院の個室に移送されて二週間、右腕の回復は順調だった。
この分なら想定していた三週間よりも早く、義肢が馴染むだろう。
リハビリの成果であると同時に、接続施術が完璧だったという事か。
父親であるマルセルの技術は……確かに抜きん出ているのだろう。
ただ、相容れないという想いは些かも揺らがない。
――が、それでも、その腕前については認めざるを得ない。
そして認めた上で、頼まねばならぬ事がある。
夢の中で得た着想。
画期的な、その着想を具現化する為に。
エリーゼの負担を大幅に軽減する、その試みを実現する為に。
今だけは、マルセルの腕前が必要だ。
レオンは手にしたゴムボールに視線を落とし、リハビリを続けた。
その時、病室のドアをノックする音が響く。
看護を担当するスタッフが、部屋の外から声を掛けた。
マルブランシュ卿がお見えです――レオンは、どうぞと答えた。
「やあレオン。具合はどうだい? いやいや、施術はパーフェクトだったからね、間違いなく具合は良くなっている筈さ。それはともかく……ボクを呼び出すとは、どういった風の吹き回しだね? 口も利きたく無いという風情だったのに」
ドアが開かれるなり、楽しげな声が室内に響く。
レオンはリハビリを続けたまま顔を上げず、視線すら送らない。
ただ、抑揚の無い口調で告げた。
「頼みたい事がある」
看護スタッフの隣りに立つマルセルは、タイトな黒いスーツを着込んでいた。
両手を軽く左右へ広げて肩を竦めると、唇を尖らせながら言った。
「……あー、それが人に物を頼む態度か? まあ良い、言ってみたまえ? 何時までも反抗期が終わらぬ我が子であっても、父親として出来る限り頼みは訊くべきだろうし?」
マルセルのふざけた物言いに、レオンは僅かに口許を引き攣らせる。
しかし、それ以上の反応を見せる事はせず、マルセルを見遣った。
まずは、すべき事を最優先しなければと、そう思っている。
「右腕義肢神経網を統括するシステムを義肢内部に構築するつもりだ、ついては義肢内に二センチ四方程度のスペースを設けて欲しい。上腕三頭筋群をずらして、上腕骨背面を多少削れば行けるだろう。義肢内部の神経網は、だいぶ身体の方に馴染んでいる、神経を切ったりせずに頼む」
「――何をするつもりだ? 腕の応力バランスが崩れるぞ?」
微かに眉根を寄せ、怪訝そうにマルセルは尋ねた。
施術は完璧だったという想いがあるのだろう、更に追加の施術を頼まれるとは、予想していなかったのかも知れない。
マルセルの反応にレオンは、口許を歪めて嗤った。
「……何を言ってるんだ? 帝国の機械化兵士ですら、義肢内部に銃弾や炸薬を仕込んでる、戦闘を行う為にね。もちろん彼らはデスクワーカーじゃない――なに? なんだって? 腕の応力バランスが崩れる? じゃあ父さんの腕前は、軍属の錬成技師に劣るってわけか?」
その言葉にマルセルは、口の端を、きゅっと吊り上げた。
傍らに立つ看護スタッフが、真っ青な顔で一歩後退る。
「――馬鹿な事を言ってんじゃあ無いぞ? その程度の施術は何の問題も無く行えるさ。問題はそこじゃあ無い、義肢内部に余計な神経網の統括システムを組む必要が何処にある?」
「そんな事をアンタに教えて、僕になんのメリットがあるんだ? 出来無いんなら出来無いと言ってくれ、他にもっとマシな錬成技師を探すさ」
マルセルはつかつかとベッドの傍まで近づく。
顔を上げたまま、お辞儀でもするかの様に、上体を前へ倒した。
座ったままのレオンに、ぐいっと顔を近づけて覗き込む。
「出来るさ? 出来るよ? なぜ出来無いと思った? 二センチ四方だな? 良いさ、やってやるよ。神経に損傷を与える様な事もしない、造作も無いねえ」
「どれくらい、時間が掛かる? 入院はどれくらい伸びる?」
興味無さげにレオンは質問する。
マルセルは白い歯を見せて嗤う。
「施術は今日の午後に行う、入院は伸びない、骨格を少し弄って、人工筋肉の繋がりを多少迂回させるだけだ、引っ張る方向を変えてやりゃあ良い、不格好にもならん範囲で完璧に仕上げられる――なあレオン、聞かせろよ? 何をするつもりだ?」
レオンはマルセルから視線を反らずと、再びゴムボールを握る。
そして吐き捨てる様に言った。
「――僕はアンタの目論見通り『グランギニョール』に参加する事になった。思い通りになって嬉しいだろう? だったら見ていれば良い……そのうち気がつくさ」
マルセルはモノクルのチェーンを揺らしつつ、片眉を上げた。
そして何も知らないとばかりに、小首を傾げて見せる。
「――あー……確かにレオンが『グランギニョール』に参加してくれた事は、とても嬉しいよ? ただボクは、何も目論んじゃあいない……何もだ。キミに対して、ボクは何も目論まない、何も働きかけていない。それとも証拠でもあるのか? ボクがキミに働き掛けたっていう証拠がさあ……無いだろ? つまり何もして無いって事さ」
ははっ……と、マルセルは短く笑い声を上げて、上体を起こす。
レオンはリハビリ用のゴムボールを、右手の中で激しく変形させる。
鈍く光る義肢を見つめる両の眼は、白々と光る刃物を思わせた。
「まあ良い、そのうち気づくって事なら、愉しみに取っておくよ。キミが何をするのかね――」
踵を返し、部屋の入口の方へ歩き始める。
その後ろから、顔色を失い額に脂汗を滲ませた介護スタッフが続く。
「それじゃあ三時間後に施術を開始する。二時間で終わらせてやるよ、酷く簡単な施術だ」
そう言い残し、マルセルは病室を後にした。
◆ ◇ ◆ ◇
そこは『シュミット商会』本部施設の中庭だった。
青々とした芝生が、降り注ぐ陽光に輝いて見えた。
空は澄み渡り、そよぐ風にトネリコの木立が、微かな音と共に揺れる。
低木と花壇、中庭の中央に見えるのは白い石造りの噴水だ。
白いガーデンパラソルの下には丸いテーブル、そして椅子が四つ。
その一つに、エリーゼは腰を降ろしていた。
真珠の様に白い肌を包むのは、ベルベットの黒いワンピースドレス。
プラチナに煌めく長い髪は綺麗に編まれ、後頭部で丸く束ねられている。
トリネコの根元で揺れるシロツメグサの群生を、紅い瞳で静かに眺めていた。
「具合はどうかね? エリーゼ君」
ベンチに座るエリーゼの背後から、声が響く。
エリーゼは首を巡らせ、声の方を見遣る。
白亜の建造物に沿って林立する、石柱の影。
『シュミット商会』の代表、ヨハンだった。
ダークグレーのスーツを着込み、左手にはクリップボードを握っている。
その傍らには、エプロンドレス姿の娘。
年の頃は十六、七歳ほどに見える。
短くカットされた艶やかな頭髪は、ライトブラウン。
目を惹くのは、両眼を塞ぐ黒い布だ。
両手に携えた銀のトレイには、お茶のセットが並んでいた。
「何も問題はありません。良好です」
エリーゼは涼やかな声で答える。
その隣りではエプロンドレスの娘が、並べたカップに茶を注いでいる。
ヨハンはエリーゼと向かい合う形で、椅子に座った。
「そうか、良かった――スチーム・アナライザー・ローカスでの検査で、数値的に問題無くとも、実際の体感とは異なる場合もあるからね。ともあれ錬成用生成器の中で二週間、神経系統以外はほぼ完全に再錬成が完了している……ドロテア、ありがとう。座りなさい。一緒にお茶にしよう」
ヨハンは、エプロンドレスの娘にも座る様に告げる。
娘は微笑みと共に小さく頷くと、椅子に腰を下ろした。
目許を布で覆っているのに、その動きには一切淀みが無い。
見えているかの様だった。
ヨハンは手にしたクリップボードをテーブルの上に置き、口を開いた。
「――エリーゼ君、君の主・レオンの施術も無事に完了している。経過は良好だそうだ、あと一週間ほどで、右腕の義肢も完全に馴染むと聞いている」
「左様でございますか、気になっておりました――」
エリーゼは、ありがとうございます……そう言って、軽く目を伏せる。
穏やかで慇懃な物腰だった。
「僕も、マルブランシュ卿のご子息が助かって良かったと思っている――何より、色々と確認したい事があるんだ。君の治療が適切に行われているかどうかの確認、神経網の再錬成について、それと……」
ヨハンはテーブル上のカップを手に取り、口をつける。
一息ついて後に、改めて言った。
「……君に内蔵されたエメロード・タブレットについて」
◆登場人物紹介
・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。
・マルセル=達士、天才と呼ばれる錬成技師。レオンの実父。
・ヨハン=シュミット商会の代表。マルセルの再来と呼ばれる程、腕が立つ。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。
・ドロテア=ヨハンが錬成したオートマータ。




